第12話 英雄少女と学園生活(下)
──翌日は、午前中から学院長直々の実技訓練の日だった。
「おはよー! リリア」
「……ええ、おはよう」
「なんだよ、テンション低いなあ」
「あなたに叩き起こされないよう、朝早く起き過ぎましたわ」
「あはは。馬鹿だなあ、リリアは。今日の訓練が楽しみだったあたしなんて、実は一睡もしてないんだぜ?」
「……遠足前日の幼児ですか、あなたは」
一睡もしていないと言う割には、つやつやと健康的な顔をしているエリザに、リリアは呆れたような視線を向けている。
「リリアは楽しみじゃないのかよ、先生の授業」
「それはまあ、学ぶことも多いですから楽しみですけど……参加者が気に入りませんわね」
「ああ、エドガーね。リリアはほんと、あいつのこと毛嫌いしてるよね?」
「……己の生まれた血筋にあぐらをかいて、その責任の重さを自覚しない人間を見ていると、イライラしますの。……でも、あなたの方こそ、彼に対しては『気持ち悪い』だなんて、随分なことを言っていませんこと?」
喧嘩でもないのに他人に向かって悪意のある言葉を言うこと自体、エリザには珍しいことだ。
「ん? ああ……あいつって、自分が『弱い』と思い込んでいるみたいなんだよね」
「まさか、そんなことはありませんわ。聞いた話では、あの男、英雄王の息子であることを自慢して、必要以上に自分の力を誇示する嫌味な奴だと評判じゃありませんの」
リリアが言うと、エリザは真剣な顔で頷きを返す。
「うん。だからそれなんだよ。あいつは、『強くなりたい』んじゃなくて、『強いと思われたい』んだ。まあ、これはあたしの勘なんだけど、そういうところが気持ち悪くってさ」
「そうですの」
気のない返事をしながらも、リリアは感心したような目をエリザに向けている。エリザは普段、彼女の実力を妬む他の生徒からの嫌味や皮肉には、気付きもしない。リリアもかつてはエリザのそうした『鈍さ』について、彼女が自己中心的な性格をしており、他人に関心を持っていないからなのだと思っていた。しかし、そうではない。実際には、こうした他人に対する鋭い観察眼も持っているのだ。
「ほら、早く行こうよ」
「ええ……」
リリアも着替えを済ませ、眠い顔を冷水で洗って引き締めた。
特殊クラスに配属された生徒は、四年制の全校あわせて二百七十一名のうち、わずかに五名のみである。
最上級生のルーファス・クラスタ。彼は、まれにエルフ族の中に生まれる突然変異種、ダークエルフ族の少年だ。彼には、ダークエルフ特有の高い魔力と学院の判定では最高クラスの白霊術の適性がある。彼には特別に学外での単独実地研修が許可されているせいもあり、エリザたちもまだ会ったことはない。
三年生のルヴィナ・ハーティシア。月召術と白霊術に高い適性を持つ少女。白く長い髪に銀の瞳。彼女は、西方の大国クレセント王国の支配階級である月影一族の出身だ。
二年生のエドガー・バーミリオン。言わずと知れた銀狼族の英雄の息子。特に魔闘術にかけては、学院内でも右に出る者がいない実力の持ち主だ。
今日もルーファスを除く四人が、アルフレッドの特別授業を受けることとなっており、早速グラウンドへと集合したところだったのだが……。
「よーし! 今日こそは先生に勝つ!」
エリザは元気よく叫ぶと、アルフレッドに向かって突撃を仕掛ける。
「あ! 馬鹿! 今日は違う訓練だと言ってましたでしょう!」
リリアが叫ぶのも聞こえていないようだ。両手に銀に輝く手甲を着けた少女は、低く地を這うような体勢のまま、アルフレッドの元まで疾駆する。一方のアルフレッドは呆れたように息をつくと、半身を引いて構えを取り、エリザの動きを見極める。
「爆砂の双牙!」
自分で考えたらしい技名を叫ぶのは、いつものことだ。しかし、彼女はいつもより工夫を凝らしていた。低い姿勢のまま右手の手甲でグラウンドの土を抉るように放つアッパーカット。それは文字どおり、大地を爆発させるような威力でもって粉塵を巻き上げた。
「目くらましか」
アルフレッドは動じない。間合いより遥か離れた場所での攻撃など、警戒するに値しない。足元を揺るがす衝撃には内心で驚きはしたものの、気を付けるべきは彼女が接近してからだ。
不意に感じる気配は頭上。半身に構えた身体を左にずらし、その一撃を回避する。ずんと響く衝撃。振り下ろされたのは、鎖の先端に分銅が付いた武器。
「相変わらず、自由度が高い術だね。これを生かすべきか、多少は矯正するべきか……」
ありあまる星喚術の才。彼女のそれは最高クラスどころか、測定不能なレベルだと彼は思っている。それだけに、彼女をどう育てるべきか、アルフレッドはぜいたくな悩みを抱えていた。
などと考え事をしていたのは、彼にも油断があったからだろう。エリザの真の狙いに、彼は気付くのが遅れた。
再びの衝撃。激しく揺れる地面。だが、一度目よりも近い距離で放たれたそれは、煙幕などではなく、物理的な衝撃を持ってアルフレッドの身体を襲う土砂の弾幕だった。
「うお!」
思わず焦りの声が出た。気づけば懐に赤い影。地を這う炎のように駆け抜けてきた赤髪の少女は、赤銅色の瞳にニヤリと会心の笑みを浮かべ、彼の胴体めがけて拳の一撃を叩き込む。
何かが弾かれるような甲高い音。エリザの手甲とアルフレッドの身体の間には、薄い光の膜のようなものが出現し、その接触を阻んでいた。直後にアルフレッドに腕を掴まれ、そのまま遠くに放り飛ばされるエリザ。だが、彼女は嬉しそうだ。
「やったぜ! とうとう先生に星霊楯ラルヴァを使わせてやったぞ」
しかし、宙返りをしながら危なげなく着地を決める少女の足を、地面から生えた半透明の腕がしっかりと掴む。
「うわっと!」
「……あなたは三歩歩くと聞いたことを忘れてしまいますの? 今日の授業は生徒同士の組手が中心になると、さっきも確認しながら歩いてきたはずですわよね?」
呆れた顔でリリア。
「え? そうだっけ? っていうかリリア。この手、引っ込めてよ。なんだか力が抜けてきたんだけど……」
「あなたには、それぐらいがちょうどよろしくてよ」
言いながらもリリアは、術を引っ込めてやる。すると後ろから、ルヴィナが声をかけてきた。
「……あの子、ますます化け物じみてきたわね。先生に星霊楯を使わせたこともそうだけど、あなたの術、あれって精気吸収魔法でしょう? いくら手加減してるとしても、なんであんなに平気なのかしら?」
リリアは声のした方に振り向く。雪のように白い髪。線の細い、たおやかな少女。それでもリリアは、この少女が見た目よりはるかに強いことを知っている。
「エリザを常識で測っていはいけませんわ。ちなみにあの術、手加減なんてしてませんもの」
さも当然のような声で言うリリアに、ルヴィナは驚きで銀の瞳を丸くする。と、そこに重なるアルフレッドの声。
「いや、参ったよ。エリザはまた強くなったな。でも、少し落ち着きを持った方がいい。血気盛んなばかりじゃ、英雄にはなれないぞ」
「うん! わかった!」
頬を上気させて答えるエリザ。全くわかっていない様子だった。
「それで先生。今日はどんなメニューですか?」
気を取り直し、ルヴィナが皆を代表して訊く。この場にいないルーファスを除けば、彼女が一番上級生だ。
「ああ、さっきリリアが言った通り、組手だよ。それを俺が見て、みんなの課題を見つけたいと思う。君らの実力なら、四人もいればそろそろ外の経験をしてもいい頃だし、その前の点検と言ったところかな?」
──組手の開始。
エドガーと向かい合ったリリアは、ここぞとばかりに大量の死霊を彼にけしかけていた。霊戦術と魔闘術では、相性の問題で後者の方が若干分が悪い。悲鳴を上げて逃げ回るエドガー。
「くそ! しつこい! あいつ、化け物か? 『吸血の姫』だかなんだか知らないけど、こんなに大量の死霊を一度に使役するとか、どんな冗談だよ!」
身体を獣化させ、闇雲に拳を振り回すものの、そんなものでは有効な打撃を与えられない。魔力を肉体にまとい、生命力の増幅を可能とする魔闘術を使えば、精気吸収だけでやられてしまうことはないが、苦しいことに違いはない。彼が並みの使い手であれば、とっくに体力が尽きて倒れているところだ。
「とにかく、術者をやるしかないな」
とはいえ、エドガーもこの学院の二年生だ。それなりに訓練を積んできている以上、霊戦術師対策ぐらいは心得ている。今や狼の牙が並ぶ口を大きく開き、叫ぶ。
「発動《魔獣の咆哮》」
指向性を持った咆哮の衝撃波。声に魔力をまとわせて放つ魔闘術の数少ない遠距離攻撃だ。
「甘いですわ。発動《黒山の羽根》」
リリアの正面に巨大な黒羽根の塊が出現する。あらかじめ用意した黒鴉の羽毛を『憑代』とする防御魔法だ。エドガーが放った衝撃波は、虚しくその中へと吸収されていく。
「くそ! こうなりゃ突撃あるのみだ! エリザに認められるため、俺はこんなところで負けるわけにはいかないんだよ!」
「まったく、いい加減にしてほしいですわね……」
呆れたように言いながらも、リリアは集中の度合いを高める。魔闘術師に接近を許すということは、すなわち敗北を意味する。無理矢理だろうと特攻を仕掛けてくるというのは、ここまで余裕があるように見えるリリアにとっても警戒すべきことだった
「いくぜ! うおおおお!」
「やらせませんわ!」
──エリザ対ルヴィナ組
ルヴィナは、幻界から第十八階位の『魔』を召喚していた。氷の巨人ヴァルディミオ。彼女が召喚できる『魔』の中でも、比較的強力な一体だ。
だが、ルヴィナの強さは強力な『魔』を召喚できることではない。高度な白霊術を巧みに駆使し、計算されつくした戦術による『魔』との優れたコンビネーション。それこそが彼女の真骨頂だった。
「あなたを相手に手加減して勝てるとは思えないし、全力で行かせてもらうわ」
静かな声でそう語る彼女には、静かな闘志が感じられる。先輩としての意地もあるのだろう。だが、逆に言えば、彼女はそれだけエリザのことを認めているということでもある。
「よし、じゃあいざ尋常に、勝負だ!」
「発動《燃え盛る壁》」
嬉々として挑みかかるエリザの正面に、炎の壁が立ちふさがる。ルヴィナの使う白霊術は精神イメージを具象化するものだ。魔力と想像力さえあれば、如何なる事象も現実のものとできる汎用性の高い術である。とはいえ、戦闘中に複雑な事象をイメージするのは困難であり、通常はこうした炎や風などのイメージしやすい自然現象をなぞった形で使用される。
「大じゃーんぷ!」
常人離れした脚力でそそり立つ炎の壁を飛び越えるエリザ。だが、着地しようとした場所には、蒼い巨人ヴァルディミオが息吹で生み出した氷の剣山が生えていた。
「うっそお!」
叫びながらもエリザは巨大な楯を生み出し、足場として足元に向ける。だがそれは、ルヴィナの誘いだった。具現化した武具を足元の防御に使えば、エリザの正面はがら空きだ。それも着地の直前である以上、回避行動も難しい。
「発動、《かまいたちの刃》」
吹き荒れる風に潜む無数の刃。それはとっさに腕で顔を庇ったエリザの身体に、無数の切り傷を作り出す。
「いたたたた!」
だが、思ったよりも強い攻撃ではない。エリザはいぶかしく思いながら、どうにか氷の剣山地帯から飛び離れる。しかし、彼女の飛んだ方向さえ、ルヴィナが誘導したものだった。計算しつくされた剣山の生え方は、その中央にいる者に特定の方向への脱出しか許さない。
「ヴァルディミオ! とどめよ」
第十八階位の氷の巨人。ヴァルディミオ。彼は忠実に、召喚者であるルヴィナの指示した地点で待ち構えていた。触れたものを凍らせる冷気をまとった巨大な拳。それを両手でハンマーのように構え、飛んできたエリザに叩きつけようとする。
一歩間違えれば即死しかねない手加減抜きの攻撃だが、エリザなら耐えられるだろう。ルヴィナはそう思った。幸い傍には極めつけの白霊術師であるアルフレッドもいるのだ。後遺症も残さず治癒してくれるだろう。
だが、しかし──結果は思いもよらぬものだった。
──放課後。学院長の執務室にて。
「今日の訓練はいかがでしたか?」
応接のソファに向かい合って座るアルフレッドとエルムンド。親と子ほどにも年齢の違うこの学院のトップ2だ。彼らはこうして、時々執務室での相談を行うことがある。たいていはエルムンドからの報告事項が多いのだが、この日ばかりはアルフレッドからの話が中心となりそうだった。
「……まあ、なんというか。いつも通りと言えばいつも通りだけど……あの二人には驚かされたね」
「……確か、生徒同士の組手をやらせる予定でしたか」
「ああ。うん」
なんとなくアルフレッドの歯切れが悪い。
「どうしたのですか?」
「組み合わせを間違えたと思ってね」
エリザ対ルヴィナ。リリア対エドガー。
「なるほど、まさか下級生二人が上級生に勝ってしまったとか?」
アルフレッドが後悔するとしたら、そこだろう。エルムンドはそう推測した。上級生に自信を無くさせるようなことは、彼の望むところではないはずだ。
「いや、決着はつかなかったよ。俺が止めたと言うのもあるけど……」
「では、なんです?」
「強さとかそういった基準は別にしても、あの二人は特別すぎる。それをエドガーとルヴィナも目の当たりにしてしまった。口止めはしておいたけどね」
「特別ですか。まあ、リリア君の方は百年に一度のブルーブラッドです。さもありなんといったところですが……確かエリザ君に関しては星喚術以外には大した術適性もなかったはずですよね?」
「ああ。でも、考えてみればそれがおかしい。術適性が弱いどころじゃなく、彼女にはその他の術適性が一切『無い』んだ。彼女は『白季』の生まれだそうだが、それならたとえどんなにわずかでも、白霊術の適性を持っているべきだ。この星界に生まれながら四大系統の術適性を持たないなんて、異常なことだろう?」
「ですがその件は、まだ彼女が未発達の子供だからだと、結論付けた話ではありませんでしたかな?」
「ああ、だが君だって、アレを見たら考え方が変わると思うよ。きっとね」
アルフレッドは言いながら思い出す。
──幻界第十八階位の氷の巨人ヴァルディミオ。強大な力を有する『魔』によるハンマーブロー。それを形作った両腕が少女の身体に直撃した瞬間、粉々に砕け、吹き飛んでしまった光景を。
殴られたエリザは、地に転がって痛そうにしていたものの、全くの無傷。両腕を無くした青い巨人はよろよろと後退し、彼を使役するルヴィナの目も、これ以上ないくらいに見開かれていた……。
第1章の最終話です。
次回「第1章 登場人物紹介」の後、第2章となります。




