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23 仲間の意義

兄妹は二人で何を……



 この日の夜、兄妹は豪華な学生寮で二人っきりの静かなひと時を過ごしている。


 ソファーに腰掛けて寝る前の時間を冷たい麦茶を片手に、日本に戻ってきてからの慌ただしい日々を振り返っているよう。聡史はジャージにTシャツのラフな姿、桜は子熊の柄が細かくプリントされたパジャマ姿で、兄妹二人だけで会話を交わしている。



「お兄様、こうして二人っきりだととても静かですわ」


 桜は、昼間の顔とは打って変わって穏やかな微笑みを湛えている。こうしていると、まるで別人のようなおしとやかな美少女に見えてくるから不思議だ。



「そうだなぁ。なんだか静かすぎて物足りないくらいだ。学院に入学してみたら結構忙しかったからかな? それにしても、美鈴と明日香ちゃんに出会えて本当に良かった。運命の女神様の粋な計らいかもしれないぞ」


「お二人と一緒にいると、とても楽しいですよね」


 桜の瞳には、めったに見せない優しげな光が浮かんでいる。まったく環境が違う学院に編入して、不慣れな生活が始まった。いかな聡史や桜にとっても、殊に人間関係において一抹の不安を感じて当然といえるような周囲の変化があった。にも拘らず、たまたま偶然そこに気を許せる知り合いがいたというのは、何よりも心強いはず。



「楽しいか。それは良かったな」


「お兄様、ずいぶん冷静な物の言い方ですね。楽しくないのですか?」


「いや、もちろん楽しいぞ」


「クールなフリなど、お兄様には似合いませんわ。もっと素直に喜べばいいのに」


 桜は、聡史の痛いところを突く。本当は桜以上に喜んでいる自分の内面を努めて隠そうとしている聡史の態度は、桜から見ると挙動不審の一歩手前に映っている。双子ならではの、互いの心情を理解する心の動きが働いているのかもしれない。一卵性双生児ではないが、この二人にもある程度の以心伝心が存在している。



「それよりも、桜はクラスには慣れたか?」


 自分の話には触れたくない聡史は慌てて話題を逸らす。妹に自らの内面を見透かされているような気もしてくるが、照れと男のつまらない意地で可能な限り心の内を悟られないようにポーカーフェースを保っている。


 もちろん桜にはそんな聡史のミエミエの薄っぺらい心情などすっかりお見通しなので、いまさら何を隠しているのかと突っ込まれるのがオチであろう。だが桜は兄の顔を立てて、その件にはまだ触れないように言葉を選ぶ。



「女子の皆さんとは、何人かお話しできる方がいらっしゃいますわ。男子で名前を憶えているのは、信長くらいでしょうか」


「頼朝だからな。桜が名前を間違えるせいで、あいつは涙目になっていたぞ」


「今度はしっかり覚えましたから、二度と間違えませんの」


 桜は両コブシをギュッと握って力強く宣言する。ようやく頼朝も浮かばれる可能性が出てきたが、桜のことなのでまだまだ予断は許さないであろう。



「それよりも、お兄様こそクラスには慣れましたか?」


「うーん、そうだな~… 男子とはよくしゃべるぞ。特に自主練仲間とは、すっかり打ち解けているな」


「女子とはいかがなんですか?」


「明日香ちゃん以外は、ほとんどしゃべっていない」


「はあぁぁ… 相変わらずダメなお兄様です」


 桜の指摘に聡史はグウの音も出ない。幼馴染の美鈴と顔見知りの明日香ちゃんがいてくれて一番助かっているのは、他ならぬ聡史なのかもしれない。



「ところで桜。これから先も、明日香ちゃんを鍛えていくのか?」


「ええ、明日香ちゃんが音を上げるまでは頑張ってもらおうと思っておりますわ」


「一緒にダンジョンに入るためにか?」


「もちろんですわ。だって明日香ちゃんと一緒だと、とっても楽しいじゃないですか」


 この夜一番のいい顔で桜が答える。口ではなんやかんや言ってはいるものの、桜は本当に明日香ちゃんが大好きで心から信頼している。もちろんこんなことを真顔で本人に伝えると、調子に乗った明日香ちゃんがどこまで飛んで行ってしまうかわからないので、敢えて口に出すことはしないいままだろう。



「お兄様、お聞きしますが、ダンジョンに入る仲間として最も大切な条件は何ですか?」


「うーん… やっぱり信頼できる人間かどうかだな。自分の背中を預けるわけだし」


「その通りですわ。だからこそ私には明日香ちゃんが必要なんですの。見た目は頼りないんですが、ああ見えて明日香ちゃんはなかなかしぶとい子なんです。きっと私たちに最後までついてきてくれると信じています」


 桜は、普段はあまり表に出さない内心の思いのたけを、こうして聡史と二人っきりとなるとストレートにぶつけてくる。一番信頼している兄だからこそ、こうして何もかも打ち明けているかのよう。



「そうか… 美鈴も俺たちについてきてくれるかなぁ~」


「美鈴ちゃんこそ、お兄様が信じないでどうするんですか。本当に何もわかっていないんですね。ほとほと呆れました」


 桜に思いっきりダメ出しされて、聡史はズズーンと効果音が発生するレベルでへこんでいる。その額には3本の青い線が入っているかのよう。


 桜としては兄に「俺についてこい!」といった具合でキリリとした態度を美鈴に示してもらいたいのに、肝心の聡史がこの体たらくでは発破を掛けたくなるのも無理はない。颯爽と女性をリードする凛々しい兄の姿を見たいのだ。



「お兄様、私の勝手な思い込みで明日香ちゃんを巻き込んでいるのは重々承知です。でも、明日香ちゃんなら必ず応えてくれると信じています。それこそが、本当の友達であり仲間なんです。だからこそお兄様も、もっと美鈴ちゃんを信じてください」


「今日はどうやら桜に一本取られたみたいだ。俺ももっと美鈴や明日香ちゃんを信じてもいいんだな」


「当たり前ですわ。お兄様は異世界で一緒に旅をした皆さんのことを、もうお忘れですか?」


「いや、忘れてはいないぞ。本当にみんなには世話になったし、勇気づけられた」


「美鈴ちゃんや明日香ちゃんも、一緒ですの。私たちの大切な仲間です」


「うん、桜が言いたいことはわかった。俺ももっと周囲の人間を信じよう」


 桜は、一見傍若無人な性格のように見える。もちろんそのような言動がままあるのを否定できないが、それは彼女の一面に過ぎない。その裏側では本当に仲間を大切にするし、自分の命を懸けても仲間を守ろうとする。


 そんな桜は美鈴と明日香ちゃんをすでにパーティーの仲間として見做しているよう。対して聡史はどうかというと、まだ守るべき対象として二人を見ている甘っちょろい事実に気が付いた模様。


 二人っきりになるとこのような感じで聡史が桜にやり込められる場面が、この兄妹の間ではしばしばある。ひょっとするとこの兄よりも妹のほうが、魂の奥底の本質的な部分でしっかり者なのかもしれない。



「さて、ずいぶん遅くまで話し込んでしまいました。お兄様、そろそろ寝ましょう」


「そうだな、明日は実技実習の日だし、しっかり睡眠をとっておこう。明日も午後はダンジョンへ行くんだろう?」


「もちろんですわ。美鈴ちゃんと明日香ちゃんはお兄様にお任せいたしますので、よろしくお願いしますね」


「ああ、わかったぞ。それじゃあ、おやすみ」


「おやすみなさいませ」


 こうして兄妹は自分の寝室に入って、この夜は過ぎていくのだった。







   ◇◇◇◇◇





 翌日の午前中は、美鈴は聡史とともに新たに獲得した魔法属性の練習を行う。だが火属性魔法とは違って無属性魔法や闇属性魔法は術式の定義自体が大変難しく、美鈴の術式解析のスキルをもってしてもそうそう簡単にはいかないようで、今後とも難航が予想されている。


 一方の明日香ちゃんは、桜の指導の下で木槍を手にしての練習を積んでいた。桜は普段拳で戦い武器を持つケースはほとんどないのだが、明日香ちゃんを指導する程度にはあらゆる武器の扱いに精通している。おかげで明日香ちゃんは〔槍術スキルレベル1〕を手にしている。だがその分訓練は厳しいもので、2回ほどポーションのお世話になって明日香ちゃんが抱えるトラウマがさらに悪化する副作用があった。



 午後になって、四人は本日も大山ダンジョンへと向かう。


 美鈴と明日香ちゃんは今日は学院支給のヘルメットとプロテクターを身に着けている。聡史と桜は、アイテムボックスに必要物品が全て入っているので、相変わらずの手ぶらでダンジョン管理事務所へ入っていく。



「今日は2階層で、美鈴と明日香ちゃんに実戦を経験してもらうぞ。それから桜は一人で別行動になるから、実質的に3人で行動する件を承知してくれ」


「「はい!」」


 実は、桜は一人で下層に向かって、ある程度値の張る魔物を仕留めてくる予定なのだ。これは主に、桜のデザートに関する浪費が原因となっている。このままでは兄妹揃って、財布が非常に厳しくなる深刻な事情が絡んでいる。


 この困難な経済事情解消のために、桜はひとりで一攫千金狙いに出るのだ。もっともレベル600オーバーの桜にとっては、至極お手軽なミッションといえるであろう。


 そのまま四人揃って2階層まで降りると、ここから先は桜とは別行動となる分かれ道に到着する。



「それでは、明日香ちゃんにはこの槍を渡しておきますね。どうか頑張ってください」


「桜ちゃん、任せてください。ゴブリンなんて、一撃で倒しちゃいますよ~」


 気軽に槍を手にする明日香ちゃんを見て、聡史は一瞬我が目を疑った。聡史自身初めて目にする槍だが、どう見てもそれはアーティファクトレベルの武具にしか見えないのだ。



「桜、念のために聞いておくが、この槍はお前が明日香ちゃんに渡したのか?」


「お兄様、なかなかお目が高いですわ。明日香ちゃんも手に馴染んでいい感じに扱えるようになりました」


「そ、そうなのか。いい槍だから、明日香ちゃんも良かったな」


「はい、お兄さん、この槍でグングンレベルアップですよ~」


 あまりに怖いので、聡史はこれ以上追及するのを断念する。まさかこの槍が伝説の武器〔トライデント〕であるとは、彼自身も知らない。本当に恐ろしい予感がして、桜に聞けなかったのだ。



「それでは皆さん、行ってまいります。ご武運をお祈りしておりますわ」


「桜ちゃんも気を付けてくださいよ~」


「はい、わかりました!」


 こうして桜は下層へ降りていく階段がある方向へと向かう。さて、ここからが美鈴と明日香ちゃんの出番がスタートとなる。



「それじゃあ、こっちの通路を進んでいこう。遠距離の敵は美鈴の魔法で、20メートル以内に接近を許したら明日香ちゃんが槍で対処するんだ」


「「はい、わかりました」」


 今日は本当に自分の力でゴブリンを倒すと決めてきただけに、二人とも日頃に増して引き締まった表情となっている。聡史の目から見ても、彼女たちの様子は中々頼もしいものとして映っている。


 今日は桜がいないため、聡史がパーティーの先頭を務める。桜には及ばないまでも、聡史ももちろん気配察知のスキル持ちであり、そのスキル自体ゴブリンの気配を掴むには十分な性能を秘めている。そして通路を歩くとすぐに、聡史は何らかの気配を掴んだ。



「この先に何かいるな。美鈴は魔法の発動準備に取り掛かってくれ」


「聡史君、オーケーよ」


 聡史の指示で美鈴がスタンバイしているのは、もちろん最も自信があるファイアーボール。今回はダンジョンの内部という環境を考慮して、演習場でぶっ放す時よりも注入する魔力を半分に減らしている。だがそれでも、ゴブリンを相手にするには十分以上の威力であろう。



「ギギ、ギギャ」


 枝道から出てきたのは、予想通り単体のゴブリンであった。すでに美鈴は視線で照準をつけている。



「ファイアーボール」


 彼女の右手からは、聡史直伝のオレンジ色の炎の塊が飛び出していく。避けようがない速度で宙を飛んだファイアーボールは、狙いを逸らさずにゴブリンに命中する。



 ドーン


 威力抑えめの爆発ではあるが、それでもゴブリンの体がバラバラに吹き飛ぶには充分。だが美鈴は、油断せずに次の魔法の準備に入っている。先日のオークを仕留めそこなった経験が生きているよう。



「美鈴、もう大丈夫だ。魔法を解除してくれ」


「ええ、1発で倒せてよかったわ」


「美鈴さんの魔法は、凄いですよ~。私も、いずれは覚えたいです」


「明日香ちゃんにも、必ずできるようになるわよ。それまでは地道に訓練を続けていきましょう」


「はい、そうします! 目指せ、魔法少女ですよ~」


 明日香ちゃんは、お得意のキラキラな瞳で美鈴に今後の努力を誓っている。桜が言う通り今のところ大した才能がない明日香ちゃんは口ではサボりたがってはいるものの、努力だけは出来る子なのだ。



「さあ、今度は明日香ちゃんの番だぞ。ほら、次の角からすぐに出てくるからな」


「よーし、行きますよ~」


 明日香ちゃんは手にする槍をしごきながら、聡史が指さした曲がり角を見つめている。そしてその言葉通りに1体のゴブリンが姿を現して、パーティーに向かって牙を剥き出しにして威嚇してくる。その醜悪な表情に、今までであれば明日香ちゃんは目を背けていたかもしれない。


 だが、この場に立っているニュー明日香ちゃんは、昨日までとは一味も二味も違うのだ。



「ギギギギャァァ!」


 棍棒を振り上げて襲い掛かるゴブリンの前に、明日香ちゃんが立ちはだかる。その瞳に恐怖を宿していないのは、桜によって半ば強制的に精神耐性のスキルを身に着けていたおかげであろう。



「えいっ!」


 桜から習ったとおりに、明日香ちゃんは手にする槍でゴブリンの棍棒を払う。ようやく活躍の場を見出したトライデントは、喜びに打ち震えるかのように青い光を放ちながら、槍自体の能力を発揮して明日香ちゃんの攻撃を側面から支援している。具体的には、攻撃の威力が2倍以上になっているのだ。


 これこそが、異世界で神槍として伝説の中にだけ残されていたトライデントの秘められた能力の一部である。



「これで止めですよ~」


 グサッと三叉槍がゴブリンの首元に突き刺さると、バチバチっという音を立てて槍自体がその穂先から強力な電流を流し込む。その威力はあまりに強烈で、ゴブリンの目玉が発生した熱で蒸発してしまう恐ろしい効果を発揮した。だが明日香ちゃん自身は、この隠れたトライデントの活躍にはまったく気付いていない。


 体中から白い煙を立ち昇らせながら倒れ込むゴブリンが霞のように消え去ると、その場には魔石が落ちている。



「やりました。初めて自分の手でドロップアイテムを獲得しましたよ~」


 明日香ちゃんは、これ以上ないキラキラ顔で魔石を拾うと、大事そうにポケットに仕舞い込む。


 槍に対する十分な手応えを感じ取って、小さな自信と、さらに膨らんだ魔法少女に対するより前向きな夢を、その胸に抱く明日香ちゃんであった。

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