第22話 少年魔王と大怪盗(下)
「カ、カグヤさま~! ネザク様がネザク様が!」
「落ち着きなさいリラ。あの子なら大丈夫よ」
目に涙を溜めて取り乱す黒髪のメイド、リラの身体を抱きとめ、カグヤはよしよしとその背中をさすってやる。
「それにしても、まさかあの子が逃げ出すなんて、成長したものねえ……」
弟が行方不明になったにも関わらず、カグヤは嬉しそうな顔をしている。
「でも、ネザク様が誰かに連れてかれちゃったらどうするんですか? あんなに可愛いんだもの、わたしだったら絶対さらっちゃいます!」
「そうねえ。わたしでも間違いなく、お持ち帰りしちゃうわね」
何気に危ない二人組だった。
「でも、心配ないわよ。あの子は、ああ見えて頭はいいんだから。知らない人についていったりなんかしないわ」
「うう、だといいんですけど……」
「とにかく、ここにいても仕方ないわね。もしかしたら一足先に城に戻ってるかもしれないし、帰りましょう」
ネザクが人ごみに紛れるように行方をくらませてから、すでに一時間以上が経っている。城下町のあちこちを探し回ってみたものの、少年の行方は一向に掴めなかった。
「それこそ街中の人間に精神支配でもかければ探すのも簡単なんでしょうけど、後が大変だし……あの子なら大丈夫よね」
リラをなだめながら城へと戻る道すがら、カグヤは内心でそうつぶやいた。
だが、城に帰って待っていたのは、鼓膜を破らんばかりのエリックの怒号だった。
「いなくなった? いったい何を考えてんですか、あんたは! だから俺は、不用意に出歩くなと言ったんです! もう少し自分たちの立場を考えてくれ! ネザクの毒殺の謀議があったのだって、つい最近の話だろうが! あいつに何かあったらどうする!」
びりびりと空気を震わす叫び声。途中からは敬語も忘れて怒鳴り続けるエリックに、カグヤは耳の穴に指を入れながら顔をしかめる。
「ああ、もううるさいなあ」
「うるさいだと!?」
獣のように唸り声を上げるエリック。だが、カグヤはそれに怯むどころか、意地悪そうな顔でにやにやと笑った。
「ふうん。そんなに怒るなんて、あなたも随分とネザクのことを心配してくれるのね」
「な、なに? 当たり前だろう。俺たちの王なんだぞ?」
唐突な言葉に、エリックは鼻白んだように声の調子を落とす。
「どうかな? もしかして……」
「な、なんだ?」
相変わらずの笑みを浮かべるカグヤに対し、嫌な予感を覚えるエリック。
「……ふふふ。最近、ネザクが可愛い恰好しているのを見て、惚れちゃったんじゃない?」
案の定、投下される特大の爆弾。
「な! ば、ば、馬鹿なことを言うな!」
エリックは顔を真っ赤にしてうろたえる。無論、彼に男色の気はなく、いくら可愛らしいからと言って少年を愛でる趣味もない。とはいえ、愛らしいメイド服を着て頬を染め、城内を歩かされるネザクを見たとき、見惚れなかったと言えば嘘になる。
「あはは。動揺してる動揺してる」
「うっがあああ! 話を逸らすな!」
後悔と自己嫌悪。カグヤはそんなエリックの弱点ともいうべき部分を、的確にえぐってくる。
「……まあ、あいつのことだ。危なくなれば『魔』でもなんでも召喚するだろ」
ようやく落ち着いたように言うエリック。
「ええ。一応捜索隊は出しておいてもらえる?」
「ああ」
そんなやりとりが交わされる中、同じく謁見の間の隅では、奇妙な音が響いていた。
「ああ! 駄目です。リゼル様!」
ブラウンの髪を三つ編みにしたメイド、ルカの声。
「わたくしは」
ごんごんと固い物がぶつかり合うような鈍い音。
「ネザクを護れなかった」
さらに激しい音が響く。
「だからって、壁に頭を打ちつけなくても……」
「悪いのは、わたくしの頭」
「そういう問題じゃないんですってば!」
「しかし、ならどうすれば」
どうすればもなにもない。そもそも頭を打ちつけても、ネザクが帰ってくるわけではない。ルカはそう言って説得を繰り返す。何と言っても、このまま彼女に頭突きを続けさせるのは危険だった。
無論と言うべきか、危険なのは彼女の頭ではなく、打ちつけられた壁の方だったが。
「壊れちゃいます、壊れちゃいます!」
必死で縋りつくルカの目には、壁面全体に広がるひび割れと、粉々に砕けて落ちる石壁の欠片が映っている。
するとルカの必死の願いが通じたのか、ようやくリゼルが動きを止めた。
「そうか。悪いのは、ネザクを見失った、この目だな?」
今度はそう言って、自分の顔に手を伸ばそうとするリゼル。
「だめ、だめ、だめええ!」
ルカは必死の形相で泣き叫び、リゼルの腕にすがりつく。目の前でドレス姿の清楚な美女が目玉をえぐり出すところなど、絶対に見たくない光景だった。
──だが、その直後のこと。
「ふ、わたくしは、冗談を言った」
再び動きを止め、胸を張って言うリゼル。
「じょ、じょうだん?」
ルカの口から小さく漏れる声。目の端に涙をにじませたまま、凍りついたように固まっている。
「自らを貶め、その滑稽さで笑いを得る技法」
自虐ネタ。
「…………」
沈黙。そして、空気がひび割れるような気配。
「な、なな……!」
「わたくしなりに、工夫してみた」
「この……!」
口汚くののしる言葉を発する寸前、ルカは激情を無理矢理抑え込む。
「……怒っちゃだめよ、ルカ。怒っちゃ駄目なの。この一見クールな知的美人に見えるお馬鹿さんには、怒鳴り散らしても意味がないの。噛んで含めて言って聞かせるしかないのよ……」
曲がりなりにも自分の仕える相手について、酷い言葉をつぶやくルカ。
「いいですか? リゼル様」
「む」
凛としたドレス姿で背筋を伸ばすリゼル。「いいですか?」から始まるルカの言葉は、リゼルにとって『お師匠さま』の貴重な教えが始まる合図だ。それからルカは『虐めすぎ』な自虐ネタは、周囲にとっての拷問になりかねないことを、こんこんと説き諭すのだった。
──それから事態は、一日もたたないうちに大きく動いた。
きっかけは、国王の執務室の窓から飛び込んできた一匹のコウモリ。当然、ただのコウモリではない。魔力を全身に帯びた月獣の一種だ。足に小さな筒のようなものを掴んでいたそのコウモリは、ちょうど国王の執務机の上にそれを落とし、飛び去って行った。
偶然なはずがない。国王ダライア二世は、ただちにそれをカグヤの元まで届けた。
「ふむふむ。『魔王ネザクは預かった。返してほしくば身代金を持って四番通りの空き倉庫まで来い』ね」
筒から取り出した紙に書かれていた文字を読み上げるカグヤ。その顔には何の表情も表れていない。
「弟がさらわれたと言うのに、随分落ち着いているな?」
国王は皮肉っぽい口調で言う。彼は、この姉弟に常識など通じないことを知っていた。
「そうねえ。でも、この犯人がネザクに傷ひとつでも付けていようものなら……この世には、死より恐ろしいものがあることを、たっぷり教えてあげるつもりよ?」
手にした紙をもてあそぶカグヤは、いたって平坦な口調のままだ。しかし、その声には、国王の背筋の寒からしめるに十分な冷気が内包されていた。
「で、どうするんです? その程度の身代金なら、準備はできますがね」
要求のあった身代金の額は、国庫に納められている額を考えれば払えない額ではない。エリックとしては、ネザクさえ無事なら身代金ぐらい払っても問題はないのだが、この場合の最終決定権はカグヤにある。
「馬鹿ね。これから慰謝料を払わせようって時に、お金を持って行く必要はないでしょ?」
エリックの問いかけに対するカグヤの答え。それがすべてだった。
それから、カグヤとエリック、そしてリゼルアドラの三人は約束の刻限より少し早く、指定された倉庫に辿り着いていた。そこは、前にシュリがラッセルたちに連れ込まれた、あの倉庫である。
「なにも、あなたまで付いてこなくてもいいのに」
カグヤは面倒だと言いたげな顔をしている。
「……相手は人質を取ってんだぞ? あんたたちに任せると、どんな無茶をするかわからないから心配なんだよ」
そんな会話を交わしていると、そこへ新たな声が割り込んでくる。
「はっはっは! 我こそは大怪盗シュリ・マルクトクァール! さあ、魔王の命が惜しくば、身代金を置いて去るがいい!」
エリックが驚いて声のした方を見れば、そこにはコウモリのような生き物がいた。
「鳥が喋っている?」
「いえ、霊戦術よ。つまり犯人は、獣人族ってわけね。……どうしてご丁寧に名前まで名乗るのかは、わからないけど」
腹話術のように月獣に言葉を話させる術。こうすることで自分は取引場所に現れないまま、身代金を回収するのがシュリの作戦だった。ならば名乗るなという話だが、それはともかく──どんな目論見も計算も、相手が悪ければ通じない。
「わたくしは、ネザクを助ける。……発動《虐殺の黒月》」
リゼルアドラはドレスの裾をはためかせ、掲げた手のひらに巨大な闇の球体を出現させる。全てを吸い込まんばかりに見える暗黒球体は、その実、周囲に向かって凄まじいプレッシャーを放っていた。
「……って言ってる傍から、人の心配をあっさり的中させてんじゃねえよ!! やめろやめろ! ネザクを巻きこんだらどうする!」
エリックが慌てて諌めようとするが、リゼルは頭上に球体を掲げたまま、あたりをきょろきょろと見回していた。一方、カグヤは溜め息をついてから周囲に呼びかける。
「……聞こえる? この子、こうなっちゃったら止まらないのよ。悪いけど、死にたくなかったら出てきてくれるかしら」
「うわわ! うそでしょ!? いや、人質はどうすんの?」
コウモリからは、慌てたような声がする。だが、リゼルは全く動じなかった。
「わたくしは、ネザクを助けるためなら、あらゆる犠牲をいとわない」
「いや、あんた正気? そのネザクが犠牲になりそうなんだってば!」
シュリは、びっくりしたように叫ぶ。最初から論理が破綻しているリゼルの言葉は、彼女には呪文のようにしか聞こえなかった。
「いいこと? よく聞きなさい。この子はね。こう見えて……すっごく頭が悪いのよ。理屈なんか通じるわけないでしょ?」
「なにそれ!? そんな斬新な脅し文句、はじめて聞いたよ!!」
勝ち誇ったような顔で宣告するカグヤの声に、悲鳴混じりのシュリの声が重なる。
「こいつら、いい加減にしろよ……」
先程まで真剣にネザクの救出方法を考えていたエリックが、怒り心頭に低く唸る。
やむなく、といった様子で倉庫の物陰から、金の猫耳がひょこりと現れた。続いて同じ色をした短めの頭髪。猫そのものといった金の瞳。そして、それらとは対照的な漆黒の装備。その後ろからは、しなやかに動く獣の尾が続く。
金虎族の少女。自称『大怪盗』シュリ・マルクトクァール。
「ね、猫だと?」
何故かエリックは、その姿に低く唸るような声を出した。
「あらあら、随分可愛らしい女の子じゃない。まさか、ほんとにネザクをお持ち帰りしたくて、さらったのかしら?」
冗談めかした言葉とは裏腹に、カグヤの声は酷く冷たい。
「はあ……なんか気配からして、そっちの人、『魔』だよね。言葉を操るとなれば、災害級でしょう? そんなの連れて取引場所に来るなんて反則だよ……」
「この子の名前は『リゼルアドラ』よ」
短いカグヤの言葉。だが、反応は激烈だった。
「で、伝説級!?」
全力で土下座を決める大怪盗。彼女も暗愚王の名前ぐらいは知っていたらしい。
「ごめんなさい! 出来心だったんです! その、どうしてもお金が必要で……あの子、金持ちそうだったから、つい……」
「ネザクはどこだ」
「ひい!」
ずかずかと間合いを詰めてくるリゼルに、情けない悲鳴を上げて尻餅をつくシュリ。
「どの道ただではおかないけど、今のあの子の待遇いかんでは、永遠に覚めない悪夢をプレゼントする用意があるわ」
「こ 怖……」
カグヤの言葉に、シュリは恐怖で震え上がる。
「どうなの?」
「は、はいいい! えっと、その……ごめんね。ほら、ネザク」
シュリは申し訳なさそうな顔で物陰に向かって手招きする。すると、そこから一人の少年が姿を現した。
「ネザク!」
真っ先に駆け寄っていくリゼル。
「わわ!」
ネザクはそのままがっしりと抱きしめられ、苦しそうに声を上げる。
「よかったわ。特に怪我はなさそうね」
安堵したように軽く息をつくカグヤ。
「なんだよ。なんだかんだで心配していたのか」
カグヤの様子を横目で見ながらエリックが言うと、彼女は軽く肩をすくめた。
「それはそうよ。命の心配とあの子が苦しむ心配は別物だもの。とはいえ、シュリとか言ったかしら? 魔王を誘拐しておいて、ただで済むとは思っていないわよね?」
カグヤは真っ黒な笑みを浮かべて、シュリに語りかける。
「あ、そ、その、あははは! ちょっとした冗談? 嫌だなあ、お姉さん。本気にしないでよ」
「うーん、猫だけに、化けネズミに追いかけられ続ける夢がいいかしら?」
カグヤはシュリの言葉など聞こえていないかのようにつぶやく。
「シュリは猫じゃなくって虎だってば! いや、その、ほら、幸いネザクお坊ちゃまにも怪我はないんだし……」
「うふふ、だーめ。覚悟しなさい?」
手に黒い波動をまとわせながら、魔女の名に相応しい顔で笑うカグヤ。
だが、そのとき。
「カグヤ! 待って!」
ネザクが自分を抱きしめるリゼルを振り払い、二人の間に割って入った。
「ネザク? どうしたの?」
「僕が悪いんだ。……その、シュリさんは僕を助けたかっただけなんだよ」
「ふうん。まあ、なんとなく話の流れはわかるけど……でも彼女は、あなたが城に帰りたくないのをいいことに、わたしたちから身代金をだまし取ろうとしたのよ」
「うん、それはわかってる。でも、シュリさんはお金に困ってただけなんだよ。だから、許してあげようよ」
ネザクは、いつになく強い口調でカグヤに反論を続けている。
「……どうしたの? あなたはお人好しで世間知らずなところはあるけど、物の道理がわからない子じゃないでしょう? それとも、どうしても彼女を助けたい理由でもあるのかしら?」
カグヤはそれまでの酷薄な表情から一転して、興味深げな顔でネザクを見ている。
「……治してくれたんだ」
「え?」
「カグヤ達から逃げる時、転んで怪我をした僕を治してくれたんだよ。だから……」
「…………」
静かな声が尻すぼみに消えた後、その場を静寂が支配する。傍で見守っていたエリックには、今の言葉でカグヤが方針を改めるとは思えなかった。シュリは当然、ネザクの信頼を得ることを目的に傷を治したに違いない。であれば、罪を判断するうえでそんなものを斟酌してやる必要などないのだ。
しかし、カグヤのとった行動は、そんなエリックの予想を裏切るものだった。
「仕方ないわね……許してあげるわ」
「ふえ? まじで! やった! さっすがお姉さん! 話がわかる!」
それまで涙目で許しを求めていたシュリは、一転して喜色満面に顔を輝かせている。
「……さてと。そんじゃ、シュリはこれで失礼してっと。ばいばーい!」
シュリは、それこそ猫のように跳ねた。恐るべき俊敏さで壁を蹴り、三角とびの要領で建物の上へと上がろうとしたのだ。が、しかし。
「逃がすとは言ってないでしょ?」
ガクンと体勢を崩し、前のめりに倒れるシュリ。強かに額を壁にぶつけたらしく、「いたた……」と顔をしかめ、頭を押さえて起き上がる。
「ひ、酷いにゃ……」
彼女の足には、いつの間にかカグヤの黒衣の端がするりと伸びて絡みついていた。
「あなたの月獣を操る能力。すごく役に立ちそうだもの。これからは魔王軍の一員として、きびきび働いてもらうわよ?」
「あ、あはは……もちろん、それって選択の余地なしだよね……」
乾いた声で笑うシュリ。
「まあ、安心なさい。お金に困ってるんでしょう? 給金はたっぷり弾んであげるわよ」
「やるやる! シュリ、魔王軍でもなんでもやっちゃう!」
犬ではないが、彼女の腰から生えた金色の尾が、ぶんぶんと振られている。エリックは、その様子を呆気にとられたように見つめていた。
「こいつを仲間に? いやいや! 駄目だ。待ってくれ! 猫だけは、猫だけはダメなんだって!」
我に返ったように叫ぶエリックに、カグヤは人の悪い笑みを向ける。
「あらあら、どうしたのかしら? 新しい仲間に随分な言い方じゃない?」
そんな彼女の顔を見れば、これがもはや決定事項であることが知れる。エリックがどんなに主張しようと、覆す余地などありはしない。
「うぐ……。ど、どう考えても、俺の面倒事が増えるだけじゃないか!」
エリックは苦し紛れに反論するが、無駄なのはわかりきっている。
シュリという少女は、エリックから見ても大変な変わり者だ。役には立つかもしれないが、その十倍はトラブルを生み出しそうなタイプに見えた。そして、そんなエリックの予想は、残念ながら外れた試しがなかったのである。
さらに加えて、彼にはどうしても、彼女を仲間にしたくない理由もあった。
次回「第23話 英雄少女と学園の先輩(上)」




