15.ルビー・エイミスの戦略⑤
「無理だ。その願いだけは、聞き届けることが出来ない」
その言葉に、私は……堪忍袋の緒が切れた。
「はあ!? 今更撤回なさるんですか!?
信じられない! 自分で仰ったことの責任も取らないなんて!」
「ご、ごめん……」
完全にシュンと項垂れる王太子殿下の姿に、可哀想だとは微塵も思わない。
それどころか余計に怒りが込み上げてくる。
「あなたはいつもそう! 約束を果たして下さらない男性は嫌いです!」
「き、嫌い……」
「婚約解消をしたのは、そうやって煮え切らないあなた様との関係を切りたかったからですわ!
……私はもう、あなた様の後ろに隠れていた自分とは違う。
己の足で立ち、己の意志で人生を歩みたいのです」
自分らしくいるためには、王太子殿下の婚約者という立場は足枷にしかならない。
だから。
(良い加減諦めてよ)
そんな思いで黙り込んでしまった王太子殿下を睨むと。
「……そう、か」
ポツリ、と彼は呟く。
意外にもあっさりと引いた彼に僅かに目を見開くと、彼は「でも」と口にする。
「君が俺の婚約者という立場を負担に思っていたことは分かった。
もう今までのようには気軽に関わり合いにはならないと、約束しよう」
「……!」
「だが、不公平だと思う」
「……はい?」
何を? と思う間もなく、今度は不貞腐れたように文句を言う。
「カーティスとはいつも通りなのに、俺と婚約を解消したら、いきなり他人行儀になるなんて。
……未だに信じられない。夏休み前まで、幼い頃からずっと俺の隣にいてくれた君が、夏休み中に婚約を解消した挙句、まるで別人のように様変わりし、俺のことを毛嫌いする。
その理由が何なのか、自分に悪いところがあったなら直せなかったのか、婚約を本当に解消しなければならないのか、混乱し尋ねてみたが、それはしつこいと嫌がられ、より一層嫌われる」
(な、何が言いたいの?)
しかもこの人、こんなに今まで長く話すような方だったっけ……なんて考え、一応黙って聞いてみている間にも言葉は続く。
「それなら、正々堂々戦い、婚約をもう一度結ぶことは出来なくとも、せめて幼馴染という立場であり続けたい。
今まで共に過ごした時間まで無かったことにしないでほしい。
そう思って勝負を挑んだら、この有様だ……」
「…………」
そう言って落ち込む彼を見て首を傾げる。
(えーっと、要約するとつまり?)
「……ベイン様に接する時と同じようにあなた様にも振る舞え、と?」
「あ、いや……、カーティスに接する時のように君に振る舞われたら、俺の心が折れて砕けて修復不可能になってしまう、と思う」
「……注文が面倒くさいです」
白い目を向け素直に言うと、王太子殿下はまた慌てる。
「そ、それで良い! カーティスと同じで十分だ!!
君と話せなくなるよりは、ずっと、その方が良い!!」
そう言って、彼は自身の胸の辺りをギュッと抑えて呟く。
「……君と話せなかった五日間、生きた心地がしなかった」
(……重)
そこまでとは思いも寄らなかった、とドン引きする私の気持ちなどつゆ知らず、彼は顔を上げ、切実な目で訴えた。
「もう婚約者になって欲しいとは言わない。
だからどうか、俺と昔のように」
そこまで彼が口にしたところで、昼休みの終わりを告げる鐘の音が無情にも鳴り響く。
「あ……」
王太子殿下は話を中断し、鐘がある塔の方を見やる。
そうしてガックリと肩を落とした彼に向かって口を開いた。
「授業の時間ね」
「え?」
王太子殿下がパッと顔を上げる。
そんな彼の絵に描いたような反応を見て、笑いを堪えて告げる。
「行くわよ」
「待……、って速!」
王太子殿下が慌てて走ってくる足音が聞こえるけれど、待つことはしない。
足も私の方が速いしね、と走りながら先ほどの会話を思い出す。
(……初日の決闘は、勝負に負けたら絶対に婚約者に戻されると思っていた。
良くて婚約を解消した理由を聞かれると思って全力を出して勝ったけれど……、まさか、“私と幼馴染という関係に戻りたかった”って)
そんな馬鹿な話がある?
しかも、あのカーティスに嫉妬するなんて。
「……」
駆けながらそっと後ろを盗み見れば、早くも息切れしている彼の姿が映る。
(……本当、馬鹿な人)
敬語を外したのは、確かに私も、彼に黙って国王陛下に掛け合い、婚約を解消したことを多少なりとも悪いとは思っているのだ。
けれど、彼に相談していたら絶対に解消してもらえなかったし、私としてはその決断を覆すことも後悔することもこれから先もないのだけど。
はっきり言って、自分でもこんな面倒な女御免だと思うくらい。
それなのに、私にこんなに辛辣にされても散々無礼を働いていてもなお、私と付き合おうとするなんて。
「……ありえない」
ポツリと呟いた言葉は、誰の耳に届くことなく流れる景色と共に消えた。
そして、翌日。
「おはよう」
朝一番、後ろから声をかけてきた人物……爽やかに笑みを浮かべる王太子殿下の姿に、とりあえず返す。
「……おはよう」
それだけで嬉しそうに笑う彼によく分からない、と思いつつ、なぜか隣を歩く彼の方を見ることなく歩いていると。
「ごきげんよう」
「「あ……」」
私達を待ち構えたようにそう挨拶をしたのは、他でもない昨日お会いしたアデラ様で。
アデラ様は王太子殿下の元に寄ると、口を開いた。
「昨日は紛らわしいことを致しまして申し訳ございませんでしたわ」
「いや、私は何も。というより、その言葉は彼女に言うべきでは?」
その言葉に、アデラ様は勢いよく私の方を向く、けれど……。
「……アデラ様?」
全く目を合わせようとしない彼女に違和感を覚え、どこか具合でも悪いのか、と本気で心配になり近付こうとした次の瞬間。
「ち、近付かないで下さいませっ!!」
「「え……」」
これには隣にいた王太子殿下も驚き、私と彼は不本意ながら同時に声を上げてしまう。
そんな私達にハッとしたように顔を上げた彼女は、初めて私とバチッと目を合わせるなり、顔を赤らめてそっぽを向いた。
(……あれ、この反応は)
「……ルビー様」
「は、はい」
アデラ様はそっぽを向き、腕組みをする。
その尊大な態度が少しおかしくて笑いそうになるのを堪えつつ、返事をすると、彼女は言った。
「昨日は大変失礼いたしましたわ。
けれど、頼んでいないことをなさったのも事実です」
「は、はぁ」
要するに、王太子殿下より前に先に進み出て彼女達を庇ったことを言っているのだろう。
まあ、面倒臭くてしつこいとは思ったけれど、悪い方々では無かったのが不幸中の幸いよね、と彼女の言葉を聞いていた私に、アデラ様は小さく、呟くように口にした。
「……ですけれど、あなたのその姿勢は、女子生徒が見習うべき鑑であるとも思います」
「っ、それって」
思わず口に出そうとした私に、彼女は扇子を取り出して口元を隠しながら言った。
「生徒会役員に、あなたを推させていただかないこともなくてよ」
「っ、本当ですか!?」
「!?」
嬉しくて、思わずガシッと彼女の腕を取る。
公爵令嬢という立場である彼女の支持を得られれば、その取り巻きや女子生徒から多くの支持をあげられることは確実となる。
それから、純粋に自分を推すと公言してくれる人が現れるとは思ってもみなくて。
「ありがとうございます、アデラ様。あなた様に推していただけるなんて、大変光栄です」
「……はわぁ!」
「ア、アデラ様!?」
彼女がへなへなとその場に座り込む。
その様子を見て慌てて跪いた私に、後ろにいた王太子殿下がポツリと呟いた。
「……天然の魔性だ」




