Ⅲ.絆-Bonds-
一度抉られた傷は、生涯の裂傷となって張り付く。
その瑠璃色の瞳が映す世界は、人間不信の絶望だけなのか。
本日の授業も終わり、弥王と璃王はいつも通りに生徒会室へ足を運んでいた。
生徒会室では、いつものように生徒会メンバーであるライト、エイル、クレハ、レナの他に、生徒会室へ出入りするようになったレイリス、クリスの姿もある。
そこには珍しく、ネルの姿だけがなかった。
「あっ、ミオンちゃんリオンちゃん、お疲れ~!」
「二人とも遅かったね。
何かあったのかい?」
弥王と璃王の入室に気付いたレナとクレハが声を掛けてくる。
クレハの言う通り、弥王と璃王は保健室へ行ったあと、理科の授業に遅刻した。
案の定、理科教師であるアルキスによって嫌味を言われ、授業が長引いてしまったのだ。
「えぇ、まぁ……。
色々あって授業が長引いてしまいまして。
6限目は理科だったので、余計に……」
「理科?
あぁ、中等部は毒金柑が担当だったね」
「毒金柑……?」
弥王の言葉に感情の読めないクレハの声が答える。
その回答に、弥王はピンとこない様子で首を傾げた。
そんな弥王に補足を入れたのは、ライト。
彼はクレハの言葉に苦笑を入れつつ、丁寧に説明してくれた。
「ミスター・アルキスのことだよ。
あの人、嫌味ばっかり言って生徒たちには毒判定されてるんだ。
それで、禿げてるから……」
「あぁ、金柑頭、という事で毒金柑ですか」
ライトの言葉に弥王はその絶妙なネーミングセンスに苦笑しつつ、クレハらしい、と納得した。
「その毒金柑の授業が長引いたって、何があったのか聞いても?」
普段、生徒の様子に興味がなさそうなクレハの口からそんな言葉が出てきて、弥王と璃王は驚きを隠せない。
そんな二人にクレハは付け足す。
「場合によっては校長に相談しておくよ。
前々から、毒金柑へのクレームがあったからね。
そろそろ何とかしないと、第二次アリス革命が起きかねないし」
「あぁ……」
“アリス革命”。
それは六年前、生徒会主導の元で起きた校内テロ事件。
当時の生徒会が主導して当時の教師陣を制圧し、学校内の改善を図った事件だった。
その事件は伝説となり、弥王たちはこの話をグレアから聞かされたため知っていたのだ。
それが再び起きれば、レイトが頭を悩ませることになるだろう。
何より、無関係の教師たちが可哀想である。
そんな悲劇を繰り返さない為にも、弥王は、これまでの事情を説明する。
「璃音が、仕掛けられたトラップによって水浸しになったんです。
それを無視して彼奴、授業に遅刻した璃音のことを怒って。
僕が無理やり彼女を保健室へ連れて行ったのが気に食わなかったらしく、理科室に戻ったら理不尽な説教で授業が長引いた感じですね……」
「え、それリオンちゃん悪くなくない!?」
「そもそも、リオンちゃんが遅刻した理由って何だったんだい?」
弥王の説明に、レナは信じられない!と言いたげに今にもアルキスへ苦情を入れに行きそうな勢いで立ち上がる。
それをさり気なく制しつつ、ライトが問いかける。
不満そうに自身を見るレナに苦笑しつつ、ライトは璃王からの言葉を待つが、それに答えたのは璃王ではなかった。
「それは……」
「璃音、授業前に移動中に階段から突き落とされたらしいんです。
それで足を捻ったみたいで……」
「おい、弥音!」
璃王の言葉を遮り弥王が口を開くが、それを璃王が更に遮ろうと声を上げた。
しかし、時すでに遅し。
弥王の口から出てきた言葉に、ライトとエイルが口を揃える。
「何だって!?」
「本当なのか、コウヤ!」
「……」
詰め寄ってくるライトとエイルに、璃王は恨めしそうな目で弥王を睨む。
璃王としては、自分が怪我をした事で騒がれたくなかったのだろう。
しかし、これはもう、“虐め”の範疇を超えている。
過日の璃王への暴行と言い、今回の件に関してもそれはもう、暴行罪と呼ぶべきものだ。
当然、犯罪が学校内で横行しているとなれば、それは個人の事では済まない。
睨まれた当の本人は逆に璃王を睨み返すと、冷静な口調で彼女を諭し始める。
「もうこれは、君個人でどうにかするなんて言うレベルの話じゃないんだ。
下手したら……」
ちらり、と弥王はクリスとレイリスの方へ視線を向ける。
素性がバレてしまっているクリスはともかく、流石にレイリスの前では避けたい話題だった。
それを察してくれたのか、クレハは「イリス」と彼女へ声を掛けてくれた。
「は、はい!」
「そう言えば、最近購買で季節限定のデザートが売られているんだってね?」
「へ?季節限定……、あっ!」
クレハの問い掛けにレイリスは一瞬だけ戸惑ったように首を傾げるが、それがすぐに何を思い出したのか「はいです!」と元気に頷く。
「冬限定雪苺サンドケーキです!
ほんのり冷たくて甘酸っぱい雪苺をふんだんに使ったサンドケーキ……!
ホイップクリームの甘さと相まって絶品と言われてるアレですね!
一度でいいから食べてみたいな~とか……」
デザートの話と聞いて、レイリスの瞳がキラキラと輝く。
レイリスの言った雪苺サンドケーキは、ウェストスター校の購買で季節限定で売り出されるデザートだ。
グラン帝国の北に位置するエリア・ノーザンベル原産の雪苺と呼ばれる果物と、たっぷりのホイップクリームをスポンジケーキで挟んだデザート。
お好みで好きな果実のソースを掛けて食べるのがウェストスター流である。
ウェストスター校に入学して2年、レイリスはまだ、その幻のデザートにありつけていないのだ。
何故か。
それは、購買のデザートはとにかくお高い。
諸事情により必要以上の仕送りを貰っていない――過保護な両親、特に母親がたんまり仕送りを送ろうとしたが、それを彼女は全力で断った――レイリスでは到底手が出るモノではなかった。
それ故、レイリスはそのデザートを食べた事がなかったのだ。
彼女の憧憬にも似た、子供のようにキラキラと輝く赤い目を見て、クレハが肩を竦める。
「うん、君がどれだけそれを食べたいのかがわかったよ。
じゃあ、明日のアフターヌーンティーの時にでも食べようじゃないか。
今すぐ発注してきて。8人分ね」
「えぇっ!?
い、今からですか!?」
「そう、今から。
僕の名前を出せば取り置きくらいしてもらえるだろ。
今から行けばまだ、ミス・リリアンがいる筈だよ」
「は、はいです!」
「代金は生徒会に請求する様に言うんだよ」
クレハの有無を言わさない言葉に弾かれた様に立ち上がったレイリスは、パタパタと小走りで生徒会室を飛び出して行ってしまった。
その背中にクレハは言葉を投げたつもりだったが、さて、レイリスが聞いていたかは分からない。
「ま、いいや。
で、話の続きは?」
クレハが弥王へと視線を向ける。
とりあえず、レイリスを生徒会室から追い出す事には成功したので良し。
弥王は頷くと、レナとエイル、そしてライトへ視線を向けた。
その新緑の瞳にはいつもの柔らかさはなく、鋭い視線が三人へと突き刺さる。
「ここから先は、機密事項だとご理解いただきたい。
僕はここに居る人たちは信用できると判断した上で、これから話をしたいと思っています」
「えっ……何、何の話?」
弥王のただならぬ表情と言葉に戸惑いの言葉を零すレナ。
エイルとライトも状況が飲み込めず、弥王の言葉の続きを待つ。
軈て弥王は一つ呼吸を落とすと、ゆっくりと語り始めた。
「まず、僕と璃王は名前は言えませんがとある機関の人間であり、校長の依頼により、この学校に編入してきました」
重々しく落とされた言葉に、レナとエイル、ライトが驚いたように目を瞠り、弥王と璃王を交互に見る。
ライトとエイルは二人が何かしらの目的があってこの学校に来たのだろうことは何となく察していたが、それがまさか、校長の依頼の為に来ていたとは。
驚きの表情を浮かべながら、エイルはライトの方へと視線を向ける。
ライトもまた、エイルと同じくその青碧の瞳を驚きに見開いていた。
生徒会副会長である自分が聞かされていないことに関してもあまり納得はできないが、それがまさか、会長であるライトすら聞かされていなかったとは思わなかったのだ。
弥王の衝撃の告白に固まる三人に、クレハが言葉を付け加える。
「彼女たちは、女子失踪事件を調査しに来たんだって」
「クライン、お前は知っていたのか?」
「まぁね。学祭の時に白状させたから」
エイルの問いかけに、クレハは何でもない事の様にさらっと頷く。
「それなら、俺たちに相談してくれても良かったんじゃないのか?」
「すみません、僕たちの素性に関してはトップシークレットなもので……。
それに、初期の段階ではまだ、貴方たち生徒会のメンバー――、勿論、クライン先輩も容疑者候補として見ていたので、依頼の事は言えなかったんです。
ですが、ここにきて状況が変わってしまいました」
鋭い眼光を向けたエイルの言葉に弥王は、申し訳なさそうな表情を浮かべる。
当然、弥王なのでその内心では全く申し訳ないとは思っていない。
表情だけである。
「状況が変わった……?
もしかして、リオンちゃんの暴行事件と関係があるのかい?」
「はい」
考えながら問いかけるライトに弥王は頷くと、続きを話し始めた。
「もしかしたらこの件は、国際問題――延いては、イリア王国のルーン王家と桜ノ一族の信用問題にまで発展する恐れがあるのです」
「えっ!?」
「えっ!?」
「なんと……!」
弥王の話を聞いた生徒会メンバーとクリスの言葉が重なる。
驚愕に落とされた言葉は、広い生徒会室に響いて消えていった。
それもそうだ、弥王の口から出てきたのは、思った以上の大事なのだから。
ややあって、レナが口を開く。
「ちょっ、ちょっと待って?
何で、この学校の失踪事件の問題が、国際問題や信用問題に関わるの?
もしかしてミオンちゃん、まだ何か隠してたり……?」
弥王はレナの言葉に頷く。
「これは……、このグラン帝国の最高機密事項だと思ってください。
勿論、これを他言することは許されません」
「おい、弥音……!」
「もう隠しておける状況でもないだろ。
説明するにも、どの道避けては通れないんだ。
それならもう、いっその事潔く話した方がいいと思うけどな?」
「それは……」
弥王が生徒会のメンバーとクリスに何を話そうとしているのかを察した璃王が間に割って入る。
しかし、弥王は制止する璃王の肩に手を置き、諭すような口調で彼女へ言葉を掛ける。
弥王の言いたいことは分かる。
しかし、自分たちの素性を明かす事のリスクを考えれば、弥王の言葉に賛同はできなかった。
このメンバーが本当に信じられるのか。
それを見極めるには、彼らと関わった時間が少なすぎるのだ。
璃王の言い分も分かるので、弥王は璃王から生徒会のメンバーへと視線を向ける。
「ただ、この話は本当にグラン帝国の王室のごく一部の人しか知らない情報なんです。
勿論、如何なる状況だろうがこれを口外すれば、先輩たちは処罰を受ける可能性があります。
それでも、話を聞く方は残ってください。
今ならまだ、引き返せるので」
クリス、ライト、エイル、レナ、そして、クレハへとゆっくり視線を巡らせ、弥王は彼らの意思を確認する様に語り掛け、彼らへ選択肢を提示する。
いつになく真剣な表情の弥王に、その場にいる誰もが戸惑いと共に顔を見合わせる。
最初に迷いなく一歩前へ出たのは、クレハだった。
「今更、何を知ろうが僕はもう手遅れだろ。
君たちが何者かを言い当ててしまったんだから」
「それなら、私も同罪ね。
私も、二人の事を知りすぎてしまったのだから」
その後に、クリスがクレハの隣に並ぶ。
弥王と璃王の前に並んだ二人に視線を向ければ、クリスはその新緑の左目に微笑んだ。
「私は、ミオンさんとリオンさんがどんな人だろうと、二人の事を誰かに話す事はないわ。
だから、安心して話してほしい。
貴方たちの役に立てるなら、私も協力したいから」
「クリス……」
クリスの言葉に弥王が微笑む。
彼女の言葉にきっと、偽りはなくて。
ただ、純粋な憧憬がクリスの紺碧の瞳を輝かせていた。
そのきらめきが眩しくて。
そこまで純粋に誰かに夢中になれるクリスが羨ましいと感じながら、弥王はさり気なくその瞳から逃げる様に目を逸らす。
そして、まだ戸惑っている様子のレナ、ライト、エイルへと視線を向けた。
弥王と目が合ったエイル。
彼は、ふーっと息を吐き、クリスとは逆のクレハの隣に並ぶ。
「お前に巻き込まれるのはいつもの事だからな。
俺の知らないところで変な事に巻き込まれたら堪った物じゃない」
「そんなこと言って~、本当にエイルはクレハが好きなんだから~!」
エイルの隣にひょこっとレナが並ぶ。
勿論、いつものようにエイルを茶化す事も忘れていない。
ニヤリ、とエイルの顔を覗き込むが、彼はいつものようにレナの言葉を否定しなかった。
「あぁ、クラインの事は嫌いじゃないぞ」
「えっ!?」
エイルがふと見せた微笑に、レナは言葉を失くしてしまう。
言葉を出せなくなってしまったレナの隣に、ライトが立った。
「皆が話を聞くのに、俺だけ仲間外れはな。
会長としてもハブられたら示しがつかないし」
その表情は、校長であるレイトと似た苦笑を浮かべていた。
意外にも全員が話を聞く意思表示をしたことで、逆に弥王が驚いてしまう。
「えぇっ……、ちょ、クリスとクライン先輩はともかく、スタン先輩とギレック先輩とレイ先輩……本当にいいんですか?
国家機密ですよ?
口外すれば、下手したら死刑ですよ?」
「まぁ、その時はその時だな」
「ほら、俺って後輩想いだから?
レナの事もクレハの事も放っておけないんだよな~」
「私だって、クレハが放っておけないだけなんだから!」
「君たちってホント、馬鹿だね」
「ええ、クライン先輩の言う通りだわ」
エイル、ライト、レナの言葉に呆れた言葉しか出てこないクレハに、クリスが同調する。
エイル、ライト、レナ、三人の友情の中に加わったクレハ。
何を言おうが、アリスのメンバーの間には、確かに絆が存在しているのだ。
「……解りました。
では、お話しさせていただきます。
僕と、リオンの事を」
そして、弥王の口から語られたのは、彼女たちの素性だった。
「まず、僕とリオンは、グラン人ではありません。
僕はイリア王国女王、アルテミス・セレス・ルーンの第三子、ミオン・セレス・ルーンです。
そして、リオンの方は……」
「イリア王国女王近衛家令であり、ヴェルベーラ侯爵である雪華・ヴェルベーラとイリア王国私騎士団団長である神谷璃蓮の娘、リオン・ヴェルベーラだ」
「……!!」
弥王と璃王の自己紹介に、その場にいた全員が息を呑む。
クリスとレナに至っては、驚きのあまりに口に手を当て、大きく目を見開いていた。
そんな彼らの反応を横目に、弥王と璃王は語る。
自分たちは、訳があってグラン帝国の25代目女王であるエリザ・フュス・ファブレットに保護されたのだと。
二人の両親は消息不明であり、自分たちも世間的には消息不明になっており、今は身分を隠して生活していること。
そして――。
「ネル・サクラギ……彼女は、リオンの母方の従姉に当たります。
つまり、彼女もリオンと同じ桜ノ一族であり、リオンと同じく僕の近衛家令候補の一人なのです……」
「えっと……、桜ノ一族と近衛家令って?」
「桜ノ一族とは、イリア王国で桜の名を冠する貴族家の事です。
例えば、リオンのファミリーネームである“ヴェルベーラ”は“ヴェルベーナ”……美女桜を意味し、“サクラギ”はその名の通り、桜の木を、そして、もう一人……リト・コスモの”コスモ”も秋桜を意味しています。
このように、ファミリーネームに桜の名を冠する一族を“桜ノ一族”と呼ぶのです」
「近衛家令は、桜ノ一族が代々請け負う、女王を守護し、その身の回りの世話をする執事みたいなものだ。
言ってしまえば、戦う執事みたいなものだな。
女王陛下と同世代の桜ノ一族から選ばれるんだ。
今の最有力候補は、僕と僕のもう一人のいとこだったな」
弥王の話に首を傾げるレナに、弥王と璃王が説明する。
桜の名を冠する貴族家が“桜ノ一族”と呼ばれるようになったのには諸説あるとされている。
弥王と璃王がそれぞれの母から聞いた話では、桜ノ一族は元を辿ればルーン王家の血筋が分岐した一族であり、そして、彼らの能力はその高さ故危険であるという事から、桜ノ一族として分岐する前にその祖先が当代の女王に自らを管理してくれと願い出たのが端を発した事にある、というもの。
その時から、リオン達の血筋の者を“桜ノ一族”として管理しているのだ。
――それが、弥王や璃王が母から聞いた話だが、それは話さなくてもいいだろう。
そこまで深入りさせるつもりはない。
「まぁ、僕はリオン以外、誰も近衛家令にするつもりはないけどな。
それがネルとか、論外だ」
璃王へと向けられた表情は柔和なモノだったが、その瞳には何処か仄暗いものがあった。
それを感じ取らなかった者はいなかっただろうが、誰も言葉を挟めず、二人の話をただ黙って聞いている。
ややあって口を開いたのはレナ。
「えっと、じゃあ、ミオンちゃ……、王女殿下と……」
「スタン先輩。
僕たちのことは今まで通りでいいですよ。
僕もリオンも今は消息不明の身なので……、身分はないに等しいです」
「今更畏まられても居心地悪いしな」
しかし、レナの言葉は途中で弥王に遮られてしまう。
レナの言葉を遮った弥王は苦笑していた。
璃王も肩を竦めている。
それでも、レナは「でも……」と戸惑っている。
その戸惑いは当然と言えばそうだろう。
今、レナ達の目の前にいるのは、異国の王女と侯爵令嬢という、やんごとなきお方たちなのだ。
これまでのレナの弥王たちの言動を考えれば、顔面蒼白は必至である。
この何とも言えない空気の中、勇者が現れるのだった。
「ミオンとリオンがイリア王国の王女殿下と侯爵令嬢で、サクラギがリオンの従姉に当たる貴族令嬢……という事になる、ってことか」
クレハだった。
クレハはこれまで通り、弥王と璃王の事を名前で呼ぶつもりらしい。
クレハ以外のメンバーはクレハへ驚愕の視線を向ける。
「……なんだい?」
「いや、“なんだい”って……」
「クレハ、お二人がどんな人なのか、ちゃんと聞いてたでしょ!?」
視線を感じたクレハがライトとレナへ顔を向けると、彼らは各々、呆れたように声を落としたり、クレハの肩を揺さ振ってみたりする。
しかし、クレハの心臓は鋼よりも強靭だった。
「その本人たちがこれまで通り接して欲しいって言ってるんだ。畏まる必要もないだろ。
それより、必要以上にビビり散らかしていると、そっちの方が無礼だと思うけどね」
「そ、それは……確かに、そう、なのかも……?」
クレハの言葉に説得力を感じたレナは、弥王の方へ視線を向けながらそれでも、その瞳は未だ、不安そうな色を湛えていた。
そんなレナへ、弥王は微笑んで頷く。
「そうですよ。
それに、先ほども言いましたが、ルーン家とヴェルベーラ家は実質崩壊状態であり、僕とリオンは行方不明者なのです。
だから、身分はあってないようなモノなので、必要以上に畏まらなくて大丈夫ですよ。
これまで通りに接していただけたら、それで」
そう言った弥王はいつものように微笑んで見えたが、その瞳の奥に映る感情はどのようなモノだったのか。
レナには想像も付かなかったが、彼女の話を聞いて、一つだけ、彼女の事で分かったことがある。
それは、彼女はどんな凄惨な過去を持っていたとしても、それを隠すように笑っているのだ。
しかも、“何かを隠している”なんてことを微塵も感じさせない笑みを。
それをたった14歳の女の子がやってのけてしまうなんて。
きっと、弥王と璃王には彼女たちの身に余る様な悲しみに打ちひしがれても尚、立ち上がって光り続けていけるような強さと理由があるのだ。
そんな彼女たちへ、いつしかレナは尊敬と憧憬を抱き始めていることに気付く。
いつの間にか、レナは胸の内に高揚感に似た湧き上がる感情を覚えていた。
「さて、話は脱線してしまいましたが、本題はここから。
ここからの話はまだ、調査の段階であるという事を念頭に置いてください。
なので、あくまでこれは、仮説の話です。
リオンが暴行を受けた事件を、皆さんは覚えていますね?」
弥王の問いかけに、その場にいたメンバーがそれぞれ頷く。
それを確認した弥王は、話を続けた。
「実はリオン本人から、それ以前からいじめを受けていると話を聞けました。
そして、失踪事件で失踪した生徒は皆、女子生徒。
それも、失踪する前は皆、いじめを受けていた様です。
その被害者にその他にも共通点がありました」
「共通点……?」
弥王が意味深に言葉を切ると、レナの口から疑問の声が漏れ出る。
皆が固唾を飲み、次の言葉を待っていると、口を開いたのは璃王だった。
「いじめられた女子生徒は、校長に気に入られていた」
「それって……」
璃王の言葉に、レナは――否、クレハと弥王以外のメンバーの視線が、弥王と璃王に刺さる。
そう、レナは弥王たちの登校初日、レイトに言われていたこともあり、寮生たちに「ミオンちゃんとリオンちゃんはイト君と私達【生徒会】のお気に入りだから、傷付けたら罰則ね」と言っていたのだ。
レイトも生徒会メンバーには「二人は俺のお気に入りという事で宜しく」と言っていたので、それを覚えている。
つまり、璃王は“校長のお気に入りだからいじめられてしまったのか”――と、クレハ以外のメンバーが思ったが、その言葉は璃王によって打ち消されてしまう。
「校長がより気に入ってんのは、ミオンの方だ。
ここで、矛盾が生じることになる」
首を振った璃王の言葉に、誰もが「矛盾……?」と首を捻る。
そして、ややあってライトが思い至ったかのように視線を上げた。
「……、そうか、本当に“校長が気に入っている人間”がいじめられるのであれば……その標的はミオンちゃんである筈だ。
それなのに、リオンちゃんがいじめを受けていて、ミオンちゃんは……」
「そうだ、ミオンは至って無傷。
これは、本人にしつこく確認したから、本当に心当たりがないのだと思う」
弥王へと視線を向けたライトに、璃王も弥王へ視線を向けて頷く。
当の本人はケロッとしていて、見る限り、怪我をしている様子は見受けられない。
弥王の性格上、もし璃王と同じいじめを弥王が受けているなら、弥王はある日突然、キレていじめの首謀者を挑発するような宣戦布告をした後、徹底的に犯人を潰しにかかる筈である。
そのような姿も見受けられない為、本当に弥王は何もされていないのだろう。
「まぁ、そもそもミオンの性格上、こそこそとカッターだのなんだのを机に忍ばされたり、トラップの餌食にされたりした時点で、一週間と経たずにキレるだろうから、そんなこともないという事は本当にミオンは標的にされてないんだと思う」
璃王の言葉に「それじゃまるで、僕がヤバい奴みたいじゃないか」と文句を垂れる弥王だが、それを璃王は涼しげな表情でスルーして、話の続きを始めた。
「度々、目撃情報が出ていて、クリスの目撃した“バッタモンスタン先輩”、僕の携帯のボイスレコーダーの生徒が言っていた“寮長”……、更に、校長から甚く気に入られている筈なのに、無傷のミオンと、標的にされている僕。
この状況で、僕は1つの可能性に行きついた」
璃王はここで一旦言葉を切り、目を伏せる。
ここで彼女たちが璃王の言葉を信じるか、信じないか。
――怖い。
璃王の脳裏には、幼少期の記憶までフラッシュバックしてくる。
“リオンにいじめられた”と泣くネル。
“リオンに暴言を吐かれた”
“呪いの森に向かって突き飛ばされた”
“階段から突き落とされそうになった”
そうして、ネルが何度も泣くから。
璃王も幼いが故に言葉が出なかったのだ。
そうして、ネルの虚言を信じ、璃王への風当たりは余計に強くなり、璃王が4歳の頃、両親は当時の女王陛下の言葉により、王宮の離宮であるオルテンスィア宮に移り住むことになったのだ。
両親と幼馴染み以外、誰も璃王の言葉を、涙を、信じなかった。
また、繰り返される。どうせ彼らも、自分の事は信じない。
自分の言葉は信じない。また、また、また……。
知らず知らずの内に璃王の手は震えていた。喉から熱がこみ上げて、上手く言葉が出ない。
瞳は不信感に揺れていた。体の奥は冷たいような感覚があるのに、表皮からはじわりと汗が滲む。
その瑠璃色の瞳には、薄く玻璃色の幕が張って、目尻に押し寄せる。
視界は狭まり、無音の闇の中で感覚が少しずつなくなっていくかのような、そんな現実離れした感覚に支配されていく。
いつしか、上唇と下唇はくっ付き、そのまま乾いてしまった。
「リオンちゃん……?」
ふと、一つの声が璃王へ呼びかけてくる。
その声に一気に現実へと引き戻されると、目の前には心配そうな表情のレナがいた。
顔を上げて視線を巡らせれば、その場にいた全員が心配そうな表情で璃王の事を見守っている。
そして、璃王の手をそっと、誰かが握った。
「リオン」
弥王だ。
彼女だけは、この世でただひとり、“セカイ”だと信じられる。
柔和な新緑の瞳が璃王へ向けられていた。
「大丈夫だから。
誰がリオンを信じなくても、私だけはずっと、リオンのすべてだから」
白い手が璃王の手を包み込み、その温かさに強張っていた身体から力が抜けていく。
呼吸も段々と落ち着いて、早鐘を打っていた心臓は少しずつ穏やかな脈動を刻んでいく。
――そうだ、誰が信じてくれなくても、僕には“ミオン”がいる。
たったひとり、“セカイ”と信じた幼馴染みであり、将来の主人。
彼女がいるから、牙を剥く世界も怖くない。
ゆっくりと息を吐いて、璃王は乾いた唇を開く。
「この一連の事件の首謀者は――」
ゆっくりと息を吸う。
震えそうになる声をどうにか抑え、璃王はその続きを口にした。
「――ネル・サクラギだと、僕は考えている」
しっかりと生徒会メンバーたちを見据えた瑠璃色の瞳は、強い光を湛えて煌めいていた。
@ウェストスター校名物
・雪苺サンドケーキ
ウェストスター校の購買で冬限定で売られているデザート。
グラン帝国の北に位置するエリア・ノーザンベルという寒冷地域で採れる雪苺と呼ばれる果実とたっぷりのホイップクリームをスポンジケーキでサンドイッチのように挟んだデザートであり、女子生徒を中心に人気の商品。
好みで好きな果実ソースを掛けて食べるのが美味しいらしい。
たまに、邪道な食べ方をする生徒もいるとかいないとか……。
・雪苺
寒冷地帯で採れる真っ白な苺。
主な原産地はグラン帝国の北に位置するエリア・ノーザンベルやアイランド・スノーク。
早ければ11月下旬ごろから青い実を付け始め、ゆっくりと白くなっていく。
食べごろは青い実が白くなって2週間頃、半分に切った時にまだ青みがかった白い時である。
完全に実が真っ白になってしまえば毒を帯び始め、食べれば一口で神経細胞を破壊し始める程の猛毒になる。
その為、麻酔薬に用いられることがある。
ベリー科アレルギーを引き起こすアレルゲンでもある為、加工して売る際にはその旨の注意喚起とアレルギーの確認を行う必要がある。




