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Promessa di duo-太陽ト月-  作者: 俺夢ZUN
第2楽章 学校潜入編
32/42

XV.溝-Gap-


 初めは、「傍に居るだけで良い」。

 それを願ってた筈だった。

 結局、どうしたいのか、彼とどうなりたいのか。

 その答えは解らないまま、彼との溝は少しずつ、深くなっていった──。



 クレハに事件解決を託されたその夜。

 弥王は、校舎の屋上に来ていた。

 1月の寒い夜風が、弥王の太ももまでの髪を撫でる。


 弥王はフェンスに腕を乗せて寄り掛かり、空を仰ぐ。

 空気が乾燥している為か、星が良く見えて綺麗だ。


『それと、もう一つ。

 虐めは影で受けているみたいで、表立った虐めと言えば、物を失くされたり、机の中のカッターだったり……』

『誰が仕掛けたのかは解らない。

 これは、僕の方でも監視したりはしてるけど、中々尻尾が掴めなくてね。

  ただ一つ言えることは、校長に気に入られた生徒が失踪している辺り、校長と直接的・若しくは間接的に関りがある人物か、校長が無関係だとしたら、レナ・スタンと直接的・若しくは間接的に関りがある人間の仕業だと、僕は睨んでる』


 クレハからの情報を思い返す、弥王。

 話を整理すると、虐めの首謀者は、校長と直接的・若しくは間接的に関りのある人物。

 若しくは、レナ・スタンと直接的、又は間接的に関わりのある人物。

 そして、虐めを受けて失踪した生徒は皆、校長に気に入られていた。


「うー……ん……」


 弥王は難しい表情で頭を抱える。


 校長に気に入られた生徒が虐めを受けていたなら、何故、自分は何事もないのだろうか。


──それとも、あれか?

 気にしなさ過ぎて気付いていないだけか?

 いや、それはないだろ、流石にさぁ……。


 そもそも、何故、校長に気に入られたくらいで虐められるのか?

 しかも、校長と直接関りがある人間が妬み僻みで「ちょっと痛めつけてやろう」と思うならまだしも、レナ・スタンと直接関係がある人間が虐める意味とは何ぞ?

 それってつまり、レナ・スタンが首謀者で、彼女が自分のファンか何かを使って裏で虐めている、と言う結論にしか行かないのだが──。


 そうだとすると、クリスの証言は?

 クリスの証言だと、レナ・スタンと虐めの首謀者は別の人物だと言う事になるが……。


「だあぁ~っ、もう、ナニコレ、禿げそう!」


 益々混乱してきた弥王は、(こうべ)を垂れた。


──これは、切り裂き(ジャック・ザ・)ジャック2世(リッパーセカンド)よりも厄介そうだ。

 これを解決できなければ、切り裂きジャック2世なんか到底解決できない。

 そんな事すら思い始める。


 そんな時、弥王の肩に何かが掛けられた。


「風邪引くぞ」

「こんな所で何してんだよ──」


 背後から聞こえた、聞き覚えのある男性の声。

 その声に呆れたように肩を竦めながら応える、弥王。


「──ファブレット公爵」


 弥王が問うと、男性──グレア・ウォン・ファブレットは弥王の隣に来て、フェンスに身を預けると空を仰いだ。


「懐かしいな、眠れない時はいつも、ここに来ていた」


 グレアの口からは、弥王の問いの答えは出てこなかった。


 今は学祭の真っただ中で、重要な来賓などは学校が寮の空き部屋を宿泊用として提供していた筈だったか。

 なるほど、確かに、公爵家の当主であり、校長の旧友でもある彼は、「重要な来賓」として扱われていても不思議ではない。


「今日は大変だったな。

 大丈夫だったか?」

「あぁ、問題なく隠し通せた。

 彼奴も死宣告者だからなぁ、このまま放牧するとまた、絡んできそうだし、どうしたものか……」


 グレアの問いが、今朝の出来事であることが解った弥王は、軽く今回の田舎ヤンキーの事を報告しておいた。

 クレハに自分達が裏警察(シークレット・ヤード)だとバレたことは言わず、「問題なく隠し通せた」と言ったのは、言う必要がないと判断しての事だった。


 項垂れる弥王に、グレアは問いを重ねる。


「あの田舎ヤンキーみたいな奴は、知り合いなのか?」

「あぁ……まぁ、知り合いと言うか。

 スターライン校時代から何かしら絡んでくるまぁ、所謂……ストーカー?みたいな奴だな。

 よく、任務先に現れては任務の邪魔をしてくるんで返り討ちにしてたんだが……まさか、ここまで来るなんてなー。

 先輩風吹かしては後輩から嫌われてたし、オレも璃王も絡まれてウザかったから、ちょっとやり返してたんだが……ここまで粘着されるとは思わなかったんだよ」


 グレアの問いに、肩を竦める弥王。

 スターライン校――名門貴族の子女が通う初等学校。

 弥王と璃王は、グレイに保護された後、半年後にこのスターライン校に通う許可を貰えたのだ。

“緊迫している関係の国の王族とその眷属と言えど、教養は身につけるべき”と言うのが、グレイの母である先代女王、エリザ・ファブレットの教育方針だったのだ。

 弥王たちのことは捕虜にしたわけではない、保護したのだ、というのが彼女の見解である。


「人気者は辛いな」

「勘弁してくれ」


 グレアの言葉に苦笑する。


 別に、貴族の子女に騒がれる程度なら問題ないが、こんな人気は本当に要らない。

 裏を返せば、実力が認められていると言う事なので、死宣告者としては誇っていい事なのかもしれないが、こうも毎回、公務執行妨害をされると穏便に対処しようという気すらも起きなくなるのもまた、事実なワケで。

 頭が痛くなるだけだ。


 沈黙が二人の間を流れる。

 弥王は、何気なくグレアの顔を盗み見た。


 目鼻筋の通った端整な顔立ち。

 白い肌に溶ける様な白銀の髪。


 髪や肌とは対照に存在を主張するかの様にしっかりと色付いた瑠璃(ラピスラズリー)の目がとても印象的で、外見だけでも人を惹き付けるには十分の魅力があるのだろう。

 素直に「綺麗だ」と思う。


 初めて会った時も、その外見に息を飲んだ。

 呼吸すら忘れて、ずっと宿り木の上でぼーっと彼を見ていたのを覚えている。


 確か、4,5歳くらいの時の話だった気がする。

 幼いながらに、彼に惹き付けられた。


 結局、木の上で見惚(みと)れていた事がバレて、八つ当たりで雪玉を顔面に向かって投げたのだけれど。

 そんな事を思い出して、ふと笑みが零れた。


──結局、何年経ってもこの感情は増幅されるばかりで、根本的な所は変わらないんだよな。


“あの時の約束”は弥王の中では絶対的なモノになっている。

 その為、弥王は盲目的に「自分が王位に就いたら、公爵を婿に取ることになるのか」と信じて疑っていない。

 だが──。


(公爵の方はどうなのだろう?)


 グレアと過ごしていく事で増幅される気持ちとは裏腹に、グレアを知っていく事で膨れ上がる疑問。

 最近は加速の一途を辿っている。


 この5年で彼について沢山の事を知った。


 まず、「ファブレット王家の長男であるが、王位を継ぐ資格がない為に「公爵」と言う地位を与えられ、「特殊武装警察のボス」と言う役職を与えられている」事。

「社交界では老若男女問わず貴族からは持て囃されており、本人は女誑しである」事。

「その割には王家の一部の人間からは殺意を持たれて、反感すら買っている」事。

「役職柄、その裏の顔を知っている者からは目の敵にされている」事。


 知れば知る程、人間性に問題があるように思われがちだが、それは「裏社会の人間」で、「それを束ねる絶対的な存在」で在るが故に仕方ないのだろう。


 そんな事は弥王にとってはどうでも良い。

 ならば、弥王にとっての疑問は何か。

 それは、ただ一つ。


“彼が自分の事をどういう風に見ているのか”。


 これに限る。


──今でも、彼の目に自分は映ってはいないのだろう。


 確かに、自分の妹より年下の女なんか、そもそも視界に入るワケもないか。

 そんな事さえ頭を過って、言い難い感情が胸を締め付ける。


「どうした、神南(こうなみ)?」


 ふと、グレアの目がこちらを向いた。

 優しく細められた瑠璃色の瞳が、弥王の瞳とぶつかる。

 その後で、揶揄うようにグレアの目が細められた。


「もしかして、私に見惚(みと)れていたのか?」


 揶揄うような笑みを向けられ、弥王は眉を顰める。


「そ……ッ!

 そんなワケないだろ、変な誤解はしないでもらいたいッ!」


 弥王は思いきり頭を振って否定して見せた。

 しかし、そっぽを向いた弥王の白い頬は赤く染まっており、図星を突かれたことによって素直になれない心境が見え隠れしていた。


──素直でない所も相変わらずだな。


 素直ではない弥王の態度に、ふとグレアは昔のことを思い出して微笑む。

 昔と殆ど変わってない。


「大体オレは、ガチモンの女誑しには興味ない……から……」


 それを言ったきり、弥王は俯いて口を閉ざす。


“女誑し”。


 確かにそう言われても仕方ないのかもしれない、とグレアは思った。

 しかし、それを彼女に言われると、どうにもモヤモヤとしたモノが胸中を漂う。

 恐らくそれは、片想いをしている人間に有りもしない事を面と向かって言われて、肯定する事を強いられている様な感覚に近いだろうか。


──他の誰に言われても構わないが、彼女にだけは心底、女誑しだと思われていたくない。


 ふと、そこでグレアは自分の感情に戸惑う。

 弥王のことは、今まで弟として見てきたはずだ。

 ミオンのことに関しても、妹を見るように見てきたはず――だと。


 近い距離にいる《ミオン》。

 彼女は、記憶の中の彼女よりもずっと綺麗になったと思う。

 月明かりに輝く波打つブルーマロウの長い髪が風に攫われる。

 揺れる前髪の隙間から、普段は前髪で隠している水宝石(アクアマリン)の瞳が見え隠れする。


 モヤモヤと落ちそうになる心を誤魔化す様に、グレアは弥王に手を伸ばした。

 その手は弥王の細い手首を掴むと、引き寄せる様に手を引く。

 彼女の体は特に抵抗する様子もなく、ポスン、とグレアの腕の中に納まった。

 特に驚いている様子はないが、嫌がっている様子もない。

 若しくは、あまりに驚きすぎて思考停止しているのだろうか。


 抱き寄せた弥王の体は見た目より細く柔らかく、力加減を誤れば壊れてしまいそうなほど華奢だった。


「え……?

 こ、う……爵……?」


 暫くして、驚いたような弥王の呟きが聞こえた。

 弥王の顎に指を添えて、優しく掬い上げれば、上げられた彼女の顔は、驚きに満ちた目を一杯に見開いていて。

 呆然としている、と言った方が早いだろうか。

 それ以上の言葉は出ない様で、ただただ、こちらを紅い顔で見上げていた。

 グレアの弥王を抱きしめる力が強くなる。


「女好きの女には、絶対に言われたくない言葉だな。

 そもそも、本気で私が女好きで、誑しだと思っているのか?」


 精いっぱいの皮肉を込めて言う、グレア。

 それを言えば、弥王は黙り込んでしまった。


ミオン(・・・)……」


 そっと、大切なモノでも扱うかの様に名前を呼ぶ。

 弥王の頬に手を添えて、グレアは彼女の色違いの双眸を見つめた。

 その無垢な瞳に愛しさが込み上げてきて、グレアは弥王に顔を近付ける。


 近くなるグレアとの距離に、弥王は──。


「や……ッ!」


 弥王は、グレアを拒むように彼の胸を押した。

 未だに高鳴る胸を押さえて、弥王はグレアを睨む。


「し……ッ、趣味の悪いからかいをするのはやめていただこうか、公爵ッ!」


 低く唸るように吐き出された、弥王の言葉。

 自分の言った言葉を肯定する、弥王。


──そうだ。 公爵はただ、年下だからってオレをからかって遊んでるだけだ。

 彼自身が言ってたじゃないか。

「ロリコンじゃないから、妹としてしか見られない」って。


 雰囲気に飲み込まれるな!


「悪いがオレは、遊ばれてキャーキャー騒ぐような軽い女じゃない。

 遊びたいなら他を当たってもらおう」


 冷ややかに言葉を放ち、弥王は上着をグレアに投げ付けて、屋上から室内へ入って行った。

 その場にグレアは取り残される。


 最後に見えた弥王の顔は、酷く傷ついたような悲しそうな顔をしていたが、グレアには掛ける言葉が見当たらなかった。

 誤解だ、と言う暇さえなかった。

 少なくとも彼は、弥王が思っている以上に彼女の事を意識していたし、彼女に対して好意を持ち合わせていると思っている。


 それが伝わらないばかりか、伝える前に拒まれてしまうとは。


──彼女の目に自分は映っていないのだろうか。


 まだ、弥王の体温の残る上着を拾い上げ、グレアは彼女の出て行った扉を見つめた。



彼らの溝は、まだ浅い。

そして、これから少しずつ、時間をかけて溶けていく氷の様に、じわりじわりと抉られていくかのようにその溝は深まっていく──。


擦れ違う恋歌は複雑に縺れ合っていった。



―― ――


── ──


 走った。

 グレアから遠ざかるように、ただひたすら走った。

 何処に向かっているのかなんて解らない。

 ただただ、弥王は走っていた。


「……ッ、……」


 我慢できずに溢れた涙が弥王の視界を遮り、頬を伝う。


──痛いよ……。


 張り付く喉が痛いのか、それとも、暴れる心臓が痛いのか。

 将又、抉られるような心が痛いのか。

 よく解らない。

 だけど、ただ、痛い。


 グレアから突然抱きしめられて、驚いたけれど、それ以上に嬉しさも込み上げていた。

 嬉しかったんだ……その筈だった。

 でも、よく考えたら、彼にそんな気はなくて。


 どんなに、「落としてみせる」と強気になったところで、そもそも出発点が「妹」感覚なら、どんなに背伸びをしても何をしても──


──彼の目に、自分は映らない。


 その事実だけがただ、弥王の胸を締め付けた。

── ──


 気が付けば弥王は、寮の近くの芝生に生えている木の下に居た。

 全力で走った心臓が暴れまわる様に脈打っていて、胸が痛む。

 流石に、学校の屋上から寮まで、泣きながらノンストップで走ると息も上がる。


「はぁ……ッ……、く……ッ、うぅ……」


 弥王は、その場で木に凭れかかるようにして頽れる。

 その目からは、玻璃色の涙が止め処なく零れ落ちていた。

 泣いたのはいつぶりだろうか。

 どんな地獄の中でも、泣いたことはなかった。


 どんなに傷付いて、ボロボロになっても──。


「こんなに辛いなら、こんな感情……ッ!

 要らなかった……ッ!」


 思わず零れた、苦しみに満ちた弥王の呟き。

 それは、頬を突き刺す寒空の下で虚しく消えた。


 胸が痛んで苦しい。

 それは、どんな苦しさだ?

 浅い呼吸を繰り返す口が乾燥し始めて、口の中も痛くなってくる。


「どうしたんだ、こんな所で?」


 苦しくて座り込んでいたら、背後から呼びかける声が聞こえた。

 弥王は、その声にゆっくりと振り返る。

 すると、暗がりで良くは見えないが、一人の少年が自分を見下ろしていた。


「お前、ミオン・コウナミ……?」


 小さく呟かれた声は驚いている様だった。


―― ――


── ──


 あの後、弥王は少年に抱えられ、食堂の椅子に降ろされた。

 自販機で飲み物を買っている少年の背中をただ、弥王は呆然と見つめる。


「ほら、これでいいか?」


 軈て少年は弥王に、小さなペットボトルに入ったココアを差し出す。


「いや、僕は……」


 弥王は、差し出されたそれを受け取ることを躊躇した。

 初対面の少年だ、弥王が警戒するのも当然と言えば当然で。

 すると少年は、弥王の手を取ってココアを弥王の手に収める様に握らせる。

 ココアの温かさがちょっと熱く感じる。


「えと、あの……?」

「いいから、受け取っとけ。

 お前、手も顔も冷たいじゃん」


 そう言って、少年は弥王の頬に触れた。

 涙と夜風で冷えた頬には少年の手は暖かく感じて、眠気すら誘う様だ。

 相当長い間外に居たのだと思う。


「ありがとう……ございます……」


 弥王は観念して素直にココアを受け取ることにした。

 少年はよく見ると、高等部の生徒の様で、黄緑色のラインの入った黒いブレザーを着ている。

 内側に見える紅いベストは、彼の所属が隣の寮の炎寮だと言う事を示していた。


──こんな時間まで外に出ている生徒もいるのか。


 今度から、璃王と密会をする時は気を付けなければ。


「泣いてた……んだよな、お前。

 あんな所で……」


 考え事をしていると、不意に少年の気遣うような声が聞こえた。

 それと同時に、頭を撫でられる。

 弥王は、少年に目を向けた。


──見ず知らずの先輩に心配かけてしまったな、何やってんだ、オレ。


 弥王は自分に苛立ちながら、よろよろと立ち上がる。


「何でもないです。

 これ、ありがとうございます。

 眠いのでもう戻りますね、それでは」

「あっ、待って」


 食堂を出て行こうと歩き出す弥王だったが、その足は少年に止められた。

 少年の手が弥王の手首を掴んでいる。

 少年は掴んだ弥王の手を引き寄せて、背中から弥王を抱きしめると、その手にメモリーチップを握らせた。


「それ、俺の端末情報。

 何かあったら、いつでも連絡していいから」


 少年の声が耳元で聞こえる。

 一瞬、訳が分からず弥王は、肩越しに少年の顔を見る。

 少年の水宝石(アクアマリン)の目と目が合った。

 とても優しげな目をしている。

 彼は悪戯に微笑んだ。


「「声が聴きたくなった」でも大歓迎」


 そう言って、少年は弥王から離れる。

 弥王は至って冷めた様な目で少年を見た。


「僕は、軽々しく連絡先を渡してくるような人に興味はありませんが」


 先程とは打って変わって冷たい声で対応する。

 メモリーチップを返そうと彼に手を差し出すが、依然として彼はそれを受取ろうとはしない。


──何考えてるんだ、こいつ!?


 弥王の中で、少年が「先輩」ではなく「不審者」としてインプットされた。


「連絡先の交換くらい、良いだろ?

 何があったか知らないけど、放っておけない後輩の相談に乗るのも、先輩の役目だって」


 差し出された手を取り、少年は優しく包み込むように弥王の指を折り曲げる。


──いやいや、「放っておけない後輩の相談役を引き受ける先輩」でも、これはやり過ぎだろ?


「じゃあま、そう言う事だから!

 早く寝ろよ!」


 そう言って、少年は名前も告げず食堂を出て行ってしまった。

 結局、メモリーチップは弥王の手の中にある。


 食堂内は、嵐が去った後かの様に静まり返り、今になって寒さが肌を突き刺すのを感じた。


──さて、このメモリーチップをどうしてくれよう。


 弥王は、頭を悩ませた。


 投げ捨ててやってもいいが、メモリーチップは携帯端末の記憶媒体であり、そして、バッテリーでもある。

 その為、端末に差し込まないとその端末自体が使えなくなってしまうのだ。

 つまり、嫌でももう一度あの少年に会わなければならない。

 彼はこちらの名前を知っているようだったが、こちらは彼の名前を知らない。


 会いたくても、こちらからは会えないのだ。

 まさか、この学祭真っただ中で人が多い中で彼を探すのも面倒だ。


 まぁ、良い。

 向こうがその気なら、こちらは彼奴をとことん利用しよう。

 情報が引き出せる人間は多ければ多いほどいい。


 弥王は、部屋に戻ると、彼の連絡先情報を自分の端末にコピーして、眠りについた。


── ──


―― ――


 同時刻。

 璃王は、炎寮の屋上に居た。

 月明かりとカンテラの明かりによって、手元は明るく照らされている。

 手には昼間にレイトから拝借した失踪した生徒の名簿と、レンガ造りの床には魔法陣の様な術式が描かれた紙、傍にはカッターナイフを置いている。


「Ricavare la posizione dell'anima──降霊(エヴォカッツィオーネ)


 術式に手を翳して、璃王は静かに詠唱をする。

 漆黒の光が瞬いて、術式が発光すると光が立方体の円を描く。

 失踪者が死んでいれば、立方体の中にその者の魂が呼び出される筈だが──。


「……やっぱりか」


 立方体の中には、()()()()()()()()()()()()()()

 それはつまり、誰も死んでいない事を指している。


 ならば、彼女たちは何処へ行ったというのだろうか?

 ここで虐めを受け、追い詰められた彼女たちの行方──。


 璃王はそれを追う事にした。

 別の紙に別の術式を描き出す。

 それは、先程の術式に酷似しているが、少しだけ術が違うモノだ。


「Ricavare la posizione dell'anima──魂の羅針盤アーニマ・デッラ・ブッソラ


 詠唱をすると、上書をするように魔法陣が消え、地図が描き出された。

 その地図の一点に点が集中する。


 その場所は、ロンドンの郊外の村のある位置。

 過疎化が進み、殆ど人が居ない筈の場所だ。

 璃王の脳裏に最悪の事態が浮かび上がる。


──今、彼女たちが生きているって事は、飼い殺しになってる可能性が高いな……。


 何にせよ、早く彼女たちを解放しないといけない事は確かだ。

 璃王は、携帯端末をポケットから取り出すと、電話を掛けた。


「カナか?

 大至急頼みたいことがある」


《頼み事?何っすか?》


 電話の相手はカナメ。

 カナメはいつもの気だるげな様子で璃王に問う。


「プレアデスつって、女だらけの集落があったろ?」


《あぁ、あの男子禁制、一歩たりと男が入って来よう物なら、精を吸い尽くして惨たらしく殺す──って身の毛のよだつような背徳の集落、ね。

 そこがどうかしたんっすか?》


 璃王の問いに、カナメは口にするのもおぞましい、と言いたげに返す。


 男から言わせれば、通りすがることさえ厭わしい、名前を聞いただけで身震いするだろう。

 その集落は、黒い噂の絶えない限界集落だった筈だ。

 近年では、その集落の因習が原因で若者が逃げ出し、今では過疎・高齢化によって殆ど廃村となっているそうだが、それはもう何十年前の話だった気がする。


 今でもその集落に人が残っているとは思えないが──。


「あぁ、その集落について調べてもらいたい。

 残念ながら、こっちは動きたくても日中は動けねぇし、夜は夜で外出にも縛りがあるしで学校の外の事を調べようにも無理があるんだよ。

 んで、その集落に今から送る名簿の生徒がいる筈だから、もし居たら、公爵に捜査令状を書かせて乗り込んでくれ」


《了解、報酬はリオンサンの制服写真──》

「あるワケねぇだろ、そんなの。

 報酬は適当に公爵に吹っ掛けな」


 カナメの言葉を遮り、璃王が肩を竦める。

 その電話の向こうでカナメが「えー!?」と残念そうな声を上げている。

 何気に五月蝿い。


《ウェストスター校の制服って、可愛いって有名じゃないっすかー!

 そんな制服を着たリオンサンが拝めないなんて、残酷すぎだろぃ……》

「知るかよ。

 そもそも、俺が着てるのは男子の制服だ、バカめ」

《何でー!?》


 電話の向こうで、世界の終わりを告げられた平民の様な絶望した声を上げるカナメ。

 最近、カナメが異常に愛情表現の様なモノをしてくるのは何故だ……と、璃王は頭を抱えている。

 正直、カナメとは幼馴染だが、そこまで仲が良かった記憶がない。

 寧ろ、散々イビリ倒された記憶があるのだが。

 昔と今とで態度が180度違うカナメに若干の戸惑いを覚える。


「何でって……そりゃ今まで男装してたんだ、いきなり女装とかできるかよ。

 って、そんな話はどうでもよくてだな。

 さっきの話、頼んだぞ、いいな?」

《どうでもよくねぇっすよ!?》

「あー、もう、とにかく、頼んだぞ!」


 まだ続きそうなカナメの嘆願を璃王は面倒くさそうに一蹴して、携帯の電源を切った。


「ったく……。

 どいつもこいつも、性別間違えてんじゃねぇの?」


 静かになった屋上で璃王は呆れたように肩を竦めた。

 電話を切った後、璃王は暫く、呆然と夜空を眺めていた。

 満月に近い月が出ている為か、辺りは夜にしては明るく、月明かりで少し目が痛い。


 できる事なら、朔の日の前に任務を終わらせて帰りたい所だが……。

 現状を見るに難しいだろう。

 現に今得られた情報は少ない。


 今、璃王が得ている情報は以下のみ。

・失踪した女子は皆、虐めを受けていた。

・虐めを受けていた女子は皆、レイト・スタンに気に入られていた。

・虐めの首謀者はレイト・スタンと直接・又は間接的に関りのある者若しくは、レナ・スタンと直接又は間接的に関わりのある者。

・虐められて失踪した女子達は生きており、プレアデスと言う限界集落のあった場所に居るらしい事。


 これらの情報が解ったとして、今はどうこうできる事もないだろう。

 肝心の首謀者が解らないのだから。

 とりあえず、今はカナメの報告を待つしかない。


 璃王は頭を悩ませる。

 璃王が一番不可解に思っている事がある。

 それは、虐めの首謀者がレイト・スタンと関りのある人間だったとして、何故、その人間はレイトが気に入った女子を虐めていたのか。


 例えばそれが、恋愛の縺れだったとしても、理解に苦しむ。

 好きな人が気に入った人間を虐めた所で、メリットなんてないだろう。

 寧ろ、それがバレれば、嫌われる可能性だってあるワケで。

 そんなリスクを冒してまで、恋敵を排除する思考はどうなんだ?


──うん、理解に苦しむ。


 璃王は、「恋愛の縺れ路線」を考える事を放棄した。

 自分が想像つかないことを考えるのは相当難しい。

 それなら、他の可能性を考えてみようじゃないか。

 例えば、虐めと失踪事件を別の物と考えて、この失踪事件がレイトによって引き起こされた物だとしたら?

 その路線で考えてみよう。

 こっちの方がまだ、現実的だと思う。


 レイトは24歳。

 貴族ならば、結婚していて然るべき年齢だ。

 何処ぞのシスコン公爵はまだ結婚していないが、それは今は関係ないので置いておくとして。


 レイトに少女を誘拐して監禁して奴隷化するような趣味があるとしたら、この失踪事件も納得がいく。

 あとは、「虐められていたから」だのと適当な理由を付ければいい。

 少し前に一部の貴族の間でロリコン趣味が流行って、売買した少女を隷属化し、闇オークションに出す事件が勃発したことがあった。


 それは、璃王達が裏警察(シークレット・ヤード)に入って、初めて貰ったまともな任務だ。

 璃王達の裏警察での死宣告者デビューだった。

 その時の事は良く覚えている。

 そのロリコン趣味が流行ったのが4年前の事だ。

 未だにそれが尾を引いていてもおかしくはない。


 レイトに少女達を監禁して隷属化するような趣味があったとして、次に疑問に思うのは、何故失踪事件の解決を裏警察(シークレット・ヤード)に依頼したのか。


 これは、裏警察への挑戦と取れそうだ。

 実際、そういう愉快犯的な思想の犯罪者は多い。

 そう言う輩は大体、自分の近くで犯人を捜している警察をそ知らぬ振りをして陰でニヤニヤしている。

 レイトもそう言う趣味でもあるのだろうか。


──どの道、今回の失踪事件の首謀者はレイト・スタンを中心に疑ってかかる事にしよう。

 彼奴、怪しすぎるし。


 璃王は、とりあえずレイトを標的に捜査する方針を固めた。


 ある程度情報を集めて、人の細かい動作を見極めながら、「前提の標的」を決めておく。

 璃王の捜査は大体、そんな感じで進んでいく。

 今回、レイトが標的になったのは、レイトの発言が怪しいと踏んだ為である。


──弥王には暫く黙っておくとするか。


 この事を弥王に言えば、「根拠もない事で人を疑ってかかるな」みたいな説教を食らわされそうだからだ。

 弥王に言うのは、証拠が揃って、事件の全容が見えてきてからでも遅くはないだろう。


「あぁ~、本当にもう……面倒くせぇ……」


 璃王は頭をクシャリと掻き回す。

 もし、虐めと失踪事件が別物だった場合、虐めの方も解決しなければまた繰り返されるだろう。

 何だってこんな依頼を引き受ける羽目になったんだか。


──もっとこう、適任は居たんじゃないのか?

 何も、こんな他人の感情に疎い自分が駆り出されなくたって……。


 溜息を吐きたくなるが、グレアから命令された時点でどうにもならない。

 諦めるしかないのだ。


「はぁー、「人生諦めが肝心」とは、良く言ったものだ、全く。

 ……ん?」


 溜息を吐き、腕に顔を埋めると、視界に自分の髪が映る。

 璃王は、目に映った自分の髪を見て、違和感を覚えた。


──あれ?今は外見補正は掛けてない筈なんだが。


 璃王は、一房の毛束を手に取って、カンテラに近付ける。

 橙色の灯りに透ける髪の色は、璃王が認識しているいずれの自分のそれとは少し異なるモノだった。


 よく見てみないとその違いは解らないだろうが、毎日視界に入れている自分の髪の色が解らないほど、まだ()けてはいない。

 つまり、いつもの自分の髪より黒に近くなっていっていると言う事で、その髪の色に近いと言う事はつまり──。


「馬鹿な……猫呪(びょうじゅ)が進行してる……?」


 璃王は目を疑った。

 月明かりやカンテラの明かりがあるとはいえ、夜の屋上では薄暗い。

 もしかしたら、見間違えかもしれない。


 璃王は、室内に入って髪を確認しようと立ち上がった。


 さて、今の時間、灯りの付いている場所と言ったら何処になるかな。

 自室で確認するのも良いが、恐らく時間的にレイリスは眠っているだろう。

 明かりを付けて、彼女を起こしたらそれは可哀想だ。


 璃王は、唯一開いているだろう、食堂へ足を運ぶことにした。

 そこに誰も居ないことを願うばかりだ。


── ──


―― ――


「はぁー、何てタイミング……」


 間が悪い事に、炎寮・幻寮側の食堂には、人影があった。

 何かただならぬ雰囲気を感じるので、入りにくい。


(てか……片方、ミオン?

 こんな所で何を……)


 特に覗き見をするような趣味はないし、早く立ち去ろうと思った。

 その時、目に飛び込んできた光景に璃王は驚愕する。


「えぇ……ッ!?」


 思わず出てしまった声。 慌てて璃王は口を塞ぐ。

 幸い、中の二人には聞こえていなかったようで、こちらに気付いた気配はない。


──ちょっと、幾らなんでもミオン、変わり身速すぎやしませんかね!?

 君の10年、一体何だったの!?


 余りの衝撃に口調が幼少の頃の物になるが、それを言ってる場合ではない。


 璃王の目に飛び込んできたのは、ミオンが誰かと抱き合ってる場面。

 これ以上の衝撃的な場面なんてあるだろうか。

 まるで、浮気現場でも見た様な、見てはいけない物を見てしまったような感覚。

 別に、彼女の恋愛事情まで首を突っ込もうとは思わないが……。


 璃王はその場をそっと離れた。


 仕方がないので、璃王は光寮と海寮の食堂まで足を運んだ。

 幸い、こちらの食堂もまだ閉まっておらず、人もいない様だった。


 さっさと髪の色を確認して人が来る前に寮へ戻ろう。

 これ以上、誰かに会いたいとも思わない。


 そう思いながら、樫で作られた扉に手をかけ、扉を押した時だった。

 不運とは、時に連続して起こってしまう様で。

 扉を開けたその先に、今──と言うか、今生ではもう二度と会いたくない奴が目の前に立っていた。


「あ……っ」

「何? 何の用があって来たのよ?

 こんな時間にアンタに会うなんて、不運以外の何物でもないわね」


 会いたくない人物──ネル・サクラギ。

 彼女は、璃王の姿を目の前に捉えると、途端に目付きを鋭いモノに変え、睨む様に璃王を見据えた。

 色の違う双眼が璃王を射抜いている。

 その目は、底知れぬ悪意と憎悪が渦巻いているかの様だった。


 無意識の内に璃王の肩が竦む。


──今はリオン(ぼく)じゃない。

 落ち着け、怯えてばかりではいられない。


 自分に言い聞かせる。


──今は任務中で、これはよくあるアクシデントだ。

 公私混同してる場合じゃない。


 そう言い聞かせると、大分落ち着いてきた。


「別に、お前には関係ないだろ。

 炎寮の生徒が光寮の食堂に来ようが、問題ない筈だ」


 璃王はネルを睨み返して、冷たく言い放った。

 ネルはそれが面白くないのだろう。

 鋭い目つきを更に釣り上げて、まるで般若の様な顔で璃王を見上げた。

 身長差の所為か、然程怖いとはもう、感じない。


 落ち着いてネルを見れば、何ら怖い事はない。

 怖いと感じたのは、トラウマというフィルターが掛かってたせいだろう。

 実際、幼い頃はネルが年上と言う事もあった為、ネルの方が大きく見えた。


 しかし、今は。

 発展途中とは言え、技術も実力も持っている今なら、彼女は怖いとは思わない。

 落ち着いてみれば、ただの体を張って自身を大きく見せようとする、小賢しい子鼠だ。


「ムカつくわね、昔から変わってない!

 寧ろ、昔の方が大人しかった分マシだわ!」

「!」


 璃王の冷淡な態度が気に入らなかったのか、璃王はネルに突き飛ばされる。

 しかし、そこまで力が強くなかった為か、それとも、案外自分の体が頑丈だった所為か。

 璃王は少しよろけた程度で、床に伏す事はなかった。


「それは──」

「お前ら、こんな夜中にどうしたんだ?」


 璃王が何かを言いかけるのと、別の方向から聞き慣れた声が呼び掛けるのが、ほぼ同時だった。

 璃王とネルは、声の方に目を向ける。


 そこには、カンテラを持ったレイナスが立っていた。

 璃王は驚いたように目を大きく見開き、レイナスを凝視する。


「レイナス……」

「レイナス先輩~ッ!」

「うぉッ!?」


 璃王の驚いたような声と、ネルの泣き付く様な声が重なった。

 レイナスに縋り、彼の顔を覗き込んだその眼には、涙が溜まっている。

 それを見て、狼狽えるレイナス。


──なんだ、この状況は?


 こんな場面に出くわしたのは初めてで、対処に困る。


「えぇっと……この状況は何だ?

 何があったんだ……?」


 困惑して、誰に聞くでもなく、レイナスは言葉を零す。


「別に……僕がここに来た時に、ネルと少し口論に──」

「嘘!」


 レイナスの問いに答えた璃王だったが、それはネルの涙声によって遮られた。

「え?」と困惑したままの顔でレイナスは、璃王とネルを交互に見る。

 璃王は、ネルの言葉に体が固まってしまった。


 こんな時に、幼少の頃の仕打ちを思い出すのは、やはりまだ、過去と決別できていない証か。


──また、ここでも同じことを繰り返すのだろうか?


 過去が蘇るような、息が詰まる感覚に襲われる。

 ネルと僕、レイナスはどちらの言い分を信じるのだろう──?


 無意識に心拍数が上がる──。


 璃王が思考を何処かへ飛ばしている間にも、ネルの口からは嘘八百が並べ立てられていた。


「リオンから、「昔の事を謝りたいから、話がしたい」って呼び出されて、ここに来たんです。

そしたら、いきなり殴られて……。

「何でお前が生きてるんだ」って……!」

「……」


 ご丁寧に涙を流す演出をしながら、嗚咽交じりに言ったネルに反論するのも馬鹿らしく感じる。

 レイナスからは、懐疑的な目を向けられ、璃王は黙った。


「本当……なのか、リオン?」


 何を言おうにも、言い訳みたく聞こえそうだよなぁ、これ。

 レイナスから嫌われるのは嫌だが──。


 黙っていても仕方がないので、璃王はとりあえず、否定する。


「僕がそいつをこんな所に呼び出して、殴って暴言を吐く理由はない。

 僕はただ、確認したい事があってここに来ただけだ」

「確認したい事?それは──」

「悪いが、その質問には答えられない。

 僕の個人的な事だ」


 レイナスの問いかけを遮る。

「そうか」とレイナスは疑問を押し殺して、無理やり納得して引き下がった。


「……まぁ、レイナスが誰を信じて何を信じようが、僕には関係ないがな。

 好きな方を信じればいい」


 レイナスが無理やり納得したことが何となく解った璃王は、それだけを言うと踵を返した。

 本当は、信じて欲しいのは自分の方だけれども――。

 彼がどちらを信じるのかは、彼次第なのだ。

 自分を信じるのも、ネルを信じるのも、全ては彼次第だ。


「あっ……と、リオン!」


 歩き出そうとしたその背中に、レイナスは声をかけて、璃王の足を止めようと彼女の細い手首を掴んだ。

「何だ?」そう問うた璃王の声は、警戒心が窺える声色だった。

 その声に思わず怯む、レイナス。


「あ……いや……」

「「悪魔の証明」ってヤツだ。

 ない事を「ない」と言うのは簡単だけど、それを証明する物は一切ない。

「無実の証明」ほど難しい物はないよな。

 第三者にとっては、「聞いた事」が100%の「事実」になり得る。

 だから、「僕を信じろ」とは言わない。

 実際、そいつはレイナスに縋って泣いてるんだから」


 それだけを言うと、璃王はレイナスを振り切って去って行ってしまった。


―― ――

── ──


「……リオン……?」


 光寮と海寮の食堂に向かっていたリトは、前から走ってくる足音に気付いた。

 前から走ってきたのはリオン。

 彼女はリトに気付く素振りを見せる事もなく、彼の横を走り去っていった。

 彼女の顔が見えた刹那に、その目が潤んでいたのが見えた気がした。


──あぁ、本当に面倒くさい。


 先ほど、セラから連絡があった。「リオンがトラブりそうだ」と。

「それが何?」と突き放して携帯端末を切ろうとすれば、「そんな事言っていいのかなぁ?」とクッソむかつく間延びした口調で問われた。

 リトは、秒で「解ったよ」と話を聞く姿勢を見せた。

 セラには、色々と弱みを握られている様で、それと日頃からのトラウマ量産で、ほぼ服従状態である模様。


 曰く、「リオンが光寮と海寮の食堂に行って、ネルと鉢合わせした」と。

 確かに、それは由々しき事態だ。

 特に、あの虚言癖自分大好き女がリオンにちょっかいを出さない保証はない。


 気が進まない、と思いながら、リオンだけは気になるので、リトは自室をこっそり抜け出して、光・海寮の食堂へと歩いていたのだ。


 そうしたら、リオンが食堂から走り去っていく。

 それを無視して、光・海寮へ歩けば、そこにはレイナス・リグレットとネル・サクラギの姿があった。

 その姿を見て、ある程度の事情を察する。


──あぁ、またこのパターンか。

 さて、どうしようかな。


 ここでそのまま絡んでも良いけど、このまま泳がすのもアリ。

 どうせ、今の出来事も、当事者でない僕が何を言った所で躱されるだろう。

 あのバカ女(ネル)の性格は一応、解っているつもりだ。

 僕やリオンが何を言おうが、それを信じ込ませる証拠はない。


 それなら──。


 リトは、食堂に居るレイナスとネルに気付かれない内に、そっとその場を離れる事にした。


 面倒くさいが、陰でできるサポートはできるだけする様にしよう。

 リオンを早死にだけはさせたくないしな──。


── ──


 寮へと戻ってきたリトは、自分のベッドへは上がらずに、下のベッドを覗き込むように身を乗り出す。

 そこには、ルームメイトの少年が間抜け面を浮かべ、気持ち良さそうに眠っている姿があった。


「ふへへ……リオンちゃぁ~ん」


 だらしない顔で鼻の下を伸ばして、そんな寝言をほざくルームメイトに殺意が芽生える。

 もし、「アウラ条約」なるものがなければ、この男を今、この場で蹴り殺していた事だろう。

 ムカつくので、リトは少年の腹に思いっきり肘を叩き込んだ。


――アウラ条約?

 知らんな、そんな物。


「おぼうぇ!?

 げほっ、がはっ!」


 あまりの鈍痛に、少年は飛び起きるとその場に咳き込んだ。

 苦しさに咳が止まらない。


「な……っ、げほっ、なんっ、誰!?」


 突然の痛みと苦しさに、少年はかろうじてそれだけを言うと、涙が浮かぶ目を上げて、襲撃者の顔を確認しようとする。


 目の前にいたのは、ルームメイトのリト。

 リトは、少年の様子を気に掛ける素振りもなく、唐突に切り出した。


「前話してた剣術大会。

 あれ、確かレイナス・リグレットが出るとか言ってたね?」

「あ、うん、言ったけど──」

「なら、僕も出るから。

 今からでも間に合うよね?」


 少年の言葉を遮って、リトは言った。その言葉を脳が反芻する事5秒。

 次の瞬間、少年は嬉しそうな顔をリトに向けた。


「本当!?出てくれるの!?

 本当に!?」


 嬉しそうに(はしゃ)ぎながら身を乗り出して訊く、少年。

 少年はずっと、リトを剣術大会に出るように勧めていたのだ。


「五月蠅いな、出るって。

 じゃあ、それだけだから」

「ああああ、ありがとう、本当に嬉しいよ!

 これで、僕らの学年は安泰だー!」


 リトは自分のベッドに上がろうと階段に足を掛けたが、思い直して、それをやめる。

「それと」と、リトは少年の胸倉を掴んだ。


「リオンに手を出そうものなら、殺して土の肥やしにするから、そのつもりで」


 それだけを言うと、リトは今度こそ、自分のベッドへ上がって行ってしまった。


 残された少年は、先ほどのテンションから一転、布団の中でガタガタと震えて夜を過ごすのだった。




@この世界の携帯端末


 現実世界のガラケーのようなモノで、通話・メールの送受信と写真を撮る機能がある。

 記憶媒体とバッテリーが一つになっている「メモリーチップ」を本体に差すことにより、使うことができる。

 メモリーチップはガラケーで言うところのFOMAろSDカードを合わせたようなモノである。

 とある暇人天才発明家が「小型で色々機能を持たせたものを作れば売れるんじゃね?」というゲスい考えの元発明されたのがこの世界の携帯なのだ。

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