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少年魔王の『世界征服』と英雄少女の『魔王退治』  作者: NewWorld
第2部 第3章 荒ぶる獣と猛る英雄
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『ゾア』~我の血潮に染まりしは

 英雄少女エリザ・ルナルフレアは、ついに目的地である『修羅の演武場』に到着していた。かつて銀牙の獣王がそうだったように、闘技場の入口から内部に侵入した彼女は、あまりの敵の気配のなさに不信感を募らせる。


「なんで、何もないんだ? まさか、親玉はここにはいないのか?」


 つい、独り言のようにそんな言葉を口にしてしまう。だが、その時──周囲の空気を震わすような、力強い声が響く。


〈ああ、俺は幸せだ! 最高だ! まさか、まさか、こんな瞬間に生きることができるなんて、俺は夢にも思わなかった!〉


「誰だ!」


 声は聞こえても姿は見えない。エリザは油断なく周囲を見渡した。ここは闘技場とは言っても、観客席があるわけではない。いや、観客席のような形で周囲を覆うものはあるが、そこには観客が座るに適した椅子などない。武骨な石づくりの段差がついた斜面に過ぎない。


 だからというわけでもないが、その斜面には誰もいない。もちろん、エリザが建つ石畳の舞台の上にも、誰もいない。


〈霊賢王の野郎は適当なことを抜かしてやがったが……ぐははは! 最高だぜ、『星辰の御子』! いやさ、エリザ・ルナルフレア!〉


 現れたのは、一人の男だ。闘技場のもう一つの入口。エリザが入ってきた入り口とは反対側に当たるそこから、大柄な身体の男が選手入場とばかりに歩いてくる。その姿を見て、エリザは驚愕する。


「イデオンさん!」


 しかし、彼女のそんな呼びかけに、目の前の男は不気味な笑みで応じるだけだ。その姿こそ銀狼族の武人のものなのに、慣れ親しんだ銀髪の偉丈夫のものなのに、なぜかその目に宿る輝きだけが、ソレが別人であることを告げていた。


「何者だ! イデオンさんに何をした!」


〈ほう? 察しがいいじゃねえか。ただの猪突猛進馬鹿ってわけでもないみたいだな。この男の持つ『記憶』の通りだ〉


「記憶?」


〈まあ、聞かれたことには答えてやるよ。俺は戦いだけを楽しみたいんでね。……お前の言うイデオンって奴は、間違いなくこの身体の元の持ち主だ、でもって今は俺の身体だな。んで、身体を掠奪すると同時に、記憶も多少はいただけるって寸法なんだよ〉


 イデオンの姿をした男は、その巨体を揺するようにして笑う。


「か、身体を掠奪って……。じゃあ、イデオンさんはどうなったんだ!」


〈ああ? 決まってんだろ、そんなもん。俺の『血気』を肉体に受け入れて、それでも自我を保ってられる奴なんざいねえよ。とっくに消滅してるだろうさ。ぐはははは!〉


「そんな! ……お前は、お前は!」


〈ぐははは! いいねえ。いいねえ。その闘気、その殺気! そうだ! それこそが俺がてめえに求めるものだ。ぐははは! なんだろうな? お前にそんな目で見られると、何かが『懐かしくて』仕方がねえや……〉


 その男は、頬を伝う『涙』をぬぐった。


「な、なんだ? 泣いてる……のか?」


 いぶかしむエリザに、男は首を振る。


〈目にゴミが入っただけだ。ぐははは! とりあえず、名乗りがまだだったなあ。俺の名はグランアスラ。獄界第二階位の獄獣王だ。こんな姿で失礼するぜ、と言いたいところだが、こいつの身体は最高だ。ほとんど全力で戦えそうなくらいだぜ〉


「うるさい! イデオンさんの身体を返せ!」


〈だから、そんな奴は消えたって言ってんだろうが! さあ、来い! 全力で戦いを楽しもうぜえ!〉


 もう問答は飽きたとばかりに、グランアスラはだらりと腕を下げた姿勢から素早く地を蹴ると、次の瞬間にはエリザの目前へと迫っていた。そのまま間髪入れず、握り拳をエリザめがけて叩きつけてくる。不意を突かれたこともあったが、その速度はエリザの予想をはるかに上回るものだった。


「うわあ!」


〈おらあ!〉


 とっさに出現させた楯で防ぐが、踏ん張りの利かない体勢で受けたエリザは、楯ごと後方に弾き飛ばされてしまう。


「くそ! え? どこだ!?」


 一転して跳び起きたときにはすでに、グランアスラの姿は視界にはない。


〈ここだよ、おらあ!〉


 背後から聞こえる声。それより一瞬早く感じた気配に、エリザは振り返りもしないまま、とっさに身を前に投げ出した。


〈ぐははは! 良い判断だぜ!〉


 エリザが再び一転して起き上がる際にちらりと見えた物。それはイデオンだった肉体の胸から、巨大な蛇のような頭が生えている光景だった。エリザが下手に振り向こうとしていたら、拳は防げてもあの牙の餌食だったかもしれない。


 そして、その一瞬後には、またも姿を消す獄獣王。


「くそ! なら、これでどうだ! 発動、《降魔剣技:斬月の回天円斬》!」


 エリザは自分の周囲を薙ぐように真紅の水晶剣を振りかざす。巻き起こる黄金の炎は彼女の周囲を覆うようにして出現し、あたかも防御壁のような役目を果たした。


〈ぐははは! 早くもネタバレになるが、それじゃあ仕方ねえか!〉


「え? ぐあああ!」


 エリザは右足に痛みを感じて、足元に目を向ける。すると、石畳のはずの地面から野太い男の腕が現れ、彼女の右足首を凄まじい力で握っていた。


「うく!」


 エリザは咄嗟に神剣を振ろすが、その時には既に地面から敵の腕が消えていた。


「まずいな。脚をやられちゃった。……足元から攻撃してくるなんて」


〈ぐはは! 足元にばかり気を取られてんじゃねえぜ!〉


 右手側から声がする。だが、エリザは迷わず左手側に剣を振った。


〈ぐあああ! て、てめえ! なぜわかった!〉


 ようやく決まった手ごたえのある一撃。胸元の蛇を斬りおとされ、たたらを踏んで下がる敵の姿をエリザは冷静な目で見つめ、こともなげに言い放った。


「そんなの、勘に決まってるだろ」


〈は?〉


 唖然とした顔で固まるグランアスラ。だが、次の瞬間にはげらげらと笑い出す。


〈ぐははは! こりゃあ、いい! やっぱりお前、最高だぜ! さあ、さあ! もっとだ! もっと戦え! 俺を楽しませてくれ!〉


 イデオンの身体から、巨大な獣の牙のようなものが出現する。獄獣王が手でつかむと、その牙はあたかも剣のように形状を変えた。


〈これで剣対剣だなあ? ええ?〉


 エリザでさえ目で追いきれないほどの超スピード。周囲を駆けまわり、時折地面に姿を消して彼女を撹乱する獄獣王。さすがに魔闘術クラッドを司る『紅月』の王だけあって、その身体能力はリゼルアドラさえ凌駕しているようだ。


「うあ!」


〈どうしたどうした? もっと反撃して見せろ!〉


 暴風のように迫る獄獣王。頭上から牙の剣が、側面から足刀が、正面から獣の牙が、背面から強烈な体当たりが、休む間もなくエリザを襲う。かわしきれない攻撃は、乱打の嵐となってエリザの身体を強かに打ちつける。


「ううう! くそ! こうなったら!」


 エリザは一声叫ぶと、楯を構えてその目を閉じる。


〈ああ、なんだあ?〉


「発動……《降魔剣技:斬月の無明心眼》」


 術の発動と同時。精神を集中し、周囲の空気に己の心を溶け込ませるエリザ。星の申し子たる少女の意識は、星そのものと一体となり、周辺のあらゆる事象を感知する。


「はあ!」


 そうすることで彼女は撹乱の動きを無視し、自分に向けられた殺意を伴う攻撃だけに、必要最低限の動きで反応していた。


〈ぐあああ!?〉


 真紅の剣閃から放たれた黄金の炎に焼かれ、ようやく動きを止めた獄獣王。しかし、彼はなおも笑いを止めない。


〈ぐはははは!〉


 しかし、劣勢に立たされているとはいえ、月界の『魔』でありながら、エリザの攻撃を受けてこうして立っていられること自体、明らかに異常だった。ましてや彼女の使う黄金の炎に至っては、災害級最強の『魔』、暗界第四階位のルシフェルでさえ焼き尽くしたほどのものだ。通常なら、この程度のダメージで済むはずがない。


「イデオンさんの身体をつかってるのも、《掠式星装》って奴なのか?」


〈おうよ。『星心克月』の使い手の身体ならと、駄目元で試したんだがな。まさにどんぴしゃだったぜ。地面を身体にするより、闘いやすくて楽しいぜ〉


 嬉しそうに笑う獄獣王に、エリザは呆れたような顔をした。


「なんで、そんなに戦いたがるのさ?」


〈ああ? 知らねえよ。部下どもがこの星界を赤く染めたがるのと同じだろ? 俺は俺が持つ、闘争本能に従って戦うだけだ!〉


 グランアスラはくだらないことを聞くなと言いたげだった。だが、エリザはなおも食い下がる。


「その本能って奴には、理由があるんじゃないのか? さっきからアンタ、様子が変なんだよ」


〈うるせえな! んなこたあ、どうでもいい! さっさと戦え!〉


 その叫びを咆哮に変えて、衝撃波を伴う紫電の雷光を放つ獄獣王。だが、エリザはそれを神剣の一振りで消し散らす。


「全力で戦ってるのは間違いないのに……アンタ、あたしに攻撃を当てた時より、あたしに攻撃を喰らった時の方が嬉しそうじゃん」


〈な、なに?〉


 思いもよらないエリザの言葉に、激しい動揺を見せる獄獣王。


「なんか気持ち悪いんだよ。あたしにしてみれば、そんな奴と戦うのは楽しくもなんともない」


〈…………〉


 エリザの身も蓋もない言葉に、ぴたりと黙るグランアスラ。続く沈黙の時間は、ほんの数秒程度のことだ。だが、闘争心と血気に満ちていたはずの彼の顔は、まるで憑き物でも落ちたかのように無表情と化していた。


〈ぐは。ぐはは……。なるほどなあ〉


 やがて、そんな顔にも笑みが浮かび、何かに納得したようなつぶやきが聞こえ始める。


「な、なんだよ」


〈お前に言われて、たった今、俺は俺が肉体にしている『星界』の記憶を読んだ。正確には、さらにその奥にある『心月』の記憶だったせいで断片的ではあったがな。しかし、俺は理解したぜ〉


「え?」


〈お前の言うとおりだ。俺のこの本能には、俺を生み出した親──『魔獄の闘神ゾア』の想いが影響している。彼方から見つめ続け、憧れ続けて届かないと思っていたモノに手を伸ばし、その相手に己が身を引き裂かれた時の記憶がな……〉


 獄獣王はなおも何かを思い出すように言葉を続ける。


〈その時、四肢を裂かれながらもなお、そいつが思ったことはな──『ああ、至福の時は来たれり。清きその手で我が身を引き裂き、我の血潮に染まりしは、いと美しき我が憧れの君』だとさ! ぐはは。気持ち悪い……か。そうだなあ〉


 だらりと力無く下がる腕。それまでの闘争心が一気にしぼんだかのような有様だった。しかし、その直後。


〈だが、それがなんだ? 俺は俺だ。俺を生んだ奴が何を思おうが、それが俺にどんな影響を及ぼしていようが、関係ねえ。今ここで、俺がこの戦いを楽しいと思う心は、俺のもんだ。ぐはははは! だから、今度こそ全力で戦おうぜえ!〉


 獄獣王の全身から爆発的な力が吹き上がる。周囲の建物が吹き飛び、石畳が剥がれて大地が剥き出しになる。空に舞い上がった建造物の欠片たちが、残らず獄獣王の元へと集まり、その身体に貼りついて……否、まとわりついていく。


 人の形を失い、巨大化し、再び人の形を得る。

 見上げるほどの体躯を持った巨人。頭に角を生やし、イデオンの面影など微塵も残らぬその姿こそ、獄獣王グランアスラの真の姿なのだろう。


「ぐははははは! これが俺の全力だ! さあ、さあ、さあ、さあ! 受けてもらおうじゃねえか、エリザ・ルナルフレア! 俺の宿敵よ!」


 巨大な両腕をハンマーのような形に合わせ、頭上に振りかぶるグランアスラ。その両拳には、肉眼で強烈な光が確認できるほどのすさまじい魔力が集束している。


 まともに受ければ木端微塵どころか、足元の大地さえも広範囲に打ち砕かれてしまいそうな、馬鹿げた力だ。

 だが、エリザは怯みもせずにそれを見上げる。もとより足の傷で動きが鈍っていると言うこともあるが、それ以上にこの相手とは真っ向勝負で決着をつけるべきなのだと直感で理解していたからだ。


「よし! じゃあ、受けてやる。勝負だ。グランアスラ!」


〈ぐははは! いいねえ! 俺は本気でお前のことが気に入ったぜ! このまま終わっちまうのがもったいねえような戦いだが、ちまちま戦い続けていても興ざめだ! じゃあ、いくぜえ!〉


「来い! 発動、《降魔剣技:斬月の星心乱舞》!」


 エリザの身体から、黄金色と真紅の光が入り混じった闘気が吹き上がる。純粋無垢にして、圧倒的な星の力。ネザクが星界に棲む人々の心から『真月』を得ているのだとすれば、エリザは逆に、星界そのものから『星辰』を得ていた。


 振り下ろされる巨大なハンマーブロー。眩い閃光と共に、地を蹴り、真っ向から真紅の神剣を叩きつけるエリザ。


 解放された破壊の力は、まともに大地に叩きつけられていれば、バーミリオン全土を襲う巨大地震となって各地に甚大な被害を及ぼしていただろう。だが、そうはならなかった。


 すべての衝撃波は、空に向かって放たれていたからだ。

 それはすなわち、エリザ・ルナルフレアの勝利を意味していた。


〈ぐ、ぐははは……いいぜ、最高だ、最高だぜ。エリザ。それでこそ、俺の宿敵だ。ぐははは〉


 上半身を失い、残った下半身さえぼろぼろと崩れていく中、満足そうに呟くグランアスラ。全ての力を出し切ったエリザもまた、脱力した身体で大地に膝を着いている。


「いたた……。さすがに今回ばかりは、しんどかったなあ……」


 手の中から神剣を消し、大きく肩で息をつくエリザ。そんな彼女の目に、あるものが飛び込んでくる。


「あ! イデオンさん!」


 エリザは痛む足を無理矢理動かし、崩れゆく瓦礫の中にイデオンの身体を見つけ、どうにか受け止めながら離脱する。


「イデオンさん! 大丈夫? しっかり、しっかりしてよ!」


 銀髪の偉丈夫は、いくら声をかけても目を開けようとはしなかった。


「う、嘘でしょ? せっかく、せっかく助けたのに……、そんなの、そんなのないよ! エドガーだって頑張ってるんだ!  なのに、それなのに、どうしてあんたがこんなところで死んでるんだよ!」


 エリザは悔し紛れに横たわるイデオンの胸を叩き続ける。


「ふざけるな! この馬鹿! うう……こんなことって……」


 第一印象こそ最悪だった彼も、学院で訓練に付き合ってくれるようになってからは、そんな印象も随分と変わっていった。豪放磊落な彼の性格がエリザとも馬が合ったし、自分を気に入ってくれていることも嬉しかった。

 何だかんだと言いながらも、彼女にとっては憧れの英雄の一人でもあったし、超えるべき目標の一人だった。


 エリザの頬から涙がこぼれ落ちる。


 すると、その時だった。


「……うるせえな。人が寝てるときに耳元ででかい声出すんじゃねえよ」


 呻くような声と共に、英雄王は目を開けた。


「え? イ、イデオンさん?」


「……エリザか。随分と世話になっちまったみたいだな」


「……ほんとだよ。ここまで来るの、すっごく大変だったんだからね!」


 エリザは嬉しさを誤魔化すように、怒ったふりをしてまくしたてる。だが、イデオンは力無く地に身体を横たえたまま、にやりと笑った。


「まあ、泣くほど心配してくれる女がいるってのは、男冥利に尽きると言うべきだろうがな」


「え? い! ち、ちがっ!? 別に泣いてなんか!?」


 慌てて顔を拭い、ぶんぶんと首を振るエリザ。だが、そんな彼女を見て、イデオンは感心したように言葉を続けた。


「ふむ。やっぱり、お前、俺の息子にゃ勿体ないぐらいのいい女だな」


「んんあ!? な、何を言って!? ……そういうこと言ってると、奥さんに言いつけちゃうぞ」


 苦し紛れにそう言った途端だった。


「なに? ば、おま!? ちょっと待て! 頼むから冗談でもそういうことを言うな! あいつ、まじで嫉妬深いんだからな!」


「あれ? もしかしてイデオンさんって……奥さん怖いんだ?」


 弱点を握って立場逆転とばかりに、にやりと笑うエリザ。


「い、いや? 何言ってやがる。俺は男だぞ? 妻が怖いなんて、あるわけ……」


「じゃあ、イデオンさんに口説かれたって、レイファさんに言っても大丈夫だよね?」


「……す、すまん。頼む! そ、それだけは勘弁してくれ!」


 情けなくも許しを乞う英雄王に、エリザは思わず爆笑してしまったのだった。

第2部第3章最終話です。

次回、登場人物紹介を挟んで第2部第4章となります

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