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『落とし物』


「友達に聞いた話なんだけどね」


 小学生の頃の話だ。

 友達が通っていた学校から、『年度末に落とし物ボックスの中身を処分する』というお知らせがあった。


 『ボックス』と名前がついているが、収納用の箱を使っていたのは初めの頃だけで、今では空き教室の一角が置き場になっている。

 毎年度、箱に収めておくにはあまりにも量が多くなるので、いつしか置き場所が用意されるようになったそうだ。


 一年間はその教室で保管しているが、年度末には学校の方でゴミとして処分してしまう。

 その前に最後の確認をしてほしいという意味合いで、昇降口近くの一番目立つ場所に拾得物を並べるのが毎年のことだった。


 一応、年度末に限らず学期ごとにも放送やプリントで『取りに来てください』というお知らせが流れるが、取りに来る児童はほとんどいない。

 無くして余程困るものでなければ、そもそも紛失したことすら忘れてしまうのだろう。


 実際、並んでいるのは大抵が手袋やマフラー、文房具といった、代わりの用意できる品ばかりだった。

 大きさからして低学年のものは少なく見えるのは、まだ記名を意識している時期だからだろう。


 必ず通る場所に並べるためか、明確な期限を設けた効果か出るのか、かなりの落とし物に持ち主が名乗り出たらしい。

 単に欲しい人間が貰いにいっていただけかもしれないが、学校としても、一年も放ったらかされていた品の持ち主をわざわざ真剣に確かめるような真似はしなかった。


 何にせよ、何か無くした覚えもない友達には関係のない話だ。

 ずらりと並べられた落とし物も、友達にとってはただの風景同然だった。


 とある日。

 遊ぶ約束をして公園にやってきた友人のEくんが、見覚えのある上着を着ていた。

 ジッパー式で前開きの、フードがついた青色の上着だ。


 それを見て、並べられていた拾得物の一つだと気づくのに、然程時間はかからなかった。

 ポケットの作りなどを見るに既製品ではなく手作りらしき上着だったし、色も特徴的だったからだ。


 Eくんが持ち主だと嘘をついて貰ってきたことは、一緒に遊んでいる仲間も分かっていただろう。

 ただ、仲間内の誰も、わざわざそんな指摘はしなかった。


 Eくんは四人兄弟の末っ子で、何を使うにしてもお下がりばかりだった。

 何か自分用の新しい――新しそうなものが欲しかったのだろう、とみんな子供心に察したのだ。

 気を遣ったというよりは気まずさから触れなかっただけだが、遊んでいる内にすぐに忘れてしまった。


 そうして、好きに遊び尽くして、すっかり日も暮れかけた帰り際。

 帰り支度をしていたEくんが、突然大きな声をあげた。

 驚いて振り返ると、そこには血塗れの手を押さえるEくんの姿があったそうだ。


 尋常ではない様子で泣き始めるEくんに、心配になってみんなで駆け寄る。

 怪我をしたらしい右の甲を確かめると、そこには小さな穴を開けたような傷がびっしりと並んでいた。

 十以上はあるように見える傷口からは次々と、球のように血が滲み出ている。

 痛みで押さえたせいか、擦られた血が伸びて、手の甲は真っ赤に染まっていた。


 Eくん曰く、ポケットに手を入れたら突然手が痛くなって、取り出したらこの状態だったそうだ。

 原因はさっぱり不明だった。家に帰ってポケットを確かめても、中には何も無かったそうだ。


 泣きながら帰ったEくんは、事情を聞いた母親からは『人の物を取るから罰があったんでしょう』と怒られて、上着は処分させられてしまったらしい。

 それ以降は傷が悪化することもなく、学年が上がる頃にはEくんの手はすっかり治って痕も残らなかった。


 その後は何もなかったそうだが、Eくんにとってはトラウマらしく、大人になった今でも、上着のポケットは使わないようにしているそうだ。




「――――怖かった?」

「……あー、そうだな」


 この場合、上着が手作りの品である、というのがなんとも不気味な話だった。

 その上着自体に何か怨念が込められていたと考えても(子供に着せるためのものなのだから)嫌だし、その上着を、持ち主が一切取りに来ていない部分も、なんだか薄気味悪い違和感があった。


 一目で分かる程の手作りの上着なんて既製品よりも記憶に残るだろうし、教師や同級生からしても、見覚えのある品になる筈だ。実際、『友達』だってそれが落とし物として陳列されていたことに気づいていた。

 もしも落とし主が日頃からその上着を愛用していたのであれば、誰かが『あれって○○くんのじゃない?』と気づいたのではないだろうか。


 けれどもこの話では、使用している様子もないのに学校には持ってきていて、その上で落とし物として回収されている。

 恐らくだが、上着の持ち主は明確な意思の元に、学校を捨て場所としたのだ。

 単に家庭ゴミとして出さなかった理由は分からない。家の人間に見つかるのが面倒だったのかもしれないし、手作りを貰ったのだから、ただ捨てるには罪悪感が勝ったのかもしれない。

 もしも持ち主も同じ目に遭っていて、誰かが同じような目に遭えばいいと思って置いていたのだとすれば更に気味が悪いが、それは流石に邪推が過ぎるだろう。


 とにかく、誰かから贈られたのだろう手作りの品が捨てられて、それが他者に害を成した訳だ。

 そこに作り手の思いが一つも関与していないとは思えなかった。まあ、結局上着は捨てられてしまったから、そこで被害は終わりなのだろうけれど。


「……にしても、落とし物ボックスか」

「? 落とし物ボックスがどうかした?」

「いや。なんか、懐かしくなって」


 俺の通っている小学校にも、落とし物ボックスは存在した。

 隣人が語ったように、大抵は手袋の片方だとかトレーナーだとか、『校内では身につけないもの』を忘れていくことが多かったように思う。

 そこまではまあ分かる話だが、何故か結構な確率で眼鏡も置かれていた。

 眼鏡って、つけてなかったら気づくもんじゃ無いのか? 帰るとき困るだろうに。


「なんだったかな。先生がさ、朝のホームルームで『落とし物がありました』ってどんぐりが詰まった箱を見せてきたことがあって」

「へえ?」

「この教室にあったからクラスの誰かの物でしょうって言ってたんだけど、結局誰も名乗り出なくてさ」

「ふんふん」

「見つからなかったから、先生が落とし物ボックスに置いといてくれたんだけど……しばらくしたら、どんぐりから虫が沸いてきて、大騒ぎになったんだよな」


 それ以来、落とし物ボックスに木の実を入れるのは絶対に禁止になった。

 俺の小学校時代の思い出でも、それなりに楽しい方の記憶である。まあ、虫騒ぎが楽しい思い出ランキングの上位にいるのは結構どうかと思うが。

 いつもは落ち着いてしっかりしていた先生が困り果てていたのも含めて、なんだか面白かったのだ。


 話の先を予想出来たのか、話している間でも既に隣のベランダからは小さな笑い声が控えめに聞こえてきていた。

 まあ、そうだよな。この類いの話は容易に予測がつくもんだ。思い出したからつい語ってしまったが、話し終えたら、なんだか単調で詰まらなくて恥ずかしい話に思えてきた。


「虫かあ」


 隣人は場面を想像でもしているのか、未だにくふくふと小さく笑っている。

 段々と、自分の話の拙さを笑われているような気がしてきてしまう。

 どの方向に話を逸らそうかと真剣に考え始めたその時、笑いの名残が滲む呟きが耳を撫でた。


「それって髪の毛だったかもしれないね」

「………………いや、」


 そんな訳ないだろ。

 という、至極簡単な否定の一言を口から出すのに、俺は五秒もかけてしまった。


 髪の毛は自発的に這い出てきたりはしないし、そもそもどんぐりには入らない。

 いや、今では自発的に動く髪の毛の存在を知っている訳だが、少なくとも当時はそんな代物を見た覚えは無い。


 けれども俺は、どんぐりの中から這い出している赤茶色の髪の毛も、それを遊び半分に引っ張り出す同級生の顔までも覚えている。

 あれはどうしたのだったか。みんなで燃やしてしまったんだったか。

 先生はなんと言っていたんだっけ。


「………………」


 俺は静かに目を閉じると、直近に再生した『これ見て癒やされたら寝ろ』の動画を思い出すことに決めた。

 サモエドの動画である。実際のところ一番最新は兎だったのだが、兎だと、今はほら、別の方向から思い出したくない映像が出てくるからな。


「……どんぐりって、使いたいなら茹でておくといいらしいけど、死んだ虫が入ってる時点でそもそも微妙な話だよな」


 脳内を元気なサモエドが四匹ほど駆け回っていった後、俺は静かにどんぐりトークを続行した。切れるカードの待ち合わせが、現在どんぐりしかなかったためである。

 もしかしたら他にもあるのかもしれないが、思い出に干渉してくるような奴を相手に何を切ればいいのか、残念ながら俺には判断のしようがなかった。


「動かなくても嫌なの? タカヒロはあんまり虫が好きじゃないね」

「あんまりっていうか大分だな……。お前は好きなのか?」

「うーん、今はそんなに。グミの方が好き」

「……そうか」


 結局は食べる方の話になるのか。

 まあ、タンパク質として捉えることも出来るんだろうし、実際昆虫食が普通な地域だってあるし、食料として見る分にはそこまでおかしな話でもない。

 そもそも、恐らくは人を食べるだろうタイプの化け物を前に、何処までが食料判定かをわざわざ確かめる意味はないだろう。


「でも、中にぶにゅぶにゅしたのが入ってないのがいいな」

「あー、ジュレか」


 どうやら、先日渡したグミは俺の想像よりもお気に召さなかったようである。

 これはとうとう、ベランダの隅の彼で口直しをしようとした説が濃厚になってきた。勘弁してほしい話だ。


「今度は入ってないやつにするよ」

「ほんと? 約束ね」


 何やら嬉しそうに告げた隣人は、満足した様子で部屋へと引っ込んだ。

 からからと軽い調子で閉まる扉の音を聞きながら、俺はなるべく遠くを見やる。捻じ曲げられかけた記憶の修正はやはりどうにも難しいようで、どんぐりにはやっぱり髪の毛が入ったままだった。


 基本的に記憶とは、忘れたいものに限って強く残りがちである。

 それはこれまでの経験上でも確かだったし、忘れようなどと強く思えば思うほど残るし、忘れたと思った頃に不意に蘇るからタチが悪い。


 忘れたいことがあるのなら忙しくしているのが一番良い、とも言うが、残念ながら俺の仕事は絶賛暇なので、考える時間も反芻する時間も無駄に沢山あるのだった。


「…………成る程なあ」


 きっと、こういうことの積み重ねなのだ。


 イマイさんって言ったかな、あの人は。

 顔も知らないヘビースモーカーの前住人の名前を思い出しながら、俺は煙の代わりに長い溜息を零した。



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― 新着の感想 ―
「虫が好きじゃない」から善意で髪の毛にしてくれた説。
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