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厨子の祝宴  作者: 武州青嵐(さくら青嵐)


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1/11

 七塚眞砂ななつかまさは、草むしりの手を止め、大きく息をついた。

 深く被った麦わら帽子のつばを押し上げ、額に浮かんだ汗を拭う。


 どこまでも澄んで深い青色を広げる空には、一片の雲もない。例年にないぐらいの暑さと晴天続きだった。


(このぶんじゃ〝厨子の祝宴〟のときも晴れそうね)


 曲げたままの腰をゆっくりと伸ばす。

 同じ姿勢をとっていたためか、鈍い痛みが背中全体に走った。もう年だ、と苦笑いが浮かぶ。それもそうだ。自分がこの村に生まれ落ち、七十数年が来ようとしている。


 ゆっくりと地面に尻をつける。そのまま軍手を脱いだ。

 しわが寄り、なんだかなめし革のように見える皮膚が目に入る。


 去年、熱中症で救急搬送された張本波子はりもとなみこのことが思い起こされた。彼女は眞砂よりも随分とふくよかな体型をしていたが、そのときの肌は水分を失い、なめし革のようだったとか。


(家に入って休憩しようかね……)


 ふう、と吐き出した呼気が熱い。

 ちらりと縁側の方に目をやった。


 網戸の向こうにある座敷。


 そこには。

 厨子がある。


 もうすぐ〝厨子の祝宴〟を執り行ない、順番通り羽村はねむら家に引き継がねば。


 その祝宴には村中の人間がやってきて、厨子にお参りをする。

 眞砂がいましている草むしりは、その準備のためでもあった。


 もちろんこのあと、押し入れの中から座布団を引っ張り出してきて干さねばならないし、ふるまい酒の発注もせねばならない。婦人会会長のところにいって当日の段取りを打ち合わせねばならないし、炊事場ももう一度念入りに掃除をしたいところだ。


(夏子が帰って来るのは無理そうだし……)


 実子であり、他県に住む夏子は数年前に課長職になってからというもの忙しそうだ。それとなく手伝いを頼んだが、やはり渋られた。


 動くのをやめた途端、噴き出す汗を幾度も手の甲でぬぐいながら、いったい、次の〝厨子の祝宴〟を自分は取り仕切ることができるのだろうかと考えた。


『私が行くのは難しいけど……。どうかしら、お母さん。志摩しまを行かせようと思うの』


 二カ月前にスマホ越しに聞いた夏子の声が、不意によみがえる。


(志摩ちゃん……)


 眞砂とは血のつながった孫娘。今年でいくつになるだろう。24か。

 まだ幼いころは夏休みや冬休みにやってきて、村の子たちと遊んだものだ。


 その孫は昨年、仕事場でとあるトラブルに巻き込まれ、現在家に引きこもっているという。


(……まさか、厨子のせいではないだろうけど……)


 次第に視線は座敷に向かう。

 掃き出し窓を開け放ち、網戸にしているというのに、座敷は御簾をかけたように暗い。


 この四年の間、厨子を預かったのは七塚家だ。


 厨子を受け取ったその日から、決められた通りの手順で毎日お参りをし、そして祀ってきた。


 孫の身に降りかかったことと、厨子は関係ない。

 禁を破らぬ限り、祟りは起こりえない。


 そう思うのと同時に、いったいいつまでこの〝厨子の祝宴〟を続けねばならぬのかとも感じる。


(まだ……許してはくださらんのだろうな。怒りはおさまるまい)


 闇にかすむ座敷の中に鎮座する厨子を、眞砂はぼんやりと眺める。


 だが。

 ここらが潮時だ。


 自分の継いできたものを、次につなげるつもりは眞砂にはない。


 事実、七塚家が代々守ってきた〝塚〟について、眞砂は夏子になにも話していない。


(時代は変わった)


 眞砂の母の代の頃であれば、「もし自分が死んだら〝塚〟に入れて欲しい」とお願いに来る女はかなりいた。


 眞砂が引き継いでからもそうだ。何人もの女を〝塚〟へと迎えた。


 だが、ここ二十年ほどそんな話はない。

 ちらりと「佐々木家の新しい嫁が〝塚〟に入るかもしれない」と聞いた程度だ。

 それも実際に相談に来るかどうかはわからない。皆、興味本位で噂する程度。佐々木家の新しい嫁が〝塚〟のことを村の女から聞いたとしても、信じるとは限らない。〝塚〟の存在などその程度になってきたのだ。


(きっと〝厨子の祝宴〟も遠からずなくなるだろう)


 その前に、眞砂は七塚家の総領娘としてやっておかねばならないことがあった。


(あの女たちを〝塚〟に連れて行かねば)


 先祖たちができなかったことを眞砂ができるかどうかはわからない。


 だが。

 〝厨子〟を止めてしまえば、あの女たちは出てしまう。


 眞砂はゆっくりと立ち上がり、手に持っていた軍手で尻の部分を叩いた。


(まだ怒り狂っておられるのだろうが……。勘弁してもらわねば)


 この手で、彼女たちを〝塚〟へ。


 それが自分に課せられた最後の使命のように感じる。


 眞砂は唾を飲み込もうとして顔をしかめた。口内が渇きすぎてねばついている。やはり一度屋内に戻り、麦茶でも飲もう。


 そう思って一歩踏み出した。


 途端に。 

 影を感じた。


「え……」 


 呟き顔を上げる。

 晴天だった。いくら山間だからといって、まさかこんな短時間で雲が沸くはずもない。


 現に、陰ったわけではなかった。


 目の前に。

 黒い女が、ふたりいた。


 不思議だ。


 顔もなにも真っ黒なのに。

 まるで影のようなのに。


 眞砂にはそれが〝女だ〟と感じられた。


 細く伸びあがるような黒い女と、ずんぐりとした短い女。


 ふたりの足元から、長く垂れた黒髪から。

 闇はどんどん空気を侵食し、眞砂の周囲から光を奪う。


「あ……あんたたち」


 眞砂は震える指で黒い女たちを指差した。


 厨子の、女。


 そう言おうとした矢先。

 眞砂は後頭部に強烈な痛みを感じた。


 そしてそのまま。

 意識を失った。


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