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逃げた小鳥


 ***


 ガストの商会の人間は、みんなルナシェに親切に接する。


 どこか過剰なほど過ごしやすく整えられた環境に気がつくこともなく、本日もルナシェは茶色のワンピースに後ろに大きなリボンのついた白エプロンを身につけて掃除をしていた。

 唯一ルナシェが変わったことと言えば、荒れたことなどない手が、慣れない水仕事のせいでガサガサになってしまったことくらいだろう。


 その時に、不意に開いた扉と、そこに立つ人の気配に、ルナシェは振り向く。


「――――ようやく見つけた」

「…………」


 とうとう見つかってしまったという思い。逃げ切れるはずないと察しつつ、最後の抵抗としてルナシェはその人物の横をすり抜けて部屋から出ようとした。

 横を通り過ぎようとしたルナシェの手首が、遠慮のない力で掴まれる。


「今度はどこに逃げる気だ。ルナシェ?」

「…………お兄様」


 茶色い髪の毛と、ルナシェと同じ瑠璃色の瞳。

 髪色は違っても、特徴的な瞳の色と、目を引く美貌から、誰もが一目で二人が兄妹だと考えるだろう。

 優しく見える微笑みに目を奪われてしまえば、彼のことを知らない人間であればだまされるかもしれない。しかし、付き合いの長いルナシェはだまされたりしない。

 彼は、すでにいない両親に代わり、数年前から辺境伯として貴族社会でその手腕を発揮しているのだから。見た目そのままのはずがない。


 ミンティア辺境伯アベル。

 ルナシェの兄である彼は今、怒っている。


 それはそうだろう、慣例では婚約式の後は、一度シェンディア侯爵家を訪れ、そのあとはミンティア辺境伯家で婚約期間を過ごすはずだ。


 それが常識だ。けれど、ルナシェは非常識にも、シェンディア侯爵家に挨拶すらせず、ベリアスの元に来てしまった。


(ううん、婚約者の元に来た。そこまでは許容範囲だったのかもしれないけれど)


 そこからすら消えて、こんな風に隠れて過ごしていたルナシェ。

 心配も掛けただろうし、許されることでもないだろう。


「かわいい妹よ。行方不明になった妹を心配して我が家の全情報網を駆使して探し出した兄に対する態度ではないだろう? 兄は悲しいよ」


(いっそ、ちゃんと怒ればいいのに)


 ミンティア辺境伯家の兄妹は仲がよい。

 たった一人の兄妹である兄、アベル・ミンティアは異常なほどにルナシェに対して過保護だ。


(断頭台の前に連れて行かれたあの日、お兄様は戦争の残務処理を命じられて屋敷を離れていた)


 無実の罪でルナシェが命を失った後、アベルが、どんな運命をたどったのか、ルナシェは知らない。

 だが、あまりに用意周到に連れ去られたルナシェと、引き離されていたアベル。

 それは確実に長い期間かけて計画されていたことに違いない。


 やり直す前の世界では、アベルも、誰かが企てた計略に巻き込まれただろうことは、想像に難くない。


「さあ、帰ろう。婚約式にも現れなかった薄情な人間には、こちらから婚約破棄を突きつけてしまえばいい」

「――――私は」


 ルナシェは、アベルの言葉に逆らったことがない。

 いくら兄妹仲がよいのだとしても、アベルは辺境伯家の当主になる人間だ。

 ルナシェの中で、それは当然のことだった。


 …………今までは。


「…………帰りません」

「ルナシェ? どうしてだい?」

「――――どうしても、この場所に残っていなければいけないからです」

「…………何が急にルナシェをそんなにも変えたんだ」


 まっすぐにルナシェを見つめるのは、鏡で見る自分の瞳と同じ色。

 けれど、気遣わしげな問いかけから、ルナシェを心配していることだけはわかる。


「…………私は」


 その時、開いていた扉の向こうから廊下を走る靴音が聞こえてきた。

 その靴音を、ルナシェは知っている。

 結婚式にすら戦況の報告と処理のために遅れかけて、あの日も会場に走ってきた懐かしい靴音だ。


(三ヶ月間隠れて、ベリアス様がシェンディア侯爵家にいる私に会うために、この場所から離れなくてもいいようにしたかったのに)


 ベリアスさえいれば、兵を引き上げてさえいなければ、砦が奪われることはないかもしれない。

 けれど、その計画は、もろくも崩れ去ってしまった。


(それにしても……)


 目の前に現れたベリアスは、まるで結婚式のあの日のように髪の毛を後ろに撫でつけていた。


(前髪を上げると、ものすごくかっこいいのよね……)


 けれど、普段ベリアスは自分の身なりには無頓着なところがある。


(いつか、幸せな日々が送れるなら、毎日あの髪をブラッシングしたい)


 ルナシェは、なぜかびしょ濡れのベリアスに近づくと、ハンカチでその髪の毛を拭き始めた。

 ベリアスは、服までずぶ濡れだ……。


「雨でも降っていたのですか?」

「――――瑠璃色の宝石に魅せられた商人からの洗礼だ」


 そのまま、ベリアスはルナシェを抱き上げる。

 まるで、逃げ掛けた小鳥をようやく捕まえて、もう逃がさないとでもいうように。


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