時計塔に迷い込んだ子ども
夏の午後。
町は蝉の声でにぎやかでしたが、時計塔の中はいつも通り涼しく、ひんやりとした石の匂いに包まれていました。
「今日は静かだな」
ティックが短針の上で目を細めていました。
「静かすぎて、つまらん!」
タックは秒針のリズムを大げさにカチカチ鳴らしながら、歯車の間を跳ねまわっています。
「そんなに騒ぐと壊れちゃうわよ」
ベルが鐘の中から注意しましたが、タックは聞きません。
そのとき。
がちゃん、と塔の扉が開く音がしました。
ふだんは固く閉ざされていて、人が入ることなどほとんどない扉です。
三人は驚いて顔を見合わせました。
◇
ぎしぎしと木の階段を上がってきたのは、小さな男の子でした。
麦わら帽子を手に持ち、少し汗をかきながら、不安そうにきょろきょろしています。
「……だれか、いますか」
その声は小さく震えていました。
「子どもが……迷い込んだ?」
ティックが眉をひそめます。
「へぇ、面白いじゃねえか!」
タックは目を輝かせました。
「でも、どうするの? 私たちの姿、見えるのかしら」
ベルはそっと鐘から顔を出しました。
男の子はふらふらと、歯車の並ぶ空間へ歩み寄ります。
そして、不思議そうに呟きました。
「……大きな時計の中だ。音がいっぱい……」
その瞬間、タックがつい、ぴょんと跳ねてしまいました。
カチ、カチ、と秒針が大きく揺れる音がします。
「わっ!」
男の子は驚きましたが、すぐに目を輝かせました。
「だれかいるの?」
「おい、こいつ、聞こえてるぞ!」
「ほんとに……!」
ベルも驚きました。
ティックは小さく頷きました。
「この子……きっと特別なんだ。心が澄んでるから、ぼくらの声が届いたんだ」
◇
三人はそっと声をかけることにしました。
「やあ、ぼくらはこの時計塔の仲間たちだよ」
と、ティック。
「ようこそ、ちびっこ!」
と、タック。
「安心して。ここはこわいところじゃないの」
と、ベル。
男の子は目をまんまるにして、しばらく黙っていました。 やがて、小さな声で言いました。
「……ほんとに、時計の中の人?」
「人じゃないけどな!」
タックが笑います。
「ぼくはティック、これはタック。そしてベル。ぼくらは時間を刻む仲間なんだ」
男の子はじっと三人を見つめ、それからほっとしたように笑いました。
「ぼく、けんじ……迷子になっちゃって」
「迷子?」
けんじはうつむきました。
「お祭りに行くはずだったのに、人がいっぱいで……お母さんとはぐれちゃったんだ」
その声は心細そうで、塔の空気までしんとしてしまいました。
◇
ティックがやさしく言いました。
「大丈夫。お母さんはきっと君を探してる。ここで少し休もう」
「そうそう! 俺たちと遊べばいいじゃん!」
タックが張り切って跳ねます。
「タック……」
ベルは呆れながらも微笑みました。
「でも、遊んで気持ちを落ち着けるのはいいかもしれないわね」
そこで三人は、けんじに時計塔ならではの遊びを見せてあげることにしました。
タックは歯車を駆け上がり、勢いよく滑り降りてきます。
「ほら、歯車すべり台!」
けんじは思わず笑いました。
ティックは短針をゆっくり動かして、影絵を壁に映しました。
「これ、見える? 今はウサギの形」
「わあ、ほんとだ!」
そしてベルが鐘を軽く鳴らすと、澄んだ音が塔いっぱいに広がりました。
その響きに合わせて蛍が迷い込み、光を散らしました。
「きれい……」
けんじの顔に笑みが戻りました。
◇
けれど、塔の外から、心配そうな声がしました。
「けんじー! どこなのー!」
母親の声です。
「お母さんだ!」
けんじが立ち上がりました。
「ほら、やっぱり探してた」
ティックが微笑みます。
「でも、この塔の中にいるって気づいてもらえるかな」
ベルが少し不安そうに言いました。
そのとき、クロウが翼を大きく広げました。
『鐘を鳴らせ。町じゅうに響くように』
「わかった!」
ベルは力いっぱい鐘を鳴らしました。
ごーん、ごーん、と大きな音が町に広がります。
その音を聞きつけて、母親が塔の扉を開けました。
「けんじ!」
「お母さん!」
二人はしっかり抱き合いました。
◇
母親は涙を浮かべて言いました。
「こんなところにいたなんて……心配したのよ」
「ごめんなさい……でも、ここで待ってたら、大丈夫な気がしたんだ」
けんじは振り返り、塔の中を見ました。
けれど、もう三人の姿は見えません。
「……あれ? ティックたちは?」
母親は首をかしげました。
「どうしたの?」
「……ううん。なんでもない」
けんじは小さく笑いました。胸の奥に、あたたかな鐘の音と、友達の声が残っていたからです。
◇
扉が閉まり、再び塔の中が静かになりました。
「見えなくなっちゃったね」
ベルがつぶやきます。
「でもいい顔してたぞ、あの子」
タックがにやりと笑います。
「うん。ぼくらのこと、きっと忘れない」
ティックが頷きました。
クロウが静かに締めくくりました。
『時は人を迷わせもするが、また出会わせもする。お前たちは、その橋になったのだ』
三人はしばし黙って鐘の音を聞き合い、胸の奥がほんのりと温かくなるのを感じていました。
夏の午後の光が差し込み、塔の中の歯車がきらりと光りました。




