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The pupil of the beast  作者: 高田屋 熊之助
第一章:ミオ=ルーシアの場合
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「ちょっといいかな」

 タイプライターを打っていた女性の係員に、窓口カウンター越しに声をかける。彼女はこちらを認めると、書類作成の手を止めて、どうされました、と笑顔で応対してくれた。よく教育された、事務的な笑顔である。

「仕事を探してるんだが……掲示板にはろくな仕事が無くてね。まだ貼り出していない仕事で、そこそこ報酬のもらえるものはあるかな」

 ろくな仕事がない、というのはあまり褒められた物言いでないことは自覚しているが、言葉を飾っても仕方あるまい。私にとって報酬の多寡は、極めて重要な問題である。楽な仕事であればなお良いが、世の中そう甘くなく、高収入の仕事はほとんどの場合、危険が伴う。本格的な冒険者が減ってきているのには、そういった理由もある。

「えーっと……ちょうど一枚、掲示予定の業務がありますよ」

 そう言うと、窓口の係員は作成途中の書類を差し出してきた。今しがた、彼女が作成していたものである。作りかけで、報酬や業務内容欄は空欄になっている。ただ、業務の危険度の欄には、ただ3という数字のみが書かれていた。

「これはなるべく、従事資格三級以上の方にお願いしている業務なのですが」

 従事資格は、端的に言えば冒険者としての能力を等級付けしたもので、一級から四級までの全部で四つのランクから構成されている。このうち最も等級が高いのが一級で、従事資格一級を持つものには、ギルドから金製の従事者章が与えられる。二級が銀製、三級が銅製、そして四級従事者には従事者章は配布されない。なお、ほとんどのノーエムブレムが最下級の四級従事者であるが、もともとノーエムブレムは従事者章を携帯しない者を指す言葉であるから、従事者章を与えられる三級以上の従事者にも、ノーエムブレムは存在しないわけではない。ちなみに、私はいつも従事者章はマントの下の服に着けるようにしている。従事者章はピンで留めるようになっているのだが、マントにつけると、ピンの長さが足りずに脱落する可能性があるからだ。

 業務危険度の3という数字は、業務完遂のためには従事資格三級以上の能力が必要という意味である。

「組合員証のご提示をお願いします」

 言われたとおりに、組合員証を提示する。これもギルドから配布されるもので、確かにギルドの構成員であることを証明するカードである。名前と生年月日、瞳の色、そして従事資格が記載されている。従事者章と違って、組合員証は冒険者を名乗るものは必ず携帯しなければならず、ギルド職員や警察員に求められたら速やかに提示しなければならないことになっている。

 ミオ=ルーシア。帝国暦1795年11月5日生まれ。瞳の色はブラウン。特殊業務従事者一級。それが私の組合員証に記載された情報である。

「ミオ=ルーシアさん、従事資格一級ですか。この業務には生命身体財産の危険が伴いますが、どうされますか?」

 先述のとおり、高収入の仕事には危険が伴う。裏を返せば、危険度が高ければ高いほど、得られる報酬が多くなる可能性が高いということだ。具体的な額は記載されていないが、断る理由は無い。

「詳しい話を聞かせてもらいたい」

 私のその返答に、女性の係員はどこかほっとした表情を浮かべていた。


 私が通されたのは、ギルド支部の応接室だった。通常、業務内容の説明などカウンター越しに済ませるか、多少込み入った内容であれば委託元に出向いて話を聞くのが普通だ。ギルドの応接室に通されることは、あまり無い。そもそも私は、ギルド支部に応接室があること自体、初めて知った。高価な調度品や、座り心地の良いソファなど、何とはなしに、居心地が悪い。冒険者という殺伐としたイメージにそぐわないのかもしれない。

 私は、仕事の依頼主が来るまでソファの向かいの壁に掛けられた姿見とにらめっこをしていた。鏡に映る自分の姿には、いつ見ても複雑な気分にさせられる。

 浅黒い肌と黒い髪は、大陸南方系の人種的特長である。顔立ちの良し悪しについては自身では分かりかねるので、何度か男から言い寄られたことがあるという言及に留めておきたい。それよりも問題は、実年齢に比して異常に若々しいということだ。姿見のそばにあったカレンダーに視線を移す。どうやら今は、帝国暦1827年5月であるらしい。冒険者として各地を放浪していると、日付の感覚も鈍ってくるが、感覚とは無関係に時間は経つのであり、本来私は三十一歳のはずである。だが、姿見に映る私は、どう見ても二十一、二、場合によっては十代後半の娘にしか見えない。実年齢と容姿の年齢がここまで乖離すると、まるで自分が自分でないような感覚にとらわれる。それは少なくとも私にとっては、心地の良いものではなかった。その経緯に思いを馳せる前に応接室のドアが開いたのは、幸いだった。

「待たせたな。君がミオ=ルーシア君か」

 部屋に入ってきたのは、すらりとした長身に、背広とかいう近頃官僚の間で流行の服を纏った男だった。

 一言で表すなら、いけ好かないヤツ。短い金髪に三白眼、銀縁の眼鏡。服装から、身に纏う雰囲気から、いかにも高級官僚らしさが漂っていた。

「ウィンストン支部長のアンドリュー=モールだ。時間が無いので手短に話すぞ」

 私の目の前に座るなり、その調子である。もしかしたら、彼は労務省からの出向組なのかもしれない。昨今の労働環境の変化に対応するために、帝国労務省が設立されたのが、十年前。それ以来、冒険者ギルドの支部長の座は、若手労務省官僚の出向先として定着しつつある。もともとは、名のある冒険者が着任するべきものであり、新たな慣わしに対する冒険者達の不満は、今もって強い。

 冒険者風情が……そんな台詞が今にも飛び出してきそうだが、アンドリューはそれを言葉にしないだけの良識は持ち合わせているようだった。尤も、雰囲気ににじませる程度には傲慢であったのも確かであるが。

 どうやら、彼が今回の仕事の依頼人らしい。

 彼の状況説明は簡潔だった。一週間前、街道を東へ向かって走っていた荷馬車が、ウィンストンの近くで盗賊団に襲われた。御者は逃げ出して無事だったが、積荷が奪われてしまったという。さらにその二日後、今度は同じ場所で客を乗せた乗合馬車が同じ盗賊団に襲われた。こちらも、乗客や御者に死傷者はいなかったが、客の一人――この街で「赤い風」という宿を経営するジーナ=ウィーバーが、身に着けていた銀製の指輪を奪われた。ジーナから指輪を取り戻して欲しいと委託を受けたギルドは、早速冒険者を募り、ユノ=マイセンという女性の三級従事者がこれを受託した。これが二日前のこと。ユノが仕事を引き受けた翌日の午前、ウィンストンの西にある森の中で狩猟をしていた街の住人が、ユノ=マイセンと思しき人物が森の中の古い砦に入っていくところを目撃している。その砦は、盗賊団のアジトと目されている場所だった。しかし、その後ユノ=マイセンは行方知れずとなっている。

「君に頼みたい仕事は二つ。一つは、荷馬車から奪われた荷物を奪還すること。そしてもう一つは、ユノ=マイセンを――生きていれば、だが――救出すること。何か質問はあるか」

 と、アンドリューは右手の指を二本立てて顔の前で振ってみせた。何となく馬鹿にされたような気分になるのは、やはり彼の態度や話口調のせいなのだろう。

「その積荷とはどんなものだ?」

「その質問には答えられん。極めて重要なもの、とだけ言っておく」

「形状は? すでに処分あるいは転売されていた場合はどうするんだ?」

「石造りの箱だ、直方体の。帝国の紋章が彫られていて、鍵が掛けられているのですぐに分かると思う。処分されたのであれば問題ないが、転売されていた場合は、何が何でも転売先を聞き出せ。あるいは盗賊団を生け捕りにしてつれて帰って来てもかまわん。こちらで聞き出す」

 そう言うと、アンドリューは右手の中指で眼鏡をくいっと押し上げた。三白眼が、一層凄みを帯びる。必要があれば、彼は拷問すらも厭わないだろう。そんな冷徹さを秘めた双眸だった。

「ユノ=マイセンはどんな女性なんだ?」

 話の流れを変えることにした。アンドリューの凄い目は、長く見ていて気持ちの良いものではない。

「私は面識が無いからな……彼女と直接話をしたのは、ジーナ=ウィーバーだ。彼女に聞けばいいだろう。だが、ユノ=マイセンの救出はオプションに過ぎない。積荷の奪還を優先するんだ。愚か者が力量に合わない仕事をして危険に陥っても、それは自己責任だ」

 ふん、と鼻を鳴らして腕を組むアンドリュー。その態度は、どこまでも傲岸であった。

 やはり彼のことは、好きになれそうにない。

 ちなみに報酬は、12ゴールド。前金で3ゴールド、成功報酬として9ゴールドだった。帝国の平均給与所得が約16ゴールドらしいので、まあまずまずの収入である。条件面の折り合いをつけた私は、さっさとギルドを後にして「赤い風」に向かうことにした。


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