再会はその腕の中で
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プラチナブロンドの髪の毛を整えると、ルナシェは黒鷹商会の天幕でトランクを開いた。
トランクの中には、赤いドレスが一着、そしてヒールの高い靴。そのほか日常生活に必要な最低限の品。
それしか入っていない。
(辺境伯令嬢とは思えない荷物の少なさね……)
けれど、ルナシェはもう知っている。
断頭台の先には、何一つ持って行くことができないことを。
それならば、ベリアスに会うために着飾るたった一式があればいい。
婚約破棄を告げるなら、あの日、見せることができなかったドレス姿が、ふさわしいだろう。
(その後は、この着心地のいいワンピースでいればいいわ)
ルナシェは黒鷹商会の従業員が身につける、簡素な茶色のワンピースに白いエプロンがとても気に入っていた。
こんな服を着るなんて、前回の人生では最後の瞬間まで考えもしなかった。
(こんなに快適だって知っていたのなら、着てみたかったわ)
それでも、貴族としての矜持や辺境伯令嬢としての責務、そんなものに囚われていた以前のルナシェが、こういった服装をすることなど、決してなかっただろう。
――――何よりも大切だと思っていた、矜持や責務。そんなものがルナシェを救ってくれることなどなかったけれど。
身につけたのは、婚約式で着ていたベリアスの髪と同じ色の赤いドレス。
辺境伯邸に戻ってしまえば、決してこの地に来ることなど許されないことがわかっていたから、ほかのドレスも、星の数ほど持っていた装飾品も持ち出すことはできなかった。
ベリアスから贈られた宝石も、すべてこの場所に立つために、商会の会長ガストに渡してしまった。
でも、そのことに対する後悔などルナシェには一つもない。
前の人生で、隠していた心の奥底に沈む、静かに光っていたルナシェの本心。
そっと、ルナシェは胸の前で手を組んだ。
婚約破棄をするとしても、たしかに心はここにある。
(でも、その後は……?)
婚約破棄を告げたその後、ベリアスはやはり命を落とすのだろうか。
ルナシェは、そのとき彼の婚約者ではない。きっと、断罪されることもない。
そうすれば、ルナシェは自由だ。
けれど、ベリアスがたどる運命を、ルナシェは知っているのに……。
(本当に、それでいいの?)
そのとき、天幕の外から聞き慣れた声がした気がした。
近づいてくるその声は、確かにルナシェの名前を呼んでいる。
「…………っ!」
天幕の入り口を細く開けて顔を出したルナシェの目の前には、なぜかベリアスの穏やかな緑の瞳。
夢なのだろうか。婚約式から三ヶ月後。たった三日間だけそばにいてくれたベリアスのことを、ルナシェは何度、夢に見ただろうか。
(会いたかった……)
ベリアスが帰ってこなかったあの日から、断頭台に乱暴に連れて行かれ、命の灯火が消えるその刹那まで、何度会いたいと願っただろうか。
そのベリアスが、思わぬ瞬間に、ルナシェの目の前に現れた。
けれど、あんなにも恋い焦がれたベリアスの表情は、ルナシェがかつて見たことがないほどに険しい。
「ルナシェ…………。やはり、本人か。どうしてここにいるんだ」
その問いに答えられるほど、ルナシェは気持ちの整理ができていなかった。
だって、これからベリアスを訪ねようとしていたのだ。
それなのに、どうしてベリアスは、ルナシェが覚悟を決める前に、目の前に現れてしまったのだろう。
「……どうして、こんな危険な場所に、君がいる」
次の瞬間、ルナシェは、ベリアスのたくましい腕の中に囚われていた。
以前の人生では、決してベリアスがルナシェをこんな風に抱きしめるなんてこと、なかったはずなのに。
まるで、こうなることが必然だったかのように、ルナシェはベリアスの腕の中にいる。
返事をしたくても、喉が渇ききってしまったように声を出すこともできないルナシェ。
そんなルナシェをベリアスが、ますます強く抱きしめる。
険しい表情とは、あまりに対照的な熱い抱擁。ますます、ルナシェは混乱してしまう。
「だが…………夢なら、醒めないでくれ」
激戦の地、壁に囲まれたこの場所に、乾いた風が吹いて、ルナシェの白銀の髪を揺らした。




