第30話 少年魔王とふたたびの戦争(下)
クレセント王国領内を進む魔王軍。その威容は大半が見せかけの物だ。だが、こうした見せかけでもない限り、『国』がこちらを相手にしてくれないのだから仕方がない。とはいえ──
「あの……ネザク様って、あんなにたくさんの『魔』を召喚しっぱなしで疲れないんですか?」
野営の準備を整えながら、ルカはこれまでの行軍中に疑問に感じていたことを尋ねる。近くではエリック配下の騎士たちがもう一台の荷馬車からテントや食料を引っ張り出しているところだった。
「え? なんで?」
ネザクは質問の意味が分からないといった顔で首を傾げる。可愛らしい仕草にさしものルカも思わず、とある衝動に駆られたが、どうにかこらえた。すると代わりというわけではないだろうが、すぐ隣を駆け抜けた影が、彼を思い切り抱きすくめる。
「きゃーん! 可愛いですう!」
「ちょ、ちょっと、リラさん!?」
ネザクは顔を赤くしながら、おたおたと彼女を引き離そうとする。
「ほら、リラ。ネザク様が困ってるでしょ? 話の最中なんだし、離れてよ」
「むー、ルカちゃんだってほんとは抱きしめようとしてたくせに」
「う……ま、まあ、それはそれとして」
図星を指されたルカは、気を取り直したように話題を戻す。
月召術は四月界に住まう『魔』を召喚し、契約によって彼らを従える術だとされている。対象となる『魔』の階位が高ければ高いほど召喚・契約には、より多くの魔力が必要となる。
ただし、一度召喚できた『魔』の具現化維持に必要な魔力量については、階位による大きな差はない。だが逆に、複数の『魔』を同時に維持するとなれば、階位に関わりなく、単純に倍数分の魔力が必要となるのだ。
「で、ですから今のネザク様の場合、二千倍の魔力が必要って計算になるらしいですけど……」
ルカはリールベルタ王国の首都テルエナンザに滞在中に、王城の書物庫で本を読み漁ったことがある。カグヤから字を教えてもらうついでに、せっかくならネザクの術について勉強してみようと思ってのことだった。
「うーん、そう言われてもなあ……」
ネザクは術師でありながら、うろ覚えでしかないルカよりも知識が足りないようだ。
「ふふ、ネザクにその理屈は当てはまらないわ。そろそろ敵さんも月召術師団を投入してくるでしょうけど、その時にはその意味も少しはわかるかもね」
いつの間にか会話に加わってきたカグヤは、少し疲れ気味の顔をしていた。
「大丈夫ですか? カグヤ様」
「ええ平気よ、リラ。ちょっとエレナを寝かしつけてくるのに苦労しただけだから」
「……寝かしつけるも何も、口喧嘩で負けそうになった挙句に、無理矢理魔法で眠らせたんだろが」
続いて会話に加わってきたのはエリックだ。彼は呆れたような顔で、一同の輪に加わる。騎士たちが起こした火を囲み、いつのものように始まる野営も、もう何度目のことか。
「人聞きの悪いことを言わないでほしいわね。あの子は慣れない環境で疲れてるのよ? そこを年上らしい気づかいで眠らせてあげただけじゃない」
いかにも心外だと言う風に語るカグヤだが、その場にいる者は全員が白い目で彼女を見ている。
「な、何よ! みんなして、そんな目で見て!」
「はあ……シュリ、ほんとにこの人についてって大丈夫かにゃ……」
シュリは、早くも前言を撤回するような言葉を口にする。
「だからって、俺についてこないでくれよ……」
エリックは、いつの間にか自分の隣に陣取っているシュリに半眼を向ける。彼女は金色の猫目で上目づかいに彼を見上げ、服の袖をしっかりと掴んでいる。
「ふっふっふ。シュリは大活躍だって、カグヤの姉様も言ってたよ。ねえ、エリックおじさま?」
「……どの道、この国を落とせなかったら、お前の給料なんか出ないからな」
「え? だってカグヤの姉様、めちゃくちゃ強いじゃん。大丈夫だよ」
きょとんとした顔で言葉を返してくるシュリに、エリックはやれやれと頭を振った。
「月召術師団はともかく、敵には『月影の巫女』ミリアナがいるんだぞ? 彼女の相棒にして、災害級の『魔』でもある銀翼竜王リンドブルムは、数多の戦場で数万の敵を屠ったと言われる化け物だ。この前のカグヤの術だって、リンドブルムには効かないんじゃないか?」
「そうね。恐怖を抱かない存在に通じる術じゃないわ。でも、月召術師団や月影の巫女が出てきてくれたら、その時こそ、わたしたちはこの国を獲ったも同然なんだけどね」
意味深に笑うカグヤに、エリックはそれ以上何も言わなかった。ようやくわかったが、カグヤは根拠のない自信は口にしない女だ。もっとも、それをちゃんと説明してくれる気が無いところが、エリックにしてみれば腹が立つのだが。
──そして翌日のこと。
カグヤの言う、その時がついに来た。
「白い髪で辛気臭い連中、二百人以上はいる」
これまでの戦いの結果、敵にどのような情報が伝わったのかは不明だが、クレセント王国は全身全霊でこちらを叩き潰すつもりらしい。リゼルの目で確認する限り、月召術師団の大半にあたる二百名以上の月召術師たちが勢ぞろいしているようだ。
「とうとう来たな」
エリックは緊張の唾を飲む。かつての邪竜戦争では、複数の国家が同時に複数の国と戦争をしていた。ゆえに、ひとつの戦場にここまで多くの月召術師団が集まったことなど、かつてないのではないか。
「エレナと、それからルカとリラは避難していた方がいいんじゃないか?」
エリックは一応、そんな提案をしてはみたが、カグヤは大丈夫だと首を振る。そして、あらためて行われる魔王の名乗りと降伏勧告。だが今度は、一笑に付されることはなかった。代わりに、敵軍の先頭にまばゆい白光が生まれたと思うと、直後には巨大な銀の鱗を持った一匹の飛竜が出現する。
「あれが、銀翼竜王リンドブルム……」
遠目で見ても凄まじい威圧感だ。ただの人間など、一息で吹き飛ばされそうな圧倒的な迫力。当然、あれを召喚したのは月影の巫女だろう。彼女は、いかなる手段を用いてか、こちらに『声』を飛ばしてきた。
「あなたたちが何者であれ、魔王を名乗る者に降伏するわけにはまいりません。どうやってそれだけ大量の『魔』を召喚維持しているかは存じませんが、銀翼竜王の前に数は無意味と知りなさい」
凛としていながら、物静かな女性の声。大戦を駆け抜けた英雄だけが持つ、味方を鼓舞し、敵を平伏させる覇者の言霊。けれどカグヤは笑って返す。
「言葉を返そう。魔王の前では、銀翼竜王など無意味。そう心得よ。降らぬと言うのなら、その身に魔王が恐怖、直接教え込んでやろうぞ」
「……僕がどんどん悪役キャラに」
必要以上に芝居がかった言葉を語るカグヤの意図は、相手に恐怖を与えることにあるようだが、月影の巫女に守護された彼らには、恐怖の色など微塵も見えない。
「ならば、これでどうです?」
声と同時、銀翼竜王の左右に、数体の『魔』が姿を現す。
獄界第八階位 剛魔獣ラスキア。
霊界第九階位 死刺虫ボルムスボルム。
幻界第八階位 千樹竜ユグドハイドラ。
暗界第九階位 処刑人アンダーペイン。
ご丁寧にも四月界すべての災害級を揃えてきたようだ。恐らくは、ミリアナ以外に災害級を召喚できる術者が四名いたということか。
「あれ? ラスキアってキルシュ城に置いてこなかったか?」
『魔』は災害級を超えると各階位一個体しか存在しないとされている。そのため、あの場にいるラスキアは、かつてネザクが召喚したものと同一のものであるはずだ。
「言わなかったかしら? いい加減、あの城を攻撃しようなんて輩もいないでしょうから、送還したのよ」
「……なるほどな。今となっちゃ、それも失敗だったか」
さすがのエリックも、目の前の光景には絶望的になった。一方で、どうしてここまで掛け値なしに全力で潰しに来たのだろうかという疑問が残る。
「そりゃ、彼等だって二千体の『魔』を召喚し『続ける』ことがどういうことかわかっているんでしょ。同じ月召術師だけにね。……ま、それも無意味に終わるけど」
「お、終わったにゃ……。なにあれ、信じられにゃい。あんなに災害級がいたら、国の一つや二つ、滅亡してもおかしくないのにゃ……」
動揺のあまり、シュリの口調もかなり怪しくなっていた。猫語が多かったせいか、エリックが無意識に彼女の頭をさすってやっている。
「さ、ネザク。いってらっしゃい」
「うん。行ってくる」
そう言うネザクの目は、紅くなっていなかった。息苦しさも感じない。エリックは慌ててカグヤに呼びかける。
「おい、ネザクはあのまま行く気か?」
「ええ、そうよ。まあ、見てなさいって」
戦場の真ん中に、一人で歩いていくネザク。見れば、月召術師団は他にも戦術級の『魔』を多数召喚している。本気で世界征服が狙えそうな戦力だった。
「こ、こども?」
一方、ミリアナはリンドブルムの背に乗ったまま、自陣に向かって歩いてくる少年の姿を呆然と見つめていた。だが、その少年が手を掲げるや否や、二千体の鬼たちが一斉に突撃をかけ始める。
「く! 迎え撃ちなさい!」
言いながらも、ミリアナの心は驚愕に打ち震えている。少年の動きを見る限り、あの二千体の『魔』はすべて、彼一人が支配している。明らかに、人間業ではなかった。
そして、二千体の鬼と災害級・戦術級の数十体は戦場の中央でぶつかり合う。少年の姿は二千体の集団に紛れてしまい、確認できなくなっていた。
獣人型の剛魔獣ラスキアは、丸太のような腕を振るい、迫りくる鬼たちをまとめて吹き飛ばす。
巨大なカマキリを思わせる死刺虫ボルムスボルムは、鎌の部分から致死性の毒をしたたらせ、周囲の鬼を次々と刈り取っていく。
竜の身体から樹木を生やした千樹竜ユグドハイドラは、鋭く伸ばした枝の先で、鬼たちを次々と串刺しにしていく。
全身に入れ墨を施した処刑人アンダーペインは、血濡れた鎖を振りかざし、群がる鬼たちの頭を撃ち砕いていく。
致命傷に匹敵する傷を負い、もとの幻界に送還されていく鬼たち。戦場の中央に取り残された少年は、そんな様子を平然と見つめていた。
「降伏しなさい! あなたのような子供が無駄に命を散らすものではありません!」
大方の鬼が殲滅できたところで、ミリアナは銀翼竜王を駆って少年の頭上へと飛び、降伏を呼びかける。いかに大量の『魔』を制御できようと、階位の差は覆しようがないのだ。
だが、そのとき──
「うわああ! ラスキアが!」
「な、なんでボルムスボルムが!?」
自陣から悲鳴が聞こえた。
「な、なに!?」
思わず振り返るミリアナの目に映ったのは、たった今、鬼たちを殲滅したばかりの『魔』のうち、災害級の四体が他の戦術級の『魔』に襲い掛かっている光景だった。
「な! 仲間割れ? まさか、暴走? いえ、今日は『禁月日』ではないはず……」
混乱するミリアナに、追い打ちをかけるように少年が呼びかけてくる。
「ほら、助けに行かなくていいの? あのままじゃ、みんな死んじゃうよ?」
「く!」
ミリアナはやむなく、銀翼竜王を駆って自陣に戻る。
「どうしたの! いったい何が!?」
「わかりません! いきなり制御を失ったとしか……」
部下たちの言葉も、要領を得ないものばかりだ。だが、戦況は最悪だった。災害級の『魔』は、戦術級とは桁違いの力を有している。たった四体でも敵に回れば、これを抑えることなど不可能に近い。
「こうなったら、わたしがやるしか……!」
〈あれをやるのか? だが、汝の心身に負担がかかるぞ〉
自分を背に乗せて羽ばたくリンドブルムは、気遣うような声をかけてくれた。ミリアナはそのことに安心しながら、首を振る。
「そんなことを言っている場合じゃないわ」
ミリアナはそう言って、リンドブルムの背に両手をついた。するとすぐさま、彼女の手は、竜の背中にずぶずぶと入り込んでいく。
『禁月日』に顕現した場合や暴走した場合などを除き、この星界に召喚された『魔』の強さは、主に『階位』と『術者との同調率』によって決まる。
これは彼女の『月影の巫女』としての最終奥義とも言えるもので、リンドブルムとの『同調率』を最大に高めるため、その肉体までもを融合させる離れ業だった。
「う、く……」
着ていた巫女装束を後に残し、ミリアナの姿は完全に竜と同化する。
「うわあ、すご……。あんなことできるんだ」
ネザクはその様子を、感心したように見つめていた。
一方、肉体までも同化することで、限界を超える同調率を得たミリアナと銀翼竜王は、なおも暴れまわる他の災害級に頭上から襲い掛かった。鋭い爪がラスキアの固い外皮をあっさりと斬り裂き、巨躯を誇る千樹竜を灼熱のブレスが焼き尽くす。
階位が上とはいえ、同じ災害級を相手に圧倒的な実力差をみせつけるリンドブルム。月影の巫女は紛れもなく、戦場の覇者だった。
──ただし、魔王に相対するまでは。
「……仕方ないわね。さすがにあれだけ同調されちゃ、簡単には『支配』できないでしょうし、封印を解いた方が無難かしら」
すでに月獣兵団のみとなった魔王軍の陣営で、カグヤは小さくつぶやいた。
するとその直後、戦場中央に立ち尽くしていたネザクは、自分の体の変化に気付く。
「……あれ? カグヤが封印を解除したのかな? ……ふふん、なんだかんだ言って心配性なんだよなあ、カグヤって」
自分が奪った災害級が倒されていくのを黙って見つめていた少年の目は、紅い輝きを帯びている。
「よし! これでこっちは片付いた。あとはあの少年……いいえ、『化け物』を滅ぼす! 今ここで倒さなければ、あの力は世界の新たな災いになりかねない……」
胸にわずかな気持ちの悪さを覚えつつも、ミリアナは戦場を俯瞰する。そして自陣が落ち着いたのを確認すると、再び少年の元へと飛翔した。年端もいかない少年とはいえ、世界のためなら、それを殺すことにためらいなどない。それが英雄たる者の責務だからだ。
が、しかし──
「ごめんね。それは僕が『支配』するよ」
「え?」
少年にブレスを吐きかけようとした『彼女』の身体は、ぴたりと動きを止める。
「こ、これは……」
何かが身体から引きはがされていくような感覚。うっすらと竜の身体にまとわりつく──いや、『憑依』する魔力の渦。急激に力を失い、墜落していくリンドブルム。
鈍い衝撃の後、気づけば自分の足元には、送還が始まった銀翼竜王の姿がある。
「融合が解除された?」
呆然とするミリアナの身体の下で、リンドブルムの姿が霞むように消えていく。
「きゃ!」
巨大な足場を失ったことで、地面に落とされるミリアナ。
「う、く、いたた……」
どうにか受け身をとり、身体を起こす。すぐ目の前には、いつの間にか一人の少年がいる。自分の力ではどうしようもない化け物。その紅い瞳が蒼く変わっていくのを諦めにも似た気持ちで見つめていると、彼は突然動きを見せた。
──殺される。
そう思ったところで、ふわりと彼女の身体に向かって掲げられたのは、彼が着ていた上着だった。
「うう……お姉さん。いくらなんでも裸はないよ。……なんとかこれで隠してくれないと、目のやり場が……」
少年は、面白いくらいに顔を赤くしている。ミリアナは、自分の身体を見下ろした。齢四十に手が届いたとは思えない、均整のとれた若々しい体つき。リンドブルムに融合する際に衣服は全て脱ぎ捨てられているため、今の彼女は一糸まとわぬ姿となっていた。
なおも呆然としながら、少年が差し出してくる服を手に取る。彼は顔を赤くしたまま、俯き加減にこちらを見ている。
「じゃ、じゃあ、これで降伏してくれるかな?」
「…………」
ミリアナはこの時、不覚にも敵であるはずの彼のことを『可愛い』と思ってしまったのだった。
次回「第31話 英雄少女と巨頭会談(上)」




