75.5 sideアーネスト②
己の婚約者がマティアスの隣で顔を赤面させている姿を見て、アーネストに生まれたのは、当然ながら焦りだ。
何に焦っているのか、何を懸念しているのか分からないまま、彼女の元に急ぐ。
マティアスは、どうやらアーネストとアリスの邪魔をしたくないと思ったのかすぐに姿を消した。
こちらの状況を伝えつつ、アーネストは逸る気持ちを抑えなくてはならなかった。
──何でそんな可愛い顔をしているの?
その顔は誰に向けたものなのか。
膨れ上がっていく焦燥感に身を任せ、恐る恐る問い掛ける。
「前に仰っていましたもの。好きな人は今まで居なかったと」
アリスは何を言い出すんだと言いたげな表情だった。
──いや、でも。好きな人はいなかったって、それ過去形じゃないか?
「君の顔が赤いのは何故?」
「……」
アリスは恥じらうように目を逸らす。
──絶対に何かあったよね!?
アーネストが懸念する中、アリスはとても可愛らしい方法で、アーネストの前から逃げ出した。
人に囲まれたアーネストがようやくアリスの元に駆けつけた時には、彼は頭を抱えたくなった。
「あっ…殿下……」
「アリス……、もしかして果実酒を飲んだ?」
「はいっ……! これ、甘くて……とても」
にこぉっと幸せそうな満面の笑みと少し舌っ足らずな口調。
──何、この可愛い生き物。
破壊力は抜群だった。
──酔っ払ってる……! 可愛いけど!いや、でもそういう場合でもなくて!
完全に果実酒で酔っている。しかもほろ酔いとかいうレベルではないくらいに。
1度口にして、果実の甘さが口に合ったのか、思いのほか進んでしまったのだろう。
足元が覚束無いのか、意識がふわふわとしてしまっているのか、こちらにもたれ掛かるように身体を寄せるアリスは可愛らしかった。
「んぅ……、殿下もいかがですか?」
潤んだ瞳で無邪気に見上げ、首をコテンと傾げるアリス。いつもと違い、甘えるような声。
「うん。とりあえず個室に行こうか」
「……え?」
無防備なアリスをこのままこの場所に居させる訳にはいかない。
身体の力が抜けて、いつもよりもあどけない少女のような彼女。
紅潮した頬と、しどけなく、緩慢な仕草。
それを見つめる周りの男たちは、酒に酔ったアリスの姿をぼうっとした目で眺めていて、それが無性に癇に障った。
完全に男たちはアリスに見惚れている。普段は凛々しいアリスが見せる無垢な少女のような姿は庇護欲を誘うと同時に、男の奥底に眠っている本能を引きずり出してしまう。
アーネストも感じている。
──閉じ込めてしまいたい、なんて。
それは支配欲と言われるもの。アーネストの場合、それに加えて独占欲も引きずり出されている。……いや、もしかしたらそれは普段からかもしれないけれど。
「殿下……、まだパーティは、終わってない……ですよ?」
「アリスをここに置いておけない」
「変な殿下……。ふふふー。私は昔から正妃教育を受けているので、心配ご無用なのですわ!」
──え、何? 可愛い……。
目をトロンとさせたまま、自信満々のしたり顔を浮かべて得意げな彼女は、やはりいつもよりもガードが緩い。
アーネストが頬に手を添えても不思議そうにするだけだ。
これは早めに連れ出さねば。
ちなみに、この時のアーネストは、さらなる問題がこの後に待ち受けているとは予測出来ずにいた。
まさかアーネストも思わなかったのだ。ホールでのアリスが見せた可愛らしい仕草はほんの序章であることに。
休憩用の個室にアリスを連れて行き、「侍女を連れて来るからね」と言い置いた瞬間のことだった。
可愛らしさの暴力に目を背けて油断しきっていたアーネストの腕をぎゅっと掴む己よりも小さな女性の手。
「……っ、アリス!?」
「どこかに行っちゃ……やっ…」
無防備に背中を向けたアーネストは体勢を崩し、アリスに引っ張られた。
腕にしがみつき、もう離さないと言いたげに涙目で見上げてくるアリス。
じわじわと込み上げてくる何かを堪えながら、あくまでも紳士的にアーネストは微笑む。
「ただ、侍女を呼んでくるだけだよ、アリス。今日はもう君は休んだ方が良い──」
と言いかけたところで、アリスは腕をさらにぎゅうっと抱き締める。
「えっと、あの……アリス。当たってる……」
彼女の柔らかな乳房が、己の腕に押し当てられた分だけ、ふにゃりと形を変えている。
──目に毒だ。
今日のドレスも胸元がしっかりと空いているせいで、上から覗き込めばアリスの豊かな胸元はその形すら分かってしまう。
元々がそんな状態だというのに、こうして押し付けられてしまえば……。
──無自覚なんだろうな……。
なんというか非常にクるものがあった。
「じゃあ、殿下……こちらに座ってください……。言うことを聞かないなら……離しません」
「……」
なんて可愛い脅し文句なんだろう。
とりあえずこの状況はマズイと彼女の言う通りにベッドに腰掛ける。
腕に抱き着いていた彼女が、するりとこちらから離れていって安堵していたら、状況が悪化した。
「ちょっ……」
「重いですか……?」
「重くはないんだけど、えーっと……」
アリスが膝の上に乗ってきた。
──酔っ払いのすることは読めないと言うけれど、確かに何をするのか見当もつかない!
軽やかな体は酒を飲んだせいか、僅かに熱を持っていたし、アリスの柔らかな体と彼女の香りが感覚器官を麻痺させていくようだった。
──甘い香り……。
鼻腔を満たしていく彼女の香りにこちらが酔いそうだった。
「殿下……」
「えーっと、とりあえず下りようか……。色々とマズイ気がするから」
主にアーネストの自制心が。
「だって、殿下が逃げようとするから」
間近でそんなことを宣う彼女の言い分は、やはり罪深い。
──可愛い。抱き締めたい。触れたい。
アリスの細い腰に伸びそうになる手を叱咤しながら、あくまでも紳士的に彼は微笑む。
「逃げないから、下りてくれる?」
「嫌ですわ」
まるで子どものように、ぷいっとそっぽを向く。
──これ、全部次の日に忘れてるんだろうなあ……。
アリスは酒に弱く、ついでに言うと記憶が残らないタイプらしい。
もう無理やり下ろすしかないと腹を括って、彼女の肩に手をかけ、腰を浮かせかけたところで、彼女が身を捩る。
「逃げないでください!」
「逃げてなんて……、わっ」
どさっと後ろに倒れたアーネストは、彼女の体を反射的に受け止めた。
そして、アリスの熱っぽい潤んだ瞳に囚われた。




