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暗殺者キリヤのパンツ集め  作者: まさかミケ猫
三章 暗殺者の帰還
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貧民街の二人

 貧民街の片隅にある、小さな橋の下。雨が続けばすぐ川が氾濫するような場所に、好んで住もうとする者はいない。

 貧民の中でも特に力のない、キリヤやマリーのような幼い子どもは皆、そういった場所に生活拠点を構えていた。


「キリヤぁ、アタシお腹ペコペコなんだけど」

「……マリーの分のパンはもうやっただろ」

「足ーりーなーいーよー! アタシの方が2つも年上なんだからさー、もうちょっと寄越しなさいよ」


 マリーはそう言って、チョコレート色の癖っ毛を振り乱しながら、8歳のキリヤのパンを本気で奪おうとしてくる。

 普段はお姉さんを気取っている彼女だが、今の様子からはその威厳を欠片も感じない。


 キリヤは彼女を器用に躱しながらパンを頬張り続けた。そもそもこのパン自体、彼が内職で稼いだ金で買ってきたものである。半分あげただけでも大盤振る舞いなのだ。


「俺より2つも年上なら、自分で稼いできたらどうだ? 選り好みしなきゃ、何かしらあるだろ」

「むぅ。そりゃあ10歳にもなれば、私みたいなのでも買うような物好きはいるだろうけど」

「……身体を売れとは言ってないだろ」

「アタシはキリヤみたいに器用じゃないの」


 胸を張って言うことではないだろう。

 そんな無駄な反論を飲み込んだキリヤは、大きくため息を吐きながら、カチカチの固いパンを一欠片だけ千切ってマリーの手の中に押し込む。


「へへへ。大好きよー、キリヤ」

「ペラッペラの告白をどうも」

「あら。私はいつだって大真面目よ!」

「………………」

「な、なんか言いなさいよっ!」


 マリーはそう叫びながらも、口元にニヤニヤと笑みを浮かべてキリヤの頭を撫でる。


 キリヤにとって、マリーはなんとも言い表しようのない存在だった。

 物心をついた時から貧民街で過ごしていたキリヤは、当然ながら学校に行くことなどできない。そんな彼に文字や計算を教えてくれたのは、他でもないマリーである。気がつけばずっと側にいて、同じ布団を温める関係になっていた。


「そう言えばキリヤ、今日は何かあったの? 走って帰ってきてたけど」

「あぁ。ゴルドフと奴の手下に絡まれたんだ。あいつ、相当マリーに気があるみたいだぞ」


 ゴルドフというのは、この貧民街で幅を利かせている若者集団の頭だ。彼はどういうわけかマリーに気があるようで、キリヤに対しても事あるごとにキツく当たっていた。


「うげぇ、やめてよー。大体、その気があるならパンの一つでも持ってこいっての」

「パンをくれたら好きになるのか?」

「馬鹿、そんなに安い女じゃないわ。私はパンをくれる人を好きになるんじゃなくて、人からもらうパンが好きなの」

「……いや、そこは稼いで買えよ」


 そんな風にじゃれ合いながら、二人は狭い橋の下で身を寄せ合って暮らしていた。




 そんなある日のことだった。

 キリヤが仕事先の製靴工房から帰ろうとすると、突然親方に呼び止められる。奥の間へと通されると、そこで驚くような言葉を掛けられた。


「……お前、靴職人を目指すつもりはないか?」


 それは夢のような打診だった。「職人に弟子入りを認められる」というのは、これ以上ないサクセスストーリーと言ってもいい。


 貧民の中には、安易に犯罪に手を染めて捕まる者や、春を売って病気をもらい苦悶の末に死に絶える者が後を立たない。

 そんな中、キリヤはひたすら真面目にコツコツと頑張ってきた。元来の手先の器用さもあり、親方もついに彼を弟子にしたいと望むようになったのだった。


「親方。一つだけ良いでしょうか」

「なんだ」

「一緒に暮らしている女の子がいるんです。住み込みで働くなら、彼女を連れて来たいのですが」

「うーむ……まぁ、飯炊き女として一人雇うくらいなら別に良いが。いいのか?」

「え?」


 親方はキリヤの目を見ながら、首を傾げた。


「将来職人になれば、身分の高い女や資産家の令嬢との縁談が転がり込んで来ることもある。俺の妻も下級貴族の出身だしな。そういった機会をフイにすることになるが……」


 親方の説明によると、職人にとって結婚相手を選ぶのは大切なことらしい。

 というのも、例えば将来独立して自分の工房を持とうと思った際、妻が金持ちであれば資金援助なども容易にしてもらえるのだ。逆に夫婦揃って貧民出身では、金の借り先にも困ることになるだろう。


「で、どうする?」

「はい。それでも、彼女を……マリーを連れて来たいと思っています」

「分かった。そこまで意思が固いなら、俺が口を出すことじゃあねぇ。さっさと帰って、その嬢ちゃんを連れてきな」

「ありがとうございます……!」


 キリヤは軽い足取りで工房を後にした。

 この後に待つ、地獄のような現実を知らないままに。



 夕刻の貧民街には、血の臭いが漂っていた。心の底からジリジリと湧き上がる不安感に、キリヤは帰宅を急ぐ。


 その途中。

 見覚えのある人影が倒れているのを見つけた。


「ゴルドフ……?」

「キリ……ヤ……か……」


 彼は口から血を吐きながら、キリヤを見上げて涙ぐむ。それだけで、心の底にあった不穏な予感がいよいよ現実味を帯びてきてしまった。


「ちくしょう……悪い、キリヤ……俺……救えな……」

「ゴルドフ! どうした、ゴルドフ!」

「貴族の野郎が……マリーを……」

「マリーがどうしたんだっ!?」

「早く行ってやれ……たぶん、いつもの橋の下……」


 それだけ言うと、ゴルドフは眠るように目を閉じた。

 キリヤは彼をそっと横たえると、叫び出したい気持ちをどうにか抑えながら、彼の暮らす拠点へと駆けていったのだった。




 そこから先の慟哭は、言葉では語れない。




 キリヤはマリーを背負って歩いていた。

 丘の上から、いつか二人で見た景色。真っ赤な夕日が沈んでいく様子を、最期にもう一度だけ見たいと彼女が望んだからだ。


「私ってほら……逃亡奴隷じゃない……」

「あぁ。そうだな」

「言ってみれば、犯罪者よ……。いつ衛兵に捕まってもおかしくない。普通の幸せなんて、とても望めないわ……」


 彼女の話を背中に聞きながら、キリヤはひたすら心を殺して足を動かす。今はただ、相槌を打つのが精一杯だった。


「でもね、キリヤ。こんなアタシにもね、ひとつだけ夢があるの……。ねぇ、笑わないで聞いてくれる?」


 キリヤはゆっくりと歩きながら、小さな声で肯定を返す。


「まずね……お金をいっぱい貯めるのよ……」

「そこからして現実味がないな」

「ふふ……どうとでもなるわよ。アタシにはキリヤがいるんだもの。それでね……お金が貯まったら、奴隷を買うの……」


 マリーはいつものように、弾んだ声で楽しそうに話をする。


「へぇ。どんな奴隷を買うんだ」


 キリヤは歯を食いしばり、なるべく平坦な声でそう返す。


「そりゃあね、子どもの奴隷だよ……。いっぱい、いっぱい、いーっぱいね……買い占めちゃうの」

「それは大変だな」

「そう、大変なのよ……。でもね、大丈夫。アタシには……キリヤがいるから……」


 キリヤの背中で、マリーがクスリと笑う。かと思えば、ゴホゴホと咳き込んで、ふぅと息を整える。


「それでね……広い土地に家を建てて、奴隷だけで暮らすのよ……。そこに貴族や平民は入れなくてね。もう奴隷だらけ。奴隷しかいないの」

「その奴隷には何をさせるんだ?」

「そうだなぁ……。普通に笑って暮らしてくれたらいいなぁ……。畑を耕したり……パンを焼いたり……好きな男の子と、同じ布団で寝たり……」


 それはもう、奴隷の生活ではないだろう。

 キリヤは半笑いで肩を揺らしながら、溢れ出る涙を流れるままに任せ、先を行く。


「それでね。少しずつ少しずつ、世界中の奴隷を買い占めていってね……。その奴隷たちは、みーんな幸せそうに暮らしてて……」

「……あぁ」

「最後には、貴族なんかが言い出すのよ。『私も奴隷にしてくれ』って……。へへへ、楽しそうでしょ……?」

「そうだな。最高に愉快だろうな……」


 丘の上にたどり着くと、ちょうど夕日が沈むところであった。

 キリヤが背中のマリーに話しかけると、彼女は虫の鳴くような小さな小さな声で「綺麗だね」と言った。


「……約束する。お前の夢は、俺が代わりに叶えてやる」


 そう言うと、マリーの腕がキュッとキリヤを抱きしめた。そしてそのまま、夕日は静かにゆっくりと沈んでいった。


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