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少年魔王の『世界征服』と英雄少女の『魔王退治』  作者: NewWorld
第2部 第5章 魔王と英雄と狂気の挙式
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第125話 少年少女と狂月の孤独(上)

 式典会場となる礼拝堂は、数千人を超える数の座席が用意されており、構造的には演劇場のような造りをしている。改築を指示したプラグマ伯爵が、いかにこの日を『政治宣伝』の場として有効活用しようとしていたのかが窺われた。


 しかし、そうした伯爵のよこしまな思惑でさえ、さらに『邪悪な意志』によって別の形で利用されようとしているとは、会場に集まる民衆たちも気付いてはいない。


「それにしても、この人の多さはどうにかならないのかな?」


 さすがのネザクも、少し辟易とした顔で息を吐いている。ネザクとエリザは人ごみの中をかき分けつつ、どうにか中央祭壇の置かれたステージ間近の席を確保していたが、それでも座席同士の間隔も狭く、人口密度は不快さを禁じ得ないレベルのものだった。


「リリア……大丈夫かな」


 心配そうに誰もいないステージを見つめるエリザ。


「大丈夫だよ。結婚式の前なんだ。丁重に扱われているはずだよ。僕らがここに来ていることだって、きっと彼女にはわかってるはずさ」


 ネザクは勇気づけるように、隣に腰かけるエリザの手をそっと握る。


「……うん。リリアもきっと、この式典がチャンスだと思って大人しくしているだけだよね? だから、きっと大丈夫……」


 親友の無事を心配するあまり、エリザは少年の手の温かさを心地よく思いながらも、彼に手を握られているという状況そのものに対する自覚を持てていない。


 一方、エドガーとルヴィナの二人は、『白霊戦術イマジン・タクティクス』が生み出した『ニーアの黒い霧』に隠れながら機を窺っていた。暗界第十八階位『闇の人形ニーア』の黒い霧には、霧に包まれた者を外部から認識されないようにする力がある。


「しかし、……困りましたね。ここまで人の密度が高いと、下手に混乱させればかえって犠牲者が出てしまいかねませんし……」


「そうね。でも、リリアさんの無事さえ確認できれば、速攻で片をつけて離脱することも難しくないわ。客席の混乱には至らないはずよ」


「まあ、警備兵の連中くらいなら、エリザやネザクの敵ではないでしょうからね」


 息を潜めて言葉を交わし合うルヴィナとエドガー。二人はステージのすぐ傍からリリアが登場するのを待っている。万が一を考えれば、リリアが抵抗しないよう、陰から武器を突きつけられているなどの危険もあるかもしれないからだ。


 いずれにしても、エリザやネザクに先駆けて、エドガーの《黒死夢爪》でそうした危険を排除しつつ、奇襲攻撃をしかけるのが二人の役割だった。


 やがて、式典会場にファンファーレが鳴り響く。

 霊戦術ポゼッションの粋を集めて造り出された舞台上部の巨大なスクリーン。そこには、舞台の奥──中央祭壇の脇から一人の男性が歩み出てくる姿が映っていた。花婿の父であるプラグマ伯爵だ。顔面を蒼白にしたまま、彼はゆっくりとした足取りで祭壇の前に進み出る。


「ようこそ……お集まりの諸君! 我がプラグマ伯爵家が新たなる『蒼き血の娘』を迎えるこの門出の日に、よく集まってくれた! 伯爵家を代表するものとして、皆にはわたしから感謝の意を申し上げよう」


 伯爵家という貴族の血ではなく、『蒼き血の娘』を庇護し、その血脈を受け継ぐ家柄であるという理由だけで、この国の支配者たりえているプラグマ伯爵家。それゆえか、民衆に対する呼びかけも、一種独特の言い回しが使われている。


「……様子が変ですね」


「ええ。遠目からでは分からないでしょうけど、どうしてあんなに震えているのかしら?」


 いぶかしむ二人の前で、儀式は進む。


「それでは早速、我らが麗しき花嫁! いと貴き『蒼き血の娘』リリア・ブルーブラッドの御姿をご覧にいれよう!」


 彼が芝居がかった仕草で腕を振った先は、舞台奥の祭壇脇。彼自身が登場した扉とは反対側の扉だった。従者によってうやうやしく開かれた扉の向こう。そこには、輝かんばかりに美しい白金の髪の少女がいた。蒼い宝石に彩られた純白の花嫁衣装に身を包み、綺麗に結い上げられた髪を優雅に垂らして、しずしずと祭壇前に進み出てくる。


 スクリーンに大写しにされた美しい花嫁の姿に、それまで無気力気味だった観客たちからも熱いため息が漏れ、それはやがて大歓声に取ってかわられた。


「うお……綺麗だなあ……」


 間近で見ていたエドガーもまた、思わず感心の声を上げる。が、しかし……


「いた! イタタッ! ルヴィナ先輩! なんでつねるんですか?」


「……うるさい。いいから、ちゃんと集中しなさい」


 苛立ったような声を掛けられ、首を傾げるエドガー。ちらりと視線を向ければ、少し拗ねたようなルヴィナの横顔がある。


「やばい。この先輩……めちゃくちゃ可愛いぞ」


 気づけば、そんな彼女の横顔から目が離せなくなっていた。


「ちょっとエドガー君? 聞いてるの?」


「え? あ、は、はい」


「まったくもう……。いい? どうやらステージ上には魔法のトラップの類はなさそうよ。あなたの方が目がいいのだから、狙撃手の有無は確認してもらえる?」


「はい!」


 エドガーは威勢よく返事をすると、周囲を改めて確認する。リリアの無事が分かった以上、舞台の上の安全さえ確保できれば、奪還に動き出すことができるはずだった。


 しかし、その直後のこと。


「さあ、それでは、この美しき花嫁を妻とする果報者──わ、我が息子……『ダニエル』の……入場だ」


 声を震わせる伯爵の顔は、諦めと絶望に染まっている。そのことに、エドガーとルヴィナ、さらには観客席で腰を浮かせかけたエリザとネザクが違和感を感じた、その時だった。


「……発動、《暗い世界で孤独を笑え》」


 艶やかな女性の声。小さな声でありながら、なぜか会場にいる全員に聞こえた詠唱の言葉は、礼拝堂そのものを媒体として、強大な魔法効果を発現させる。


「うあ!」


「きゃあ!」


 礼拝堂自体が激しく振動する中、エドガーとルヴィナを包む、『ニーアの黒い霧』がいつの間にか消えている。


「こ、これは……」


「く、くそ……力が……」


 発動した魔法は、会場内で『彼女の声』を聞いた者全員から、あらゆる『力』を奪い去っていた。


「ネザク? 大丈夫?」


「う、うん。……でも、駄目だ。身体がほとんど動かせないよ。僕の『ルナティックドレイン』まで阻害されてる。まるで……この星界に生きる皆とのつながりが妨害されているみたいな……」


 エリザに心配の声を掛けられたネザクは、どうにか彼女に顔を向ける。こうして多少なりとも身体を動かせるのは、会場内でもネザクぐらいのものらしい。数千人の観客たちは全員、金縛りにあったように固まっている。ただ、全員に共通しているのは、ステージの方から片時たりとも目を離すことを許されないかのように、身体や首の向きを固定されていることだろうか。


「……うう。あたしもだ。この星界と繋がってる感じがしない。ひとりぼっちで、寂しくて……なんだろう? この感じ……」


 同じく身体の自由を奪われたエリザ。しかし、彼女だけは、身体だけではなく、心にも異変を感じていた。


「エ、エリザ? 大丈夫?」


「え? 何が?」


「そ、その……泣いてる、みたいだから……」


 いつも勝気で朗らかな笑みを浮かべる少女の瞳から、透明な雫がこぼれ落ちている。


「え? う、うそ? なんで?」


「……うふふ。『儚き想いのカケラ』の少女……あなたにも、わたしの孤独の何万分の一かくらいは理解してもらえたのかしらね」


 自覚もないままに涙を流すエリザの耳に、先ほどの詠唱と同じ声が聞こえてくる。気づけば壇上に立つ伯爵の横に、真紅の髪の美女がいた。


「な……お、お前は?」


「でも、あなたはそれ以上、知らなくていい。わたしのことなど、あなたに知ってもらう必要はない。これから始まる『狂気の宴』を特等席から、ゆっくりと眺めるがいいわ。……うふふ! さあ、始めましょうか? わたしの愛しい『月の牙』」


 金縛りにあったまま立ち尽くすプラグマ伯爵の身体を押しのけて倒し、そのままリリアへと歩み寄る真紅の髪の美女。


「……ルーナ。あなた、一体どうやってこんな真似を……」


 自分の身体が指一本動かせないことに悔しさをにじませながら、リリアは近づいてくるルーナを睨みつける。


「大したことはしていないわ。声を媒介に、わたしの『孤独』を皆に届けてあげただけ。この時、この瞬間に、厄介なあなたのお仲間がこの場に集まるだろうことを、わたしが予測していないとでも思った? うふふ。それなりの手は打たせてもらったわ」


 リリアの顔に唇を寄せて囁いたルーナは、その頬を一撫ですると、ゆっくりと振り返る。


「さあ、『ダニエル』。狂気の宴の主役はあなたよ。思う存分、あなたの花嫁を汚しなさい」


 彼女が手招きするその先にいたのは、見るもおぞましい化け物の姿だった。ぶよぶよとした赤い肉の塊から、緑色の粘液を滴らせた無数の触手をうぞうぞと伸ばしている。大きさの不揃いな眼球を血走らせたその姿は、かろうじて人型を保っているとはいえ、到底正視に堪えるものではなかった。


「うわああああ!」


「きゃああああ!」


 たちまち、会場中から絶叫が上がる。ちなみに、プラグマ伯爵は美しいリリアに不似合いなダニエルの容姿が人々に知られることを危惧し、この日まで彼を公的な場に立たせるようなことはほとんどなかった。しかし、そんな事とは関係なく、いったい誰がこの化け物を伯爵家の跡取り息子だと思うだろうか?


 生理的嫌悪感さえ催す醜悪な化け物から、目を逸らしたくても目を逸らせない。そんな観客たちに向け、紅い髪の美女から精神的な『死刑宣告』が為される。


「お聞きなさい。この粘液に塗れた醜い化け物こそ、伯爵家の一人息子、ダニエル様その人よ。そしてあなたたちには……うふふ! これからたっぷりと、穢れを知らない美しい『蒼き血の娘』が、この肉塊との『愛の営み』によって汚れていく様を見せてあげるわ! あはははは! どう? 嬉しい? 嬉しいでしょう? 嬉しいわよねえ? ……だったら、笑え! 笑いなさい! あはははは!」


 狂気に満ちた哄笑を上げるルーナ。彼女の言葉は、数瞬の間をおいて、人々の心に浸透していく。たちまち会場内に溢れる怒号と怨嗟の声。しかし、彼らは声こそ出せても、身体は動かせない。


「くそ! そんなこと! させてたまるか!」


 ネザクも必死に身体を動かそうと叫ぶが、彼の身体は緩慢にしか動かず、立ち上がることさえままならなかった。


 そして、赤い肉の塊は、じゅるじゅると気色の悪い音を立てながら、ゆっくりと祭壇の中央に向かって動き出す。


「うひひひ! ぶひゃは! リリアたん……リリアたん。 ぼ、ボクが、た、ターップリ、カワイガってアゲるからネエエエ!」


 歪に歪んだ口元からも緑色の粘液を滴らせ、ずるずるとリリアへの距離を詰めていく『ダニエル』。


「い、いや……。こ、来ないで……」


 いつもは気丈なリリアも、これには恐怖を隠しきれず、怯えたように震える声を出している。


「ウヒヒ……。か、カワイイなあ……」


 そんなリリアの姿は、怪物となった『ダニエル』をより一層興奮させるものだったらしい。嬉しげに顔を歪ませ、触手をぶるぶると振りかざしている。


「や、やめろ! なんで、何が目的でこんなことをするんだ!」


 エリザが叫ぶ。しかし、そんな彼女をルーナは冷たく見下ろし、やれやれと首を振る。


「あなたには関係ないわよ。『ザンゲツの御子』。わたしは既に、この『孤独』を生み出した……あなたの『月を斬り裂くチカラ』にも、恨みなど抱いていない。遠い昔に失った……あなたの『儚き想いのカケラ』にも、未練はない。『狂気』によって、世界を回す。わたしを包む、『歪んだ世界』を振り払う。それこそが、わたしのすべてなのだから」


「……くそ、動けない。僕とエリザを……こんな風に抑え込めるなんて、君は一体何者なんだ?」


 悔しげに歯噛みするネザクに向けて、ルーナはにこやかに笑いかける。


「うふふ。あなたに言われたくないわね。おぞましい化け物が。あなたがどんなに『真月』を集めても、……『狂気』によって増幅された、わたしの『狂月』には及ばない。今はただ、儀式が終わるのを見守っていなさい」


 けらけらと笑うルーナ。会場中の絶望の視線は、今まさに赤い肉塊に蹂躙され、凌辱されようとしているリリアへと向けられていた。


 ずるりと、緑の粘液に塗れた触手がリリアの頬に伸ばされる。スクリーンに映された少女の絶望的な表情と、彼女に迫るおぞましい触手の群れ。観客席の民衆たちもまた、絶望に心をわしづかみにされ、声一つ上げることができないでいた。


「ひっ! い、いや! こ、来ないで……。誰か……こんな……。うう……」


 おぞましい怪物は、今やリリアに覆いかぶさらんばかりに両腕を広げている。

 ──その時、恐怖で真っ白に染まるリリアの頭の中に、一人の少年の姿が思い浮かんだ。


 察しが悪く、間が悪く、そして何より性質たちが悪い。

 ──ダークエルフの少年の姿。


「ルーファス! 貴方がわたくしの王子様なら……ここで助けに来なくて、どうするのよ!」


 パニックに陥ったリリアが支離滅裂な叫び声を上げた、その時──


「発動、《無限連鎖の熱反応》」


 無感情なまでに冷静な、少年の声。リリアと肉塊の間に割って入るように飛び込んできたのは、彼女がたった今、思い浮かべた『王子様』の姿だった。


「ウギャアアア!」


 『ダニエル』の身体に少年が放った赤い光が接触するや否や、その体内で連鎖的に熱上昇が引き起こされ、見る間に全身を焼き尽くしていく。


「発動、《影より忍び寄る脅威》」


「な? うあ!」


 突然の展開に驚いたルーナは、足元の影から出現した黒髪の少女への反応が遅れた。そしてそのまま、現れた少女──リゼルが放つ闇の波動に弾き飛ばされ、奥の祭壇へと叩きつけられる。


「え? う、嘘……」


 目に涙をにじませて、リリアが見つめるその先には、黒髪の少年の背中がある。


「ル、ルーファス?」


 震える声で呼びかけるリリアに、ルーファスは振り返る。


「……ギリギリとは言え、間に合ってよかったな」


「う、うう……」


 ダークエルフの少年の顔には、その冷静な声にはそぐわない優しい微笑が浮かんでいる。リリアを気遣うように、少し申し訳なさそうな目をしながら、彼はゆっくりと近づいてくる。そんな彼の姿に、リリアの目には涙が溢れそうになる。


 が、しかし──


「一応、君の『王子様』としては、及第点がもらえるだろうか?」


「な! なななな! さ、さっきの、まさか……聞いて?」


 優雅に一礼して見せたルーファスに、リリアは先ほどの自分の言葉を思い出し、顔を真っ赤にしてしまう。


 しかし、恥ずかしさよりもなお、こみ上げてくる感情にリリアの身体は自然と動く。ルーナがリゼルの攻撃でダメージを受けたせいか、彼女の身体を縛る呪縛はすでに解けているようだった。


「ルーファス!」


 ドレスの裾に足をもつれさせながらも、自分を救いに来た『王子様』へと駆け寄るリリア。迷うことなく、彼女はその胸の中へと飛び込んだのだった。

次回「第126話 少年少女と狂月の孤独(下)」

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