ミスラネイアの侵略
“神の住み給う山”近隣諸国は、かつて小さな小国だけの集合であった。
アストラストやグディネ、ブランディカといった国々は、確かに、最初から多少大きかった。“神の住み給う山”近隣は、小・中・大国がひしめき合っていたが、確かに最初から大国であった。
前提として。世界で言う『大国』の区分は、城を備えた大都市が5~6は最低限あり、人が住み、商売をするためにあるような街が15を超え、村の数が100を優に超えること、それが大国の定義である。
とはいえ、“神の愛し子”が来る前のこの山の周辺では、わずかに定義は違っていた。大国の定義は、世界基準の3分の一程度しかなかったのである。
近隣に圧倒的大国がない。同規模、あるいは自国より少ししか力量差のない国が多い。そう言った国々が多い地域でよくあることは、足の引っ張り合いである。
大国がれっきとした大国なら、ちょっとやそっと攻められたところで、主力が訪れるまで耐え続ければいい。あるいは一都市手放すことになっても、後から取り返せばいい。
しかし、面積の小さな国ではそうもいかない。一つの町での敗北が、そのまま国の崩壊につながりかねないのが、かつての“神の住み給う山”だった。
小七国家連合。彼らがもし世界規模での名称を探すなら、『大集落』である。国土を持ち、国民を持ち、法を持てども。それらはあまりに面積が小さすぎて、国とは呼べない。そういう扱いになってしまう。
「しかし、我々は20数年前までは、普通に戦争をしていたのだ。」
フローラはそう言うと、少し空に目をやって。
「アストラストに進軍を開始するにあたって、あなたにお願いしたいことがあります。」
侵略への自信のなさを誤魔化すように、シーヌの目をじっと見て言った。
シーヌは軍略がわからない。シーヌは政略がわからない。
シーヌに分かるのは、何が正しく、何が間違っていて、何をするべきかということだけだ。
「アントルークに辿り着くまで、あなたを戦争に参加させはしません。私を守っていていただきたい。」
流れ矢がフローラに当たれば負けだ。先の戦争で指揮官が死んで大国たちは混乱したが、それは小国に起こっても同じだったろう。
そして、今も、そしてこれからも。フローラはその役割を背負っていくのだ。
「今、私が死ぬことは出来ません。おそらく、ティキ=ブラウの目的を果たすために、私は死ねない。ゆえに、守っていただけますか?」
「あぁ、わかった。前線に出るな、ってことだね?」
復讐の仮面を取ったシーヌの人柄は、比較的柔らかい。その笑顔に、一瞬フローラは同一人物ではないような錯覚を覚えたが、全力でスルーした。
その上で、シーヌがどこまで考えてそのセリフを言ったのか考える。彼は戦闘の達人ではあるのだろうが、国に仕えていたわけでないし、政治がわかるようにも思えない。
「ああ、ミスラネイア軍が敵を破った、という事実が必要なのだ。」
「うん、冒険者組合の規定にもある。国家戦争は、国と国の戦争であることに価値があり、孤児院の戦闘の意義を持たず、って。」
意味は、2つ。一つは、何かの気まぐれで一人で軍を滅ぼすようなことに価値はないということ。2つ目が、個人同士の戦闘を行う分には勝手にしろということ。
1つ目は簡単だ、冒険者組合の人間は、己にとっての価値を上げることはやるし、やりたいこともやるが、意味や価値のないことは滅多にしない。軍の虐殺が面白いならやるだろうが、強い人物ほどその活動を面白いと思わない傾向にある。
つまり、虐殺に価値がないと言っておけば、冒険者組合員はたいてい、虐殺をしない。
しかし、その中に、特に目を引く強者がいたら話は別だ。虐殺に価値はないからやらなくても、強い人間との対戦を、冒険者組合は推奨する。それだけの話である
「僕はここでの復讐を果たした。これ以上は、積極的に戦う理由がない。」
だから、ティキに言われた通り君を守ろうと言ったシーヌの言葉に、フローラはわずかに安堵した。
ほっと、一息。
それが、彼女の気持ちを切り替えるときの合図である。
「“神の住み給う山”での戦は終わった!しかし、戦争はまだ終わっていない!」
フローラの叫び声に、兵士たちがフローラを見つめる。
「我らはアストラストと戦った!もしもアストラストがこの敗戦の報を受け、我らに報復戦と決めた場合、我らは敗北する可能性が高い!」
このままであれば、だ。いくら主力を欠き、名将を欠いたアストラストでも、国力はまだ十分にある。
「ゆえに!我らはやられる前にやる!アストラストへ進軍し、我らに戦う意志があることをしかと届ける!!」
大国アストラストに、ミスラネイアが進軍する。アストラストが警戒しなければならないのは、ミスラネイアだけではない。おそらく、七ヵ国連合の中でアストラストと隣接しているクティックは、攻め込むはずだ。アルゴスだったかブラスだったか、兄弟のどちらかがそれを為すはずだ。
そして、土地的に繋がっているグディネ、ブランディカも無視できない。“神の住み給う山”に神獣がいなくなった以上、神山の近くで大規模な戦争をすることを躊躇う理由はどこにもない。
三大国が“神の住み給う山”に攻め込んだのは、絶対的な地の利を得るため。それが得られなかったからといって、戦争を止める理由にはならないのである。
「我らはアストラストへ進軍し、新たな土地を得、新たな砦を得、それによってアストラストの新たな脅威として存在する!これは、我らミスラネイアがこれからも生き続けるための戦いである!!」
その叫びを受けて、兵士たちが喜びの声を上げる。過剰な人口、増え続ける兵士たち。それらに対して、何も感じていなかった兵士たちがいないはずがない。特に食糧問題は、時たまフローラの頭を悩ませていたことを、兵士たちは知っている。
「うおぉぉぉ!!」
兵士たちは、それがゆえに。
「突撃!!」
「わぁぁぁぁ!!」
アストラストとの国境線を超え、目の前の、最初の村へと躍りかかった。
最初の村は、特に抵抗なくミスラネイアの手に落ちた。
シーヌはその様子を、何の気なしに、ボーっと見ていた。
「国境沿いの村は、基本的に捨て駒だってティキは言っていた。」
それは、他国に侵略されたとき、真っ先に蹂躙される村だから。国境沿いに城を建てているわけではない。村なら、確かに捨て駒といって間違いではない。
「アストラストの言う『捨て駒』っていうのは、ミスラネイアに侵略された時ではなく、神獣に侵略されたときだったんだろう。」
なぜか、嬉々としてミスラネイアに恭順の意を示した村長を見て、シーヌは確信する。
神獣に攻められたのであれば、村は一人残らず死んでいた可能性が高い。しかし、ミスラネイア軍……理知的なフローラ王女の纏める人間の軍が攻めてきたのだったら、恭順の威さえ示せば死ぬことはない。確かに、喜ばしい事だろう。
「……おそらく、二都市は何もせずとも墜ちる。」
当然だろう。砦もない二都市、いや、二街では、神獣の蹂躙劇を避ける術はなかった。神獣を刺激しないよう、軍人も最低限度しか置いていなかったろう。
「そしておそらく、発展もそこまでしていない。」
なぜなら、神獣の脅威に脅かされる街より、脅威の少ない町に資源をつぎ込む方が、安全に発展が出来る。
シーヌはわずかに汗を流す。それが、何か危険な現象の予兆ではないかとシーヌは訝しむ。
それがただの予感だとしても、シーヌには何もできることはない。また、ミスラネイア軍もまた、何もできない。
今ミスラネイア軍が攻めようとしている2街。最初から切り捨てる前提で置かれたそれらが、アストラストにとって奪られて何の実害ももたらさない、興味も関心もない町だと、シーヌは薄々、気が付いていた。
都市アントン、いや、砦アントルークが、奪られるわけにはいかない最初の防衛ラインであることを、シーヌは薄々察していた。
そしてそこが、何より激戦の地であることを、フローラは誰よりも理解していた。




