111話
最初に覚えたのは眩しいという感覚だった。ライトでも当てられているかのように瞼の向こう側で光がちらついている。
それを自覚すると水中から浮上するように、緩やかに意識が覚醒していく。そしてふっと目が開いた。
見慣れない天井に、視界の端では白いレースが揺れている。その視界を少しだけ横に向ければ窓が開け放たれていて、そこから枝葉の隙間を縫うように太陽の光が差し込んでいた。風に吹かれてさざめく枝葉をなんの気なしに眺めていると、徐々に自分が何をしたのかその記憶が蘇ってくる。
「目が覚めた?」
不意にそんな声が聞こえた。窓とは反対方向、部屋の入口の方へ目を向けるとそこにはリーファが立っていた。
喜怒哀楽をしっかりと表に出すリーファは少しだけ怒っていて、それでいてかなり呆れているのがエリカには手に取るように分かった。だからこそしっかりとした返事ができず、言葉を濁すように質問を返した。
「……それはどちらの意味で、でしょうか」
「どっちもよ。まったくもう、後悔するくらいならあんなことしなければ良かったのに」
不機嫌さを隠すこともなくリーファはベッドの端に腰かけた。
後悔など、と反射的に口を開きそうになったところで自分の気持ちを知っているリーファに誤魔化しても意味はないと思い留まる。
「返す言葉もありません。リーファさんにも無理をさせてしまって……」
「……あたしのことはいいのよ。確かに戦うべきじゃないって言ったけど、最後に戦うって判断をしたのはあたしの意思なんだから」
迷わずそう言い切れるリーファに、自分が持っていない強さを感じる。
思わず再び自己嫌悪に陥りそうになったところをグッと堪えて聞くべきことを尋ねた。
「あの、それで……ハロルド様はどうなりましたか?」
その問いかけにリーファの表情が少しだけ曇った。
「エリカはどこまで覚えているの?」
「……私が複合魔法を放って、ハロルド様を攻撃しました」
そう口にするだけで自分の行為に対する嫌悪感が込み上げる。
あの時、自身の持てる全力をぶつけた。ハロルドがそれを望んでいたとはいえ無事では済まないだろう。あんなことをしておいて怪我を心配するなど身勝手な話ではあるのだが、それでもエリカはハロルドの安否を問わずにはいられなかった。
「その後のことはよく覚えていません。ただ、何か閃光が走ったような……」
最上級とされる魔法を複合させて同時に放つという無茶をしたせいでエリカの魔力は一気に枯渇した。そのため結果を見届けることなく気を失ってしまったのだが、その直前に何か光を見たような気がした。
「信じられないかもしれないけど、あれはハロルドがエリカの魔法を打ち破った時の光よ」
「あの魔法を……ですが拘束されて動けなかったはずでは?」
「確かに止めてたんだけど、途中で拘束が解けた瞬間に打ち消されちゃったわ」
「一体どうやって……」
あの複合魔法はエリカとしては考え得る限り最高の威力だ。防がれる、耐えきられるならまだ理解も及ぶが、打ち消されたとなれば話は別だ。
それは言わば複合魔法と同等以上の威力を持った魔法や技が存在するということになる。
「推測だけど恐らくは魔法と剣技の合わせ技だと思う」
「そんなことが可能なのですか?」
「分かんない。無詠唱で魔法を連発したわけじゃないし、多重詠唱をする時間もなかった。でも魔法は間違いなく使っていたのにエリカの魔法を打ち消した瞬間、ハロルドは何かを切ったように剣を振り降ろしてた」
「魔法を使っただけならそんなことをする必要はない、と」
「まあそういうこと。けどあたしも魔法の余波から身を守るのに必死でよく見てたわけじゃないの。だから全部推測の話よ」
魔法と剣技の合わせ技など突拍子のない推測だ。エリカも複合魔法というものを編み出しこそしたが、言ってしまえば属性が違うだけでどちらも魔法であり思考と魔力を並列に分離して行使すれば充分可能な範囲だ。
しかし魔法と剣技となれば例え同じ属性だとしても求められる魔力の用い方が全く異なる。エリカから言わせれば前に進みながら後ろに下がる、という真逆の行為を同時に行うことを求められているに等しい。
はっきり言ってそんなことができるとは到底思えない。まあそこには“ハロルドでなければ”という言葉がくっつくのだが。
破天荒でありながら飛び抜けた強さと頭脳を誇り、おまけに常識外れが服を着て歩いているようなハロルドであれば、もしかしたらそれを実行することも可能なのかもしれない、とエリカは思う。そしてきっとリーファも同じように考えているからこそこんな推測を話してくれたのだろう。
「あの……それでハロルド様は……」
「……当たり前だけどボロボロだったわよ。出血は酷かったし、肩で息をするくらい呼吸も荒れてた」
分かりきっていたことではあったがその言葉がエリカの心に突き刺さる。
「けど、それでもアイツは倒れなかった。相当なダメージだったはずだけど容易く姿を消すくらいには動けたみたい」
「では病院へは……」
「少なくともここにはいないわ。どこに行ったのかも、今はどこにいるのかもね」
行き先についてはお手上げよ、とばかりにリーファは肩をすくめた。
果たして生きていることに安堵しているのか、重症であることを案じているのかエリカ自身もよく分からない。ただ平然と無茶をするハロルドのことだから今もまた傷を押して行動を起こしているのかもしれない。
そう考えるだけでいてもたってもいられなくなってしまう。
(本当はあの方を傷付けるためではなく、癒すために魔法を磨いていたはずなのに……)
ハロルドが望んでいたこととはいえなんて有様だろうか。八年前、ハロルドに寄り添える人間になりたいと誓ったあの日の自分が今の姿を見ればきっと失望することだろう。
「まあ考えても分からないことは一旦置いておきましょ。それよりも今の状況を整理するわよ」
パン、と手を打ち鳴らして空気を切り替えるようにリーファがそう言った。
「まずエリカは二日間眠っていたわ。魔力の枯渇が原因だけど一気に失いすぎたせいで昏倒したみたいね」
「諸刃の剣であることは承知の上でしたけれど二日もですか」
「あたしとしてはあれだけの魔力を使ってよく気を失うだけで済んだわね、って感じだけど。それから他の皆はその日の内に目を覚ましたから今は近くの宿にいるわ」
「お待たせしてしまったみたいですね。皆さんにお怪我などは?」
「全員ピンピンしてる。せいぜいヒューゴが『顎がいてぇ』って泣き言を言ってるくらいよ」
泣き言、とは言うがあれだけ見事な一撃をもらえば痛みもするだろう。しかし無傷であるのならば幸いだ。
そう思う反面、全員が無傷だという事実に感じるものがある。それは明らかに手加減をされた、ということだ。
過信をするつもりはないがエリカを含め六人の仲間達は誰一人として弱くはない。それぞれの強みと弱みを把握した連携も取れているという自負もある。
だがそれでも届かないほどハロルドは強かった。六対一という圧倒的に有利な状況でありながら前衛四人をあっという間に封殺され、エリカとリーファがそれぞれの切り札を切ってようやく一矢を報いた、という形である。
ハロルドが本気で戦っていたのなら無傷どころか全員が死んでいてもおかしくはない。
あまりにも強すぎる。それが初めてハロルドと対峙して得た感想だった。
「それでここからが本題なんだけど……」
「なんでしょう?」
「エリカの他にもここに入院してる人がいるのよ、二人ほど」
「……もしかしてあの方達ですか?」
二人と聞いてエリカの脳裏に浮かんだのはハリソン邸の屋上で倒した男女の姿だった。どちらもハロルドに何かをされて意識を失っていたのを覚えている。
戦った相手に対して複雑な心境を抱いていないわけではないが、あのままの状態だったのならば病院に運び込まれることは自然な流れだと思える。
「うん、まあそうなんだけど……」
しかしリーファからはそれだけではない歯切れの悪さが感じられた。
「あの方達が何か?」
「……エリカはあの二人と戦って気付いたこととか気にかかることってなかった?」
それは要領を得ない質問ではあったが、リーファが無意味なことを尋ねてくるとは思えない。ハロルドとの戦闘が強烈すぎてやや薄らいでいる記憶ではあるが、何かあっただろうかと思い返してみれば存外すぐに答えを導き出すに至る。
彼らはこちらを殺しにきているはずだったのに、戦闘の最中にはまるで殺意も敵意も感じられなかった。
「思えば精巧な人形を……いえ、感情のない人間を相手にしているかのようでした」
さすがに人形と言い切るのは憚られるものがあり言い換えたが、双方に共通するのは“自分の意思を感じられない”という点だ。
ただ機械的にこちらを攻撃してきていたようにエリカの目には映っていた。
「正直あたしは戦闘中の機微とかよく分からないから半信半疑だけど、実際に戦ったエリカがそう思うってことは向こうの言い分も事実なのかもしれないわね」
目を覚ましたばかりで悪いけどこれを読んでほしいの、と言ってリーファが取り出したのは数枚の羊皮紙だった。その一枚目、冒頭に目を通す。
それは今話題に上っていた二人の聞き取り調書のようなものであった。どのような経緯でリーファがこれを手にしたのか疑問に思ったが、まずは言われた通りその内容を読み進めていく。
その調書によれば二人の名はウェントスとリリウムと言い、彼らはベルティスの森に住む星詠族であるらしかった。この時点でエリカは嫌な予感を覚えた。そしてそれは調書によって確信へと変えられていく。
彼らが言うには数年前に突如として自分達が住んでいた森の中の集落が襲われた。その混乱の中で何者かに連れ去られ、研究所のような場所に監禁されていたという。そこには多くの同族が捕らえられており、日夜人体を用いた実験を施されていた。
それはウェントスとリリウムの二人も例外でなく、投薬や未知の機械を用いた施術で徐々に体と意識を作り替えられていった。それによって自意識というものが希薄になって考えたように言葉や行動を表に出すことができなくなっていき、最終的には命令された通りの行動しか取れなくなってしまった、ということらしい。
これらが事実なのだとしたら自覚したまま自分の心身が作り替えられていく過程を味わうというのは一体どれほどの恐怖だったのだろうか。
そして彼らがさらわれるきっかけとなったのはハロルドが介入したあの件と見てまず間違いない。あの時にハロルドが負った痛ましい傷はユノの報告で詳細に知らされている。
まだ幼かったとはいえ当時ですら相当な実力者だったハロルドがあそこまでの怪我を負うほど危険で大規模な戦闘だったのだ。多くの人が亡くなった中で人がさらわれたとしても、戦闘に巻き込まれて消息不明になったものと考えられれば捜索の手は届かないだろう。
そもそもハロルドの話では軍や審議所に根回しをしていたとのことでありどうあっても犯人――ユストゥス・フロイントが捕まることなどあり得ない。
なんて卑劣な行いだろうか。湧き上がる怒りを抑えてエリカは調書を読み終える。
「戦闘中に感じた殺意のなさはこれが理由だったのですね」
「別々に聞き取りをした二人から同様の回答、エリカからの裏付けを踏まえればほぼ間違いないでしょうね」
以前ハロルドは人体実験を施されている星詠族の方を二人連れ出した、と語っていた。
その二人とはきっとウェントスとリリウムのことなのだろう。そしてハロルドのことだから二人を救おうとしていたのだろうし、どうやったかは分からないが自意識を取り戻してみせた。
自分達と対峙する道を選んででも。
「で、その二人がライナーに謝りたいって言ってるんだけど」
「ライナーのご両親に怪我をさせた件についてですか?」
「うん、どうやら意思はなくても記憶自体はあったみたいなのよ」
それは辛いだろう。自分の意思に反して人を傷付けた記憶など認めたくないはずだ。
それでも彼らは自分の責任として受け止め謝りたいと申し出ている。
「それで問題なのはライナーが二人を前にして冷静でいられるかってことなんだけど……」
「難しいでしょう。ライナーは優しいが故に家族への愛は深いですし、その両親を傷付けた二人を簡単に許せるとは思いません」
「エリカもそう思う?う~ん、やっぱりもう少し時間を置いた方がいいのかしら」
「いえ、場を設けましょう」
ならば彼らの意思を尊重したいとエリカは思った。きっとハロルドならそうするだろうから。
それに何よりも、ハロルドの力になれないという辛い現実から逃げ出してしまった自分にはない強さを持つ彼らが眩しく思えた。
(私では駄目だとしてもリーファや彼らのように本当の強さを持っている人ならば、いずれハロルド様の力になってくれるかもしれない)
それが後ろ向きな考えであることは分かっている。自分の想いを自分勝手に押しつけようとしているだけだという自覚もある。
ただそれでも、自分では無理なのだとしても、今もまた孤独になろうとしているハロルドをどうにかして助けたい。
それが空っぽになったエリカの中に残っている、唯一の願いだった。




