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今まで大人しく父親の言うことを聞いていた娘が突然他人に思えた当主は少したじろいだ。
幼い頃に父親に相対したときと同じ威圧感を娘から感じる。
絶対的権力を持つ者から感じる特有の気配だ。
「それに夜会で暴言を吐いたと言うことをご存知ならどうしてお父様はわたくしを叱責なさらなかったのです?」
「そ、おま、お前は父親である私に責任をなすりつけようと言うのか」
「責任も何も公爵家の当主ならば家の者がしでかしたことを対処するのが道理かと。わたくしお父様が何も言わないからてっきり賛同してくださっているのだとばかり・・・まぁかくなる上は爵位を返上し、侯爵家いえ伯爵家あたりになって誠意をお見せするのがよろしいのではないかと」
「我がノードハーゲン家を伯爵ごときに貶めろというのか。この恥知らずが」
「ですが、当家が王家のご不興を買ったのは事実ですもの。不敬罪で罰せられるのを待ちますか?」
このまま父親が何もせずにお家断絶という憂き目に合えばルーシーは修道院に入るつもりだ。
協力者であったジェラルディーンは裏から手を回してアンネワークの侍女にでもするかもしれないが、それでは足を掬われる。
「どうすれば、どうすれば」
「まぁ誠意をお見せすれば、何とかなるやもしれませんね」
「誠意、誠意、そうだ。お前、ちょっと結婚しろ。そうだな。王家とは言わん。側近あたりと結婚すれば、我が家は助かる」
妙案だと信じている当主はアンネワーク支持派の家へ手紙を書き出す。
ルーシーとしては希望した展開ではあるが、その動機に嫌悪感を抱いた。
自分だけが助かろうとしているのだ。
傘下にいた家は率先した者もいるが、親戚関係から嫌々入った者もいる。
彼らのことを何も見ていない父親に幻滅をした。
手紙を書くのに忙しい父親に声はかけずにルーシーはジェラルディーンの家に向かって馬車を走らせる。
御者は何も言わなかったが、ルーシーがジェラルディーンに嘆願するためだと思っている。
見送った執事とて同じだ。
行先を告げると希望に満ちた目を向けてきた。
「どうぞ、こちらに」
「ありがとう」
親交のない令嬢が約束もなく来たというのに怪訝な顔をひとつ見せずに案内をするハイアーダール家の執事にルーシーは感嘆した。
同じ公爵家であるというのにここまで質が違うのかと考えさせられる。
「ようこそ」
「約束もなく来て申し訳ございません」
「貴女と私の仲じゃない。問題ないわ」
「・・・父が王家の側近の方々へ結婚の打診の手紙を書き出しました」
「こちらの展開通りではあるけど、貴方のお父上には王家から釘を差しておかねばなりませんね」
アンネワークが婚約者であると発表されてから表立って反対を示したのは、アーベンシー公爵家とノードハーゲン公爵家だ。
そしてアーベンシー公爵家の当主であるエドルドは公爵家に相応しい結婚相手であれば良いという考えの持ち主だった。
だからソロカイテ公爵家というアーベンシー公爵家よりも格上の家からの結婚の申込をした。
早い段階でアンネワークが婚約者であるのは相応しくないという宣言を取り下げた。
「貴族の家が清廉潔白ではないのは今に始まったことではないですが、王家を蔑ろにされるのは好ましくありませんね」
「父が望むだけの尽力をしてくれる家に嫁がされることかと存じます」
「そうなると、良くて後妻、悪くて愛玩。どちらにせよ評判の良く無い家ですわね」
「もし、そのような家を選んだ場合は修道院に行こうかと」
「それもひとつの手ではありますわね。さてと、そろそろニーリアン様に腰を上げていただこうかしらね」
王家が表立って動けば必ず反発も生む。
できるだけ貴族への圧政を布かないようにという政策を心がけていたが、王家の威信が揺らぐということはあってはならない。
ルーシーはジェラルディーンから夜会の招待状を受け取ると、家に帰った。
何かしら確約をもらったと期待している執事は招待状を見ると分かりやすく落胆する。
期待しているのは分かるが一介の公爵令嬢が他家の後見人になれるはずもない。
すでに当たり前のことも判断できなくなっているようだ。
「招待状、でございますか」
「それ以外に何かに見えて?」
「いえ」
「あまり日は無いの。悪いけど仕立て屋を呼んでちょうだい」
「それが、できません」
「どういうことかしら?」
「お嬢様が外出をされてから旦那様は出入りしてくれる商人に声をかけて宝石などを買い求められました」
その行為だけで眉をひそめるが、その使い道に検討がついたルーシーは深く溜め息を吐いた。
その宝石を賄賂に娘の結婚相手を探すつもりなのだろう。
執事が仕立て屋を呼べないということは一か月の収入を超える支出があったとみて間違いない。
「そう」
「あと、お嬢様には部屋から出ないようにとお達しがございました。外出は控えられますようお願いいたします」
「そう」
大人しく部屋に戻ると衣裳部屋からドレスを取り出す。
どれも一度は袖を通して仕舞ったままのものだ。
流行りを取り入れずにいつでも着れるように誂えた。
「まさか役立つことがあるなんてね」
ときどき夜会の招待状が遅れて到着することがある。
郵便事情によるときもあるが、たいていはわざと遅く出す。
そして出席できないと、お高く留まっていると言われ、ドレスが着回しだと金が無いと笑われる。
ルーシーとしてはくだらないと思うが、それを令嬢の嗜みだと声高々に言う御仁もいる。
「爵位を返上するくらいの気概がありましたら良かったですのに、そうすれば死ぬまでは公爵家ではいられたでしょう」
言いつけを守りルーシーは必要なとき以外は部屋から出ない生活を二週間ほど続けた。
それまでに父親は目ぼしい貴族に送った手紙の返事を受け取っていたが、どれも芳しい返事はなかった。
それどころか勝手に送った宝石は気持ちとして受け取るという言葉とともに先方のものになった。
当主は憤慨していたが良かった面もあるとルーシーは冷静に考える。
「まったくどいつもこいつも公爵家を馬鹿にしよって」
「・・・・・・」
今回のジェラルディーンからの招待状は親子で参加するようにと但し書きがあった。
同じ馬車に乗り会場に向かっているが、ルーシーは一言も喋らなかった。
怒りのまま独り言を言っている父親に相槌を入れたところで矛先が変わるだけと理解している。
「何が宝石をありがたく、だ。がめついというのは奴らのようなことを言うのだ」
王家から不興を買っている家に対して他の家は我先にと落としにかかるだろう。
それを宝石ひとつで手だししないというのだから安いものだ。
少なくともこちらから手出ししなければ黙殺してくれる。
「ルーシー、本日は有力貴族の令息も多い。王家に進言できる家柄の男を落としてこい。この際、傷物でも何でもいい。向こうに責任を取らせろ」
「分かりました」
父親は公爵家とは言い切らなかった。
ルーシーもあえて確認はしなかったが、当主の中では公爵家が相手であることが絶対条件だからわざわざ口にしなかった。
「本日はお招きいただきありがとうございます」
「・・・よく来てくれたわね。ルーシー」
「勿体ない言葉でございます」
「あちらに飲み物を先に用意させているの。来てくれるかしら?」
「喜んで」
出迎えたジェラルディーンはルーシーの父親の言葉をわざと無視した。
それどころかいないものという扱いで、ルーシーだけを案内する。
虚仮にされたと喚き散らそうと口を開いたが、先に来ている招待客たちからの視線を感じて思いとどまる。
今まで向けられたことのない嘲笑を含んだ視線だった。
その視線から逃れるようにルーシーの後を追うが、何故ついてくるのだという怪訝な顔をジェラルディーンからされる。
同席することが当然だと思っている当主はジェラルディーンの不躾な顔に不快を示す。
「ジェラルディーン嬢」
「何かしら?」
「馬鹿にするのもいい加減にしてもらおうか。いくら公爵令嬢だからと言って、度が過ぎる」
「わたくし、何か馬鹿にするようなことをしたかしら?」
「お気づきでないとなると嘆かわしいことだな。公爵家の当主である私を立ちっぱなしにするとはどういうことか説明願いたい」
「説明と言われても困るわ。親しい友とパーティが始まる前に歓談するのに、父親が同席するなんて聞いたことがないもの。王妃教育でも教えていただいていないわ」
成り行きを見守っている招待客たちは静かにしているため声がよく聞こえる。
友人同士で話をするのに保護者が同席することはまずないし、マナー違反だ。
口を挟むのは帰宅するときくらいで、席が無いと騒ぐようなことでもない。
「なっ、招待状には親子で、と」
「えぇ書いたわ。でも個人的な話をしたいから同席を、とは書いていませんのよ。どうしてもとおっしゃるなら椅子を用意させます」
「け、けっこうだ」
肩を怒らせて当主は立ち去った。
まさか同伴についての但し書きだけで内密な話があるとは思ってもみなかった。
「焦っていらっしゃるようね」
「そうですわね」
「ただ、もう遅いのですけれどね」
開始の時刻になって楽団が穏やかな曲を演奏する。
招待客はジェラルディーンから言葉があると思っているが、突然、別の人物からの声が響く。




