お泊まりおでかけ with 副団長⑥
ひさしぶりの更新となりました。
朝起きてバルコニーに面する扉を開くと、湿った冷たい風が部屋に流れこむ。
コルト湖の水面は白くけぶるもやに包まれ、対岸の山はぼんやりと青く霞んで見える。
ただ深い青と白だけの水墨画のような世界が広がり、その幻想的な光景に見入っていると、寒さで体がぶるりと震えた。
「さぶっ」
身をすくめたところでキィ……と音がして、隣の部屋からもレオポルドがバルコニーにでてきた。すっと通った鼻筋も、目を細めて遠くの山を見つめる横顔も、湖の精霊がそのまま人になったみたいで神々しい。
くしゃりと無造作に髪をかきあげるしぐさだけが、人間らしさを感じさせる。そんなことを考えていたら、こちらに気づいた彼が驚いたように目を見開いた。
「あ、おは……」
手を振ってわたしが言い終わるまえに、空中に出現した毛布がいきなりバフッと頭の上から降ってくる。
「わぷ⁉」
もがいて毛布から顔をだすと、彼のまわりには遮音障壁が展開……そしてすかさずエンツで怒鳴り声が飛んできた。
「アルバの呪文もかけず、そんな薄着でバルコニーにでるな!」
待って。これわざわざ遮音障壁を展開して、エンツで怒鳴ってるの⁉
ひとつ隣のバルコニーから彼は黄昏色の瞳でにらみつけてくる。朝からその麗しいご尊顔を拝みながら、耳元でお説教を聞かされるわたし。
いくらイイ声だからって、朝から聞いてもうれしくない。しかも……。
(レオポルドってどうでもいいことで魔法使ってない?)
わたしが首をかしげると、彼は頭痛でもしたのか自分のこめかみを押さえた。
「ここは研究棟の中庭ではない。いや中庭でも時と場合によってはまずいが……」
ブツブツ言い続ける彼に、わたしはとりあえず返事をする。
「はぁ……気をつけます」
どうやらわたしが何も羽織らず、あったかもこもこパジャマだけでバルコニーにでたのがいけなかったらしい。エンツのせいか彼のため息がやたら大きく聞こえる。
「そうしてくれ。私以外にその姿は見せないように。きみだって私が夜着のまま人目もはばからず出歩いたらイヤだろう」
まだよくわかっていないわたしの頭に、ようやく『服装規定』という言葉が浮かんだ。TPOはちゃんと考えないといけないっぽい。領主館ではバルコニーにでるだけだとしても、パーカー羽織ってコンビニに……みたいなノリではいけないんだと思う。
(レオポルドはなんだかんだ言って、きちんとしてるし……)
それを考えるとふだん居住区で、わたしといっしょにパジャマでくつろぐのは、彼にとってもプライベートなのだとあらためて気づく。
(あんな姿を見ているのがわたしだけだと思うと……待ってヤバい!)
思わず赤面しそうになって、わたしは頭から被った毛布でさらにスッポリと顔を隠した。
「ようやく思い至ったか。きみには恥じらいというものがないのかと勘違いするところだ」
低い声がエンツでさらに追い打ちー!
毛布を被ったままトタタタと部屋に戻り、バタンとバルコニーに続く扉を閉める。温かい室内で顔をだし、プハァ~と大きく息をしてから気づく。これ、あとで毛布返さなきゃじゃん!
(なんてめんどくさい……)
起きてすぐバルコニーにでたのがいけないんだろうけど、それをレオポルドに見つかってしまって、なんだかめんどくさいことになった。
『恥じらいというものがないのか』
恥じらい……わかんない。パジャマとはいえ部屋着としても着られるデザインだ。
(パジャマで庭にでたりして、道を歩くだれかと目が合ったら気まずいとか、そんな感じかなぁ)
そう考えて自分を納得させる。うん、きっとそんな感じ。ピンとこないなりにレオポルド的にはこれはアウトで、領主館ではそういったことにも気を配らないといけないと学ぶ。
それよりわたしは自分のことではなくて、デーダスや居住区で見ていた彼のパジャマ姿を思いだして、今さら恥ずかしくなってるのだけど。
(朝早くでかける彼は、寝起きの顔だってほとんど見せないけど……)
でも見たことがないわけじゃない。乱れても艶を失わない髪に、ぼんやりとして焦点が合わない黄昏色の瞳に影を落とす長いまつ毛。薄い唇から物憂げに漏れる吐息……待ってわたし、脳内再生しちゃダメ!
「ぐぬぬ……あれで同じ生きものだなんて!」
デーダスではじめて目にしたときは衝撃だったけど、そこまで意識してなかったと思う。たとえ心の奥底で何度もシャッターを切っていたとしても。
記憶に刻みこんで、どちらかというと大切な思い出として心のアルバムに残っている。
あれから何が変わった?
変わったのは彼の眼差し。視線がそらされることがなくなり、わたしの瞳をじっと見返すようになった。
それと彼が口にする言葉や指先、なにげなく見せるちょっとしたしぐさが、前よりもわたしに彼を意識させる。
男と暮らしているのだ――と。
(だっ、だから。こういうのは意識したらダメなんだってば!)
バクバクと暴れだした心臓をなだめていると、またエンツが飛んできた。こんどはカーター副団長だ。
「ネリス師団長、朝食をとりながら今日の打ち合わせをしたいのですが……まだお休み中ですか?」
――スンッ。
カーター副団長の重々しい声に、胸のドキドキは一瞬で治まった。帰ってきたよ、わたしの平常心!
「起きてるよ。知らせてくれてありがとう、カーター副団長!」
「感謝されるほどではありませんが、ではお待ちしてます」
身支度をしようとして洗面所に向かい、広々としたその場所を見回す。
壁にかかってる鏡から棚まで豪華で、冬だというのに温室で育てたのか鮮やかな花が飾ってある。床のじゅうたんもフカフカとして、濡れた足の水気がスッと吸い取られて乾く。
こんなときの待遇でも、師団長サマなのだとあらためて気づく。レオポルドも似たようなものだろうけど、カーター副団長の部屋はこれより劣るかもしれない。貴族相手に隙を見せてはいけない。
「気を引き締めなくっちゃ。今日はいつもの髪型でいいや」
エルサの秘法を使ってから髪を編むと、錬金術師ネリアが戻ってきた。ノックの音にドアを開ければ、レオポルドがそこに立っている。
「……レオポルド?」
「さっきは頭ごなしに叱ったりしてすまない」
こんどは反省しているような口ぶりで、低い声が淡々と続ける。
「きみがバルコニーで、あまりにも無防備にたたずんでいるものだから……あわてた」
スッと差しだされた大きな手を取れば、包みこむようにそっと握られた。彼はときどき、壊れものを扱うようにそっとわたしにふれる。
「いいよ。わたしも不用心だったし」
「だが言いようはあった。私は言葉足らずだから努力しろと、マリス女史からも注意されている」
「マリス女史、ふだんから苦労してそうだもんね」
反省するレオポルドに文句を言う気にもなれない。たとえ彼の心配が度を越していたとしても。
そう思っていたら、彼はとんでもないことを口にした。
「私はカーター副団長夫妻を見習うべきだと思う」
「えっ、コルト夫妻じゃなくて?」
「領主夫妻の暮らしぶりなど、我々の参考にはならんだろう」
「そうかも。だけどいきなり『カーター副団長を見習う』って、ふたりともいったいどんな話をしているの?」
秋の対抗戦が終わってから、副団長がちょくちょく塔にでかけていたのは知ってたけど。
「いろいろだが……彼は職務にも忠実だし家族思いではないか。見習うべきところは多い」
そういえばカーター副団長もレオポルドのこと、『思ったより好青年だ』とほめていたっけ。
「レオポルドとカーター副団長が相思相愛になってる……」
「……は?」
わたしが思わず漏らしたひと言に、彼はまたちょっと複雑そうな顔をした。









