2.幻術を習おう!
うだるような暑さのなか、それでも日中を避けて陽が傾きはじめた午後に、わたしたちはシャングリラ近郊を流れるマール川へとやってきた。
傾きかけたとはいえ日射しはさんさんと降りそそぎ、川面の照り返しもキラキラとまぶしくて、なんでこんなところに暑苦しい黒いローブを着た魔術師と、白いローブを着た錬金術師がそろっているのかわからない。
いや言いだしたのはわたしだし、ローブも刺繍で術式がほどこしてあるおかげで、意外と涼しいんだけどさ。
「マール川だねぇ……」
「言われた通りの場所に連れてきたぞ」
うん、確かに言った。わたしがイメージしたのは広い河川敷で、鉄道の鉄橋がかかっていて、野球の練習をしたりジョギングをするような場所だ。
ただしここは魔導国家エクグラシア、川にかかっているのは魔導列車の線路だし、これでも一番川幅がせまい場所だというマール川は湖みたいにでっかいんだけど!
魔導列車にレオポルドが乗るとも思えないから、ドラゴンで飛ぶのかそれともライガで二人乗りかと想像したけれど、塔にむかえばそのまま転移でヒュンっと一瞬だった。
レオポルドは慣れているかもしれないけれど、わたしはまだちょっとクラクラする。
どこかにピクニックシートを広げたいけれど、日除けになる場所も何にもない。
ソラがバスケットにピクニック用のお弁当を用意してくれたけれど、出番なんてなさそうな気がする。あたりを見回しているわたしを、レオポルドがふりかえった。
「どうした?」
「えと、ここでいきなり幻術の練習を?」
「そのために来たのだろう」
「そうだけど……」
教えてくれるといったのはレオポルドだから、ここは彼の説明に期待するしかない。
だって幻術って……あっちの世界だとタヌキとかキツネが使うヤツだよね?
そもそも人間のわたしにできるのかしら。やりかたなんてわかんないし!
わたしがピクニックシートを抱え、バスケットを持って立ちつくしていると、彼も立ったままわたしをじっと見返す。
そのままふたりそろってジリジリと太陽にあぶられる。
川面に吹く風はさわやかで、ふたりのローブを優しく揺らしているとはいえ。
これ、どんどん日焼けしそうなんだけど!
彼がわたしの持つ荷物に目を留めた。
「それは何だ」
「これはピクニックシートとソラが用意してくれた食事。練習したらお腹がすくだろうからって」
本当に自分の母親と彼はピクニックなんかしたんだろうか。彼は無表情にただうなずいただけだった。
「なるほど。師団長室を護る精霊の気遣いか……ちゃんと使役できているようだな」
「使役っていうか……ソラにはすごく助けてもらってるよ」
「ならばそれをここに敷こう、場があれば術がやりやすい」
彼はわたしからシートを受け取るとバサリと広げる。術がやりやすいって……もしかしてソラは知ってて準備したのかな。
広げたピクニックシートにバスケットを置かせると、レオポルドは淡々といった。
「魔道具ギルドに行ったのなら、あそこのロビーで空間演出を見たろう。あれは魔道具でやるものだが、それを人間の手でやる」
「あ、あれを……?」
初めて魔道具師のメロディに連れられて、ユーリと魔道具ギルドにいってびっくりした光景、ギルドの一階はまるで森の中だった。
書類や魔道具を運ぶ動物たちも本物そっくりで……。
「魔道具で再現できるぐらいだから、意外としくみは単純だ。空間を構成する魔素に、色や感触といった情報を持たせる。実際に作りだすわけではない……あくまで幻影だ」
そういって彼が手をひらめかせて魔法陣を展開すると、ピクニックシートの上に氷でできた椅子とテーブルのセットが出現する。
「えっ、ええっ⁉」
それだけではない、吹きつける冷気とともにピクニックシートの周囲に、メキメキと氷の柱や壁が生えてきて屋根を作り、氷でできた東屋が川岸に出現した。
「イメージしやすいように、材質は氷にしてみたが……」
ひんやりとした感覚といい、触れると表面がツルツルすべるところまで……これが幻影だなんてとても思えない。
「イメージしやすいように氷って、ひゃあああ!」
ツルーと床を滑ってわたしは尻もちをつく。そのまま勢いよく壁に激突する……と思ったら、体はヒョイと氷の壁をすり抜けた。
彼があきれたように息を吐く。
「素直すぎるのか何なのか……幻術の氷でこうもみごとにひっくり返るとは」
そんなこといわれても、ペタペタさわる氷は冷たい。でも溶けて濡れることもない。
「これ、すべてが幻なの?」
「そうだ。シートを広げた場を結界として、幻術を展開している」
ピクニックシートにこんな役割があったなんて!
ていうか、これ知ってたらテントいらずなんじゃ?
「椅子とか座れるの?」
「そのぐらいならだいじょうぶだろう。幻覚は相手の精神にまで干渉するが、この場に満ちる魔素に見せたい物体の特徴を投影するだけだ。お前もやりやすかろう」
氷の椅子にはちゃんと座れて、テーブルにはバスケットからだしたお皿も並べることができた。
ふたりで座れば食事もできそうだ。
夏の日差しに氷の屋根がキラキラ光る。川を吹く風はさわやかに冷気とともに東屋に吹きこんできて、清涼感がさらに増す。
まぶしいことはまぶしいけれど、ただ川べりにつっ立っているよりはだいぶマシになった。
「レオポルド、ちょっと本物の氷作ってくれる?」
レオポルドに小さな氷を作ってもらい、わたしは持ってきたピュラルのしぼり汁に、錬金術師団で作った炭酸水をグラスに注ぐ。
氷のテーブルにグラスを置けば、なんとも涼やかだ。
「んーっ、おいしい。生き返るぅ!」
シュワシュワがのどを通っていく感触を味わっていると、レオポルドもひと口飲んでグラスに魔法陣を展開し首をかしげた。
「舌がピリピリするような感覚はあるが、毒ではなさそうだ。不思議な飲みものだな」
「刺激物をすぐ毒だと考えるのやめようよ。でも幻術って、こういう使いかたもできるんだね」
幻術最高、ここが太陽のギラつく川岸だなんてとても思えない。レオポルドは川に目をやった。
「ただの目くらましだが戦いにおいては、敵に味方の人数を多く見せたりすることができる。実体はないが無用な戦闘を避けるには有効だ」
「そっか……師団長だとそういうことも考えるんだね」
「錬金術師団が戦闘に加わることはないだろうが、お前は師団長だ。知っておいて損はあるまい。使いかた次第ではとても役に立つ」
ピュラルのソーダでのどを潤したわたしは、本格的に幻術の練習をすることになった。
ピクニックシートを抱えてバスケットを持って塔にトコトコやってくるネリアを想像して笑っちゃいました。
次回、『幻影都市』で完結です。









