26 美鈴の危機
美鈴に大変な出来事が……
この日の放課後、雅美がこれから生徒会室に向かおうとする美鈴に声を掛ける。
「西川さん、昨日の魔法は本当にお見事でしたわ。もしよろしければお互いの魔法に関する情報交換をいたしませんか?」
「東十条さん、ありがとうございます。お話ししたいところなんですが、これから生徒会室に向かわなくてはなりませんので別の機会に誘ってもらえるでしょうか」
自分の誘いに対して何の疑いも持たずに丁寧に頭を下げる美鈴の姿を、雅美は瞳の奥に冷たい光を宿しながら見下ろしている。だがせっかく罠を仕掛けているのだから、目の前の獲物を逃がすわけにはいかない。
「それほどお時間は取らせませんわ。間もなく夏休みになってしまいますし、休み中の課題として西川さんの術式を研究したいと考えていますの」
「そうですか… あまり長くは時間が取れませんが、それでもいいでしょうか?」
「ええ、こんな大切な機会ですから、この先にも繋がるようにお近づきになれれば幸いです」
美鈴は頼まれると中々断れない性格。だからこそ生徒会副会長などという忙しい役職を引き受けてしまっている。しかも他人の悪意を間近に感じた経験がないので、上辺だけは丁寧な雅美の物言いにすっかり騙されている。
「それではどこでお話ししますか?」
「術式に関わることとなると迂闊に他人に聞かれては不味い内容もおありでしょうから、なるべく誰もいない場所がよろしいかと。よろしかったら私のとっておきの場所にご案内いたしますわ。見晴らしがよろしくて、街並みを一望できますのよ」
「そうですか… では、そこでいいです」
「それではご案内いたします。どうぞこちらへ」
カバンを手にした美鈴と雅美は連れ立って教室を出ていく。
この二人の会話をやや離れた場所でカレンは聞き耳を立てて聞いていた。二人が連れ立って教室を出ていく後ろ姿を横目で確認すると、彼女も席を立って階段に向かう二人を追う。
(まさか今日のうちに本当に行動に移すなんて、これでは西川さんに警告する暇もないじゃないの)
雅美の行動が予想以上に早すぎてカレンは内心の焦りを隠せない。雅美の話の内容だと、美鈴を追い出すために相当悪辣な罠を仕掛けている可能性が高い。かといって、カレン自身が助けに入るわけにはいかない。彼女は回復魔法が専門で、大した攻撃手段を持っていなかった。もし大人数に囲まれたら、美鈴を助けるどころか自分までとばっちりで大ヤケドを負いそうな状況なのだ。
(こうなったら、一番頼りになる人に…)
カレンはスマホを取り出すと誰かに電話を掛ける。だがいくら呼び出し音が鳴っても、通話相手は一向に出る気配はなかった。
(もう、なんでこんな大事な時に出ないのよ。また会議中なのかしら?)
カレンはスマホをブチ切りしてポケットに仕舞い込むと、一旦美鈴と雅美の追跡に集中する。生徒玄関を出ると、どうやら二人は話し通りに裏山の方面に歩き出す様子が目に入る。
(どこに連れていくのか場所を確認したいけど、それでは手遅れになる可能性が… もし西川さんに万一のことがあったら、あの二人を止められない)
カレンが頭に思い描いているのは聡史と桜の兄妹コンビの姿。なぜか彼女は、これまで全く関わりがない兄妹のことを知っている様子。クラスも違うし会話など交わした機会もない例の兄妹をなぜカレンが知っているのだろうか? しかも、『二人を止められない』という意味深なフレーズ… まるで二人の強大な力まで承知しているかのような呟きであった。
(こうなったら追跡は後回しにして直接事情を説明しに行くしかない。 面識がない私の話を信じてもらえる保証はないけど… でも絶対に何とかしないと)
裏山方面に向かおうとした足を止めると、踵を返してカレンは学生食堂に向かう。しかも、確信に満ちた足取りで。まるで双子の片割れの行動パターンを熟知しているかのようだ。
慌てた様子のカレンが学生食堂の入り口に飛び込んでいく。そこには生徒はまばらで、探している相手の姿はすぐにカレンの目に入った。その人物は一緒にいる友達にこんな話をしているのが耳に入ってくる。
「明日香ちゃん、先日ダンジョンで、オーク2体、グレーウルフ4体、グレーリザード1体を仕留めましたから、お財布がとっても元気になりました。今は諭吉さんが3人もいますから今日は私のおごりですよ」
「桜ちゃん、いただきますよ~。それにしても簡単にお金が稼げて羨ましいです」
「そのうち明日香ちゃんも、いっぱい稼げますから安心してください。私がバッチリ鍛え上げますわ」
「ほどほどにしてもらえないと、稼ぐ前に私が死んじゃいますよ~」
周囲の様子など全く気にせずに、のほほんとこのような会話をしている。
カレンは気を引き締めて、桜と明日香ちゃんが座っている席に向かう。
「あの、お楽しみ中失礼します。私はAクラスの神崎カレンと申します」
「はい、何でしょうか?」
桜が、生クリームがたっぷり乗ったスプーンを手にしてカレンに振り向く。その隣では、明日香ちゃんが鼻の先にクリームをつけたままで、突然声を掛けてきたカレンに見入っている。
「大事なお話なので、ちょっと耳を貸してもらえますか」
「はいどうぞ」
カレンが桜の耳に口を寄せると、誰にも聞かれないように細心の注意を払いつつ用件を告げる。
「西川さんが狙われています。つい今しがた、裏山に連れ出されました」
「間違いありませんか?」
「この目で確認したので、間違いありません」
桜の目が氷のような冷たさを湛えてスッと細められる。それはどこからどう見ても暗殺者の表情。たったそれだけで食堂内の気温が10℃くらい一気に下がったような気がする。
「明日香ちゃん、今から恒例行事に向かいますわ」
「ええ、桜ちゃん。また校舎裏ですか?」
付き合いが長い明日香ちゃんには『恒例行事』の一言で、意味が通じたようだ。何しろ中学時代から校舎裏でヤンキーとバトルを繰り返していた桜だ。明日香ちゃんがそのお供で連れ出された機会も数知れず… だからこそ明日香ちゃんは『校舎裏ですか?』と即答している。
桜は明日香ちゃんが食べ掛けていたフルーツパフェを取り上げると、アイテムボックスに仕舞い込む。大好物をいきなり取り上げられた明日香ちゃんは涙目になっているが、渋々立ち上がって桜についていく。
「カレンさん、裏山といってもかなり広いです。大まかな方向はわかりますか?」
「この先から登っていく後ろ姿を確認しました」
「具体的な場所はわからないんですね?」
「はい、わかりません」
桜は目を閉じると、スキル〔気配察知〕と〔広範囲索敵〕を同時に発動する。野生動物並みに強化された桜の聴覚に裏山の上から枝が折れるポキンという音と人間二人の足音、それに加えて息遣いなどが聞こえてくる。
「こちらの方向、約500メートル先ですね。急ぎましょう」
「「はい」」
桜が先頭に立ち、明日香ちゃんとカレンが続く。明日香ちゃんの足取りは、度重なるレベルアップと桜の訓練のおかげでもうEクラス最弱とは呼べないほどに成長している。むしろ最後から登っていくカレンが息切れを起こしているくらいだ。
こうして三人は桜のスキルを頼りに美鈴たちのあとを追跡していくのだった。
◇◇◇◇◇
桜たちが追跡しているとは知らない美鈴と雅美は、裏山のかなり高い場所まで登ってきている。あまり時間に余裕がない美鈴は、一体どこまで登るのかとやや不安を覚え始める。
「東十条さん、まだでしょうか? ずいぶん高い場所まで来ましたが…」
「あと1、2分です。ほら、見えてきました」
雅美が指さす先には見晴らしがいい場所などどこにも見当たらない。ただただ杉の大木が林立しているだけの、一向に変化がない裏山の景色が続いているだけ。
雅美の考えがわからずに、美鈴の不安と生徒会室に向かわなければならない焦りが徐々に募っていく。
ピッ
その時、美鈴の耳には短い口笛のような音が聞こえてくる。まるで何らかの合図のように…
その口笛の音を耳にした雅美は、得も言われぬいやらしい笑みを顔に張り付かせながら美鈴に振り返っていく。その瞳には、今まで美鈴に話し掛けていた穏やかさを装う欺瞞を取り払ったかのように、暗くて怪しげな光を湛えて…
「ようこそ、西川さん。ここがあなたを招待したかった場所です。精々楽しんでくださいませ」
パチンとひとつ雅美が両手を打ち鳴らすと、杉の木の陰からニヤニヤした薄気味悪い表情の数人の男子生徒が姿を現す。彼らは全員東十条家の息がかかった陰陽系の術を操る生徒。しかも顔に見覚えがない点からして、どうやら上級生のよう。
いつの間にか雅美は立ち位置を変えて、生徒たちの後ろにいる。その様子は手下を従える女王様のような雰囲気を醸し出している。
(もしかして、騙された?)
美鈴の脳裏には嫌な予感と、どうやってこの窮地を切り抜けようかという考えが一瞬の間に交錯する。
(魔法を使う… いや、それでは相手を死なせてしまう)
美鈴の脳裏にはファイアーボールを食らったゴブリンの手足がバラバラに千切れて吹き飛んでいく光景が浮かんだ。この一瞬の逡巡が、美鈴にとって命取りとなる。彼女の背後にはこれまで隠形の術によって身を隠していた東十条家お抱えの本職の陰陽師が四人、その不気味な姿を現す。
黒装束に身を包んだ本職の陰陽師は足音を立てずに美鈴の背後に迫ると、左右から美鈴の腕を拘束する。さらにひとりが重ね合わせた美鈴の両腕を手首の辺りで粘着テープをグルグル巻きにする。
美鈴の両手の自由を奪ったところでトドメに口にテープを張り付けられると、美鈴は声すら出せない状況に追い込まれる。
この間、あっという間であった。あまりに手慣れた黒装束の動きにレベルが16あって成人男子でも押さえ付けられる美鈴であっても全く抵抗できなかった。いわゆるプロの手口というのであろうか? なんとも鮮やかな手際といえよう。
無抵抗な姿にされた美鈴を雅美は一段高い場所から余裕の表情で見下ろしている。
「まあ、西川さん、どうにも残念な姿になりましたわね。抵抗ができるならどうぞご自由に」
小憎らしいほどの表情で美鈴に対して余裕を気取る雅美、対して美鈴は声も出せずに首を左右に振って必死に何かを訴えようとしている。だがそんな美鈴の態度は雅美の嗜虐心を刺激するだけ。
「さあ、そこの女を裸に向いて(剥いて)好きなようにしなさい。写真はしっかり撮っておくんですよ」
美鈴の元にニヤニヤ顔の上級生が無言で近づいてくる。逃げ出そうとしても両腕を後ろ手で一括りにされて黒装束の男二人から抱え込まれているので、どうにも逃げようがない。美鈴の脳裏には自分の最悪の未来が思い浮かんで、その瞳からは恐怖と無念が入り混じった涙が流れる。
「さあ、たっぷりと楽しんでやるぜ」
ひとりの男子生徒が言葉を発しながら美鈴のブラウスのボタンを引き千切るように乱雑に引っ張ると、美鈴の肩と胸部の中程まではだけて、あられもない姿を晒してしまう。
(いやぁぁぁぁぁぁ、誰か助けてぇぇぇぇ! 聡史君! 桜ちゃん!)
声を出そうにも口を塞がれて言葉にならない。それでも必死に首を振って足をバタバタさせながらなんとか抵抗を試みる美鈴。だが上級生はさらに力を込めて、ブラウスを乱暴に引き千切ろうとする。
最悪なことに別の上級生は、制服のスカートに手を掛けて徐々に捲り上げようとしている。
美鈴の体中に鳥肌が立つ。それは、これから始まる恐怖に耐え切れない美鈴の本能が引き起こしたのかもしれない。
その時…
ビシッ
「ウッ!」
ビシッ
「クッ!」
ビシッ
「ガッ!」
ビシッ
「ゲオ!」
何か目に見えない物が飛んできて、頭を撃ち抜かれた黒装束の男たちはその一撃で頭部を血塗れにして地面に倒れ込む。わずかに患部が陥没しているところを見ると、頭蓋骨が割れている可能性もある。陥没した部分に銀色の金属が顔を覗かせているところを見ると、どうやらパチンコ玉を撃ち込まれたようだ。
「ムグムグ」
声にならない声を出しながら体の自由を取り戻した美鈴がその方向に振り向くと、そこには近付く者は全て斬り捨てると言わんばかりの怜悧な刃物のような表情の桜が立っている。
「いい根性ですわね。私の友達に手を出した以上全員地獄に送って差し上げますから、覚悟はよろしいですね」
その声は、正真正銘地獄から這い出してきた死を運ぶ使者のような、人の心を凍えさせる響きを孕んでいるのだった。




