第21話 少年魔王と大怪盗(上)
大怪盗シュリ・マルクトクァールは悩んでいた。
中央の華、エレンタード王国は食料も豊かな国だ。豊富に実った畑の作物を少しばかり拝借して自分の食費を浮かせ、余ったものは売り払う。
自分の家を飛び出してから数か月。シュリはそんなやり方で生きてきた。月獣を使って自分ひとり生きていけるだけの量を細々と盗み、獣の仕業に見せかけている分には、一生この方法で食べていけるのではないかとさえ考えていた。
しかし、彼女は合理的思考が苦手だった。というか、『考え自体がころころ変わる』のが彼女だと言うべきだろう。月獣グラスコアの大群をとある野山で見つけ、支配下に置いた時点で、彼女の頭の中は「これだけたくさんいれば、いっぱい食べ物が手に入る!」などという短絡思考で埋め尽くされてしまった。
結果、彼女のささやかだったはずの悪事は見事に露見し、一時は刑務所にまで収容される羽目となったのだった。
「……お金。うん、やっぱり食べ物はお金で買えるんだし、お金を稼がなきゃね」
何かを思いついたように独り言を口にするシュリ。だが、月獣の背に乗り、西の大国クレセント王国を抜けて、辺境国家のリールベルタ王国に入ってはみたものの、貧しいこの国では、大金を稼ぐ方法など見つかりそうもない。
「……まともな金持ちって言ったら、貴族ぐらいのものだもんね。どっかに無防備な奴がいないかなあ」
この時点で既に発想が『稼ぐ』から『ぶんどる』に変わっているが、彼女には自覚がない。とりあえず情報収集を行うべく、首都であるテルエナンザに入ったシュリは、街の中で不思議な話を聞いた。
いわく、この国は現在、魔王が支配している。
いわく、支配者である魔王は、小さくて可愛い少年である。
いわく、魔王は時々、お供の者を連れて街でお買い物をしている。(なぜか女性物の服を買い込んでいるらしい)……などなどだった。
「いったい、どういうことなんだろうね?」
首を傾げながら街を歩くシュリ。この国には獣人族は多くない。様々な人種が集うエレンタード王国を除いては、多くの獣人族は大陸南部の獣人国家バーミリオンに居住している。シュリ自身も出身はバーミリオンだ。
そのため、短めの金髪から金の猫耳をのぞかせて街を歩く彼女の姿は、酷く目立っていた。薄汚れた旅装に包まれた身体は文字通り猫のようにしなやかで、砂埃に塗れた顔立ちも、良く見れば愛嬌のある可愛らしい少女そのもの。
だから、気づく者は気づく。そして、声をかけてくる。
「やあ、獣人族のお嬢さん。ここには観光で来たのかい?」
「ふえ!?」
突然の声に驚いて飛び上がるシュリ。振り向いてみれば、きらびやかで高級感のある衣服に身を包んだ青年が立っている。
「驚かせてごめんね。俺は、ラッセル・リビュートって言うんだ。この街でも指折りの商家、リビュート商会が俺の家さ」
商家と聞いて、シュリの目が輝く。お金持ちだ。シュリはわずか数秒のうちに、頭の中で彼からお金を巻き上げる算段を立てていた。
「こんにちは、ラッセルさん! そうなんです。観光で来たんですけど、どこかお勧めのスポットとかってありますか? おいしい料理屋さんとか……」
にこやかに笑ってそう言ってやると、ラッセルと名乗った優男は誰が見てもわかるほど、いやらしい笑みを浮かべて見せた。
「……こいつ、こんなんでナンパが成功すると思ってるのかな?」
声には出さず、そんなことを考えるシュリ。
「もちろん、任せてよ! まあ、まずは君に可愛い洋服でも贈ろうか。こんなにも素敵なレディが、旅装で街を歩くだなんてもったいないからね」
「え? いいんですか?」
シュリは、胸の前で手を合わせるようにすると、上目づかいで可愛い子ぶりっ子をして見せる。途端に相好を崩すラッセルを見て、なんて扱いやすい男だろうと、ほくそ笑む。
「さ、それじゃついて来てくれるかい?」
「はい! よろしくお願いします!」
図々しくも手を掴んでくるラッセルに辟易しながらも、シュリは素直に彼の後についていく。それほど人口密度が高いわけでもない街だが、なぜか一部にはひとだかりができているようで、二人はそれをかき分けるように進んでいく。
やがて、人通りの少ない裏路地に入る。
「……あ、あの、ほんとにこっちなんですか?」
あえて不安そうな声音で言えば、
「うん。これから向かう洋服店は、知る人ぞ知る穴場なんだ。期待していいよ」
と、見え透いた嘘を言いつつも、シュリのことをか弱い女性だと勘違いしてくれたようだった。油断している心の内がありありとわかる。
やがて、とある建物の中へと案内される。だが、そこはどう見ても洋服店などではない。古びた倉庫。それも使われなくなって久しいようで、人の気配がまるでない。
──そこに待ち構えていた、一人の人物を除いては。
「うお! まじか! ついにやったな、ラッセル! そんな上玉、よく引っかかったじゃんかよ! まさか、獣人族か? すげえ、猫耳だ。くうう! いいねえ!」
「へへ、まあな。この前は訳の分からん幻覚にビビっちまって失敗したけど、あんなのはたまたまだ。俺にかかればこんなもんよ」
待っていた人物は、いかにも柄の悪そうな大男だった。女性を言葉巧みに誘い込むには、明らかに向かないタイプ。ただし、荒事となれば話は別だ。つまりは、そういう役割分担なのだろうと、シュリは推測した。
「あ、あの、洋服屋さんはどこなんでしょう?」
「ん? 洋服屋さん? ああ、洋服屋さんね。もちろん、ここだよ。まあ、まずは、そのお洋服を脱ぎ脱ぎしようか?」
「ぎゃはは! いいねえ。その後、俺らの好みの服に着せ替えちゃったりして?」
げらげらと笑う二人の男に、失望のため息を吐くシュリ。どうやらラッセルという男の上等そうな衣服は、女性を引っ掛けるために無理をして用意したものらしい。つまり、彼らには大して金がないということだ。
金がないなら、用は無い。シュリは手早く片づけることにした。
「わかった。それじゃ、いま、お洋服を脱ぐね」
「へ?」
「まじでか?」
好色な目を向けてくる二人の前で、シュリは彼らの望みどおり、旅装として身に着けていた外套を勢いよく脱ぎ捨てた。
「おおお!」
中から現れたのは、体にぴったりと密着するタイプの黒い衣装。暗殺者が纏うような伸縮性の高い布地の服だ。その上から着けている女性用の胸当てや要所を守る簡易式の防具の類も黒一色。鮮やかな金髪と金の猫耳、そして腰の後ろから生えた金のしっぽだけが際立って見える出で立ちだった。
「ぼ、防具?」
見栄えのするその格好に新鮮な驚きを覚えていた二人ではあったが、そこで、ようやく我に返る。彼女の装備に嫌な予感を抱いたようだ。だが、手遅れだった。
「にゃはは! 狩りの時間だよ!……発動《黄金の爪》」
左右に広げたシュリの両手、その先に金色に輝く鋭い爪が出現する。新たに出現した金色が、全身の黒に映える。魔力を身体に纏うことによって、己の肉体を強化・変化させる術適性──魔闘術。
霊戦術師であるはずの彼女が使う、肉体強化の術。彼ら二人は知る由もなかったが、シュリはいわゆる『狭間の子』と呼ばれる存在だった。
季節と季節の狭間にある、わずかな時間。
その瞬間に生まれ落ちた二術適性を持つ存在。
それが、世にも希少な『狭間の子』だ。
シュリの場合は『紅季』と『蒼季』の間に生まれたことから、魔闘術と霊戦術の両方の適性を持っていた。
彼女は楽しそうに黄金の爪でしゃりしゃりと空気を斬り裂き、にやりと笑う。
「う、うわ! 嘘だろ? に、逃げろお!」
「逃っがさないにゃん!」
楽しげに笑うシュリは、ひらりと宙を舞って逃げる男たちの頭上を越え、その正面に着地する。膝を屈めた状態から一気に伸びあがり、輝く爪を振りかざした。
「うぎゃあああ!」
ラッセルと大男、二人の悲鳴が響き渡る。
──それから。
「ふう。あのお兄さんからぶんどった服も、それなりの値段にしかならなかったなあ。くっそう、店の親父め。シュリの足元を見てくれてからに……」
ぶつぶつとぼやきながら、店を後にしたシュリ。ふと彼女は、大通りにできた人だかりの中から、一つの人影が飛び出すのを目にした。その人影は、脇目も振らずに裏路地の方へと走り去っていく。
「あれって……」
シュリはすかさず、その後を追う。なぜなら、その人影は貴族や王族が纏うような衣装に身を包んでいたからだ。どんな事情があるか知らないが、人目を避けてこそこそと移動する金持ちなら、つけ入る隙もあるかもしれない。彼女はそう考えた。
だが、この時の判断は、彼女の今後の運命を大きく変えることになる。
追いかけながら注意して見れば、どうやらその人物は少年のようだった。辺りを警戒し、なぜだか泣きそうな顔で走り続けている。あまり体力はなさそうだ。実際、シュリは魔闘術を使うまでもなく、金虎族本来の敏捷性だけで少年を追跡できていた。
「うわ! うう、いたた……」
転ぶ少年。どうやら未整備の路地に転がっていた石を踏んづけ、バランスを崩してしまったようだ。
「今がチャンスかな?」
シュリは速度を上げると、倒れて膝をさすっている少年に接近する。親切心を装って、いたいけな少年に声をかける。
「大丈夫?」
「え? あ、ああ、大丈夫です」
少年は驚いたように顔を上げた。目が合う。その瞬間、シュリの身体が硬直する。どう見ても少女にしか見えないほどに美しい少年の顔。おどおどとこちらを見上げてくる彼は、頼りなく、弱々しく、それでいて護ってあげたくなるような存在だった。
だがシュリは、心の中で快哉を叫ぶ。
「これは高く売れそうだにゃん!」
「え? 高く売れる?」
「あ、いやいや、何でもない」
つい声に出して叫んでしまったようだ。それに彼女とて、いきなり少年をかどわかして人身売買を行おうとは考えていない。そこまで非人道的なことは彼女の趣味ではない。
せいぜい、身ぐるみはがして金目のものを頂いたうえで、親から身代金でも目一杯ふんだくった挙句、しっかり親元に帰してあげよう。そんな風に考えていた。
趣味ではないと言いながら、この時点でシュリの思考は数分前よりエスカレートしているのだが、あくまで彼女に自覚はない。
「ほら、膝を怪我してるみたいだし、治療してあげるよ」
気を取り直して笑みを浮かべ、少年の擦りむいた膝に手をかざす。なぜかこの少年、貴族のような衣服を身に着けてはいるものの、下は半ズボンで膝が剥き出しだった。その手の趣味の者が見れば、よだれを流さんばかりだったろうが、この日のシュリにはそんな少年の姿も、『服を着たお金』にしか見えなかった。
「発動、《伝わる脈動》」
そのまま少年の太もものあたりに手を当て、魔闘術の回復魔法を発動させるシュリ。獣人族である彼女にとっては、どちらかと言えば霊戦術の方が隠し玉だった。
「うわあ、痛みが引いてく。すごいね。お姉さん。魔法使いなんだ」
少年は感心したようにシュリを見上げてくる。
「まあね。ところで君、あんなに急いでどうしたの?」
「え? えっと……」
途端に歯切れが悪くなる少年。シュリはやれやれと頭を掻く。
「困ってることがあるなら、話してみたら? 少しは力になってあげられるかもしれないよ?」
「え?」
少年は驚いた顔でシュリを見た。その顔には戸惑いの色が強いが、先ほど怪我を治療してもらったせいもあるのだろう。警戒の色はない。
「う、うん。じゃあ、聞いてもらっちゃおうかな」
案の定、少年はシュリのことを信じてしまったようだ。ためらいがちではあったが、事情を話し始める。
少年は、ネザク・アストライアと名乗った。シュリもその名前には聞き覚えがあった。聞き覚えも何も、この街に入ってすぐに聞かされた話だ。
この国の新たなる支配者、魔王ネザク。それに付随する話を聞いていなければ、まさかと思うような話だが、彼についてはその容姿や性格など、様々な情報が広まっている。そこから判断する限り、恐らくは本人に間違いないだろう。
「……へえ、魔王様にもそんな苦労があるんだね」
涙ながらに聞かされたネザクの話に、同情したふりをして相槌を打ってやるシュリ。シュリにとって、横暴な姉や使用人から着せ替え人形にされて遊ばれる少年(服を着たお金)の悩みなど、欠片も心に響かない。
彼女は、とにかくひたすら『目の前の獲物に一直線』だ。この国を瞬く間に支配下に置いた魔王を誘拐し、身代金まで要求しようとするその行為が、どれだけ危険な真似なのか、少し考えてみれば誰にでもわかるはずなのだが。
「それで、お姉さんが自分から目を離した隙に逃げ出したって訳ね」
「うん。でも、困ったな」
「どうしたの?」
「勢い余って逃げたはいいけど、このまま戻ったら、お仕置きと称して何をさせられるかわからないんだ……」
ネザクは深刻そうな顔で言った。シュリはその言葉を聞いて、しめしめとほくそ笑む。
「ねえ、魔王様」
「ネザクでいいよ、お姉さん」
「じゃあ、ネザク。シュリにいい考えがあるんだ」
にこやかに微笑みかけながら、シュリはネザクに自分の考えを説明する。後は少年がどう反応するかだが……
「で、でも、いいの? それじゃ、お姉さんに迷惑がかかっちゃうんじゃ……」
遠慮がちにそんなことを言い出すネザク。だが、否定の言葉ではない以上、これは乗り気な証拠だろう。シュリは安心させるように首を振った。
「いいんだ。シュリはネザクの今の話を聞いて、ぜひ君を助けたいって思ったんだから。可哀そうだと思ったんだ。ここまで聞かされて、何も協力させてもらえない方が、かえって迷惑だよ」
シュリは、立て板に水の勢いで美辞麗句を並べたてる。するとネザクは……
「あ、ありがとう、ありがとう、お姉さん。僕、感激した。優しいんだね、お姉さんは」
感動のあまり涙を流し、声を震わせてお礼の言葉を繰り返してくる。
「あ、いや、ははは……まあ、こんなくらい当然だよ」
これにはさすがのシュリも、少しばかり胸が痛んでしまったのだった。
次回「第22話 少年魔王と大怪盗(下)」




