185 ディーナ王女の忙しい1日
カレンが護衛しているディーナ王女の動向は……
日本に到着した翌日から、ディーナ王女たちには条約締結のためのスケジュールが分刻みで組まれている。
まずこの日の午前中は高級服を取り扱う業者がやってきて、一行に現代風の衣装を見繕う時間となる。王女一行は馬車で旅したりダンジョンを抜けてくる都合上全員が旅装に身を包んでおり、公式な場に出るにはやや相応しくない外見であった。もちろん王族が身に着ける着衣である以上、マハティール王国においては最も高級な生地を用いた服であるにせよ、やはり現代日本の服装と比較すると違和感が残るためだ。一応着替えも持ち込んでいるのだが、太っ腹な日本政府の好意に甘えて全員分の衣装が用意してもらっていた。
王女はとある有名ブランドの黒いスーツにややタイトな膝下丈のスカート姿となり、魔法学院に在籍していた当時の制服姿と比較するとグッと大人っぽい雰囲気を漂わせている。メイクアップのために専門の美容師もやってきて、髪をアップにしたりシャドーやチークを塗って美しさをより一層引き立ている。
そして全ての身支度を終えた王女は……
「まあ、なんてお美しいのでしょうか」
「ここ最近殿下は活動的なお衣装を好んでいらしたので、こうしてメイクアップすると気品に満ち溢れております」
「宮廷ではドレスがフォーマルですが、この国ではこのようなお衣装が公式な装いなのですね。勉強になります」
メイクアップは本来メイドの仕事だが、日本の専門家によって現代風な装いに改めた王女を見て、お付きの三人は口を揃えてディーナを褒めそやしている。
彼女たちの横で王女の様子を見ていたカレンは、ディーナに感想を尋ねる。
「殿下、スーツ姿はいかがですか?」
「はい、とても着心地がよくて… ですが、いよいよこれから本格的な交渉が始まると思うと、ちょっと緊張してきます」
やや表情を硬くするディーナ王女、20歳前の女性の身でありながら彼女の肩に国の運命が載っているという責任を、今更ながらに感じているのであった。
その時、部屋のドアをノックする音が響く。姿を現したのは外務省から派遣された官僚であった。
「失礼いたします。王女殿下、本日のご予定をお知らせいたします。この後11時から、外務大臣並びに外務省の交渉担当者との顔合わせ。12時から外務大臣との昼食会。午後2時からは具体的な交渉。午後5時には総理官邸を訪問しての挨拶と調印式、その後は総理主催の晩餐会となっております」
「わかりました。どうぞよろしくお願いいたします」
王女は丁寧に挨拶をすると、メイドたちに向き直る。カレンを含めて4名のメイドたちも、秋葉原直送の日本製メイド服一式に着替えを終えて用意は万端であった。別室で着替えていた外交顧問と書記官、護衛役の魔法使いも服装を改めて王女の部屋に集まってくる。
「さあ、私たちの国のために今こそ務めを果たす時です」
「「「「「「はい」」」」」」
こうしてマハティール王国の使節団は、日本との交渉の席に向かうのであった。
◇◇◇◇◇
外務大臣たちの顔合わせはこのホテルの会議室で行われて、続く昼食会もこちらのレストランで開催された。王女はやや緊張気味ながらも無事に顔合わせを終えている。さすがに料理の味はあまりよくわからなかったと、王女はあとからこっそりカレンにこぼしたが、それ以外は至極順調であった。
昼食会が終わると、今度は場所を外務省に移して本格的な交渉となる。マハティール王国で日本語を理解できるのは王女しかいないので、彼女が日本の担当者の言葉を一字一句母国語に訳して外交顧問と書記官に伝える。顧問は何か疑問な点があればディーナ王女を通して質問や意見を交わし、書記官は残さずその内容を記録していく。
一般的な外交交渉とさほど変わりがない話し合いが続いて、大まかな点で双方に満足いく合意が出来上がった。残ったのは、日本からいかような物品をどの程度の量援助するかという点であった。ここで外務省の高官が意見を述べる。
「日本国としては貴国の希望する量を援助することは可能ですが、両国の技術格差やマハティール王国の魔法技術保護の観点から、食糧と調味料などの援助に止めたいと考えております」
「ありがとうございます。我が国としてもあまりにも技術格差がある商品を受け入れるのは、現状では困難を伴います。提案していただいた物品のみで結構です」
衣料品や医薬品、通信機器、武器や弾薬等々、喉から手が出る品はたくさんあるが、いっぺんに日本の品々を大量に援助してもらうと、マハティール王国の産業が崩壊しかねない。その辺の兼ね合いをよくよく考えた末に、外務省が出した結論を王女は受け入れるのであった。
王女たちが外務省担当者と話し合いをしている最中、メイドたちは別室に控えている。護衛の魔法使いのみは王女の背後の壁沿いに立って警戒をしているものの、現時点までは特段何も起きてはいない。
「それにしても日本はすごい国ですねぇ~」
「まさかここまで発展しているとは思いませんでした」
「ホテルの窓から下を見た途端に、あまりの高さに目が眩んでしまって…」
三人のメイドはリラックスした表情でソファーに腰かけて、日本に対する感想を口々に述べている。日本に来てまだたった1日であるが、話題が尽きることはない。そんな中でカレンは…
「ちょっとトイレに行ってきます」
一人で席を立って部屋の外へ出ていく。トイレに行くと称して、実は廊下や洗面所に何か異常はないか確認を始める。もちろん外務省の中なので相応の安全は保たれているのであろうが、念には念を入れてという気持ちで点検を行っている。
「女性用のトイレには特に異常はナシですね。あまりウロチョロできないでしょうが、可能な限り見回っておきましょうか」
トイレから出ると、控え室とは逆方向に歩き出す。誰かに見つかったら迷ったフリをすればいいと、カレンは開き直っている。廊下の両側は個室が並んでおり、どれもが会議室という表示がある。各国の外交官と個別の交渉の際に利用される部屋であろう。ほとんどの部屋は『空室』という表示になっているが、その中でただ一つだけ『使用中』と表示されている部屋がある。
外務省の仕事はマハティール王国の対応だけではないんだと考えながらカレンがその部屋の前を通り過ぎようとしたその時、彼女の耳に『異世界』というキーワードが聞こえてくる。これはもしやと、カレンはそっとドアに耳を当てて内部の声を聞き取ろうと試みる。その耳に入ってきたのは…
「はい、マハティール王国との交渉はどうやら順調に進んでいるようです。ここまで話が進んでしまうと、私の力では妨害できません。なにしろ内閣からの直々の要請なので」
どうやら室内にいる人間は、誰かと電話で喋っているようだ。相手の声は全くカレンの耳には届いてこない。
「わかりました。交渉の内容は順次お伝えします。はい… えっ、マスコミに流すんですか。はい… 秘密交渉を暴露して、自衛隊の駐屯を野党に追及させろと… わかりました」
なるほど、そんな手段があったのかと、カレンはハッとした表情を浮かべる。日本とマハティール王国の同盟を妨害したい勢力にとっては、ディーナ王女が実際に来日してしまった以上、直接襲撃する以外に手出しの方法が限られているとカレン自身は考えていた。
ところが敵もさるもので、マスコミを利用して憲法違反だと自衛隊の異世界駐留を非難するという手段に出ようとしている陰謀が、たった今水面下で相談されているのだ。
(王女の護衛の範疇を超えるかもしれませんが、この際仕方がないですね)
カレンは決心した表情でドアの前に佇んで、中にいる人間が廊下に出ようとするタイミングを待つ。しばらくすると、ドアノブが回ってロックが外れるカチリという音が聞こえる。ほんの少しだけドアが開いたタイミングで、カレンは思いっきりドアを押して室内へ飛び込んでいく。
「な、なんだお前は」
カレンが後ろ手にドアを閉じると、室内には尻もちをついて狼狽した表情の壮年の男性が一人いるだけだ。
「天使の領域」
カレンが一言発しただけで、この部屋は外部と切り離された空間に変化する。すでに電話での会話を耳にして尻尾を掴んでいるので、今更事情聴取の必要もない。となればやるべきは、この男性がレプティリアンと何らかの関りがあるかどうかを確かめるのみであった。
「聖光」
カレンの右手から光が放たれて、男性の体に照射される。その途端に…
「く、苦しい…」
男性は胸を掻き毟るようにして苦しみ出す。口から泡を吹き出したかと思ったらその表情から次第に力が抜けて、そのうちに意識を失った。
「どうやらレプティリアンと深く関わっていそうですね」
男性の反応は、星の智慧教団の信者とよく似ている。あの商人たちも聖光によって苦しみ出した。となれば、このまま放置はできないのは当たり前だろう。
カレンはスマホを取り出すと、ダンジョン対策室と連絡を取る。
「こちらダンジョン対策室」
「マハティール王国使節団の護衛をしているカレン准尉です。緊急の対応を願います」
「どうしましたか?」
「ただいま外務省の内部に巣くう内通者を確保しました。意識を失っていますので、救急車で移送してもらえますか?」
「お待ちください」
カレンの報告を聞いて、ダンジョン管理室のオペレーターは誰かと話をしているようだ。やがて通話相手が切り替わる。
「もしもし、室長の岡山だ」
「魔法学院所属、カレン准尉です」
「外務省の内通者を捕らえたんだな」
「はい、その通りです」
「わかった。救急隊員に扮した憲兵隊を派遣して、市ヶ谷に身柄を運び込む。あとはこちらに任せてもらいたい」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
こうして通話を終えると、カレンは控室に戻る。慌てた様子の演技をしながら、控え室の外務省係官の腕を引っ張って例の会議室に連れていく。ドアは開きっ放しとなっており、内部には倒れた男性の姿が確認できる。係官はこの様子を見て、青ざめた表情で男性に駆け寄る。
「皆川局長、大丈夫ですか」
カレンがこっそりとスマホを取り出して検索してみると、どうやらこの男性は外務省のトップから数えて何番目かの東アジア局長であった。いわゆるチャイナスクールと呼ばれる、中国に留学経験がある人物だと判明する。これまで中国政府は聡史たちに何度もチョッカイを出してきただけに、この局長の背後で糸を引いているであろうと容易に想像がつく。
男性係官が119番に連絡して20分程待っていると、廊下にはストレッチャーを押しながら救急隊員が入ってくる。彼らのユニフォームやヘルメットには〔東京消防庁〕というロゴが入っているが、なぜかカレンをチラ見して片目を瞑る。岡山室長の言葉通りに、憲兵隊員が扮しているのであった。
そのまま局長は救急車で運ばれていく。行き先は病院ではなくて、ひとまずは市ヶ谷駐屯地に連れていかれ、その後の消息は一切不明となる。実は伊勢原駐屯地に秘密裏に身柄を移されて美鈴の尋問で洗いざらい白状させられるのだが、それは数日後の話であった。
◇◇◇◇◇
(思わぬ大きな魚が引っ掛かりました)
口には出さずに心の中で呟いているカレン、倒れている局長を発見して人命救助に貢献したと外務省職員から礼を言われているが、彼女は言葉がわからないフリでポカンとしている。中々の演技派だといえよう。何しろ現在の彼女は、マハティール王国から王女に付いてきたメイドの立場なのだから。
このようなバタバタした騒ぎはあったものの、この日の交渉は予定通りに終わって、一行を乗せた車は首相官邸に向かう。
(テレビで見た政治家が立っている)
こんな偉い人たちを間近で見るのは、日本生まれのカレンにとっても初めてだ。時折いい年をしたオジサンたちから色欲が混ざった視線が送られてくるが、何も気づかないフリで無視している。
だが総理大臣だけは、ダンジョン対策室から連絡を受けているのだろう。カレンとはっきりと視線を合わせて大きく頷いている。ちょっとだけ動いたその唇は『良くやってくれた』と呟いているようであった。
官邸では総理とディーナ王女が並んでテーブルに着いて、同盟の条約が事細かく記載された文書に両者がサインしている。日本の法律ではこのような条約を締結する際には国会の批准が必要なのだが、秘密条約のためこれで手続きは終わりとなる。
「マハティール王国と日本が末永く友好で結ばれることを望みます」
「日本政府の深い友情に感謝いたします」
総理と王女が文書を交換してから握手を交わす。本来ならばマスコミの記者のフラッシュが焚かれる場面であるが、この席には関係者しかいないのでやや寂しい印象を受ける。
ただし、大役を果たしたディーナ王女の表情は、いつになく晴れやかであった点は申し述べておこう。
その後は官邸において、総理主催の晩餐会が催される。こちらも他国の王族を招いた晩餐会にしては極々ささやかなものであったが、その分王女は総理と両国の将来に関する具体的な意見を交えることができて、中々有意義な席であった。
そして一行は忙しかった1日の予定を終えて、滞在先のホテルに戻ってくる。
「はぁ~… 肩が凝りました~」
着衣のままでベッドに体を投げ出している王女の姿がある。王族としては有るまじき無作法であるが、冒険者生活を経験しているディーナにとっては、今更マナーなどどうでもよかった。
「殿下、お疲れさまでした」
「カレンさん、こちらこそありがとうございました」
カレンが労いの言葉を掛けている。なんだったら回復魔法を用いてもいいかという表情をしている。
「殿下、どうしましたか?」
「いえ、日本はこんな大国なのに、私たちを一国の使節として礼儀正しく迎えてくれました。関係してくださった皆様には、なんとお礼を述べればいいのかと考えていました」
「そんなお気になさらずに。これが日本のオ・モ・テ・ナ・シですから」
「オモテナシ? なるほど… 素晴らしい言葉ですね」
「明日は皇居への表敬訪問や、様々な場所の見学などが組まれていますから、どうか早めにお休みください」
「はい、ゆっくりお風呂に浸かってグッスリと眠りたいです」
魔法学院で過ごしている間に、すっかり日本の習慣が体に染みついているディーナ王女であった。
一人見~つけた! レプティリアン包囲網が日本でもスタートか…… この続きは2、3日後に投稿します。どうぞお楽しみに!
それから皆様にお願いです。どうか以下の点にご協力ください!
「面白かった!」
「続きが気になる!」
「もっと早く投稿しろ!」
と、思っていただけましたら、ブックマークや評価を、是非お願いします!
評価はページの下側にある【☆☆☆☆☆】をクリックすると、簡単にできます




