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「赤い風」という宿屋は、なかなか見つからなかった。旅行者向けの宿屋や商店が立ち並ぶ街区から離れ、周囲はどちらかといえば民家が多い。煉瓦造の家が多いのは、この一角がこの街では比較的高級な住宅街に分類されるからであろう。それでも、鋼鉄をふんだんに使った鉄筋の中高層建造物が一つも見当たらないところが、やはり田舎らしい。また、一軒あたりの占有面積が広いのも、地価が安い田舎町ならではである。ましてや、街の中心から距離があるのでなおさらだ。位置的には中心街の北。北へ行くにつれて、煉瓦造の建物は減り、木造の昔ながらの民家が増える。その住宅街を抜けるとあとは農家が点在しているのみで、その背後には広大な平野。西には、よく茂った森がある。はるか遠くに、帝国を南北に隔てるマイヤー山脈を望む。森はマイヤー山脈のふもとまで断続的に広がっているようだ。ブレット街道は町の南だ。
ほかの住宅から頭ひとつ飛び出た三階建ての建物が、宿屋「赤い風」であった。住宅街にありながら、それなりに繁盛しているようで、まだ日が高いうちから酒盛りの声が漏れ聞こえていた。
ドアを開けると、小さな鈴の音が鳴る。むっとした人いきれと屈強な男達の喧騒が飛び込んでくる。一階は吹き抜けのレストランになっていて、二人のウェイトレスが注文を聞いたり食べ物を運んだり、と駆け回っている。かなりのスペースをレストランに割いているが、それでも奥に厨房、階上には客室もあるのだから、思いの外奥行きが広いのだろう。漂う香辛料の香りに、思わず酒が恋しくなるが、ここにはユノ=マイセンの容姿を確認しに来たに過ぎない。ましてや、彼女は現在生命の危機に陥っているのである。疲労が溜まっているわけでもないのに、のんびりと腰を落ち着けるわけにも行くまい。確かに、冒険者には危険が付き物であり、また自身の力量を見誤った彼女には落ち度があるだろう。だが、それでも私は、アンドリューのようにドライにはなれない。
しかし――
「どうしたものか……」
慌しく走り回るウェイトレスには、とても声を掛けられそうに無い。必死で客に笑顔を振りまいているが、その笑顔はむしろ殺気立っている。邪魔をすればどうなるか、分かったものではない。
宿の入り口でまごついていると、不意に後ろから声を掛けられた。
「あの……どうかされました?」
振り返ると、そこには場にふさわしくない清楚な女性が立っていた。怪訝な表情で小首を傾げるしぐさは、どこと無く小動物を思わせた。高価ではないが小奇麗な服装には好感が持てる。何よりもなかなかの美人だ。ふんわりとウェーブした栗毛が、優しそうな顔によく似合っている。
そこまで彼女を観察して、私は自分が彼女の道をふさいでいることに気づいた。
「あ、申し訳ない」
半歩後ろに下がり、道を譲る。彼女が微笑んで会釈をすると、酒盛りをしていた男達が、一斉にほうっとため息をついた。
「ジーナさん、今日もかわいいなぁ……」
誰かが漏らしたその言葉で、私は目の前の女性がジーナ=ウィーバーであることと、ここに集まる男共の目的が彼女を一目でも見ることだという二つの事実を知った。




