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翠の通仙青春譚  作者: kae「王子が空気読まなすぎる」発売中
三章 演舞

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第26話 閑話―俊華

俊華(しゅんか)これを」

「……なんのおつもりですか、父上」



 妖怪に追われているという今この時、父が家宝の剣を自分の方に差し出してくるので、体の中心からゾワリとした不安が湧きあがってきた。


「お前の母を連れて、先に逃げなさい。私は少しばかりあの妖怪を足止めしてから逃げるから」

「妖怪の足止めをするのならなぜ、家宝の剣を手放すのですか!?」

「どうせ妖怪相手には、仙具(せんぐ)でもないただの剣は通用しない。大事な剣だ。傷つけないようにお前が持っていなさい」


「ですが……」

「時間がないんだ!」


 それまで冷静を装っていた父上が、ついに焦れたように大声を出した。


「いいから行け! お前ももう十歳だ。母を守る事ができるだろう。俺よりも一足先に、母の実家の姫家に行っていてくれ」

「あなた……」

「……頼んだぞ華蓉(かよう)。俊華は確実に、何百年に一人の武の天才だ。将来が楽しみだな。……さあ、行きなさい、二人とも」


「父上!!」

「さっさと行けーー!!」




 父の命に、母上の手を引きながら反射的に走り出した。

 腰にずしりと重い、家宝の剣を差して。




*****





 俺は山奥にある父の創始した道場で生まれ育った。

 数人のお弟子さんたちと一緒に暮らしていた平和なある日、突然一人の弟子の悲鳴が山中に響き渡った。

 慌てて駆け付けた父たちが目撃したのは、アツユという名の人面馬脚の妖怪が、のんびりと弟子の一人を食べているところだったという。


「た……たすけ……」


 食べられている弟子は、最初意識があったらしい。

 父たちは必死になって、その弟子を助けようと妖怪に立ち向かった。しかし仙人でもなければ仙具持たない人間に、妖怪を傷つけることはできない。

 必死の攻撃にも傷一つつかなかったアツユは、のんびりと最初の一人を食べ終わると、次の一人に噛みついた。



 事態の深刻さをそこで悟った父と残りのお弟子さんたちは、二人目の犠牲者が食べられている間にと、今度は散り散りになって逃げだした。

 誰かが仙人に助けを求めてアツユを止めない限り、ゆっくりと犠牲者は増え続けるだろう。


 母上と子供の俺を連れて逃げている父は、他の弟子よりも逃げるのが遅い。

 二人目の犠牲者を食べ終えたアツユが次に狙うのは俺達のはずだった。


 しかし怪我でもしていたのか、それとも隠れてやり過ごそうとしたのか。俺達よりも後方で、三人目の犠牲者の悲鳴が聞こえた時、父は安堵したようにホッとため息をこぼし、すぐにそんな自分を責めるように項垂れ、苦し気に呻いた。


 ……そしてそろそろ三人目の犠牲者が食べ終わるだろうという頃を見計らって、父は俺に剣を預けて、その場に留まった。


 誰がどう考えても、父の考えは明白だった。

 自分が食べられている間に、俺と母上を逃がすつもりだと。

 ほんの少し死ぬのが遅くなるだけだと分かっていても。その間に万が一、誰か仙人が駆け付けてこないかという一縷(いちる)の望みを託して。


 ――とにかくこの間に、少しでも遠くへ逃げよう。できるだけ遠くへ逃げて、そして俺も、母上を逃がしてその場に留まろう。



 『この間』というのが、父が食べられているだろう時間を指すことに気が付いた俺は、深く考えるのをやめた。

 父の悲鳴は聞こえなかった。

 俺達を心配させまいと、声を出さなかったのだろう。



 逃げる途中、ちょうどいい大きさの岩の割れ目を見つけた。

「母上、愛しています。どうぞご無事で」

「俊華!? 何を……!!」


 母に一人で逃げろと言っても聞かないだろうと思った俺は、申し訳ないが母の頭を少し揺らして、気を失わせた。

 岩の亀裂に母を入れ、周囲に落ちている枝や葉で、できる限り見えにくく隠した。

 こんなことくらいで妖怪から母上を隠すことは無理だと分かっていても、やらずにはおれなかった。


 そして今度は妖怪に向かって、できる限り母から離れるように計算して、走る。

 まだ同じ山に妖怪が潜んでいることは、体中の産毛が全て逆立つほどに感じていた。



 最後にせめて戦って死のうと、少し開けた場所を選んで足を止める。

 道中、偶然煙の多く出そうな、狼煙に使えそうな木枝を見つけて、誰か仙人が駆け付けてくれないかと往生際悪く火を付けた。

 

 自分の息が荒いことが分かる。そして全身がガクガクと震えていることが。

 こんなことでは妖怪と戦えない。

 目を閉じて、ゆっくりと深呼吸をした。


 スー ハー スー ハー



 森の清浄な空気と、鳥や獣たちの鳴き声がはっきりと聞こえてきた。


 そうしてそれらの声が乱れる箇所が、自分に近づいてくることも、感じ取れた。

 

 ――ついに俺の番だな。

 

 いつしか、震えは止まっていた。

 覚悟をして目を開けたその時。



「坊主。アツユは今までに何人食べた?」


 いつの間にか目の前に、壮年の男がいた。

 筋骨たくましく、鎧をまとい、大きな剣を背負っている。

 アツユが迫ってきていると知っているにしては、能天気な声だった。


「……恐らく父を入れて、四人です」

「お前のお母さんは、無事か?」

「はい。岩の亀裂に隠しました」

「ほう……」



 男は俺の言葉に驚いたというように目を見開くと、その鍛え抜かれた逞しい手で、俺の頭に手を置いた。


「まだ小さいのに偉いな、坊主。良い目をしている。狼煙のおかげで、場所がすぐに分かった」

「もう十歳です」

「ははは、そうか、悪い。……本当によくやった。犠牲者が四人と言うことは、それ以外の弟子たちは既に全員保護している。これ以上の犠牲は出ない。安心しろ」



 ――あ、この人は仙人なんだ。



 そこでようやく気が付いた。この人が仙具を持つ、妖怪退治の仙人であることに。

 全身から力が抜けてしゃがみこみそうになるが、やっとのことで踏みとどまって堪えた。


 ガサガサ


 ブルルルルルル


 ついに目の前に、アツユが現れた。




「目をつぶっとくか? 坊主」

「いいえ。見ています」


 父を食い殺した妖怪が成敗される姿を、この目に焼き付けたかった。


 ――見ていろよ。いつか必ず、俺が殺してやる。お前のような妖怪を、一匹残らず。例えどんな手を使ってでも仙人になって。



 ザシュ!


 男の大剣が、羽根のように軽く弧を描き、瞬きする間にアツユが斬って捨てられた。



 武の達人である父でも、なすすべなく食べられるしかなかった妖怪が、仙具を持った仙人であれば、これほど簡単に――実際にはこの男は、父と比べ物にならないほどの達人ではあるが――妖怪を斬ることができる。


「……仙人様。いつか俺も、仙人になります。仙人になって、妖怪から人を守ります」

「そうか。……俺は妖怪退治の部隊にいる青海(せいかい)という。坊主が仙人になるのに十年かかるか二十年かかるか分からんが、仙人の俺にとってはあっという間のことだろう。楽しみに待ってるぜ」

「ありがとうございます、青海様」



 青海と名乗る仙人が、また頭に手を置いてくれた。

 まるで大切な何かを託されたような、「気」が流れ込んできたような気がした。きっとそうなんだろうと勝手に思うことにした。


「青海隊長! ……その子は、道場主の子ですね。あちらで妻らしき女性を保護しました。あとの……」


 その時、青海様の部下らしき男が現れて、報告をしにきた。

 青海様がゆっくりと横に顔を振ると、部下らしき兵が黙り込む。


「ホラ、お前のお母さん、無事だって。迎えにいってやろう」

「……はい」

「これから生きていくあてはあるのか?」

「父は、母の実家の()家に行けと言っていました」

「……そうか。もしかして武の名門の姫家か?」

「はい」

「俺はあまり好きではない連中だがな。まあ頑張れ」

「はい」






 青海様は覚えているか分からないけれど、これが俺が、何としてでも、何をしてでも仙人になろうと決意したきっかけだった。

 仙人になるためならば何でもやろうと決意した。女装だろうが、人を蹴落とす事だろうが、なんだって。







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