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The pupil of the beast  作者: 高田屋 熊之助
第一章:ミオ=ルーシアの場合
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 砦の門は木製で、最近になって付け替えられたのか、砦の外観にそぐわぬ比較的新しいものだった。こんなところに来る人間は少ないだろうし、廃砦の扉だけ付け替える奇特な人間はもっと少ないだろうから、盗賊団が付け替えたのかも知れない。鉄板で補強された木製の扉はいかにも頑丈そうで、そう簡単には破れそうにない。まさかかんぬきもかけられていないなんてことはないだろうが――軽く押してみる。

 開いた。それも、かなりあっさりと。しかも、軽い。予想していた重みはまったく感じられない。何のことはない。鉄板に見える部分は黒いペンキが塗られているだけだった。木も非常に薄い合板である。そこらに廃棄されていた工業用の合板をつぎはぎしただけなのだろう。

 妙に安っぽい連中である。私は、自分の観察眼を棚に上げて嘆息した。

 もっとも、侵入者を油断させるための罠という可能性も捨てきれないため、慎重に力をこめていく。何も起こらない。扉の間に生じた隙間から、砦の敷地内を観察する。見える範囲内に、敵はいない。罠の類も見当たらないことを確認して、私は砦に侵入した。

 小さな砦なので、敷地内に入るとそのほとんどが見回せる。門の右手に塔がそびえている以外は、城壁の中に建物はない。全体が見渡せるのは良いが、それはこちらも完全に身を晒しているということだ。しかも、砦内にはいくつもたいまつが設置されている。昼間のようにはいかないまでも、この明るさでは、会敵すればお互いの表情までわかってしまうだろう。私は、太刀の鞘を左手で支え、身を低くして塔の足元まで駆けた。

 壁を背にして、様子を伺う。ふと、調子はずれの鼻歌と、水がこぼれるような音が聞こえてくる。壁に背をつけたまま、ゆっくりと塔の外周に沿って移動する。

「ふんふふ~んふ~ん……ジョッキ~いっぱいの~エールを呷りゃあ~っと」

 いた。

 暢気に歌を口ずさみながら、男が一人、城壁に向かって立小便をしている。つるつるに剃った頭に、かろうじてショルダーアーマーだけは身に着けているものの、ほとんど裸の上半身。下は毛皮の腰巻。いかにも野良盗賊といった出で立ちである。かなり酔っているようで、小便をしながら前後左右にふらふらと揺れている。下手な歌のリズムを取っているのかもしれない。

 私は壁から離れると、気配を殺したまま彼の背後に近づいた。

「あー、すっきりした。この格好は冷えていけねえや」

 小便を終え、振り向こうとした彼の首に、素早く右腕を回す。と同時に、膝の裏を軽く蹴り、体勢を崩す。

「ぐぇっ」

 首を絞められ、奇妙な声を漏らす盗賊その一。かまわず、私は彼の首に絡めた右腕に力を込めていく。盗賊はしばらくじたばたと手足を動かしていたが、やおら痙攣すると、そのまま動かなくなった。腕の力を抜くと、盗賊の体は崩れ落ちた。

 死んではいない。多分。念のためむき出しの左胸に手を当ててみると、僅かではあるが鼓動が感じられる。依頼主であるアンドリューからは、盗賊を殺すなとも言われていないのだが、いくら冒険者とはいえ、無用の殺人を犯せばその理由を官吏に問い質される。それも面倒だ。

 白目を剥いて倒れている盗賊の持ち物を検めようとした、ちょうどその時である。塔への扉が開き、二人の盗賊が出てきたのだ。二人はおしゃべりに興じながら、こちらに近づいてくる。塔の外周が曲線を描いているので、二人の盗賊がこちらに気付くには少し間があった。

「でよー、ジョナサンのやつが……うおっ!」

「だ、誰だてめぇ!」

 二人の盗賊が、獲物――木を切り出しただけの棍棒と、錆の浮いた短槍を抜いて、こちらに突進してくる。繰り出された槍の切っ先を、体を僅かに右に流してやり過ごすと、私は棍棒を持った盗賊目掛けて駆け、隙だらけの鳩尾に右脚を叩き込んだ。勢いが乗った蹴りを受けて、言葉にならない悲鳴を上げながら吹っ飛ぶ盗賊。

 そこへ、間髪入れずにもう一人が槍の突きを放ってくる。後ろから来た切っ先を、振り向きざまに太刀の柄で弾き上げ、バックステップ。槍の届かないぎりぎりの間合いまで後退する。

 興奮で顔を真っ赤にした盗賊が、息を荒げてこちらを睨んでいた。

「この野郎、ぶっ殺してやる」

 悪人面が醜く歪む。彼は槍を腰だめに構えなおすと、じりじりとこちらとの距離を詰めてきた。むやみに振り回さないだけの冷静さは残っているようだ。こちらも、間合いを開ける。

「どうした、怖気づいたか、女!」

 と、時折強がりな台詞を吐くが、そんな彼の足も、少し震えていた。武者震いかもしれないが、その割には腰が引けている。真ん中だけ残して髪を剃り上げた頭――モヒカンとかいう髪型らしい――には、脂汗も浮かんでいる。

「来いよ、女! 獲物を抜いてかかってこい!」

 敵と対峙しているというのに、よく喋る。足の震えが声帯にまで上がってきたようで、最後の方は声が裏返っていた。

 私は、ここで初めて太刀を抜いた。たいまつの火に、きつく反った白刃が浮かび上がる。切っ先を落として、下段に構える。槍を相手に、やたらと突っ込む必要もあるまい。こちらが剣を抜いたことで、盗賊はさらにプレッシャーを感じる羽目になったようで、間合いを取ったまま膠着状態となった。

 そうしてにらみ合うこと数秒。

「うおおおおお!」

 仕掛けてきたのは、盗賊の方だった。気合……というよりは単に叫び声を上げながら、槍を突き出してくる。突きは思いの外正確だったが、速さがない。

 私は、大きく一歩を踏み込んで、切上げた。白刃が槍の柄を断ち、穂が小さく跳ねて地面に落ちた。盗賊が、唖然とした表情を浮かべる。私は振り上げた太刀の刃を返すと、さらに踏み込んで盗賊の右肩をしたたかに打ち据えた。肩甲骨を割る手ごたえが、太刀越しにはっきりと感じられた。

「ぎゃあ!」

 痛みにうずくまる盗賊の鼻先に、私は太刀の切っ先を突きつけた。いくつか訊くべきことがある。

「ひっ」

「積荷はどこだ?」

「なっ、何のことかな、覚えがねぇや」

 目が泳いでいる。どういうつもりかは知らないが、この状況で嘘をつくとは、なかなかガッツがあるのかもしれない。私は、尋問の方法を変えることにした。

「そうか、知らないか……」

 太刀を納め、代わりに私は、右の腰に下げていた肉厚の大型ナイフを抜いた。それを弄びながら、ゆっくりと盗賊の周りを歩き回る。このナイフは、旅を始めたころからずっと使っているものだ。こまめに手入れをしているので、今のところ刀身には錆も浮いていない。何千回、何万回と握ったグリップは、しっかりと手になじむ。全長六十センチミルトルとかなり大振りではあるが、太刀よりも小回りが効くので何かと重宝する――そう、たとえば拷問など。

 盗賊は、これから自分が何をされるのか、色々な想像をめぐらせているに違いない。顔色は蒼白、不安と痛みで若干呼吸が早まっている。既に戦意は喪失しているようで、隙を見て反撃する、あるいは逃げる素振りも見せない。

 盗賊の真後ろまで歩いたときである。私は、ひとつ息をつくと、盗賊の髪の毛を素早くつかんで、ナイフを逆手に持ち替えて彼の目前に掲げた。

「ひゃあ」

 頭から抜けるような甲高い悲鳴を上げる盗賊。その耳元に口を近づけて、私は努めて穏やかな声で言った。

「いいか、盗賊君。改めて、お前にいくつか質問をするぞ。きちんと答えてくれれば、何もしない。自由にしてやるから、逃げるなり応援を呼ぶなりすればいい。だが、もし嘘をついたり、何も喋らないなんてことがあったら……」

「こ……殺すのかい、俺を……」

 その言葉を、私は軽く鼻で笑ってやった。

「ふん、殺しはしないさ。でも、一回反抗的な態度を見せるたびに、手の爪をこのナイフで剥いでいく。嘘をついても剥ぐ。何も喋らなくても剥ぐし、質問の答え以外のことを喋っても剥ぐ。抵抗すればもちろん剥ぐ。手の爪で足りなくなったら、今度は足の爪を剥ぐ。それも無くなったら、今度は歯だ。段々痛くなるから、よく考えて行動することをお勧めするよ。分かったか?」

 盗賊が、首がもげるのではないかという勢いで何度も頷いた。

「よーしよし、いい子だ。さあ、始めようか」

 私は、およそ最高とも言えるスマイルを浮かべて、そう言った。


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