第20話 英雄少女と月影の巫女(下)
五英雄の一人、ミリアナ・ファルハウト。
彼女の特別講義は、邪竜戦争における月召術師の戦術的な役割や『魔』の性質、そしてその対策などを主な内容として実施された。
まだ年若い少年少女たちが飽きることのないよう、時に高位の『魔』を召喚して見せるなどのデモンストレーションを交えつつ、時に実践的な内容にまで踏み込んだ講演は、生徒たちの期待を裏切ることなく、大好評のうちに幕を閉じる。
講演後も月召術の適性を持つ一部の受講生たちを中心に、簡単な実技の手ほどきまでしてくれると言うのだから、生徒たちの興奮もひとしおだった。
だが、今回に関しては、アルフレッドから特別に依頼して、特殊クラスの生徒たちへの特別講習を実施する手はずを整えている。
「あなたにしては珍しいわね。どんな生徒も特別扱いしないというのは、この学院の方針ではありませんでしたか?」
「無理を言ってすみません。でも、イデオンの子がいるからという訳じゃないんです。ただ、確かめたいこともあるものですから……」
「確かめたいこと?」
「ええ」
「まあ、元々あなたの頼みを断る気はありません。本国には滞在延長の連絡を送っておきましょう」
「ありがとうございます」
アルフレッドは神妙に頭を下げる。ミリアナは、変人奇人の多い五英雄の中でも『最年長者』であるだけあって、一番まともな人物だ。そんな彼女には、さすがのアルフレッドも頭が上がらないようだった。
──それから。
夕暮れ時の訓練施設の一つに、特殊クラスの面々とアルフレッド、そして講師となるミリアナが集合していた。
「お久しぶりです! ミリアナおばさん!」
第一声を口にしたのはエドガー少年だった。
エドガーは、銀牙の獣王イデオンの息子であることから、彼女とは面識がある。自分だけが英雄と親しい間柄であることに優越感を持っていたのだろうが、選んだ言葉がまずかった。
「……エドガーくん? もう一度言ってごらんなさい?」
微笑むミリアナの背後では、アルフレッドが青ざめている。ぶんぶんと首を振り、エドガーに何らかのサインを送っているが、もはや手遅れ。
「あれ? えっと……」
訳も分からず首を傾げるエドガー。
「誰がおばさんですか?」
「あ、い、いや、その!」
ようやく自分の失敗に気づくエドガー。
「おねえさん」
「え?」
「小さい頃は良く遊んであげましたよね? お・ね・え・さ・ん・が!」
「は、はい! あ、あの頃は凄くお世話になりました! お、……おねえさん?」
齢四十にして、二児の母。それにしては若々しい外見ではあるものの、その事実を知るエドガーは、つい語尾のイントネーションを上げてしまった。
「……疑問形は減点です。罰として……蒼き月より落ちる影、我が前で揺れよ。その虚ろなる抱擁で、死をいざなうは黒き亡霊。顕現せよ、『ブラックファントム』」
詠唱とともに出現する黒い影。霊界第十五階位、黒き亡霊ブラックファントム。災害級には数段劣るものの、それでも小規模な戦場なら、その場の勝敗すら左右しかねない戦術級の『魔』。
「あなたの特別講習は、この子の精気吸収から一時間逃げ回ることです」
「うえ!? 嘘だろ! そんなの死んじゃうって!」
「イデオン殿なら鼻歌混じりで追いかけっこに興じていましたよ」
「あの化物親父と一緒にするなあああ!」
逃げ回るエドガー。ふわふわと後を追う、黒い霧のような影。
「い、いや、ミリアナ。さすがにあれは危険なんじゃないですか?」
「何か言いまして?」
「い、いえ、なんでもないです」
銀の瞳にじろりと睨まれ、アルフレッドはすごすごと引き下がる。エドガーについては、後で危なくなったら助けてやるしかないようだ。
「こ、こわ! アルフレッド先生がたじたじだよ……」
「逆らわない方が身のためですわね」
エリザとリリアが顔を見合わせている。
「ふむ。今の言葉は禁句にした方がよさそうだな」
ルーファスも肝に銘じるようにつぶやいていた。真剣な顔で「おばさんは禁句、おばさんは禁句」と繰り返している。だが、ミリアナが笑顔の額に青筋を立てているところを見る限り、その声はどうやら聞こえてしまっているようだった。
「……自分に直接言われているわけじゃないから、はっきり怒れないんでしょうね。あの男、本当に性質が悪すぎですわ……」
リリアは呆れたように首を振る。
次にミリアナはルヴィナへと目を向けた。先ほどから、ミリアナも彼女のことは気になっていたようだ。
「まあ、あなた。わたしと同じ月影一族の子ね? 見ない顔だけど、お名前は?」
にこやかに笑いかけながら言うミリアナに、ルヴィナはわずかに表情を暗くして言葉を返す。
「……ルヴィナです」
「そう、よろしくね。ルヴィナさん」
握手を求めるミリアナに、ためらいがちに手を出すルヴィナ。エリザやリリアが同じクラスとなって以降、明るさを見せ始めていた彼女は、何故か暗く沈んだ顔でうつむいていた。
「どうしたのかな? ルヴィナ先輩」
心配そうなエリザの声。他の皆が気づかないような彼女の変化を、エリザはたちどころに察知する。自分への悪意や皮肉に対する鈍感さとは対照的に、彼女は自分以外の誰かが弱ったり、落ち込んだりしている姿などには、ひどく敏感だった。
「さあ、それでは始めましょうか」
ミリアナの声。
「うわ! ひえ! どわあああ! あぶねえ! 一時間なんて絶対無理だああ!」
叫び続け、走り回るエドガーの悲痛な声が響く中、ミリアナの前に整列する特殊クラスの生徒たち。
「始めるといっても、今回の講義は急に決まったものですので、特に決まった内容は考えていなかったのだけれど……」
思案顔でつぶやくミリアナ。ゆったりとした巫女装束に身を包んだ彼女は、そうして立っているだけでも、ある種の神々しさを感じさせる。
「あ! じゃあ、あたしからリクエストしてもいい?」
エリザは辛抱たまらないとばかりに、勢いよく手を挙げる。
「ええ、なにかしら?」
元気いっぱいの少女が身を乗り出してくる姿に、ミリアナは微笑ましい気持ちで先を促す。だが、続くエリザの言葉は、この場にいる全員の度肝を抜くものだった。
「ミリアナさんって、災害級の『魔』を召喚できるんだよね? あたし、一度でいいから災害級と戦ってみたかったんだ」
エリザの声に固まるミリアナ。物を知らない子供の言葉、では済まされない。災害級の恐ろしさは、この星界ではそれこそ三歳の幼児でさえ知っている。邪竜戦争でクレセント王国が最強と謳われたのも、彼女の使役する『災害級』が、文字どおり嵐となって戦場で荒れ狂ったことによるところが大きい。
「……アルフレッド? どういうことですか?」
ミリアナの低い声。この学校ではそんな基礎も教えていないのか、と言外に問う。だが、アルフレッドは肩をすくめてこう言った。
「まあ、実物を見てもらった方がいいこともありますから」
「……それが確かめたいこと、ですか?」
ミリアナは怪訝な顔をしながらも、呆れたように了承の気配を見せた。
「それでは、見せるだけですよ?……白き月より落ちる影、我が前に舞い降りよ。その雄大なる翼、その鋭き牙、その熱き吐息をもって、君臨するは銀の竜。顕現せよ、『リンドブルム』」
訓練施設の高い天井すれすれの空間。そこに白く輝く巨大な球体が出現する。それは次第に形を変え、銀の鱗を持った巨大な翼竜の姿へと収束していく。一羽ばたきで猛烈な風を巻き起こし、ミリアナの隣へと舞い降りる銀の竜。
幻界第四階位、銀翼竜王リンドブルム。
第三階位以上の『伝説級』を除けば、幻界の『魔』としては最強の存在である。巨大な咢からは呼吸と共に赤い炎が漏れ出ており、室内の気温が一気に上昇したような感覚さえあった。
「……こ、これが災害級?」
「とんでもないな」
「……すごい」
リリア、ルーファス、ルヴィナは驚愕の声を漏らす。あまりの迫力に圧倒されてか、言葉少なにつぶやくだけだ。が、しかし──
「おお! かっこいい! これが月影の巫女の相棒、リンドブルムか! 邪竜戦争の時も大活躍したんだよね。強いのかな? 強いんだよね?」
エリザの声は、先ほどにも増して弾んでいる。圧倒的な強者を前にして、恐れも怯みも全くない。しかし、無謀は即、死に繋がる。それを戦場で痛いほど見てきたミリアナは、さらに表情を曇らせた。
「アルフレッド……」
「言いたいことはわかります。でも、俺はどうしても確かめる必要があると思っているんです」
「だから何を?」
だが、アルフレッドはその問いには答えない。
何かを決意したような顔で、エリザに声をかけた。
「エリザ。胸を借りるつもりで挑みなさい」
「え? やってもいいの? やった! よーっし、負けないぞ!」
嬉しそうに声を上げるエリザは、早速星喚術を発動し、自分の全身に武具を装着しはじめた。
「アルフレッド! 何を考えているのです!?」
狼狽した声で叫ぶミリアナ。リンドブルムはミリアナの召喚に応じてはいるが、無条件に命令を受ける奴隷ではない。災害級が相手では、そこまでの強制力で支配することは不可能だ。だから、攻撃を受けたリンドブルムが反撃をしないという保証はなかった。
「リンドブルム! 子供相手に本気にならないでね?」
そのためミリアナとしては、『お願い』の言葉を口にするしかない。
〈……心配は無用だ、ミリアナ。汝との付き合いは長い〉
銀の竜は知性ある眼差しでミリアナを見下ろし、言葉を返す。その言葉に、ほっと胸を撫で下ろすミリアナ。見れば、エリザは準備万端整ったようだ。両腕をぐるぐると回し、いまにも飛び掛からんばかりの体勢である。
武骨な銀の鎧。壮麗な銀の剣。まるで物語に出てくる騎士のような姿だ。
「あれがあの子の星喚術?」
「ええ、相手が竜なので、竜退治の騎士物語をイメージしたんでしょうね」
「いま、この場で? 即席の星具なの?」
それでは実戦に耐えうる武具には到底ならない。なおさら無謀ではないか。そう言いたげなミリアナに──
「はい。……すみません。騙し討ちのような真似をして」
アルフレッドは申し訳なさそうに頭を下げる。
「え?」
「もし、リンドブルムが本気になりそうになったら、送還してください」
「本気に? いえ、そんな馬鹿なことが……」
驚きに目を見開いたまま、エリザに視線を送るミリアナ。兜のフェイスガードを上げたままのエリザは、不敵に笑って銀翼竜王と対峙している。
「じゃあ、勝負だ。リンドブルム!」
〈威勢の良い子供だ〉
鼻で笑うようなリンドブルムの気配。
すでに他の全員はアルフレッドの指示で後方に退いている。訓練室の中央には、竜と騎士、二人の姿のみ。
「あの子も大概、無謀ですわね……」
つぶやきながらもリリアは、心のどこかで何かが起きるのを期待している。
予想など通じない。常識など当てはまらない。そんなエリザに、リリアはいつも胸のすくような思いを感じていた。
「くらえ! 竜滅斬!」
自分で考えた技名を叫びつつ、エリザは地を蹴る。リンドブルムは小馬鹿にしたように動かない。絶対防御を誇る銀の鱗が傷つけられたのは、それこそ五英雄や邪竜を相手にしたときぐらいのものだった。
自分の身長ほどもある長い剣を頭上に掲げ、高く跳躍するエリザ。そしてその勢いのまま、リンドブルムの胴体目掛けて振り下ろす。
──その刃が、直撃する寸前のこと。
「うわあ!」
横殴りの翼の一撃が叩きつけられる。弾き飛ばされたエリザは、ゴムボールのようにバウンドし、床に転がる。
「いちちち! くっそお、正面から行き過ぎたか。油断しているように見えたのは誘いだったのかな? なかなかやるじゃん、リンドブルム! それでこそあたしのライバルだ!」
いつの間にか銀翼竜王をライバル認定しているエリザに、特殊クラスの生徒たちはもはや呆れ顔だった。だが、呆れるどころではなかったのが、ミリアナである。
「リンドブルム! どういうことです?」
〈ミリアナ。気づくのが遅れたが……我は『これ』を相手に、手加減する余裕はない〉
軽く翼を振るリンドブルム。エリザに叩きつけた左の翼。そこからは、ごっそりと鱗が剥がれ落ちていた。
「な……! それは?」
リンドブルムは答えない。油断なく赤毛の少女が立ち上がるのを見つめている。彼が大きく咢を開くと、そこに揺らめく紅い炎が凝縮していく。
「リンドブルム! 送還します!」
〈それがよかろう〉
立ち上がった少女が構えた弓矢。それが放たれた直後に、リンドブルムの姿が消滅する。何もない空間を凄まじい速度で横切り、天井へと突き刺さる一本の矢。
「あれ? もう終わり?」
「おバカ! ミリアナ様が送還してくれなければ、焼き殺されてるところですわ」
真っ先にエリザに駆け寄るリリア。エリザの身体に怪我はないかを確認しながらも、その無謀さを責めたてている。
「……あの時と同じ」
つぶやいたのはルヴィナだった。
「何か知っているのか、ルヴィナ」
ルーファスが尋ねると、ルヴィナはぎろりと彼を睨む。
「変態には関係ありません」
「……俺の変態認定は、まだ解除されていないのか」
二人の間にも、いろいろと問題があったようだ。
「……危ないところでした。すみません、本当に」
アルフレッドが改めて頭を下げるが、ミリアナは大きく首を振った。
「いえ……。あなたの気持ちもわかります。何なのでしょうね、あの力は……」
「わかりません。まさか、あそこまでとは思いませんでしたが……少なくとも、彼女には『魔』に対抗する不思議な力があるようです」
アルフレッドは、氷の巨人ヴァルディミオがエリザに攻撃した時の様子について、ミリアナに説明する。
「なるほど。でも、なぜ事前に教えてくださらなかったのですか?」
「試す相手がリンドブルムでは、承諾していただけそうもなかったので」
「はあ、呆れたわ……。あなたこそ五英雄でも一番の無茶をやらかす人でしたけど、今も相変わらずですね」
「面目ありません」
二人の視線の先には、リリアの小言を笑顔でごまかすエリザがいる。
「でも、あなたに今回の講習をお願いしたのは、これが目的だったわけじゃないんです。もう少し、彼らと話をしてあげてくれませんか?」
「……そうね。未来への希望を託す子供たちに、わたしが与えられるものがあるなら、余すところなく与えましょう」
ミリアナはあらためて、未来の英雄たちに語りかける。
邪竜戦争で失われた多くの命について。
戦場で培われた絆とそこから紡がれた未来について。
英雄が華々しく活躍した陰で、どれだけ多くの人々が汗を流し、その後の復興を後押ししてきたかについて。
「エリザ。あなたはどうして英雄になりたいのですか?」
「かっこいいから!」
ミリアナの質問に即答するエリザ。子供じみた答えに、一同がやれやれと首を振る中、月影の巫女の問いは続く。
「どうして英雄は、かっこいいと思うのですか?」
エリザは、周囲の反応など気にも留めず、自分の胸に抱く答えを堂々と口にする。
「あたしはさ、誰かのために命を張れる奴って、誰でもみんな英雄だと思うんだ。そういうのって、なんか、かっこいいじゃん」
「……そうですか。なら、あなたは誰かのために命を張れる人になりたいのですね?」
これまでになく、優しい響きの問いかけだった。エリザは、力強く頷く。
「うん。でも、どうせなら世界中の『誰か』のために戦う方が、かっこいいよね。だからあたしはいつか、『魔王』だって倒せるような最高の英雄になりたいんだ」
「……そう、ですか。ふふ、きっとあなたなら、そんな英雄になれますよ」
「え? ほんと!?」
「もちろんよ。月影の巫女の名に懸けて、わたしが保証するわ」
「へへ……」
若い友人に語りかけるように言いながら、ミリアナはエリザの赤毛の頭を優しく撫でた。エリザは、赤銅色の瞳を今までにないほど輝かせ、嬉しそうな笑みを浮かべてミリアナを見上げている。
英雄への幼稚な憧れを持った少女。
それまで、そんな風に思っていたエリザが語る意外な言葉に、アルフレッドや特殊クラスの面々は、驚いたように彼女を見る。ただし、リリアだけは、当然だと言わんばかりに他のメンバーを見渡していた。
「……なるほど。そういうことなら俺も同感だ」
「誰かのために……うん、わたしもそう思う」
「まあ、高貴なる者の責務ですわ」
頷きあう『四人』に、あらためて慈愛に満ちた笑みを向けるミリアナ。
「あなたたちはもう、立派な英雄です。どうかその気持ちを、忘れないでくださいね」
「まあね、任せてよ。世界はあたしが救ってみせる!」
ミリアナに褒められ、得意げに声を張り上げるエリザ。
「そのためにはまず、世界が滅亡の危機に瀕する必要がありましてよ?」
リリアが笑いを含んだ声でツッコミを入れる。
──と、そこへひときわ大きな声が響いた。
「おおい! なにそっちだけで良い雰囲気になってんだよおおお!? いくらなんでも、もう一時間くらい経ってるよね!? 今まさに、俺が滅亡の危機に瀕してるんですけどおおお!」
「あ、忘れてた」
教師にあるまじきアルフレッドの発言に、その場が笑いに包まれる。
「いやいや! 笑ってる場合じゃないって! 誰か、俺のために命を張ってくれる奴はいないのかああ!」
半泣き状態で黒い亡霊に追い回される、エドガーの叫び。
それが今回の特別講習の締めくくりとなったようだ。
次回「第21話 少年魔王と大怪盗(上)」




