はじまりの鐘
町のはずれに、古い石造りの時計塔がありました。
百年以上前に建てられたその塔は、もう誰も世話をしていないのに、最近は毎日決まった時刻に鐘を鳴らします。
町の人々は「不思議ねえ」と言いながらも、それをあたりまえのように受け入れていました。
けれど、人間は知らなかったのです。
その時計塔の中には、「時を守る小さな仲間たち」が暮らしていることを。
◇
ごーん……。
夕暮れ五時。鐘の音が町じゅうに響きわたりました。
大きな鐘の中で、ひときわ澄んだ声が歌うように鳴り響きます。
『今日もいい音、鳴らせたわ!』
鐘の精、ベルです。
丸い体にきらきらした瞳を持ち、歌うのが大好きな女の子。
彼女が鐘を鳴らすと、その響きはただの合図ではなく、どこかやさしい音色となって町に届きます。
「おい、ベル! ちょっと早すぎるぞ!」
鐘の下で慌てているのは、長針の精タックでした。
細長い体にぴんと伸びた足、動きはいつもせかせか。
秒針のようにちょこまかと動き回り、短気だけれど元気いっぱいです。
「ちょっとくらいいいじゃない。鐘は歌なんだから!」
『だめだ、時間はきっちり守らなきゃ!』
のんびりした声でそう言ったのは、短針の精ティック。
ふくふくとした体に眠たそうな顔をした、穏やかな雲のような子です。
彼はのんびりしているけれど、こと時間に関しては正確で頼りになるのです。
「ティック、お前まで口を出すなよ!」
「タック、落ち着けって。ほら、秒はまだ動いてる」
時計塔の心臓部では、歯車たちがかちり、かちりとまわり続けています。
タックはそれを確認して、やっと深呼吸しました。
『もう……みんな真面目なんだから』
ベルは小さくため息をつきながら、鐘の内側で楽しそうに揺れました。
◇
そのやりとりを、塔のてっぺんから見下ろしていたのは、風見鶏のクロウ。
鋭いくちばしに光る瞳、からだは真鍮でできていて、夕日に照らされると赤く輝きます。
『やれやれ。今日もにぎやかだな』
彼は少し皮肉屋ですが、誰よりも塔を長く見守ってきた番人でした。
塔の中の小さな仲間たちを、心の奥ではとても大切に思っているのです。
『おい、お前たち。時間を争うのはやめろ。人間から見りゃ、鐘の音はみんな同じに聞こえるんだ。』
「そうなの?」
とベル。
『そうだ。だが、その音に心をのせられるかどうかは、お前たち次第だ』
クロウの声は、風に混じって低く響きました。
◇
その夜。
時計塔はすっかり暗くなり、町の灯りだけが遠くにまたたいていました。
塔の中では、ティックとタックが大きな歯車に腰かけて休んでいます。
「なあ、ティック」
「ん?」
「俺たちって、ずっとこうして時を刻むだけなのかな」
タックの声は、めずらしく元気がありませんでした。
いつもせかせかしている彼も、ふと立ち止まって考えることがあるのです。
「人間はさ、俺たちのこと知らないだろ? それでも毎日、俺らが必死で動いてるんだ。……なんか、不思議だよな」
ティックはしばらく考えてから、にっこりしました。
「でも、鐘が鳴ると、人間は安心するんだろ? それならいいじゃないか」
その言葉に、タックは少し頬を赤らめて、照れくさそうにうなずきました。
『そうよ。鐘の音があるから、人間は「今日も無事だった」って思えるの』
いつの間にかベルも隣に来ていました。
丸い目をきらきらさせて、にっこり笑っています。
「そっか……じゃあ俺たち、立派に役に立ってるんだな!」
「もちろん」
三人の声が響き、時計塔の中は少し明るくなったように感じられました。
◇
そのとき。
ごぉん、と大きな音が響きました。
驚いて見上げると、塔のてっぺんのクロウが大きな翼を広げました。
『静かにしろ……時が揺れている』
風見鶏がきしむように軋み、時計塔全体がかすかに震えました。
ティックもタックもベルも思わず顔を見合わせます。
しかし、それ以上の異変は何も起こりません。
ただ、森の方から冷たい風が吹き抜け、どこか遠くでランタンの火のような小さな明かりがちらりと揺れただけでした。
「……見間違いかな」
タックがぽつりとつぶやきました。
けれどその夜から、時計塔と町をめぐる“不思議な出来事”が少しずつ始まっていったのです。




