3.ロビンス先生の魔法陣
魔術学園にやってきたけれど、今回はお忍びだ。こういう時のわたしは魔道具師助手のネリィ!
……というわけで錬金術師のローブではなく、ふだん街歩きをしている格好をした。
術式の刺繍がさりげなくほどこされたブラウスに水色のサロペットを着て、履き慣れたショートブーツをあわせた。
ミーナとニーナは黒いコートに帽子までかぶり、黄緑色の髪が見えないようにしている。
せっかくのオシャレさんがもったいない。
「ふたりとも、そこまでコソコソしなくてもいいのでは……」
正門からまっすぐに校舎へ向かって歩くところを、油断なくあたりに視線を走らせてソロソロと進むさまは、かえって不審者ぽい。
「何いってんのよ、見つかるとイロイロまずいのよ!」
「そうよ、ネリィは魔術学園の教師たちが、どんなに執念深いか知らないでしょ!」
「ダルビス学園長のしつこさは知ってますが……」
泣く子も黙る学園長の名前をだしたら、ふたりがピョンと跳びあがり、わたしはあわてたニーナに口をふさがれた。
「やめて、名前ださないで。召喚されちゃう!」
「むぐっ」
「そうよ、学園長はとりわけしつこいんだから!」
眉をあげて念を押すミーナに、わたしが必死にコクコクとうなずくと、ようやくニーナの手から解放された。
とはいえ門の守衛さんからエンツが飛んだから、ロビンス先生には知らせも行っているはずだ。
「なら転移で直接先生の部屋に向かったらどうですか?」
ロビンス先生の部屋は校舎の裏にある、うっそうとした木立の中に建っている。
正門からはだいぶ距離があるし、そう提案したのだけどミーナは首を横に振った。
「転移はできるけれど、学生たちが抜けだすのに使うから、学園にはバレバレなのよ。それこそこっそりじゃなくなっちゃうわ」
学園にあるのは転移防御結界ではなく、転移感知結界なのだという。
転移が弾かれることはないが、居場所などは筒抜けになる。
なるほど。悪ガキ対策も万全ということか。
「魔術学園、ふたりはどんな思い出があるんですか?」
やっぱり学園に対する憧れはあって、師団長のわたしは魔術学園で学ぶことはできないけれど、魔道具ギルドの実習だってわりと楽しかったのだ。
「私は休みの日は五番街に通ってたし、放課後はひたすら寮で服を作ってた。勉強はミーナに手伝ってもらわないとてんでダメ。授業よりも寮でやったファッションショーの方がよく覚えているわ」
ニーナが言うとミーナがくすっと笑った。
「そんなこともやったわね。私は魔力が思ったよりも伸びなかったし、早々に魔術師になるのはあきらめて、そのままニーナの夢にのっかったようなものね」
校舎の裏にまわれば、夏に訪れていたときはうっそうとしていた木立も色づき、金色の木漏れ日が枯れ葉の上に落ちている。
どんぐりみたいな木の実も落ちていて、わたしは学園長の使い魔リリアンテのことを思いだす。
羽リスのリリアンテは学園の庭を駆けまわって、頬袋をいっぱいにしているかもしれない。
「このあたりでよく風の魔術を練習したわ。うまくやれば落ち葉の掃除ができるのよ」
そういってミーナが魔法陣を展開すれば、落ち葉が舞いあがってくるくると回る。
そよ風の魔法陣につむじ風の魔法陣、あれこれ教わりながら歩くうちに、ロビン先生の部屋となっている古びた小屋に着いた。
わたしに転移魔法を教えてくれたロビンス先生は、穏やかな性格から生徒たちの人気も高い。
魔法陣研究の第一人者で古代紋様にもくわしいから、今回の訪問も楽しみにしていた。
ノックをすれば白髪に口ひげを生やし、丸眼鏡をかけたロビンス先生がすぐにドアを開けて顔をだした。
「やぁ、いらっしゃい。ニーナ・ベロア、ミーナ・ベロア。初等科の教師を覚えていてくれたとはうれしいよ。ネリス師団長もようこそ」
「こんにちは、よろしくお願いします」
ニーナとミーナは気持ち縮こまってあいさつをする。
「先生、おひさしぶりです」
「ごぶさたしてます」
「さあ、どうぞ。アイリ・ヒルシュタッフがきみたちのところで世話になっているそうだね。今日は彼女のことではなく、魔法陣についての相談だったか」
「アイリはとてもよくやっていますわ」
ミーナの言葉にロビンス先生も穏やかにうなずく。
「彼女については心配しておらんよ、努力家で聡明だ。目標を見失うと逆に困るだろうから、常にやりたいことがある環境にいた方がいい」
先生の部屋はあいかわらずゴチャゴチャしていて、わたしたちは本や積み上げた資料のすきまに置かれたイスに、それぞれ腰かけた。
連絡をしておいたせいか机の上はきれいに片づいていて、そこにロビンス先生が人数分のカップを置く。
コートを脱いだニーナは明るいピーコックブルー、ミーナはライムグリーンの服で、先生はお茶を注ぎながら朗らかに笑った。
「やぁ、私の部屋がいっきに華やかになった。まるで花園のようだ」
ロビンス先生はわたしたちの話を聞いて、「ふうむ」と口ひげをなでて考えこんだ。
「爪に描く魔法陣ねぇ……魔石を添えて小さくとも効果があるものか」
「ええと、発動しなくてもいいのですが、爪をオシャレに見せられないでしょうか」
わたしの相談に先生は困ったように苦笑する。
「オシャレ……私にはどの魔法陣がオシャレか、そうでないかがよく分からないが、そういえば極小の魔法陣を描くのにハマったことがあったな」
机の引きだしを開けて、ルーペとともに先生が取りだしたのは黒い紙だった。
「?」
うながされるままに渡されたルーペでその紙を見てみると、細かな術式がびっしりと書かれ、まるで魔法陣の般若心経だ。
「わ、すごい!」
「ちゃんと魔法陣としても機能するが、きみたちの話を聞くかぎりは、こういうものではなさそうだ」
「そうですね、魔法陣の陣形をきれいに見せたいんです」
「ふむ……ではきみたちのセンスで選んでもらったほうがいいだろう。サーデ!」
呼びよせの呪文で飛んできた本を見て、わたしたちはあまりの小ささに目を丸くした。
「これ……豆本ですか?」
その本は小指の爪ぐらいの大きさで、深緑に金字できちんと装丁されている。
お借りして指でそっとページをめくれば、ひとつひとつに小さな魔法陣が描かれていた。
ロビンス先生がそのうちのひとつを指さして教えてくれる。
「爪に描くならそれもオススメだね。ビンのフタが開けやすくなる」
「超便利じゃないですか!」
豆本に描かれた魔法陣は複雑なものもあるけれど、古代文様を使った簡単なものはうまく爪にあしらうこともできそうだ。
「すごい……これは全部ロビンス先生が描かれたんですか?」
そう聞くとロビンス先生は、丸眼鏡の奥からいたずらっぽく笑った。
「いや、グレンが描いたものもある」
「グレンが⁉」
「ああ、そうだ。気になるなら貸してあげるから探してごらん」
「お借りします!」
何それ、グレンが描いた魔法陣なんて超気になるよ!
わたしはロビンス先生に借りた豆本を、小袋にいれてそっと収納鞄にしまった。
これが後日とんでもない騒ぎをひき起こすことになるとは、このときのわたしは想像もしなかったのだ。
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