時をさかのぼる夜
冬の夜はとても長い。
町の灯りが消えると、時計塔の鐘の音だけがしずかに響き、闇を刻んでいました。
「ふあぁ……」
タックが秒針に座って大きなあくびをしました。
「長い夜って退屈だなぁ。オレ、動きっぱなしで疲れるし」
「夜があるから朝があるのよ」
ベルが鐘の中から顔を出し、落ち着いた声で言いました。
「人も木も眠って、次の日にまた元気になるの。夜は休むための時なのよ」
「でもさぁ……」
タックはじっと歯車を見つめました。
「もし時間をさかのぼれたらどうなるんだろうな? 昨日に戻ったり、一年前に戻ったり」
「タック、それは危ない発想だよ」
ティックが真剣な声を出しました。
「時は一方にしか流れない。逆にしようとすれば、歯車が壊れる」
「でも気になるんだよ! 昔のことをもう一回見られたら、楽しそうじゃん!」
その瞬間。
ぎぎ、と塔の奥の古い歯車が鳴りました。
ふだん動かないはずの、埃をかぶった巨大な歯車。
そこから青白い光がもれてきました。
『……誰か、呼んだかい?』
三人はぎょっとして振り向きました。
◇
光の中から現れたのは、背の高い影でした。
長いマントをまとい、懐中時計のような瞳を持っています。
『わたしは時の影。過去と未来のはざまを歩く者』
「ひぇっ……!?」
タックは思わず後ずさりしました。
「あなたは……時間をさかのぼれるの?」
ベルが小声で尋ねます。
『できるとも。ただし、それは祝福であると同時に呪いでもある』
「呪い……?」
ティックが眉をひそめました。
『人は過去に戻りたいと願う。失ったものを取り戻そうと。でも、時は戻れば戻るほど、いまを失うんだ』
その声は冷たくも悲しげでした。
◇
タックは小さく唾を飲み込みました。
「でも……オレ、一度だけでいい。昔の夏祭りに戻ってみたい! だって、すっごい楽しかったんだ!」
『望むなら見せてあげよう』
影が腕を広げると、塔の壁が水のように揺れました。
そこに浮かんだのは、去年の夏祭りの光景。
赤や青の提灯、夜空に大輪の花火。
子どもたちの笑い声。
「わあ……! 本物だ!」
タックが目を輝かせます。
しかし、その映像は次の瞬間、音もなくしぼんで消えました。
『過去は幻。手に取ることはできない』
「えっ……」
『思い出は宝物。でも、そこに居座ればいまが消える。お前はそれでも戻りたいか?』
タックは言葉を失いました。
◇
ティックが静かに口を開きます。
「タック、君はその夏祭りがあったから、いまここにいるんだよ」
「……」
「もし本当に戻ってやり直したら、オレたちとこうして話してる時間もなくなるかもしれない」
タックはじっと友達を見ました。
ベルも鐘を震わせながら言います。
「音は消えても、心に残るの。時も同じよ。過ぎた時間は消えない、ちゃんと胸に残ってるの」
タックの胸に、去年の花火の音と光がよみがえりました。
それはもう十分すぎるほどの宝物に思えました。
「……オレ、やっぱり戻らなくていいや。今があるから、十分だもん」
影はゆっくりとうなずきました。
『賢い選択だ。ではわたしは去ろう……時は常に前へ。だが心は、思い出を抱いて進むことができる』
光がふっと消え、塔の奥はまた静かな闇に戻りました。
◇
しばらく沈黙がありました。
やがてタックがぽつりと呟きました。
「なあ……思い出って、なくならないんだな」
「そうよ。むしろ大事にすればするほど強く残るの」
ベルが微笑みました。
「だから、ぼくらは前に進みながらも、思い出と一緒に生きていける」
ティックが頷きます。
タックはにやっと笑いました。
「よし! じゃあオレ、もっと楽しい思い出つくるぞ! そしたら未来に進んでも、胸いっぱい宝物が残るからな!」
三人は顔を見合わせ、思わず声をあげて笑いました。
◇
その夜。
雪の降る町は静まり返っていましたが、人々は布団の中で不思議に温かい夢を見ました。
懐かしい声や風景がやさしく現れる夢。
目覚めるとみんな、少し幸せな気分になっていました。
それは、時計塔の仲間たちが「過去は宝物、未来は希望」と気づいたことで、時の流れがやさしくなったからでした。
鐘が夜明けを告げると、雪の町に清らかな音が広がりました。
その音は、人々に「今日という時を生きよう」と静かに語りかけていました。




