第31話 英雄少女と巨頭会談(上)
五大大国の一角、最強の軍事国家クレセント王国陥落のニュースは、瞬く間に星界全土を駆け巡った。攻め落とした者の名は、魔王ネザク・アストライア。国外からでは断片的な情報しか得られないとはいえ、それらを繋ぎ合わせれば、おおよその事実は掴める。
そうした情報によれば、クレセント王国は魔王軍の侵攻開始後、わずか二週間足らずで陥落したとのことだ。西方のリールベルタ領内から進軍が始まったらしいことから推測すれば、これはほぼ、王城まで一直線に進んだ場合の旅程にかかる時間に過ぎない。
つまり、まったく為す術もなく、敵の足止めすらできないままに、かの国は陥落したということになる。
「アルフレッド様。いかがなさいますか?」
学園都市エッダがあるエレンタード王国は、西のクレセント王国とは一部で国境を接している。『魔王』なる存在の正体も目的も不明ではあるが、短期間で大国を陥落させた実力と手際の良さを見る限り、その狙いが一国だけに留まらない可能性は十分にある。そういう意味では、エレンタード王国としても、このまま状況を放置しておくことは得策ではなかった。
「魔王だなんて、お伽話だと思っていたけどね」
「……無論、ただの騙りでしょう。本物のはずがありません」
「だが、事実としてクレセント王国は陥落した。月召術師団も相手にならなかったと言うし、ミリアナも今のところ、消息不明という話じゃないか」
かつての仲間の安否を思い、アルフレッドはきつく唇を噛む。
「魔王とやらが何者かは知らないけれど、手は打つ必要がある」
「では、やはり……?」
「ああ、皆もわかってくれるはずだ。地理的にも、ちょうど『ここ』が最前線になると言ってもいいだろうしね」
アルフレッドはそこで軽く息をつき、力強く宣言する。
「五英雄を招集する。僕らは、『魔王』を十年前の邪竜以来の脅威として認定しよう」
それは、彼ら五英雄の間で取り交わされた約束だった。彼らが存命中に世界に危機が迫った時は、再び国も立場も越えて、ひとつに結集しよう。邪竜亡き後に行われた和平会談の議場で、彼らはそんな誓いを交わしていた。
──それからさらに十日が過ぎた頃には、ルーヴェル英雄養成学院の生徒たちにも、情報は伝わっていた。
人の口に戸は建てられない以上、それはやむを得ないことだ。五大大国の陥落という、あり得ないようなニュースに浮足立つ生徒たち。中でもクレセント王国出身の生徒たちにしてみれば、故郷の危機だ。
彼らは口々に帰郷を申し出たが、さすがに学院としても認めるわけにはいかなかった。クレセントが陥落して三週間余り。今のところ、国境が閉鎖されたり、国内で酷い圧政が行われていたりといった情報は入ってこない。だが、逆にそのことが不気味でもある。
「ルヴィナ先輩は大丈夫ですか?」
訓練施設での実技訓練を終え、一般校舎へと移動する道すがら、エドガーは心配そうにルヴィナへと声をかける。
「え、ええ……大丈夫よ。まだ、はっきりした情報もないしね」
そうは言いながらも、ルヴィナの顔色は悪い。もともと白い髪に白い肌をした色素の薄い少女ではあるものの、今の彼女はそのまま消えてしまいそうな風情だった。
「で、でも、顔色が悪いですよ」
「うん。無理しない方がいいよ。訓練だって、まるで手につかないみたいだったじゃないか」
同じく隣を歩いていたエリザも、気遣うようにルヴィナの顔を覗き込む。普段は明るい彼女自身も、落ち込んだ仲間を前にしているせいか、表情に影を落としていた。
「ふふ、あなたまでそんな顔をしないで。大丈夫よ、あの国にはミリアナ様だっているんだから」
そのミリアナは、現在消息不明だ。彼女がここで特別講習をしてくれてから、まだ二か月と経っていないというのに。
「侵略者は『魔王』と名乗っているそうだが、あのミリアナ様でさえ敗れたとなると、なまじ名前負けはしていないのかもしれないな」
「ルーファス先輩! まだ、ミリアナおば……様が死んだと決まったわけじゃ……」
ルーファスの淡々とした言葉を受けて、エドガーは抗議するように彼を睨む。だが、ルーファスは軽く首を振った。
「俺も死んだとは言ってない。だが、あの気高い女性が戦いもせずに国を明け渡すとは思えない。少なくとも敗れたのは間違いないだろう」
「で、でも、そんな言い方!」
「いいのよ、エドガーくん。気を遣ってくれてありがとう。同じ月影一族とはいえ、わたし自身はあの人とそんなに面識があったわけじゃないわ。その意味では、あなたの方こそ辛いでしょうに」
「い、いえ、そりゃあ、心配ですけど。でも、あのおばさんのことです。しぶとく生き残ってるに決まってますって」
柔らかく微笑むルヴィナに、頬を紅潮させながら胸を張るエドガー。
「ふーん、後でミリアナさんに言っちゃおうかな? エドガーが『おばさん』って言ってたよってさ!」
「うえ? エリザ! ちょっと待て! それはシャレにならないって!」
茶化すように言ったエリザに、エドガーは大慌てで縋りつこうとする。
「あはは! 捕まらないよーっだ! じゃ、あたし、先に寮に戻ってるね!」
するりとエドガーの腕をかわすと、エリザは笑いながら駆けていく。
「あの子、思ったより元気ね。特別講習ではあの子が一番、ミリアナ様に感銘を受けていたし、最後にはあんなに懐いていたのに……」
ルヴィナは意外そうな声でつぶやく。
「そうですわね。……まったく、あの馬鹿娘は」
それまで黙っていたリリアは、駆けていく赤毛の少女の後姿を見つめながら、呆れたように息をついた。
──翌日、早朝。
「どこに行くつもりですの?」
朝の日射しにも、まだ早い時刻。静かな寝息が聞こえてきていたはずの寝台からの声に、エリザはびくりと身をすくませる。
「……はは、やっぱり、ばれちゃったか」
「当たり前ですわ。あなたの行動は単純すぎですのよ」
薄暗い室内で寝台から身を起こしたリリアは、その蒼い瞳をエリザに向ける。彼女は旅装を整え、かばんに替えの衣服や保存食などを詰め込もうとしているところだった。
「答えはわかっていますけど、もう一度聞きますわ。あなた、どこに行くつもりですの?」
「うん。クレセント王国」
「ばか。行って、どうするつもりなんですの?」
「ミリアナさんを助ける。そんでもって魔王を退治する」
それがどれだけの難事か、エリザにもわかっていないわけではないだろう。だが、彼女は決意を込めて、そう言った。リリアは、予想通りの答えにため息をつく。それから力強く顔を上げ、あらためてエリザを見つめる。
「……今からわたくし、あなたに酷いことを言いますわ」
「酷いことなら、いつも言われているような……」
「黙らっしゃい!」
ぴしゃりと、エリザを黙らせるリリア。
「いいこと? ミリアナ様は五英雄よ。少なくとも今のあなたよりは、ずっと強い人。その彼女でも魔王には勝てなかった。だから今のあなたでは、魔王には勝てないわ」
普段の気取った口調は使わず、リリアはエリザを諭すように言う。
「だから、なに? 勝てないからってあたし、諦めたりする気はないよ。ミリアナさんは、あたしにとって大事な人なんだ。あたしのことを褒めてくれたし、あたしなら素晴らしい英雄になれるって言ってくれた人なんだ。だから、あたしは、絶対あの人を助けに行く」
エリザは、生半可なことでは絶対に自分の言葉を曲げない。だから、リリアも生半可なことを言うつもりはなかった。
「まだ話は終わってないわ。わたしはね、あなたのやろうとしていることは無駄なことで、馬鹿なことだと言っているの」
「リリアがあたしのためを思って、そういう言い方をするのはわかるよ。でも……」
「黙って、と言ったでしょう? ミリアナ様がもし死んでいるのなら、助けることはできない。生きているとしても、今のあなたでは単なる足手まといにしかならないわ。──無謀にも勝てない敵に挑みかかって、結果、助けるはずの彼女に庇われでもして自滅する。わたしには、そんなあなたの姿が目に浮かぶようよ」
一息に言い切り、リリアはエリザの答えを待つ。
「……ははは。ほんとに酷いこと言うなあ、リリアは。じゃあ、どうしたらいいんだ? あたしはこのまま、何もしないでいるなんて絶対にできない! そんなあたしは……『あたし』じゃない!」
燃える炎のような思いをたぎらせ、エリザは言う。リリアは、そんな彼女に胸を張って言葉を返す。その蒼い瞳には、エリザに劣らぬ強い意思の光があった。
「わかってますわ。だから、わたくしたちはわたくしたちのできることをしましょう。幸いこの学園には、頼るべき先輩英雄もいるんですから」
──その日の昼休み。
午前中の座学を終えたエリザとリリアは、アルフレッドの姿を探して校内を走る。今の時間なら院長室にいるはずだとあたりをつけ、そちらへ向かう。だがその途中、二人は見慣れない人物の姿を見かけて立ち止まった。
いや、ただ見慣れないだけの人物であれば、止まる必要もなかった。だが、その人物は見慣れないだけではなく、怪しかった。それもこの上なく、怪しかったのだ。
細長い身体を黒いローブで覆い隠し、黒縁の眼鏡をかけた魔導師風の男。彼はなぜか、廊下の壁に身体を密着させている。正確には顔を横に向け、壁に耳を当てているのだ。
「…………」
エリザとリリアは、無言のまま顔を見合わせる。魔導師の男は、すぐそばまで少女二人が来ていると言うのに、気付いてもいないようだった。ただ、顔をだらしなくにやけさせ、ぶつぶつとつぶやいている。
「フフフ……。若い、若いねえ。可愛らしい声がたまらないよ。ああ、これがいわゆる、ガールズトークと言う奴だね。クフフ……」
「ガールズトークって?」
「フフフ、決まってるさ。若い女の子たちの赤裸々な会話のことだよ。よくあるだろう? コイバナとかさ」
「こいばな?」
「恋愛の話さ。まだ青いつぼみのような少女たちの、嬉し恥ずかし恋の話。だが、僕としては、やっぱりここは『彼ってやっぱり、胸が大きな女の子の方が好きなのかなあ?』とか、『キスってどんな味がするのかな?』とか、そう言った話が聞きたいところだねえ。クフフ……」
男は壁に耳を当てたまま、エリザの問いかけに軽妙な答えを返す。
「変態だ」
「変態ですわね」
二人の見解は一致した。というより、他の見解などあろうはずもない以上、当然のことだった。しかし、二人の場合、一致したのはそれだけではない。
「変態死すべし」
「変態駆除の時間ですわね」
「……僕が変態? フフフ、それほどでもないよ。……って、え?」
過激な結論は、過激な行為によって現実のものとなる。いや、流石にこの男──変態も死にはしなかったが、廊下中に凄まじい絶叫が響き渡った。
廊下の壁の向こう側の教室で、変態いわく『ガールズトーク』を盗み聞きされていた生徒たちはもとより、その他近隣の教室からも、悲鳴を聞きつけた生徒たちが次々と飛び出してくる。
彼らの目には、全身からブスブスと煙を上げ、身体中いたるところの穴に棒状の物を突っ込まれて痙攣する、一人の男性の姿が映る。
「やっと死んだか、このド変態」
「ふう……変態駆除も、楽じゃありませんわね」
赤毛の少女と白金ツインテールの少女。二人は荒く息をつきながら、気絶した男を見下ろしていた。ざわざわと周囲の生徒たちが顔を見合わせている。一階の廊下、院長室にほど近いこのあたりの教室は、上級生のクラスが利用している場所だ。
だから、彼らの中には、白目を剥いて倒れている男の姿に見覚えがある者もいた。だが、そんな彼らも悪名高い二人の少女に尻込みしたためか、何も言えずにいるようだ。そのため、目の前の『惨劇』はなおも続く。
「だいたい、なんでこんな変態が校内に? 警備の人たちは何やってるんだろうな?」
倒れた男をつんつんと足でつつき、エリザが不思議そうに首を傾げる。
「……は! エ、エリザ!」
リリアは何かに気付いたように目を見開く。それを見て、上級生たちもようやく気付いてくれたのかと、ほっと胸を撫で下ろした。が、しかし──。
「そいつ、気絶したふりをして、あなたのスカートを覗こうとしてやがりますわよ!」
「ええ!? ……こ、この変態、まだ息の根が止まってなかったのか!」
エリザの手の中に、ごつい星具が具現化する。
「フ、フフ……見事なり、縞々パンツ! もう僕には未練などない!」
「んな!? し、し、死ねえええ!!」
自分の下着の柄を公表されたエリザは、顔を真っ赤にしながらそれを振り下ろす。それはもう、確実に『殺す』勢いだった。
「ストップ!」
その腕を直前で止めたのは、院長室から飛び出してきたアルフレッドだった。
「な! 先生! 何で止めるんだよ!?」
「……いや、気持ちはわかる。うん。痛いほど気持ちはわかるんだけど、でも待ってくれ。さすがに北の大国エクリプスの王弟殿下を学内で撲殺したとあっては、外交問題どころじゃ済まないんだ」
アルフレッドの言葉に、硬直する二人の少女。
「は? エクリプスの王弟殿下?」
「あ、あの、それって、まさか……」
呆気にとられる二人に向けて、アルフレッドは深く頷く。無念の思いを全身で表現するように、肩を落として息をつきつつ、言葉を続ける。
「うん。まあ、俺だって信じたくはないんだけどね。でもこれが現実だ。彼はアズラル・エクリプス。五英雄の一人。黒霊賢者の異名を持つ、俺のかつての仲間だよ」
「……嘘でしょ?」
エリザとリリア──何かにつけて悪名高い二人の少女は、『大国の王族にして五英雄、その名も高き黒霊賢者を校内でフルボッコにしてのけた』という理由で、この日以降、これまで以上に恐れられてしまうことになるのだった。
「だって、こいつ。絶対ただの変態じゃん!」
エリザの叫びが校内に響き渡る。
次回「第32話 英雄少女と巨頭会談(下)」




