121話
地面から伝わる振動と地鳴りがどんどん大きくなっていく。もうすぐモンスターが地上に到達するのだろう。
一応住民の避難は完了していると報告を受けたが、あくまで町を出たというだけであり安全圏と定めた山の麓に到着するまではまだ時間がかかる。ここでモンスター達を自由にさせてしまえば山中で追いつかれてしまう危険があった。
だからハロルドは作戦通り、足止めをするためにここに残ったのである。
町の中央付近に存在する広場に鎮座した数十個の酒樽。その前に立つハロルドは二本の剣を手にすると、それを乱雑に振り回して次々と樽を破損させていく。
すると破損した箇所から鮮やかな赤紫色の液体がこぼれ出して、それらは瞬く間に石造りの地面を染め上げていく。
液体の正体は『レッドボトル』であり、モンスターを遠ざけてエンカウント率を下げるホワイトボトルとは正反対、つまりモンスターをおびき寄せる効果を持つアイテムである。原作では主に経験値稼ぎやレアアイテムをドロップするモンスターを効率よく狩るために使われていた。
その香りに釣られて周囲一帯のモンスターが集まってくる。大量に用意した樽の中身は全てレッドボトルで満たされている。ハロルドはその樽を破壊し尽くした。
そうなれば当然この広場に湧き出したモンスターの多くが殺到するだろう。
それをハロルドが一体でも多く倒し、一秒でも長く時間を稼ぐ。言葉にするだけならば簡単だが、成し遂げるのは困難を極める。
小さく息を吐いてハロルドは日が沈みゆく空を見上げる。夜の帳が下りれば山中を行く避難者達の進行速度も落ちるはずだ。その分長くモンスターを引き付けなければいけない。
改めて整理してみれば絶望的としか言えない状況。だからこそハロルドは笑う。
ハロルドになってから幾度となく浮かべてきた、すべてを見下すかのような冷酷な笑み。
それが開戦の合図となった。
地鳴りがひときわ大きくなり、坑道の入り口がある方から破壊音と土煙が上がる。
恐らく坑道から湧き出したモンスター達が建物を破壊しながら進んできているのだろう。
だが湧き出してきたのは進むだけで建物を破壊するような巨体や膂力を持ったモンスターだけではない。まずハロルドの視界に入ったのは四足歩行のモンスターだった。
しなやかなフォルムは豹を連想させるが、その全長は三メートルほどもあり、凶悪で巨大な牙と爪を備えている。
ブラックサーベル。ゲームでは中盤以降に登場するモンスターであり、素早く攻撃力も高い。
「だが、それだけだ」
冷たく言い放ったハロルドは、牙や爪をむき出しにして襲いくる三体のブラックサーベルの攻撃を縫うように、最小限の動きで避けながらその首を刎ね飛ばす。
その光景を目にしたものがいれば交錯した瞬間に三つの首が切断されたようにしか見えなかっただろう。切断面から血飛沫を噴き上げながらブラックサーベルが倒れ伏す。この血の匂いもハロルドの元へモンスターを殺到させる役目を果たすはずだ。
そんな目論見通り、ブラックサーベルを倒したのもつかの間、様々なモンスターが押し寄せてくる。
今しがた瞬殺したブラックサーベルは数十体、ゴブリンやトロールといった人型のモンスターもぱっと見で数百体はくだらないだろう。かつて討伐遠征で戦ったホーンヘッドの姿もいくつかあった。
それらの一団が通りを埋め尽くし、まるで津波のようにハロルドを飲み込まんとして迫ってくる。
「『ボルトランス』」
そんなモンスター達に向けてハロルドはまず魔法を放った。まだ数十メートルの距離があり、密集して直線状に並んでいるモンスターは格好の的である。
ボルトランスで数体をまとめて貫き、グランドパニッシャーで足元を崩して足並みを狂わせ、それにより転倒したモンスターをフレイムカラムで焼き尽くしながら周囲にもダメージを与える。
持久戦である以上最初から威力の高い魔法を使うことは控えたが、それでも確実に数を減らす。
そうやって手始めに数十体のモンスターを倒したがそれだけで殲滅できるわけもなく、数発の魔法を撃ち込んだところでついに接敵を果たす。
(足を止めたらアウト。回避と攻撃は同時に。一撃で確実に殺せ)
それでもハロルドは極めて冷静に対処する。
足を止めてしまえば圧倒的な物量差で取り囲まれて終わりだ。そうならないために攻撃は受け止めるのではなく回避を徹底する。この動きを可能にするためにモンスターが散開せざるを得ない広場を選んだ。そのうえでさらに動きやすくするため、最初に魔法を連発して先頭集団の密度を減らしたのだ。
しかしただ避け続けるだけではいずれジリ貧になるだろう。故に回避動作は回避先にいるモンスターへの攻撃動作となるように動き、それが難しいタイミングでも回避が次の攻撃の予備動作となるよう周囲のモンスターの位置を把握し続ける。
噛みつかんと飛びかかってきたブラックサーベルの攻撃を左に回避し、その先で棍棒を振り上げて攻撃してこようとしていたゴブリンの腕ごとまとめて首を切り飛ばす。その隙を突くようなホーンヘッドの背後からの突進をバク宙で避けると、足元を通過する巨大な岩の背中を足場にして跳躍する。
そして上空から魔法を放とうとしていたグリフォンの口に黒剣を串刺しにして絶命させた。
力なく墜落していくグリフォンの体を蹴り飛ばしながら剣を引き抜く。
重力に従って落下していくハロルド。その眼下には、未だ健在なモンスター達が待ち構えている。
空中ダッシュを使えればそれらを避けることも可能だが、スピードに乗っていない状態でその技を使うことは難しい。
それでもハロルドの顔に焦りの色はなく、冷徹な眼差しでモンスターを見下ろしている。
ハロルドが右腕を引き絞る。右手に握られた剣は、魔力の高まりよって帯電し、バチバチと音を鳴らしながらぼんやりと発光している。
ハロルドはその剣を躊躇なく投擲した。もはや射出と言った方が適切な威力で放たれた剣はホーンヘッドの頭部に突き刺さる。
その瞬間、ハロルドが叫んだ。
「『雷迅』!!」
夕闇を塗り替えるような眩い閃光。数瞬遅れで轟く雷鳴。
それらが過ぎ去った後、炎と黒煙が立ち込める中で立っていたのはハロルドただ一人だった。落雷すら上回るような雷撃を受けたモンスターの多くはその体表を焼かれて息絶えている。
広場の床を染め上げていた夥しい量の血液は蒸発し、むせ返るような血の香りは辺り一面から上がる焼け焦げた匂いで覆い隠されていった。
初めて使った時、四本の雷撃で精々数メートルの範囲しか攻撃できなかった雷迅。
あれから八年。才能に恵まれた最上の肉体を強靭な意思で鍛え続けてきた今や、ゲームでは雑魚技であった雷迅は数十体のモンスターを一撃で葬る技へと昇華していた。
雷の一撃によって石が砕け、弾け飛んだホーンヘッドの頭部から抜け落ちた剣を拾い上げる。そしてハロルドは次なる敵を見据えた。
広場に群がるモンスターを一掃したとはいえ絶えず押し寄せてくる残党はまだ残っている。そしてさらに、深紅の瞳に映るのは体長五メートルを優に超えるような大型のモンスター達の姿。小型、中型のモンスターを従えるようにして、ハロルドへと向かってくる。
今相手にしていたのが敵の先陣ならば、あれが本陣だろう。その数も強さも文字通り桁違いのはずだ。
それでもやることは変わらない。一体でも多く殺すだけだ。
「この町を貴様らの墓標にしてやる。感謝して死ね」
◇
「すごい……」
バーストンの町を囲う石壁。その上部に備えられた櫓の中でフリエリの一人が思わずそんな言葉を漏らした。
石壁から町の中心部までは距離があるため直接戦っている姿を黙視することはできない。それでも度々轟音と共に走る稲光や立ち上る火柱が、彼の主人であるハロルドの激闘を物語っていた。
大量のモンスターとたった一人で戦うというのはどれほどの恐怖を感じるだろうか。どれほどの覚悟が必要だろうか。
ハロルド・ストークスという二十歳にも満たない青年は、この町の人々を救うためにそんな恐怖をねじ伏せ、命を懸けて戦っているのだ。
「おい、いるか」
「き、キースさん?どうしてここに?」
櫓に通じる梯子の出入り口から不意に声をかけられて振り向くと、そこには避難民の護衛として一緒に麓へと向かったはずのキースの姿があった。戦闘の状況に集中しすぎていたせいで彼の気配に気付かなかったようだ。
そのキースは肩で息をし、大粒の汗を流している。相当な距離を走ってきたことが窺えた。
「住民の護衛は残りの人員と騎士団に任せてきた。それよりも状況はどうなってやがる」
「今のところは予定通り、中央広場付近で交戦中です」
作戦を聞いた時にはいくらなんでも無茶だと思ったものだが、ハロルドの戦闘能力は凡人の想像など軽く凌駕しているらしく、交戦開始から十五分以上が経過しても広場でモンスターの大群を押し留めている。
「旦那が想定してた最悪の事態ってやつにはなってねぇみたいだな」
少しだけ安堵したような声でキースはそう言った。
作戦がフリエリのメンバーに伝えられた際にハロルドが想定していた最悪の事態。それはモンスターがレッドボトルに釣られないことであった。
種族の異なるモンスター達が地下で大人しくしていたのは何らかの手段で統制されているからだと仮定し、もしそうならば従来のモンスターとは行動原理も異なる可能性がある、と。
そうだった場合、モンスター達がハロルドを意に介さず避難している住民を追いかけるかもしれない。それが彼の想定していた最悪だった。
「そうですね。最悪どころか今のところは討ち漏らしの報告すら入っていませんよ」
「……待て。ひとつもか?」
「え?ええ、そうですね」
「そりゃいくらなんでもおかしいだろ」
「それを言ったらあんな数のモンスターと互角以上に戦っていること自体がおかしなことですけど……でもまあ、確かに」
一人でモンスターの大群に勝てるのだとしても、その数は数千を超える。それを全く討ち漏らさない、というのは物理的にあり得ないのではないだろうか。
とはいえ町の中に身を潜めている斥候から報告はきていない。フリエリに所属する者にしか知らされていない光信号で各地点と定期的に交信はしているので、間違いはないはずなのだが。
「何か引っかかるな」
唸るような声でそう言葉をこぼす。そんなキースを前にすると、男も何か言い知れない違和感のようなものを覚える。
自分たちは何か見落としているのではないだろうか、と。
しかしここで頭を悩ませていても違和感の原因を突き止めることはできなかった。
「ちっ、まあ今はいい。それよりも準備はできているな?」
「そちらは滞りなく。必要になればいつでもいけます」
もしハロルドが死亡、ないしはモンスターを押し留めることに失敗した場合は町の出入り口となる南門の上部に備えられた櫓を爆破して扉を塞ぐ手筈になっている。
そのために町中に斥候を潜ませて状況の推移を注意深く見守っていた。
とはいえこれは苦肉の策だ。崩れた櫓が上手く扉を塞いでくれる保証はないし、狂暴化しているモンスターなら石壁を破壊してしまう恐れもある。一応予備策として門扉近くにも防衛ラインを設定して余った爆発物を設置しているし、可燃物も準備しているので突破してきたモンスターを焼き殺すか、ダメージを与えて時間を稼ぎたい、という狙いもある。
「……できりゃあこの方法は取らないで済むといいんだがなぁ」
「その場合はハロルド様の命は保証できないってことですからね……」
一人で数千のモンスターを相手に殿を務めている時点で自殺のようなものであり、その上で危機的状態になれば出入り口を塞いで火を放とうなど正気の沙汰ではない。
緊急時の合流場所として西側の櫓、万が一の時には北門上部の櫓にも逃げ込めるようにはしてあるが、その近くにはモンスターが湧き出している坑道があるので、避難が必要な状態でそこまでたどり着けるかは疑問である。
「ハロルド様はどうしてここまでするんでしょうね」
「さあな。ただ、旦那にとっちゃ自分の命を懸ける意味のあることなんだろう」
「貴族としての矜持ってやつでしょうか?」
「俺もそれなりに生きてるし立派な貴族様ってもんは知ってるがよ、たった一人で自分の領地でもない民衆のためにここまでやる貴族ってのは見たことも聞いたこともねぇ」
キースの言う通りだ。確かにハロルドの行動は人々の命を救うためのものだし、そういう意味では称賛されるべきものだろう。しかしそこに自分達が知るような貴族らしさは皆無だ。それどころか戦闘行為としても常識からは逸脱している。
ハロルドはなんてことないかのように自分の命を懸ける。それは始め、自分の強さに対する絶対的な自信の表れなのだと思っていた。だが今は違う。
どれほどの危険を前にしても逃げず、臆することなく、むしろ自分から突っ込んでいく。彼のその様は誰かを救うためというより、そうすることで己の死に場所を探しているようにすら見えるのだ。
「おい!信号だ!」
苦い思いを胸中で嚙み潰している最中、キースの声で我に返った。
決して見間違わないよう、双眼鏡で信号の内容を確認する。そしてその内容を目にして男は言葉を失った。
「そ、そんな……」
「何があった!?」
キースの問いかけに、男はなおも愕然とした様子で返した。
「『人影あり』『子ども』『一人』……」
「まさか……!」
「逃げ遅れたか、侵入者か……なんにせよ、子どもがまだ一人、この町の中にいます」
それはハロルドが想定していた“最悪の事態”の前提が崩れ去った瞬間だった。




