歌劇場の歌姫
大勢の人が出入りする帝国歌劇場。
その中央の舞台では、歌姫シローネがその美声をホール中に響かせていた。舞台のすぐ外側の床は一段低くなっており、歌劇場専属のオーケストラがその歌を盛り上げる。
彼女が歌う時間帯は日によって違うが、昼下りから夕刻にかけてが多い。
今日は既に日も暮れかけているが、平民の座る一般席はデート終わりの若者たちや家族連れなどで混み合い、満席となっていた。
「シローネちゃーん!」
グラスの水で喉を潤すシローネに、客席から大きな声が上がる。
彼女は少し困ったような顔をして、はにかみながら小さく手を振った。そして間奏が終わると、再び伸びやかに歌い始める。
透明で優しい、精霊の歌声。
そんな風に称されるのは照れくさかったが、悪い気はしなかった。客席には彼女の歌に聴き惚れるうっとりとした顔が並び、演出用の魔術によってキラキラとした光の粒がホールに降り注ぐ。
(一度で良いから、キリヤも聴きに来てくれないかしら………………なんてね)
シローネは思わすクスリと微笑む。
その様子に、客席にいる男女の何人かが、心臓を撃ち抜かれた大鬼のように顔を真っ赤にして呼吸を荒げた。
彼女が歌っているのは、人間に恋をした精霊が普通の女の子に変身し、彼のことを可愛らしくデートに誘う曲だった。一緒に出かけても、笑いかけても、鈍感な彼は彼女の想いに気づかない。その様子をコミカルに歌い上げる。
(馬鹿ね。この仕事が終わったら、もう二度と会うこともないでしょうに……)
目を瞑って両手を広げると、降ってきた光の粒が体に当たって弾け、空気に溶ける。
演奏がゆっくりとフェードアウトしていけば、客席からパラパラと手を叩く音が聞こえ始め、それは次第に大嵐のような拍手となってホール中に響き渡った。
今日も良い歌を届けられただろうか。
シローネは小さく息を吐いて、客席に深々と礼をする。そして、ゆっくりと舞台袖に下がった。
「……お疲れちゃーん、シローネ。今日も完璧な公演だったじゃなぁぁぁい!」
彼女を待っていたのは、この帝国歌劇場のオーナーだった。
筋肉の盛り上がった大きな体をクネクネとしならせながら、綺麗に剃られたツルツル頭を光らせて、その強面をうっとりと赤らめる。
「とっっっても素敵だったわよんっ!」
「ありがとうございます、オーナー」
「最後の歌なんて、本当に恋する精霊のようだったわ。もしかしてぇ、良い人でも出来たのぉ?」
「まさか。今は歌一筋ですから……」
シローネの回答に、彼は「分かってるわ」とでも言いそうな顔をして、意味ありげにコクリと頷く。訂正しても無駄なことを知っているシローネは、柔らかく微笑んで口を閉じた。
「あ、そうそう、貴女に来客があるのよ」
そう言うと、オーナーはポンと手を叩く。
「お客様……ですか」
「えぇ。特別観覧席にいらっしゃるわ。ドレスを着替えたら早めに行った方が良いわね」
特別観覧席ということは、相手は貴族に違いない。この頃は縁談を持ってくる貴族も多く、どうやって遺恨なく断るか悩ましい場合も多かった。
そんなことを考えている彼女の耳へ、オーナーはサッと顔を寄せる。
「……第一皇女殿下よ。ゆっくりしてらっしゃい」
それだけ言うと、ウィンクをして去っていく。
それはそれで、婚活貴族よりも厄介な相手だ。
シローネは公演後の高揚していた気持ちをスッと鎮めると、いつもと変わらない笑みでスタッフへ挨拶をして、控室へと足早に戻っていった。
特別観覧席では、優雅なソファにゆったりと腰掛けたランネイが、ステージを見下ろして可笑しそうに肩を揺らしていた。
それもそのはず。現在行われているのは、劇団イカリオによる喜劇『帝国だョ! 総員集結』。話題の歌手や芸人をゲストに招いて愉快な劇を繰り広げる、抱腹絶倒の大人気演目だ。
シローネは舞台の場面転換のタイミングを見計らい、彼女に声をかける。
「ランネイ様。お待たせいたしました」
「あぁ、歌姫シローネ。疲れているところ悪いな」
ランネイは振り返り、柔らかく微笑む。
最近の彼女は険しい顔ばかりしていたように思うが、今日はなんだかそういった棘が抜けているように感じた。
「歌劇はお楽しみいただけておりますか?」
「あぁ、存分に。あの劇団イカリオは馬鹿馬鹿しくて良いな。観客が皆あんなに笑っている。それに、先程のそなたの歌は至高だったよ。人の心を揺さぶる美声……帝国の宝だ」
「もったいないお言葉です」
軽く頭を下げると、ランネイは向かいのソファに座るよう勧めてきた。断る理由もないため、シローネは心の中で警戒しながら腰を下ろす。
舞台に目を向ければ、ちょうど出演者の頭上にタライが落ちてきたところだった。客席の笑い声がここまで響いてくる。
「あの者らはいつも体を張っているのか」
「今日はまだ大人しい方です。酷い時は天井からスライムが降ってきますから」
「ククク……。シローネも出演したことが?」
「えぇ。彼らが面白可笑しく私のモノマネをしているところへ、舞台袖から乱入させてもらいました。ふふ。楽しい思い出です」
そんな話をしていると、特別観覧室の扉がノックされて歌劇場のスタッフが入ってきた。盆の上には載っているのは、氷の浮いた紅茶と砂糖菓子だ。
部屋の中を穏やかな空気が漂う。
しばらく舞台を眺めながらポツポツと雑談をしていると、団長イカリオの「ダメだぁこいつら」という締めのセリフとともに愉快な音楽が流れ、舞台装置が撤収されていく。歌劇場には笑いと拍手が溢れた。
「ククク。いやぁ、面白かった。良いものだな」
「ふふ。今日は探偵稼業はお休みですか?」
「そうしたいところだが……怪盗パンコレを捕えるまでは休めんよ。取り戻したいモノもあるしな」
そう言って、ランネイは紅茶を飲み干す。
シローネは彼女の意図を図りかね、片付けられていく舞台を眺めながら砂糖菓子を口に放る。
「……歌姫シローネ、その後どうだ。パンツを盗まれた心の傷は癒えたか?」
「ご心配ありがとうございます。この通り、舞台で歌えるほどには」
「うむ。それは良かった」
ランネイは頷きながら、足元に置いてあった鞄を開け一本のスプレー缶を取り出す。
「念の為、帝国美女十選のメンバーには配っておこうと思ってな」
「……これは?」
「アズサ博士の発明した、雲を固めるスプレーさ。彼女はこれを用いて、毎晩帝国城の上空で雲に揺られて寝ている。怪盗パンコレの被害にも未だ遭っていないからな、有効なんだろう」
説明しながら、そのスプレーをテーブルの上にそっと置く。
「危なくはないのですか?」
「あぁ、危険だ。雲から落ちても死なない実力があれば別だが……。だから、これは緊急用だと思ってくれ。どうしてもという時だけ使うように」
ランネイは席を立ち、スカートをそっと整える。
「十選以外の者には、この事は秘密にしておくようにな。スプレーを手にする者が増えれば、それだけ死亡事故のリスクも増加する。パンツを守るために死ぬのでは本末転倒だ」
「はい。かしこまりました」
シローネが頭を下げると、ランネイは機嫌が良さそうな様子で鼻を鳴らし、特別観覧席を去っていった。
後に残ったのは、微かな香りと静寂のみ。
(何かの罠かしら……? ひとまず、キリヤとギルド本部に相談ね)
言いようのない不安に駆られながら、シローネはテーブルの上のスプレー缶を手に取り、小さくため息をついて天井を仰ぎ見た。
スターダストノベル大賞にて、
『未来人は魔法世界を楽しく魔改造する』
が【大賞】を受賞しました。
書籍化作業もありますが、本作は変わらず投稿、完結予定です。
引き続きよろしくお願いします。





