第45話 英雄少女と禁月日(上)
『禁月日』
それは星界において、各季節に一日ずつ訪れる災厄の日である。四つの月界を象徴する四つの色の違う月。各々の季節に、それらが最もこの星界に接近する日だとも言われている。
事実、『禁月日』には野生の獣が月の光に狂うことが多く、結果として凶暴な『月獣』が大量に発生する。ただし、『月獣』自体は確かに凶悪な存在ではあるものの、人の力で退治できない相手ではない。
『禁月日』における最大の災厄。それは、何と言っても『魔』の自然顕現だ。
普段であれば月召術師に召喚されでもしない限り、この星界に顕現することのできない人外の化け物。だが、この日に限っては、その常識は通用しない。
規則性があるかどうかも不明だが、年に四回訪れる禁月日のうち、最低一回は、召喚されてもいない『魔』が顕現することがある。さらに性質の悪いことに、そうして自然に顕現した『魔』は、人に召喚されたものの比ではない強さを誇っていた。
そのため、禁月日には外を出歩く人々は極端に減る。もっとも、外に出なかったところで、一度自然顕現した『魔』は誰かに退治されるか、力を使い尽くして送還されるまで、星界に災厄をまき散らし続けることになるのだが。
とはいえ、一度に自然顕現する『魔』は、多くても数体程度。その中に高位の『魔』が混じる可能性も高くはない。そもそも仮に禁月日に外を出歩いていたところで、広い星界でそれに遭遇することなど、余程に運が悪い人間でなければあり得ない。
そう、例えば彼らのように──
「ほら、こっちこっち! あの高台の上からだと、すごく星が綺麗に見えるんだ」
「ね、ねえ……今日は禁月日よ? やっぱり少し怖いわ……」
「大丈夫だよ。こんな日だからこそ、いいんじゃないか。……邪魔する連中もいないしね」
「え?」
「あ、ううん。なんでもないよ」
そんな会話を交わしながら歩くのは、まだ年若い少年と少女だ。一目でルーヴェル英雄養成学院の生徒だとわかる制服に身を包み、夕闇の中を歩いている。禁月日だということもあり、町の中には人もほとんど出ていない。彼らが歩く道はといえば、それに輪をかけて人通りのない、寂れた裏道だった、場所としてはそれほど学院から離れていないものの、少女の方は早くも怖じ気づいている。
「大丈夫、大丈夫。僕の実力、知ってるだろ? 『月獣』とかが出てきても、僕が必ずレナを護るよ!」
「クリス……。うん。ありがとう」
会話からすれば、恋人らしい二人組。青く輝く『蒼月』の光に照らされて、二人の影は街並みの中に長く尾を引いている。
〈ウフフ……仲が好さそうねえ〉
全身に鳥肌が立つような、気持ち悪い声。少年と少女は立ち止まり、周囲を見回した。月明かりの下、それまで誰もいなかったはずの通りの中央に、不気味な人影がぼうっと浮かび上がっている。
「だ、誰だ!」
少年はその人物に向かって、威嚇にも似た声を張り上げた。
〈あらあら、威勢のいいボウヤだこと〉
あやふやだった輪郭が、その声とともにはっきりとしたものに変化していく。現れたのは、蒼い髪をたなびかせた妖艶な美女だった。豊満な胸とくびれた腰の下に申し訳程度の布を巻きつけただけの服。ほとんど裸と言ってもよいような恰好で、惜しげもなく肌を外気にさらしている。
「うわ……すげ、なんだよあの胸……」
「ちょ、ちょっと……何見てるのよ、もう!」
突然現れた妖女へと視線を釘付けにする少年に、少女が不満そうな声をかける。だが、そんな微笑ましいやり取りも、妖女が次の言葉を発するまでのことだった。
〈はじめまして、ボウヤたち。わたくしの名は、アクティラージャ。偉大なるマハ様の司る霊界において、第五の位にあるものよ。……そうそう、『死霊の女王』の名で呼ばれることもあるかしら〉
「え?」
彼らには初め、彼女──アクティラージャの言葉が理解できなかった。だが、今日は『禁月日』だ。加えてこの妖女が放つ禍々しいプレッシャーは、曲がりなりにも英雄候補たる二人の少年少女に相手の正体を悟らせるには、十分なものだった。
「ま、まさか……災害級?」
「う、うそ……それも第五階位って、そんな……!」
禁月日に顕現する『魔』は、災害級でなくとも言葉を発することがあると言われている。だが、目の前の相手は、正真正銘、紛れもない災害級。災厄そのものともいうべき相手を前に、二人は月光に照らされる以上に顔色を青くして、その身を震わせていた。
〈そんなに怖がらないでいいのよ? 安心しなさいな、ボウヤたち。わたくし、聞きたいことがあるの。隠さずに教えてくれたら……優しくしてあげる〉
「う、あ……」
美しく響く女性の声は、それでも何故か、聞けば聞くほど気持ちの悪くなるものだった。喉がカラカラに干上がり、手足が重く痺れたように動かない。ひたひたと裸足の足音をさせながら、蒼髪の美女は少年の前まで歩み寄る。
二人には、それが死神の足音に聞こえていた。
〈『星辰の御子』はどこ?〉
「う、ああ……え?」
〈隠し立てすると、楽に死ねないわよ? この星界をマハ様の色で染め上げるため、わたくしたちは『星辰の御子』を手に入れる。さあ、教えてちょうだい?〉
月の光に青白く照らされるアクティラージャの手が、しなやかに少年の顎へと伸びる。この間、二人は身動き一つできなかった。だが、それは恐怖のせいではない。いつの間にか周囲にただよう死霊の群れが、彼らの手足から力を奪い取っていたのだ。
「し、知りません。……な、なんなんですか? その星辰の御子って……」
黙っていれば殺される。そう確信した少年は、精一杯の勇気を振り絞ってそう言った。
〈おかしいわねえ。霊賢王様の計算によれば、周期的にはそろそろのはずなのだけど……〉
顎を掴む妖女の手に力がこもる。あごの骨が、軋んだような気がした。あまりの痛みに涙を浮かべ、少年は必死に叫ぶ。
「いぎ! ほ、本当に知らないんです! それが何なのか知ってたら、話してます!」
〈……ああ、ごめんなさいね。わたくしったら早合点していたわ。星界の民の無知ぶりは、今に始まったことじゃないものね。じゃあ、言い換えましょう。最近、この星界に飛びぬけて強力な星喚術師は現れていないかしら?〉
「う、あ……ぷ、星喚術師? ア、アルフレッド先生のことでしょうか?」
〈名前までは知らないわ。で、その子は何歳なの?〉
「え? た、確か……二十六歳くらいだったと思います」
〈そう……じゃあ、違うわね。……なあんだ、本当に知らないのねえ。あなたたち。拍子抜けだわ。がっかりね〉
アクティラージャはつまらなそうに言うと、少年の顎を掴んでいた手を離し、彼の胸元を軽く突く。
「うわっ」
手足から力を奪われた少年は、尻餅をつくように倒れ込む。蒼髪の美女は、それを冷ややかに見下ろし、冷たい金の瞳に愉悦の笑みを浮かべた。
〈じゃあ、お仕事は止めにして、ここからは趣味の時間にしようかしら。ボウヤたちには是非、いい声をあげて鳴いてほしいわあ……〉
どす黒い殺気に包まれるアクティラージャ。それを見て、少年は最後の力を振り絞るように叫ぶ。
「レナ! 君だけでも逃げるんだ! 逃げて先生にこのことを!」
〈ウフフ、駄目よ。逃がさないわ〉
「きゃ、きゃあああ!」
「レナ!」
気づけば周囲には、無数の骸骨たちが立っている。霊戦術で使役されるアンデッドだ。彼らは白骨化した不気味な腕で少女の身体を羽交い絞めにし、身動きを封じていた。
「いやあ! 離して! だ、誰か! 誰か助けて!」
「くそ! レナを離せ!」
少年と少女の叫びは、虚しく夜の闇に吸い込まれていく。
〈彼女が心配? いいわあ、そういうの。じゃあ、こうしましょう。今からあなたを、彼女の前で拷問して、死なない程度にぐちゃぐちゃに切り刻んであげる。だから、苦しんで苦しんで、彼女のトラウマになるくらい、のたうちまわってちょうだい。それができたら見逃してあげる。うふふ。殺すなんてもったいない。あなたたち二人には、ぜひ、『蒼月』の恐怖に心を染めてほしいものねえ〉
「そ、そんな!」
〈ウフフ。さあ、まずは太もものお肉を削り取ってみようかしら?〉
わらわらと少年に群がるアンデッド。その中には四足歩行の獣らしき骸骨も混じっており、今も残る鋭い牙を少年に突き立てるべく、口を開いた。
「いやあ! 誰か助けてええ!」
今にも始まろうとする恋人への凄惨な拷問を前に、少女が悲痛な叫びを上げる。
──と、その時だった。あたりを真っ白な光が包み込む。
〈なに?〉
驚いて目を細めつつも、その程度の光では目を焼かれることもないアクティラージャの視界には、細長い何かに貫かれ、貫かれた傍から次々と消滅していくアンデッドたちの姿が映っている。
「う、ああ、こ、これは……矢?」
尻餅をつく少年のすぐそばの地面に、光り輝く矢のようなものが突き刺さっていた。
「やれやれ、どうにか間に合ったようだな」
その声は、通りに面した一軒の廃屋の上から聞こえてくる。見上げれば、そこには蒼い月の光に照らされた少女の姿が一つ。
五英雄の一人にして、新緑の髪のハイエルフ。
『白星弓の守護妖精』アリアノート・ミナス。
見た目は少女だが、彼女の実年齢は二十代前半と言ったところだ。白く輝く弓を構え、表情らしい表情もないままに、彼女は蒼髪の『魔』を見下ろしている。
「ね? あたしの言った通りだったでしょ?」
さらにその背後からもう一人。赤髪の少女が顔を出した。こちらは正真正銘、実年齢どおりの姿だ。路上の二人と同じ学院の制服に身を包んだ、元気活発な英雄少女エリザ・ルナルフレア。
「ハイエルフのわたしより耳がいいとは、君には本当に驚かされる。追い返さなくて正解だったというわけか」
油断なく『魔』を見つめたまま、アリアノートは呆れたようにつぶやいた。
彼女には、『禁月日』の夜にパトロールを行う習慣があった。『禁月日』において最大の脅威となる『魔』。これをいち早く発見して撃退することで、彼女は人知れず故郷の森を守ってきたのだ。
無論、近隣に顕現するとは限らないので、無駄足に終わることが多かったが、それでも彼女のこうした活動によって、未然に防がれた災厄は少なくない。まさに英雄の鑑ともいうべき行動だった。
そして、そんな話を聞かされては、黙っていられないのがエリザだ。彼女は正面からアリアノートにパトロールの同行を頼み込んで拒否されると、すぐさま彼女の後を尾行した。それ自体は間もなく露見したものの、基本大雑把な性格のアリアノートは彼女を追い返すのが面倒になり、そのまま同行を許していた。もっとも、イデオンとの訓練を見て、エリザの実力を認めていたという面もあるだろう。
「二人とも! あたしたちが来たからには、もう大丈夫だぜ! 後は任せときな!」
力強い少女の声に、先ほどまで恐怖に震えていた少年と少女は顔を輝かせて頷きを返す。エリザの声には、窮地にある者の心を落ち着かせ、勇気を奮い立たせる不思議な力があるようだ。
「二人を送っていきなさい。……と言っても聞かないだろうな。君は。だが、ここは下がって見ていなさい。あいつはどう見ても『災害級』だ。油断できる相手じゃない」
〈……よくもわたくしの楽しみを邪魔してくれたわね〉
アクティラージャは、常人なら震え上がるだろう凄絶な殺気を眼光に乗せて、アリアノートをにらみあげる。しかし、当然のことながらアリアノートは、常人ではない。
「悪いがこの星界に、お前たちの居場所はない。さっさとお引き取り願おう」
〈おやまあ、『死霊の女王』たるわたくし、アクティラ-ジャを前にして、よくもそんな大言壮語が吐けますこと。なかなかの実力者のようだし、……そうねえ、ここはひとつ、この子たちの前であなたを拷問して殺そうかしら? どんなに強い者でも、我ら『蒼月』を前にしては、惨たらしく死ぬしかない。ウフフ、そちらの方が『印象度』は大きいですわね〉
くすくすと楽しそうに笑うアクティラージャ。するとそこへ、赤毛の少女がヤジでも飛ばすように呼びかけた。
「おーい、そこの痴女! さっきから拷問だのなんだの……悪趣味なことばっかり言ってないで、さっさとかかってきたらどうだ?」
〈んな! ち、ち、痴女ですって? この誇り高き死霊の女王たるわたくしに向かって! きいい! 小娘! お前こそ、そこから降りて来なさい!〉
エリザのあまりの言葉に、嫣然と微笑むばかりだったアクティラージャも血相を変えて怒鳴る。
「ぷ! くくく! あはははは! エ、エリザ……頼むから勘弁してくれ」
腹を押さえて笑ったのは、アリアノート。普段の彼女の無表情ぶりを知る他の人間が見れば、目を疑うほどの大爆笑だった。
「むう、そんなに笑わなくてもいいじゃん」
「いやいや……せっかくわたしが準備していた白霊術が、乱れるところだったぞ?」
「え?」
〈え?〉
エリザとアクティラージャ、二人が疑問の声を発した次の瞬間だった。
「ここじゃ、周囲に被害が出る。場所を変えよう。……発動《烈風の跳躍弾頭》」
その魔法が発動した場所は、ちょうどアクティラージャの膝上あたり。瞬間的に圧縮された空気の塊が一定方向に解放され、爆発的な破壊力を生み出す。白霊術の中でも比較的高位の魔法にあたるものだ。
しかし、災害級の『魔』を相手に、まったく気取られもしないうちに、これだけの至近距離で魔法を「発動」させるとなれば、それはもう、神業としか言いようがない超高等技法だった。
アリアノートには、『白星弓の守護妖精』の他に、もうひとつの二つ名がある。そして、その呼称は、一見して弓使いに見える彼女の、真の性質を如実に言い表すものだった。
いわく──最強の魔法使い。
〈がはっ!〉
斜め下から突き上げるように放たれた一撃に、さすがのアクティラージャもこらえきれず、凄まじい勢いで宙を吹き飛ばされていく。
「うわ、すご……。あれなら街の外まで飛んでったかもね」
「感心している場合か。追うぞ」
アリアノートは続いて周囲の風の流れをコントロールすると、建物の屋根伝いにかなりの速度で駆け出していく。
「うわっと! いきなり走り出さないでよ!」
エリザは、慌ててその後を追ったのだった。
次回「第46話 英雄少女と禁月日(下)」




