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第二十一話 ドアーズの真実

邪神(ダーク・スピリット)…」

 萌黄はその言葉を、今、聞いたままに反芻した。この目の前の少年は、自分が人間ではないと、明言したのだ。人智を超越した存在。そして、その言葉通り、彼は自分が非常識的な存在であることを示した。自分に向けて放たれた無数の弾丸の動きを空中で停止させ、まるで風のようにその姿を消し去ってみせた。だがそれでもなお、こののほほんとした少年が、有体に言えば化け物であると言うイメージには、結びついていかなかった。だってあのミ・ゴのような。

(い、いや!ありえない!あんなの無し!絶対あんなの無しです!)

 思わず怖気をふるって、萌黄は首を振った。いくら有り得ないことは有り得ない、そんな世界だとしたって、こんなにふわふわのコーンブロンドを波打たせた無邪気そうな少年の正体が、あの触手の化け物と同じ怪物だなんて受け入れられない。

「大丈夫だよ、お姉さん。おれはあんたの望まない姿には、決してならない。おれの本当の姿は、普通の人間には認識できないようになってるから」

 少年は言うと、さっきやったように自分の手を透き通らせて、そこだけ視えないように消してみせた。

「例えばまあ、これは光の屈折率を変えているだけだけど、おれが司れるのは、この世界に存在している風、気体の流れを生み出すもの全般だ。見たところこの星の空気のほとんどは窒素、そして酸素で出来ているわけだけど、おれたちはこの物質の活動を自由に操ることが出来るわけでね」

 少年は消えた右手を再び出現すると、その手の中に小さな竜巻を作ってみせた。それは小さいが確かに竜巻だった。いつの間に握ったものか、その中に古い一セント硬貨が、鋭い風に嬲られて、表裏を見せながらくるくるとらせん状に躍っていた。

「おれは空気を『振動』させることも出来れば、殺すことも出来る。空気が死んだ世界では、弾丸は推進力を喪うってわけ」

 ちなみに真空の概念は、この十九世紀にはすでに認識されてはいたが、化学の領域である。宇宙空間における真空は定義されていない。弾丸推進力が何によって起こるかは、萌黄たちの理解の外だが、それでもハスターの起こした奇跡の物凄さばかりは目の当たりにした人間が掛け値なしに信じるほかはない、真実であった。

「話は分かった。お前は、風を操る」

 証拠にレズリーは、理解の範疇(はんちゅう)で話を打ち切った。

「そして、ドアーズではない」

「そう。おれが本当の存在になると、あんたたちの脳では認識しきれない。情報量が多すぎて、たぶん、発狂するだろうねえ」

「脅かしてるつもりかよ」

 弾正が、柄を下げながら凄む。

「怖いなあ、ただ本当のことを言っただけだってば。要は何が言いたいかって言うと、連中の狙いは、おれたちみたいな邪神の正体を認識できる脳を持つ人間。すなわち、新しい知覚に目覚めた人間たちなんだ」

「それで、新知覚能力者(ドアーズ)と言うわけか…」

 レズリーはその言葉を反芻すると少し、考え込んだ。

「つまり邪神たちは、人間の中に自分たちの存在を認識できる新たな種族が現われたことに、危機感を抱いている。そこで尼二封妃のように、この世界にいるドアーズたちを残らず葬り去ろうと言う存在が現われたわけだな」

「ブッブー!…おっちゃんさー、深く考えてるようであーんま人の話聞いてないねえ。ちなみにおれも邪神だけどさ、別にドアーズのことなんかなんとも思っちゃいないし、逆に連中のお陰で、おれたちみたいな存在が存在しやすくなったわけだから、歓迎してるっつの。て言うか、だったらどうしてわざわざ、脳味噌を奪うなんて面倒で目立つ殺し方をしなきゃならないのさ?全然、的外れだね」

「…すまん」

 ハスター、言いたい放題である。だが、考えてみれば道理ではある。ドアーズが邪魔な存在ならば、わざわざ洗脳することもなく、死ぬまで待ってから脳味噌を奪うなどと言うことをすることもなく、ただドアーズらしき人間を見つけて抹殺すれば話は済むことなのだ。やはり、この問題に行き着く。

 どうして、脳味噌なんだろう…?

「ドアーズって言葉の意味をもう一回、考えてみなよ。それにニャルラトホテプは、突然現れたんじゃないぜ。あんたたちが考えているより遥かにずううっ…と前から、今の計画に向けて動き出していた」

「計画?…やっぱり今の尼二封妃や教団の動きは、すでに考え尽くされたものだったんですね?」

「もちもち。ニャルラトホテプなんて、千年前ぐらいから色んなことやってるわけよ。不思議に思わなかった?なんで中国から来たばかりのニャルラトホテプが、いきなりこの国の教団を手足のように使うことが出来るのか?ずうっと前から、用意してたからだよ。恐らくそのときは全然違う姿で、尼二封妃とは違う名前を名乗ってたはずさ」

 千の顔と千の姿を持つ。それがニャルラトホテプの本性だと言う。この邪神は人間の歴史に深く関わる動きをすることが多く、長い時間をかけ、着々と人間たちを操って、世界に混乱を巻き起こしていると言う。

「『這い寄る混沌』と言うのが、やつの異称なんだよ。まーたぶん本人が言って広めてんだと思うけど」

「でもそんなに長く前から…」

 萌黄はさすがに絶句した。『ネクロノミコン』が誕生した時代からしても少なくとも、五百年以上を経ている。まさかそれ以前からこの世界に登場し、人間たちの歴史に干渉しているなんて思いもしなかった。

「あー考えない方がいいよ、気が遠くなるだけだから」

「言われねエでも考えるかよ。ふん、だからあの女は化け物だッ、って言ってんだ。化け猫だって百年生きらア、不思議でもなんでもねえや」

 弾正の一言で我に返ったほどに萌黄など気が遠くなっていたのだが、よく考えてみればこの場合、弾正のように考えるのが正解だとレズリーは思った。考えても仕方ない。ニャルラトホテプは人類の歴史の中に確実に存在し、そしてこれからも干渉を続けるのだ。

「それより今の尼二封妃の目的を教えろよ。…何百年も前から用意されちまってるんじゃア、いつまで経っても追いつけねえだろうが」

「そうだね、でも諦めきれるの?」

「馬鹿言え。誰がそんなこと言った。本人目の前にすりゃ、用意もくそもねえさ。真っ向から一発ぶった斬れば、片が付くだろ」

 弾正が柄を拳で叩いて誇示してみせると、ハスターはけらけらと無邪気に笑った。

「はははははっ、単純な人だなあ。でもまー案外、あんたみたいな単純な人間を、あの女は一番嫌がるかも知れないねえ」

「ッたり(めえ)よ。おれ様はな、天下を取る男、早瀬だんじょっ」

 絶好調の弾正を、萌黄は押しのけた。

「先輩、話の腰を折らないでくれますか。…しかも噛んでるし」

「てめえが押すからだろッ!」

「(黙殺)さっきの話の続きです。尼二封妃…ニャルラトホテプの目的は?そんなに準備する価値があるものなんですか?」

「価値はある」

 ハスターは即答した。

「でもそれは、おれたち邪神にとってでしかないけど。元々、時間と手間のかかることだ。でもなぜか人間の中に、ドアーズが続々と現れるようになって、大分手間が省けたんだよ。だから必死こいてるわけ」

「どうしてドアーズの脳味噌を、必死こいて集めようと言うのだ?」

「『門』を開くためさ」

 ハスターはついに物事の核心を突いた。

「『門』だと?」

「そうおれたちの世界へのチャンネル。いいかい、ドアーズと言うのは、その新しい知覚自体が小さな(ドア)なんだ。でも、扉からはそれに見合った小さなものしか、出入りできない。鍵穴から中をのぞけても、こじ開けて出て行くことすら出来ない。そこで考えた。小さな『扉』を集めて、大きな『門』を創ろう、と」

 それがニャルラトホテプの裏で、糸を引く存在だと言う。

「そいつは何者なんだ」

「聞かない方がいいけど、まあ、言っちゃおう。…そいつはすべての世界と隣接し、すべての次元の門となる存在」

 少しの躊躇のあとハスターは禍々しいその邪神の名を、口にした。

「ヨグ・ソトホース」


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