第83話 天魔の少年と降魔の少女
王者の風格。
それは、ネザクが魔王として国を支配していた時分において、彼に欠けていた最たるものだった。だが、『それ』は違う。誰がどう見ても、絶対の王者だ。覇王であり、帝王だ。瀟洒な鎧に身を包む堂々たる体躯。額には金の王冠。白く長い髭は老人のようでありながら、紅く輝く眼光には、見る者すべてを平伏させずにはいられない迫力がある。
実際、暗界第五階位の『魔』、暗黒の帝王ブラックバロックには、《強制死配》と呼ばれる特異能力がある。相対しているのがネザクでなければ、今頃はこの帝王にこうべを垂れ、自らの命を差し出してしまっていることだろう。
「……発動、《天魔法術:無月の反響呪法》」
ネザクは、手に持った天魔の錫杖を軽く振る。すると、先端の輪に付いた小さな金具が小気味良い音を立てた。二度三度と振るたびごとに、音は二重三重に周囲へと響き渡り、やがてネザクとブラックバロックを包む不可視の結界を構成していく。
この時点でブラックバロックは、己の《強制死配》がネザクに通じないことを悟ったのか、物理的な攻撃手段に訴えてくる。帝王の手には、巨大なトゲ付きの鉄球に繋がれた太い鎖があるのだが、唐突にそれを振り回し始めたのだ。
人間どころか大地まで割り砕きかねない超重量級の鉄球は、風切音、というより暴風を周囲に巻き起こしながら目にもとまらぬ勢いで回転し続けている。第五階位という高位の『魔』が持つ、化け物じみた身体能力。その力が、いかんなくネザクめがけて叩きつけられる。
「悪いけど、『魔王』は僕だよ。君じゃない。……発動《天魔法術:無月の強化呪法》」
言いながら、ネザクは錫杖を振りかざす。軽く腕を振ったようにしか見えないのに、その一撃は鉄球の形を大きく歪め、あらぬ方向に弾き飛ばして地に落とす。
激しい轟音と地響き。周囲にまき散らされる衝撃波は、ぐらぐらと地面を揺らすが、その振動でさえネザクの《反響結界》に封じ込められ、カグヤたちのいる場所へは届かない。
「災害級の癖に全然喋らないし……、僕の呼びかけは愚か、『ルナティックルール』にさえ反応なしか。なんだろう? 僕の『ルナティックミラー』に近いものなのかな」
呟きながらネザクは、強化呪法で速度を増した脚力を使い、暗黒の帝王の背後をとる。
「これはどうかな? 『ルナティックドレイン』」
真紅のマントの上から、ネザクは自分の素手を押しあてる。マントとは言え、『魔』の場合、それは肉体そのものと同じだ。つまり、ネザクは彼に直接触れていることになる。
何かが萎むような音を立て、消滅していくブラックバロック。
「うん。ってことはこれ、『月の力』が元になっていることには違いないんだね」
周囲に収束する『真月』の気配。それはそのまま『黒く』染まり、やがて再び王者の姿を形作る。ネザクはそれを眺めつつ、息をついた。
「じゃあ、残る手段はひとつしかないかな……」
一方、エリザはと言えば──
「なにこれ!? これで何回目?」
エリザは、今回出現した敵の中でも最も危険な相手と交戦を続けていた。
暗界第四階位の『魔』にして災害級最強の存在、堕落天王ルシフェル。漆黒の六枚羽根を背中に広げ、暁闇の空を悠然と羽ばたき、生きとし生けるものに恐怖を刻む悪魔の化身。
しかし、エリザは、城塞都市どころか国家そのものを単体で滅ぼしかねないこの化け物に対し、すでに八回の勝利を収めている。
そして……九回目。触れる物すべてを破壊する《絶対禍塵》の黒翼を斬り裂き、真紅の水晶剣に纏わせた金の炎を叩きつけて相手の動きを牽制しつつ、その首を斬りおとす。
「よし、今度こそ!」
エリザは会心の声を上げるものの、次の瞬間には血相を変えて左手を掲げる。
「うわっと!」
ルビーの輝きを宿す楯を左手に構え、飛来する無数の羽根を受け止める。楯に着弾した羽根こそ、エリザの力で蒸発するように消えていくが、周囲の地面に着弾したものはそうはいかない。激しい爆発を巻き起こし、地面をえぐりながら衝撃波をエリザ自身にまで叩きつけてくる。
「いててて!」
大したダメージではないが、それでも集中力を妨げられる。気づけば、再び頭上で羽ばたく悪魔の姿があった。
「ううー! しつこいなあ……」
エリザは立て続けに降り注ぐ黒羽根の雨を紅楯で防ぎつつ、忌々しげにルシフェルを睨む。『魔』に対する特別な力を有する彼女にとっては、たとえ敵が災害級最強の『魔』であっても苦戦するようなことはない。だが、この場合は話が違った。
「くっそう……あんな風に空を飛ばれたんじゃ、なかなか剣が当てられないよ」
空飛ぶ悪魔。飛行能力を持たないエリザにとっては、実に厄介な敵だ。もちろん、弓矢やブーメランといった武器を具現化して攻撃することもできたが、ルシフェルの動きは恐ろしく速い。アリアノートほどの弓術の腕を持たない彼女には、命中させることは困難だった。
「それに、この剣、不思議と手に馴染むんだよなあ……」
『星心克月』の訓練時に芽吹いた力は、ネザクとの激闘の中で『紅水晶の神剣』という形となって開花した。
かつては様々な武器を具現化することの多かった彼女も、最近ではもっぱらこの《英雄兵装:斬月の降魔神剣》を使うようになっていた。
「こうなったら、徹底的に斬ってやる!」
エリザは、何度目になるかわからない跳躍の体勢をとった。敵の動きを見極め、自身の身体を弾丸のように突撃させて、宙に浮かぶ堕落天王へと迫る。真紅の剣閃は黄金の輝きと共に悪魔の胴を薙ぎ払い、真っ二つに切り裂いた。
「これでどうだ! ……って、また!? もう、やだあああ!」
間髪入れずに現れたルシフェルの姿に、半泣き気味のエリザ。もちろん、並の人間なら軽く百回は死んでいる状況だ。こんな状況で冗談じみた悲鳴を上げていられるのは、彼女ぐらいのものだろう。
と、その時だった。
「エリザ! ここは僕に任せて!」
「え? ネザク?」
勢いよく駆けつけてくるネザクの声に、エリザは驚いて振り返る。それを好機と見たルシフェルは、掌に《絶対禍塵》を収束して投げつけようとした。だが、ネザクの動きは、それ以上に速かった。跳躍しながら手にした錫杖を堕落天王の額に叩きつけ、その頭を打ち砕く。
「大丈夫?」
「ああ、大丈夫だよ。まさかネザク、あっちの王様みたいな奴、もうやっつけてきたの? むー、悔しいなあ! 先を越されたか」
言葉とは裏腹にけらけらと笑うエリザに、ネザクは首を振る。
「ううん。ブラックバロックなら、ここにいるよ」
ネザクはそう言って、黒く染まった自分の左手を指し示す。
「うわ! なにこれ、気持ちわるっ! ……じゃなくて、大丈夫なのか? これ……」
「うん。どうもこの遺跡の中だと、こいつらは何度でも同じものが復活を繰り返すみたいだったから、『ルナティックアームズ』の要領で手の中に存在そのものを閉じ込めたんだ。僕の『ルナティックミラー』と違って、複数同時には出てこないみたいだったしね」
「なるほど、だからかあ! もうさっきから十回くらいやっつけてるのに、全然倒せないんだもん。びっくりしたよ」
「……堕落天王と正面切って戦って、そんなにあっさり十連勝できちゃうのは君くらいのものだろうね」
呆れたように言うネザク。
「あれ? そう言えば、ルシフェルが復活してこないけど……」
「うん。たった今、右手に閉じ込めたからね。ただ、これで僕は両手がまともに使えなくなっちゃった」
「つ、使えなくなったって、なんでそんな無茶を?」
「だって仕方がないでしょ? 今の敵の中じゃ、第四階位と第五階位は別格だし、僕が抑えこんでおかないとね」
「そ、そうじゃなくって! ネザクの両手がもう使えないなんて、あたし……嫌だよ」
躊躇なく彼の黒い手を取り、悲しげな顔で言うエリザ。そこでネザクは、彼女の勘違いに気付く。
「え? ああ、違う違う。解放すればすぐ使えるようになるってば。まあ、今はこんな色だから誤解するのも無理ないけど……」
言いながらも、エリザにしっかりと両手を掴まれたネザクの頬には、わずかに朱が差している。
「そっか! よかった。じゃあ、皆もおんなじ状態だろうし、急いで戻ろう!」
「うん。そうだね」
二人はカグヤたちの元に走り出す。
──実のところ、カグヤは周囲に魔法を吸収する《闇》を張り巡らせながら、感心する思いで特殊クラスの戦いぶりを見つめていた。
「ああ、もう、しつこいですわね!」
リリアは、掌から伸びた紅い槍を虚空に突き出す。その先には、ルーファスの生み出した《糸》に絡め捕られた暗黒の騎士。本体である剣を砕かれた『魔』は、なすすべもなく消滅していく。だが、二人は休むことなく次の行動に移っていた。
「発動、遅延型白霊術、《鋭き茨の柵》」
事前に構築を済ませていたルーファスの白霊術が、予測される『出現地点』で発動し、復活した直後の凶馬マルガが輝く茨に足を取られて動きを止める。
「発動、《水鏡兵装:黒雷弓》!」
放たれる黒雷の矢は、一撃で凶馬を仕留め、その余波が騎乗する暗黒の騎士ジェダを巻き込んでいく。その隙に、ルーファスは再び設置型白霊術を周囲に展開し、騎士の特攻を待ち受ける。
確かに、敵が放つ遠距離攻撃の大半をカグヤが防いでいるというのは大きいだろう。だが、それでも災害級には凄まじい身体能力がある。そんな化け物を相手に、まだ年若い少年少女が精密に同じ手順を繰り返し、何度も殲滅を続けているのだ。
「とはいえ、これじゃいつか限界が来るわね。……どうにか、最奥部までこの子を連れて行かないと……」
カグヤは、エドガーに背負われたリゼルに目を向けた。力の大半を失い、意識も戻らず、眠りについた闇色の髪の少女。彼女を背負うエドガーは、悔しそうに周囲を見渡しているが、彼が動くことはカグヤ自身が押しとどめていた。
リゼルアドラさえ力を取り戻せば、ここの『魔』を鎮めることは可能だ。カグヤには、それがわかる。だが、逆に彼女を失えば、ここを無事に脱出する方法ことすら厳しくなるだろう。背後を見れば、今もアリアノートとルヴィナが必死で『魔』の大軍を食い止めている。
「……頼りの二人もあれだけ高位の『魔』を相手にしているとなるとね」
いかんともしがたい状況に、悔しげに唇を噛むカグヤ。するとそこへ、聞き慣れた少女の声が聞こえてきた。
「みんな! 大丈夫?」
紅い閃光が地を這うように向かう先には、一瞬の隙を突いて均衡を破り、ルヴィナたちに迫る『魔』の一団があった。
「発動! 《降魔剣術:斬月の疾風連斬》」
駆け抜け様に高速で振るわれた斬撃は、それなりに高位の『魔』を含むはずの一団を、あっけなく細切れに切り刻む。そしてそのまま、急激に方向転換をかけたエリザは、アリアノートの牽制攻撃で体勢を崩す堕剣士グラウルダロスを斬り裂いた。さらに続けて走り抜け、今にもルーファスの設置型白霊術に飛び込もうかという暗黒の騎士を一刀両断に叩き斬る。金の炎が騎士の身体を包み込み、手にした剣ごと灰へと還す。
「助かったわ! ありがとう!」
「ふう……これで一息つけますわね」
ルヴィナとリリア、二人の少女から安堵の息が漏れる。何と言っても一瞬も気の抜けない攻防を繰り返し続けていたのだ。この状況で平然としていられるのは、元から驚異的な集中力を有するルーファスと、そしてもう一人ぐらいのものだ。
「よし、今のうちだな。……カグヤ、お前ならこの状況、どうするべきか心あたりがあるのではないか?」
この機を待っていたかのように、アリアノートは冷静な声でカグヤへと問いかける。
「ええ……」
リゼルアドラの最奥部への到達。それが今回の『勝利条件』だ。だが、そのためには、それまでこの戦線を維持しつつ、彼女を敵から守りながら進まなくてはならない。
「なるほどな。……だが、リゼルアドラがこの状況を鎮められるなら、そもそも彼女に護衛は必要ないのではないか?」
「でも、彼女の『運び手』には必要でしょう? ここの『魔』は、わたしたちの意志なんて関係なく襲ってくる。交渉の余地はないのよ。リゼル以外にはね」
「そうか。ならば、このままここで敵の侵攻を食い止めるチームと、先に進むチームとに、分けるべきかな」
「……まあ、ほとんど進むチームで良さそうだけどね」
カグヤは、呆れたように『そちら』に顔を向けた。
「てい! せや! たあ!」
縦横無尽……否、傍若無人に暴れまわる赤毛の少女。彼女の激しい動きに合わせ、金の輝きと真紅の閃きが宙に踊り、そのたびごとに『魔』の姿が搔き消えていく。
「あはは。じゃあ、ここは僕とエリザに任せてくれていいよ。僕だって、両手が使えなくても戦えないわけじゃないしね」
ネザクの周囲には、再び無数の『魔』が出現している。暗界を除く四月のあらゆる『魔』だ。両手で災害級の『魔』を封印しているせいか、災害級こそ見当たらないようだが、戦術級なら数えきれないほど混じっている。
忠実な『魔王の軍勢』たる彼らは、ネザクの号令と共に、一斉に後方から迫りくる暗界の『魔』の集団めがけて襲いかかった。
「あ、そうだ。エリザ。間違って僕の『魔』までやっつけないでね」
「え? うん。頑張る!」
元気よく返事するエリザ。
「いやいや、エリザ? 頑張らなくっても、わざわざ暗界以外の『魔』だけを召喚したんだから……えっと……区別、つくよね?」
不安げに尋ねるネザク。
「うーん……。うん! あたしに殺気を向けてくる奴だけやっつける!」
「うん……。まあ、それでいいや」
周囲に無数の『魔』が押し寄せてくるというこの状況で、なんとも呑気な会話を交わす二人の少年少女に、カグヤとアリアノートは顔を見合わせて苦笑する。
「……まったく、つくづく非常識な二人だな」
「そうね。それじゃ、ここは二人に任せて先を急ぎましょう」
暗界第三階位の『魔』にして、月界にとっての生命線でもある『月の牙』の一本。
星界においては『欲望の迷宮』とも称される忌むべきダンジョン『心象暗景メイズフォレスト』は、少年魔王と英雄少女の二人によって、ただひたすらに蹂躙され続けていた。
次回「第84話 暗愚王と吸血の姫」




