28 雅美の運命
桜様、大暴れ中……
桜を見下ろす前鬼と後鬼がゆっくりと前進する。一歩ごとに山肌を揺らすかの如くに地響きが起引き起こされて、付近の木の枝に止まっている小鳥が慌てて空へと羽ばたいていく。
だがこの恐ろしげな大鬼を目の前にして、桜はまったく動こうとはしない。一歩ずつ大股で接近してくる前鬼と後鬼をその目で見据えて、内心では舌なめずりしている。
「精々楽しませていただきましょうか」
新たなオモチャを発見した子供のようにその瞳が輝いている。こうなったら桜の勢いはもう止まらない。
バキバキバキッ
2体の大鬼は邪魔になる太い枝を片手で振り払って、折れた枝は無造作に地面に打ち捨てながら桜に迫る。先を進む前鬼の腕が桜に届くその距離まで近付いたその刹那…
ドゴーーン
周囲の木々を揺らすがごとくの大音響が一面に轟く。静止状態から軽く地面を地面を蹴ったと思ったら一瞬でトップスピードに乗った桜の拳が、前鬼の胴体に叩き込まれている。桜のパンチ自体が一瞬音速を超えて、同心円状に衝撃波を撒き散らしながら前鬼に体ごとアタックを決めていた。
ドウと音を立てて後ろに倒れる前鬼、その姿は次第に破れた呪符に却っていく。
「これはオマケですわ」
さらに後続の後鬼にも同様に拳を叩き込むと、2体の大鬼は消えてなくなった。
「な、な、な、な、なんですってぇぇぇぇぇ!」
雅美の叫び声が、木々の間にこだまする。その瞳はこれ以上ない程見開かれて、自らの眷属がたったの一撃で消し去られた事実に髪を振り乱しながら混乱を極めているよう。
「ありえない! ありえない! ありえない! ありえない!」
醜く表情を継が目ながら頭を大きく振って目の前の光景を認めようとしない雅美、だがその眼前に人影が立ちはだかる。
「誰が身の程知らずなのか、ご理解いただけましたか?」
笑みを浮かべる桜ではあるが、その瞳は一切笑っていない。この場に登場した時と同様の冷たく研ぎ澄まされた氷のような光だ。
「ダ、ダメ…… ゆ、許して」
この期に及んでようやく桜が自分ごときの手に負える相手ではないと理解した雅美が、うわ言を呟きながらジリジリと後へ下がっていく。
トン
軽い音を立ててまるで雅美の背中を遮るように、その場にある何かがぶつかる。恐る恐る首を後ろに向けると、杉の大木が雅美の背後に聳え立っている。木が邪魔してこれ以上下がれなくなった雅美は、ここにて進退が極まる格好。
「おやおや、美鈴ちゃんが『許して』と言えたら、あなたは許す気がありましたか?」
桜から突き付けられた重い言葉に、雅美が自らの行いを今更悔やんでも遅かった。自分が仕出かした愚かな行いは、どう言い繕っても『許して』で済まされるはずもない。
「ダ、ダメ! いや! どうかヤメてぇぇぇl!」
形振り構わず叫んで、髪を振り乱して半狂乱になったかのように慌てふためく雅美、だが桜は、彼女の哀れな姿に対して髪の毛の先ほどの同情も示さずに、凍えるような無機質な瞳を向けている。
「言いたいことは終わりですか?」
「イヤ! イヤ! ヤメてぇぇぇぇ!」
引き気味に拳を構える桜から、雅美は目が離せない。これから自分の身に起こるであろう恐怖に、怯えた目を見開いてガタガタ震えている。もう歯の根が噛み合わないくらいに、自然に湧き起こる震えを抑えることが出来ない。
桜の拳がゆっくりと動き出す。もう逃げ場のなくなった相手に対して、敢えて自らの力を見せつけるが如くに、普段よりも大きなモーションでオリハルコンの籠手に包まれた拳が、雅美に向かって放たれていく。
「イヤァァァァァァァァ!」
絹を引き裂くような声が木々の間にこだまする。
だが桜の拳は、雅美の鼻先1センチの場所でピタリと停止した。
ズル、ズルズルズル
大木に寄り掛かった姿勢で、雅美の体はヘナヘナと地面に崩れていく。桜から押し寄せるあたかも津波のごときプレッシャーと恐怖に精神が耐え切れず、拳が当たる前にその意識がブラックアウトしたらしい。
木に寄り掛かって手足を投げだした人形のように座り込んでいる雅美、その両足の間からは黄色い液体が流れだして林の下草を濡らしていく。
「桜ちゃん、このシャッターチャンスは逃せませんよ~」
いつの間にか桜の隣に来ている明日香ちゃんは、雅美が意識を失って失禁した画像を自分のスマホに収めている。
中学時代からボコボコにされたヤンキーが土下座をするシーンや、額に油性マジックで『桜様、どうか許してください』と書き込まれたバカ面アップ画像を撮影し続けてきた明日香ちゃん。そして今日も当然のごとく、雅美の恥ずかしい姿をばしばしシャッターを切って容赦なくスマホに収めている。
「あ、明日香ちゃん、何もそこまですることもないような… プププ」
「美鈴さん、水に落ちた犬は徹底的に叩くべきですよ~。私の経験上、こうして弱みを握っておけば今後二度と逆らえなくなります」
実は明日香ちゃんも相当怖い性格なのかもしれない。地元のヤンキーが桜を恐れる以上に、明日香ちゃんに気を使っているのもなんだか頷ける話。
その明日香ちゃんを止めようとした美鈴も、どうやらこの成り行きを面白がっている。良識ある副会長的なポーズで明日香ちゃんを止めようとしただけで、本音ではいい気味だと思っている。
「皆さん、そろそろお戻りになられた方がいいと思いますが」
撮影会が一段落した雰囲気を察して、カレンが切り出す。その表情には、何らかの思惑が隠されているのだが、彼女の心の裏側まで見通せる人間はこの場にはいなかった。
「そうですねぇ~… 戻りたいのは山々ですが、後片付けをどうしましょうか?」
何しろこの場には、頭をかち割られて瀕死の陰陽師が四人と、他にも相当な重傷者が多数いる。このまま放置して去っていくのは、いくらなんでもヒドイ話であろう。
だがカレンは、さも自信ありげに答える。
「片付けは、私にお任せください。それほどの手間ではありませんから」
「わざわざ美鈴ちゃんのピンチを知らせてもらったのに、お礼もしないで片付けまでお任せするのは、さすがに心苦しいですわ」
「大丈夫です。西川さんも大変な目に遭ってしばらくはお休みさせた方がよろしいですから。どうかこの場は私に任せてお戻りください」
なおもカレンは、譲らずにこの場を任せろと主張する。これだけカレンが主張するからには、好意に甘えようかという雰囲気が、主に明日香ちゃん辺りから噴出する。
「桜ちゃん、カレンさんがこれだけ言ってくれるんですから、この場はお任せしましょうよ~」
「そうですか… カレンさん、本当にいいんですか?」
「ええ、大丈夫です。片付けが終わりましたら、桜ちゃんのお部屋に伺っていいでしょうか?」
桜は一瞬怪訝な表情を浮かべる。カレンが特待生寮の事を知っている点に、なんとなく引っ掛かりを覚えたよう。だが小さなことなので、どうでもいいかと思い直す。
「ええ、このまま部屋に戻りますから、後からどうぞお越しください」
「それでは後ほどお会いしましょう」
こうして三人はカレンに背中を押されるようにして裏山を降りていく。
彼女たちが十分に離れたのを確認すると、カレンが行動を開始。
まずは雅美のびっしょりに濡れているスカートのポケットからスマホを取り出すと、データとして保存されている着送信済のメールの全てをどこかへ転送する。
その作業が終わると、自分のスマホを取り出して通話ボタンを押す。
「もしもし、私です。つい今しがた、このような出来事があって… はい、それではこれから例の双子の部屋を訪ねます」
何やら非常に謎の多い行動が続く。果たして誰と話をしていたのだろうか? カレンの背後にはどのような存在があるのだろうか?
ここまで終えるとようやくカレンは、倒れている全員に回復魔法を掛けて回る。もちろん怪我を完ぺきに治癒するのではなくて、脳震盪が残るが命には別状がない程度まで回復して終わりにしておく。こうしておけば、桜の暴力で怪我をさせられたと相手方が騒ぎ出しても、さほど大した問題ではないと一蹴可能。そもそも雅美から先に手を出しただけに、そのような訴えを申し立てる可能性は実際には低いであろうが…
「西川さんを助けようとしたら、思わぬ大収穫だったわね」
こうしてカレンは、最後に周囲に大勢倒れている光景をスマホに撮影してから、裏山を降りていくのだった。




