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年度末とか引継ぎとかで忙しかったので…。
そびえ立つ運命だってぶち貫いちゃえ! どんなエロ神だってロードローラーで平らに踏み潰す!
たったひとつの勝利を導く、見た目は(変態)淑女、頭脳は童帝、その名は魔法のプリンセスメディアちゃん!
「久しぶりの前口上でした」
『これ、訴えられませんかね。大丈夫なんですか?』
「大丈夫大丈夫。オマージュですから。リスペクトってやつですよ。もーまんたいもーまんたい」
『だいたい、そういう言い訳しますよね人間どもって』
さて、エジプトにてトート神に切り札の制作を依頼した後、私は北上してティリンスを目指した。
ペロポネソス半島の東部に位置するこの都市は、強固な城壁に囲まれた城塞であり、そして大英雄ヘラクレスが生まれた土地でもある。
南北に伸びた丘の上に建設されたこの城塞都市は、無数の無骨な岩を積み上げた城壁によって囲まれ、難攻不落の呈をようしている。
まあ、あんな筋肉ダルマが育つような、野蛮で非文明的で粗野でしょうもない場所だ。もう外側から見ただけでお察しというレベルである。
積み上げられた岩も、規則性はなく、切削などの加工がされているとも思えない。無骨とは前向きな表現で、後ろ向きに言えば、粗雑。
まあ、エジプトの巨大で複雑な大都市を見た後ではそう思ってしまうのも仕方がないだろう。
この時代のギリシアなどしょせんは地方の田舎、世界の片隅でエジプトやメソポタミアの文明の威光のおこぼれをいただいているだけの辺境なのだ。(日本はお察し)
「いやあ、さすがヘラクレスさんの故郷ですね。こう、なんというかオーラが違います。英雄を輩出するオーラです。すごいなぁ」
『考えている事と口に出している事のギャップが酷いですねメディア』
「失礼な。ヘラクレスさんに聞かれたらどうするんですか止めてください、そういうの風評被害ですよ。訴訟です」
まったく、ヘラクレスさんに勘違いされて神速の9連撃とか喰らったらどうするんですか。軽く死ねますよ私。
いやあ、偉大なヘラクレスさんに会いに行くなんて緊張するなぁ。正直あんなキチガ…、少しばかり気難しい感じで、ちょっと怖じ気づいちゃうなぁ。
『内心がクズですね。変わりないようで安心しました』
「えっと、ヘカテーさま?」
『故郷が焼かれ、主神に喧嘩を売るというのに、悲壮感がありませんから。もっと精神的に追い詰められているのかと思っていました』
ヘカテー様の優しいお言葉にジンとくる。やっぱりこのヒトを信仰して良かった。私は目頭が熱くなり、感謝の言葉を伝えようと、
『まあ、単純に先のこと何も考えていないだけなんでしょうが』
「酷い言い草だなおい」
別にこれでも割と追い詰められてはいるのだ。ただ、女神ヘラの呪詛については何とかなったので、本当の意味での最悪は回避されている。
対ゼウスもある程度の対策は存在する。あの主神様は、基本的に敵が多いので、最悪それをぶつけるのも一つの手だ。
基本、大地母神ガイアからの受けは悪いし、加えてタルタロスに落とされている連中を開放してやれば、あの主神から逃げ出す時間は十分に稼げるのだから。
『では、お便りのコーナーに参りましょう。最初のお便りはメンフィスのセリアさんからですね。最高神にキューピッドから回収した矢は効くのかな? だそうですよ』
「唐突ですね。まあ、ある程度は効くと思いますよ。キューピッド、つまりエロースは本来は原初の神、神々の生みの親である女神ガイアの兄弟にあたる由緒正しい神さまです。今は美少年の格好してますが、元々はスネ毛の生えたおっさんですしね」
その矢の力は神にも及ぶ。これはアポロンとダフネを主題とした神話においても明確に描かれていて、アポロンの心を操作したのは彼の矢だった。
加えて言えば、母なる女神ガイアに愛をもたらしたのも彼である。オリュンポスのほとんどの神々の母たる彼女に通じた矢が、彼女の末裔にどうして通じないと言えるだろうか?
「まあ、とはいえ主神ゼウスは伊達じゃないですし、その気になれば抵抗できるのでしょうけれど」
ギリシア神話における運命の女神をも手中に置いた主神ゼウス。彼の権能を以てすれば、あるいはエロースの黄金の矢すらも無効果できるかもしれない。
まじでチートだなあのエロジジイ。
『神とは理不尽なものですから』
「でしょうね!」
ヒトの身では抗えぬ理不尽に人格を与えたモノが神なのだ。死や災害、疫病や雨、太陽や風、果ては不和や争いまで。
それらコントロール下に置けぬ様々な事象を、人間は恐れ、畏れ、神や怪物として具現化させた。
いや、人間が先で神様が後だなんて不都合な真実は、とてもじゃないけれど口に出せませんけど。お口チャック。
『不信心な巫女です。私は悲しい』
「人間の都合で変化しちゃう存在ですからねー」
『それについては否定はしません』
日本における大黒様が顕著な例だろう。あの神様のルーツはインド神話におけるシヴァ神であり、破壊神であることは有名だ。
シヴァ神の一側面、世界に破壊をもたらす際に表情である《マハーカーラ》、直訳すると《大いなる暗黒》が日本に伝わるまでには紆余曲折があった。
《マハーカーラ》は破壊の神であると共に、財福の神とされる。破壊と再生の二面性を持つこの神ならではという所か。
その威容は正に漆黒。全身がおどろおどろしい黒色で、表情は憤怒、手には多くの武器を持っていた。
さて、この神様は仏教に取り入れられ、護法の軍神と信仰された。ここまでは良かった。このままなら良かった。
しかし、ここで商人たちが密教を信仰するにあたり、財福の面を前面に出す形で信仰しはじめたのだ。
特に中国ではそれが加速した。それでも日本に入った時はまだ軍神としての性質を持っていた。まだ武器を持っていた。
そう、袋なんて担いではいなかったのだ。もちろん米俵には乗っていない。
ところで、日本では土着の神様《大国主》が祭られていた。ちなみに、この神様が因幡の素兎を助けた時には袋を担いでいた。
でも、あくまでも読み方は《おおくにぬし》である。お・お・く・にである。全然関係ない神様だから、決して同一視しないように。
だから絶対に《大国》を《だいこく》なんて呼ぶなよ。絶対だぞ。絶対に呼ぶなよ。おい止めろっ! それ以上はいけない!!
こうして、本来は超真っ黒な姿で強面だった《マハーカーラ》様は、にこにこでぶでぶの財産の神様になったとさ。
『これはひどい』
「まったくです。これだから日本人は…」
『まあ、貴女も例外じゃないですけどね』
ちなみに、わたくしメディアは古い時代には女神として信仰されていた痕跡があるとのこと。そんな記憶はありませんがね。
アフロディーテも元はシュメールの女神イナンナだったりなので、神様の変遷は古代において日常茶飯事だったわけである。
『それでは次のお便り。カデシュのシイナ リオさんからです。ヤハウェ様はキリスト教徒の唯一神とは別の神様? だそうですよ』
「さっきの続きみたいなものですね。同一視、習合という名の変遷です。元々は一民族の土着の神様でしかなかったエロヒム神とヤハウェ神ですが、はっきりいってバビロンの信仰の前では圧倒的に卑小でした」
相手は古代メソポタミアは世界初の文明たるシュメール文明の後継、そしてその信仰である。
シュメール文明の完成度は恐ろしく高く、ウル第三王朝には既に建物にアーチ構造が普通に使用され、しかも識字率はかなり高かった。
契約書を発明したのも彼らだ。
粘土に刻まれた契約書本文があり、それを粘土で覆い再び同じ文章を外側の粘土に刻む。最後に両者の印章で封印した。
外側の文章をもって普段は用いるが、問題が生じた際は中身を取り出す。そうすれば、外側の文章が捏造されていないかが分かるという寸法だ。
文字を教える教師がいて、私塾があり、契約と労働規約があり、福祉政策も存在した。紀元前21世紀の時代である。
その血統を受け継いだ新バビロニアの栄光の前に、片田舎の土着の神など風前の灯でしかなかった。
どのくらい風前の灯かというと、ヘブライ人の名前がバビロニア風に変わるぐらいだった。
山田太郎さんのお孫さん、ジョン・ウィリアムって名前なんですってっていうぐらいなのだ。
ぶっちゃけ、かなりのヘブライ人がバビロニア人に同化しただろう。民族的アイデンティティ崩壊の危機である。
12あった部族が2つになるぐらいには危機だったのだ。
これには彼らは焦った。主に神官とかの既得権益層は焦った。もしかしたら右側の民族主義的なロクデナシどもも焦っただろう。
何しろ信者がいなくなったら大きな顔ができなくなるからだ。ど田舎の一民族が零細経営していた宗教であったが、そんな権力でも人間というのはしがみつくものだからだ。
具体的に言うと町内会とかの会長職にいつまでも居座るクソジジイみたいな。
さっさと若いのに譲ればいいのに、いつまでもそんなちっちゃな椅子にしがみ付く老害を想像してほしい。
擁護する点があるとしたら、仕事を退職し、家庭から産廃扱いされる彼にとって、彼が彼らしくいられる居場所はそこしかなかったのだ。
だからと言って周りに迷惑をかけてい良いわけじゃない。
町内会がつまらない事でもめて、若いのが嫌気をさして参加しないようになって、町が衰退していくのはだいたいソイツのせい。
『途中から実体験が入ってませんか?』
「まじでアイツらなんなんだよもうっ。団塊の世代とか元銀行員とか良くわからないけど、意地張り合って町内会の雰囲気最悪になって話すすまないですし…」
閑話休題。
厳しい雷神としてのヤハウェ神、超然的な神々の王たる天空神としてのエロヒム神。その他様々な神々を信仰していたヘブライ人であったが、
そういう宗教はもう他にもいっぱいあった。似たような宗教を信じる様々な民族が彼らと同じように強制移住させられ、バビロニアに集まっていた。
そして彼らは、彼らの信じる神は特別でもなんでもないという、どうしようもない現実を突き付けられたのだ。
そして目の前には燦然とした巨大神殿に祭られるバビロニアの神マルドゥーク。シュメールの神々の王エアを父とする、新しき神々の王だ。
歴史、由緒ともに絶対的な格上であり、バビロニアの神々からすればヘブライ人の神々など吹けば飛ぶ程度の存在でしかなかった。
ヘブライ人の宗教はこの圧倒的な巨大信仰の前に散々に食い散らかされ、侵食されていった。多くのヘブライ人が先祖の信じていた神々を捨てた。
何しろ、バビロニアで暮らしていくにはバビロニアの神々を信じていたほうが色々と都合がいい。いつ消滅するかも分からない凡百の神に頼るなど馬鹿げたことなのだから。
こうした脅威を前に、ヘブライ人神官たちは自らの信仰、宗教を洗練されたものに変化させる必要性に迫られたのだ。
まず、神様を整理した。
複数あった神様を、それはもともと一つの神様の別名だったんだよ! という無茶苦茶な論理で一つにまとめた。
俺たちの神様、一人で何でもできる、超強い。
教義もまた洗練されていった。戒律も厳しくされていった。人間を救済する神様という概念を形成するに至るのもこの頃の影響だったり。
「結局のところ、神様ですら不変ではいられないわけです。消滅分裂融合発生は当たり前。水の流れみたいなものですね。もう水源が複数だったのか単数だったのか、どこかで地下に潜った後に再び湧出したのか見当もつかないなんてザラですよ」
『最後には1に還るのでしょうか?』
「途中で干上がるんじゃないですか?」
ギリシアの神々もいずれはその信仰を失い、小説やゲームなんかに面白おかしく登場するのみ。河床が残るだけまだマシとも言えるけど。
『身も蓋もないですね。…では最後に、お別れに一曲、都はるみで《大阪しぐれ》を。ご清聴よろしくお願いいたします』
ヘカテー様が気持ちよく歌いだしたところで、私はティリンスの城壁の前にたどり着く。
この世界のこの時代、神々が適当に野に解き放った怪物やケンタウロス、盗賊や蛮族が当たり前のようにほっつき歩いているので、富の集積する都市には頑丈な城壁が欠かせない。
私がここに来る途中でも、ドラクエばりにモンスターにエンカウントして、魔法で吹っ飛ばしておいた。彼我の力の差を理解できない辺り、畜生にも劣るのである。
さて、そんな世紀末状態の古代ギリシア。まあ、紀元前なので1世紀すらも始まっていないのだけれど、そんな感じなので英雄が活躍する余地があるともいえる。
平和な時代には武闘派の英雄の活躍の余地はないのだ。
「さて、ヘラクレスさんのお家はどこでしょうかね」
私はキョロキョロと比較的大きくないティリンスの入り口を探して、城壁に沿って歩く。
そうしてチンタラ歩いていると、唐突に城壁の上から人が落ちてきた。ああ、このままでは私は投身自殺に巻き込まれて大変なことにっ。
「タイグゥアパカッ!」
「ぷげらっ!?」
見てからの反応で余裕です。私は→↓↘Pでタイの背の高い眼帯ハゲじみた動きで、深くしゃがむと共に拳を構え、そのまま垂直真上にジャンプとともに拳を突き上げた。
そのまま中空で落下してきた男を撃墜すると、バック転で再び地上に着地する。撃墜された男は少し遅れて地面に直撃した。
「やれやれ、いったい何なんですかね?」
私は痙攣して死にかけの男の顔を見る。すると、私のスマートパンチで顔面が崩壊しているものの、どこかで見たような顔。
誰だろうと唸りながら、とりあえず治療することにする。まあ、投身自殺したバカとはいえ、目の前で死なれたらこちらも気分が悪い。
そうして、傷を治療し、蘇生してやると、
「ぷはぁっ! な、ここは? 私は生きているのか?」
「感謝しやがれです。この私が助けなければ貴方は死んでいました。なので金払え」
情けは人のためならず。つまり、他人のために相手を助けるのではなく、自らの利益のみ考えて相手に手を差し伸べる思想。独善的で素晴らしい。
「す、すまない、今は持ち合わせが…、そ、…そうだっ、ヘラクレスはっ!?」
男は城壁を見上げる。そこには誰もいない。というか、ヘラクレス? まさか、この男、ヘラクレスさんを怒らせるような事をしでかしたのか。
やだ、なにその死亡フラグ。つまり、この男は城壁の向こう側でヘラクレスさんにホームランされて飛んできたということだろうか。
よく原形残ってたな。私なら素粒子レベルで分解していた。
つか、ヘラクレスさんに仲間と思われたくない。そんな事になったら、ゼウスとやりあう前に星座にされてしまう。物理的に。
そして私がそろりそろりとこの男から離れようとしたその時、
「イピトォォス、無事かぁぁぁぁっ!!!」
「ひぃっ!?」
『メディア、パターン青、ヘラクレスです』
その時、何かが城壁の上から落ちてきた。砲弾のようにそれは地面に着弾すると、強烈な振動が発生し、体重の軽い私はピョンとちょっとだけ宙を跳ねた。
「あはっ、今、私、空を飛んでました…」
うふふ、あはは、現実逃避。
…じゃねぇぇぇぇ! ヘカテー様警告遅いよ! もう背後取られてるよ!相手が殺る気だったら、私、今頃、顔面がふっ飛んでグロ画像さらしてたとこだよ!
着弾したのは人間の形をしたナニカ。隆々とした筋肉の持ち主であり、口からは蒸気機関車のごとく大量のモヤを吹き出す。
いや、もう、説明はいらない。ギリシア最強最狂の大英雄ヘラクレスさんです。いやあ、かっこいいなぁ。登場するだけで周囲の空気が変わるなぁ。流石だなぁ。
「へ、ヘラクレス…」
「すまないイピトスよぉぉっ、この俺が不甲斐ないばかりにぃぃっ!!」
そうしてヘラクレスさんは涙を流しながら、私が治癒した青年を強く抱きしめた。青年は笑みを浮かべながら大丈夫だと声をかけヘラクレスさんの背中をトントンと叩く。
ちなみに、抱きしめられる青年の身体からはさっきから人体が発してはイケナイ系のゴキゴキとかメキメキって感じの軋むとか砕くとかそんな風な音がなっている。
あの、彼が背中をトントン叩いてるの、たぶんギブって意味ですよヘラクレスさん。そ、その人、死んでしまうがな。
◇
「久しぶりじゃないか、元気にしていたか?」
「あ、はい。おかげさまで」
さて、色々あって、私はティリンスのヘラクレスさんの家にお招きに預かった。
流石に大英雄だけあって、家は他のそれよりも広く、使用人も雇われていて、壁には多くの戦利品が飾られている。
まあ、その戦利品はだいたいが化け物の首だったりするので、家の雰囲気はお察しであ…、あ、物凄く素晴らしいですヘラクレスさん。いやあ、感激だなぁ。
「お前のおかげで、わが心の友を殺さずに済んだ。感謝するぞ」
「まったくだ。あそこに君がいなければ、私はどうなっていた事か」
さて、中央の火を囲んでヘラクレスさんの傍に座る、私が先ほど治癒した青年はイピトスというらしい。
アルゴー船の乗組員にも同じ名前の男がいたが、彼とは別人だ。
イピトスはテッサリアの都市国家オイカイアの王エウリュトスの子、つまりはオイカイアの王子である。
何故、そんな彼がここにいるのか。
そもそもの事の始まりは、イオレーという美しい姫君を巡る争いだった。オイカイアの王エウリュトスの娘であるイオレーはとても美しく、王は彼女を嫁に出したくなかった。
そこで、弓の大名人として有名だった王は、自分と自分たちの息子、イピトスも含む、を弓術の競技にて勝利できたなら娘を嫁にやろうと公言したのである。
で、そこにお名乗りを上げられてしまわれたのが、我らがヘラクレスさんだった。いやあ、流石だなぁ。
ヘラクレスさんは少し前に、清楚ビッチの女神ヘラに吹き込まれた狂喜により妻メガラーとの子供をお殺害されてしまっており、メガラーとは折り合いが悪くなっておられたのだ。
そこで、ヘラクレスさんは妻を友人にお譲りになると、意気揚々とエウリュトスとの弓競技にお挑みになられ、そして空気を読ま…、当然のごとく華々しい勝利をお挙げになられた。
すばらしい!
賢明なるイピトスはヘラクレスさんの類稀なる弓術に触れ、そして彼の不世出の素晴らしい人格を理解して、イオレーとヘラクレスの結婚に賛成した。
しかし、愚鈍にして命知らずのブタであるところのエウリュトスと、そのほかの兄弟たちは、無礼にもヘラクレスさんが前妻メガラーとの子を殺した事をあげつらい、結婚に反対したのだ。
まったく、前妻との子を意味もなく気が触れてぶち殺したぐらいで、揚げ足を取るように反対し、約束を反故にするなど全ギリシアを敵に回しても文句は言えない暴挙だ。
ヘラクレスさんなら、その程度は日常茶飯事の当たり前のこと。12の巧業をこなした時点で無罪どころか利子がついているのだから。
そうですよね、ヘラクレスさん。えへへ。あ、お酒お注ぎしますね。まあまあまあまあ。
「おっとっとっと」
もちろん、愚鈍にして命知らずのブタであるところのエウリュトスと、そのほかの暗愚な兄弟たちヘラクレスさんはお怒りになられた。
それはもうエトナ火山が噴火するほどにお怒りになられた。
しかし、心の広いヘラクレスさんは、いつかこいつら滅茶苦茶にしてやると心にお誓いになられ、一時的にはお引き下がりになられたのだ。
なんと慈悲深いことだろう。来るべき破滅が少しだけ伸びたのだから、人類で最もクズで底辺の下等生物であるところのエウリュトスは涙を流して感謝すべきである。
さて、その後、ある日エウリュトスの所有する牛が盗まれるという事件があった。エウリュトスは不遜にもその犯人をヘラクレスさんに違いないと考えたのだ。
なんという愚かで短絡的な思考だろう。さもしい精神の持ち主であるエウリュトスは、牛の盗難を、先の弓勝負で勝ったのに娘を渡さなかった事への当てこすりだと考えたわけだ、
しかし、賢明なるイピトスはヘラクレスさんの身の潔白を信じた。彼はヘラクレスさんの無実を証明しようと、ヘラクレスさんに盗まれた牛の捜索を共にしようと持ちかけたのだ。
ヘラクレスさんは、そんな誠実なイピトスの心に感激し、自分の家に招き入れて歓待し、彼を城壁の向こうにポイ投げされたのだ。
『おかしいですね。ここで意味が通りません』
「ななな何を言っているのですか。ヘラクレスさんは完璧です。一切の瑕疵もありません」
① 自分の事を信じて無実を証明しようとしてくれる心の友がやって来た。
↓
② 感動して心の友を家に招いて歓迎した。
↓
③ とりあえず、心の友を城壁の向こうにポイ投げして殺そうとした。
『①と②の繋がりはわかります。でも、②と③の繋がりが意味不明です』
「ぜ、全部、ヘラって奴が悪いんだよ!!」
「……耳が痛いな」
ヘラクレスさんが顔をしかめられる。え、怒った? お怒りになられちゃった? ひえぇぇ…。ど、土下座した方がいいでしょうか?
しかし、ヘラクレスは怒ることなく、ため息交じりに語り始める。
「ヘラクレスの名はヘラの栄光を表している。しかし、女神ヘラの俺への怒りは収まることを知らない。メガラーには本当に済まないことをしてしまった…」
「おひょっ!?」
思わず変な声出してしまった。『ギリシア3大おっかない』である大英雄様が、自らの行いを悔いているだとっ? 北大西洋海流が止まったりしないだろうか…。
でも、反省しているなら、もうこれ以上、女の人にちょっかい出さなければいいのに。イオレー姫も迷惑だろう。
「やばいと思ったが、性欲を抑えきれなかった」
ダメだコイツなんとかしないと。主に世の美女たちと生まれてくる子供たちのため、この男は抹殺しておくべきだろ…、
おっと、メディアちゃん、そんな怖いこと考えてないよ! ヘラクレスさんなら無罪、当たり前じゃないですか。これは常識。いいね。
『アッハイ』
とはいえ、ここは打算を取るべきだ。
かの光明神アポロンとタイマン張ろうとして、それをゼウス自らが止めざるを得なかったようなギリシア最強チートを味方にすれば、今後の展開も大分楽になる。
「大英雄ヘラクレスよ。貴方に吹き込まれた狂気、私ならば払うことはできます」
「なっ、なんだと!!」
ずずいと恐ろしい表情の顔面どアップで迫ってきた。怖い。おしっこチビりそうになった。心臓が止まりかけた。私、まだ、生きてる。
「本当か!? 嘘ではないのか!?」
「事実です。私にはその力がある」
「頼む! この呪いを解いてくれ!!」
だからそのデカイ顔近づけんな筋肉達磨。貴方の顔、めちゃくちゃ怖いんです。私はそんなガクブルを表情に出さないようにして話を続ける。
「しかし、一つだけ懸案があります」
私は目を伏せて、これは私のせいじゃありません的なニュアンスを多少オーバーに表情なりで伝えるようにしながら言葉を続ける。
「なんだ。この俺にできることならば何でもしよう」
「貴方の狂気を私が払ったとして、また女神ヘラが貴方に狂気を吹き込まない…そんな事があり得るとお思いですか?」
「なっ…」
ヘラクレスさんの表情がこわばる。それはそうだ。今この場で呪いを解いたとして、また呪いが降りかからないと誰が言えるだろう?
「ええ、私ならば今すぐ、この場で貴方と狂気を払って見せましょう。ですが、女神ヘラが貴方を憎む限り、貴方に再び狂気が吹き込まれないと、私は保障することができません。いえ、かの女神ならば狂気以外の他の方法で貴方を苦しめるやもしれません」
「……な、なんということだ」
愕然とするヘラクレスさん。ああ、可哀そうだなあ。これも全部、オリュンポスの神々の身勝手のせいなんだよなぁ。
そんな理不尽に振り回される悲劇の大英雄を誰か手助けしてあげられないかなぁ。ああ、困った困った。
苦悩するヘラクレスさんに私は囁く。
「そういえば、ヘラクレス様。鍛冶と火山の神へパイストスの神話をご存じで?」
「何?」
「ま、まさかメディア姫…っ」
賢明なるイピトス君は察したようだ。さすが頭脳派。親兄弟を差し置いてヘラクレスさんに尻尾を振る程度の知恵のあるお利口さんは違う。
「へパイストスは醜く足に障害のある神でした。彼を恥と考えた母である女神ヘラはかの神を冷遇し、二人の関係は大変良くなかったのです。冷遇され続けたへパイストスは、女神ヘラを見返すために一計を案じました」
黄金の玉座を女神ヘラに贈ったのだ。宝石の散りばめられた、素晴らしく美しい豪奢な玉座を。その玉座の出来に感激した女神ヘラは、贈られた玉座に何の疑いもなく座った。
するとどうだろう。玉座は突如として女神ヘラを拘束した。まさにエロゲ的展開。
そうしてエロゲ的な展開になって、女神ヘラは神々の前でヘパイストスが自分の子であることを認めさせられ、アフロディーテとの結婚を確約させられたのである。
「つーわけで、女神ヘラを凹ませたら、呪いもなくなって万々歳ですぜヘラクレスの旦那。げへへ」
「なるほど…、いや、しかし、それでは偉大なる我が父ゼウスを怒らせてしまいやしないか? そもそも、かの神々の住まう場所までどうやって行けばいい?」
ヘラクレスさんは一時は賛意を示そうとするも、即座に懸念を表明する。ちっ、脳味噌まで筋肉のくせに勘だけは鋭いようですね。
確かに主神ゼウスは圧倒的な力の持ち主だ。ヘラクレスさんだって恐れてしまうのも仕方がない。だが、
「ご安心ください。私は主神ゼウスよりオリュンポス山に招待を受けています。私の護衛として一緒に来ていただければ、神々の住まう神殿に容易に入ることができるでしょう。その後、こっそりと女神ヘラと接触されるがよいのでは?」
「……ふむ。だが、メディアよ。お前は何故そこまで?」
大分心が傾いてきたようだ。神殿の中までこの人がついてきてくれれば、途中で妨害しようとする神々の露払いぐらいはしてくれるはず。
そして、もう一つ。私が求めるもの。本命を。
「取引です。私もまた貴方に望むものがある」
「なんだ?」
「ヒュドラの血液を融通いただけませんか?」
私は大英雄ヘラクレスに、彼の英雄譚を支え、そして破滅をも彩ったギリシア世界最強の猛毒を望む。
「ヒュドラの血を?」
ヒュドラの血液。
それはこの大英雄が打ち立てた12の功業において退治された、いくつもの頭を持つ蛇の化け物ヒュドラから得られたキーアイテムだ。
猛毒で知られたこの血液は、彼にとっての切り札として何度も神話に登場する。巨人を殺し、彼の師匠であるケイローンを殺し、そして最後には彼をも殺す。
大英雄にとっての栄光と破滅を象徴するのが、このヒュドラの血なのだ。
「それは構わないが…何に使うのだ?」
「魔術の儀式にです」
「……いいだろう」
そうして私はRPG的な意味でキーアイテムの一つを手に入れる。武器としても重要な毒だ。大切に使わなくては。
「それはそうと、旅の途中で狂気に憑かれてはいけません。祓ったとしても、また呪いをかけられるかもですが、念のためです」
「おおっ、感謝する」
顔を綻ばせたヘラクレスさん。私は彼にかけられた呪いを解くための儀式を始める。
神の呪いではあるが、半分そっちに足を突っ込んでいる私にとっては、ちょっと難しい知恵の輪みたいなものでしかない。
知恵の輪なのだから、ペンチなりで曲げたり切断しちゃえば外れるのである。
「呪いとは実効性と感染性をもった感情です。よって、そこに理屈はなく、独り善がりで場合によっては不幸にする相手を選びません。しかし、時間とともに感情は揮発していくものです」
どんなものにも時限が定められている。人間にしても太陽にしても、言葉だって寿命が存在するのだ。
そしてそれは感情にすら適用される。永遠の怒りは存在しない。一つの感情がどこまでも世界に留まり続けることはない。
つーか、民族が一つ消滅すれば、その民族が受け継いできた《しがらみ》もパーなので、民族集団が消滅しうる以上、それは当然のことなのだ。
「そして寿命というのは正確には設定されてはいません。デスノートじゃないんです。天寿は数値では表記できない。そんなのは確率論の領域でしかないのです」
放射性元素の崩壊時期は半減期によって数値化されるが、しかし一つ一つの元素の崩壊時期は量子論的に正確に予測することはできない。
出来ないからこそ、猫虐待で有名な物理学者の箱の実験が成立するのだ。
「よって、ここにこの呪いの天寿を設定したならば、それは自然消滅という最も単純な原理でもって解かれるのです」
どれほど濃度の濃い呪いであっても、寿命の前には無意味だ。だからこそ王墓の盗掘が成立するのである。
滅びた王朝の滅びた神々の力を用いた呪いは、千年の経過の前に砂ぼこりに埋もれてミイラ化した挙句、何の効果ももたらさずに盗掘者の自由にされる。
まあ、たまに残ってる場合もあったりする。ツタンカーメン的な意味で。
つーことで、
「のろいよのろいよ飛んで行け」
『なんてぞんざいな呪文』
私のありがたい呪文と共に無駄な光輝のエフェクトとファンファーレ。
そして納期がヤバくなったアニメのやっつけ仕事のようなグラフィックで具現化された呪い(黒いモヤで表現される)がヘラクレスさんの体から追い出され、光にかき消された。
「おお、なんという神々しい魔法だ…」
感動するイピトス君と、唖然と自らの手を見つめるヘラクレスさん。しばらくしてヘラクレスさんはワナワナと体を震わせはじめ、そして、
「おおおお、分かる、分かるぞ。俺の体から狂気が消えていくのを…」
そうして両眼から涙を流し始め、私に向かい合い、両手を広げた。あ、やべ。
「うぉぉぉぉぉっ!! 感謝するぞメディア姫ぇぇぇぇっ!! いやっ、心のぉ友よぉぉぉぉぉぉっ!!」
「え、や、やめっ」
メディアちゃんは逃げ出した。しかし、まわりこまれてしまった。
『……知らなかったのか? 大英雄からは逃げられない!!!』
超高速のノーモーションで行われた全力の抱擁。巨人を殴り倒し、山脈を作り出す怪力の持ち主の、感動を全身に表した超抱擁。
「ぴっ!?」
『おおメディアよ、死んでしまうとは情けない』
ヘラクレスさんの胸板は鉄筋コンクリートの壁みたいでとっても立派で堅かったです。あ、意識が闇に…。
<メディアちゃんは死んでしまった。いままでご愛読ありがとうございました。>
◆
「角度が…、そう、角度が問題なんです…。ふふふ、うふふふふ、ふひひひひひひひ」
銀髪エルフ耳の少女がニヤニヤしながら三角座りで膝を抱えてブツブツと独り言を垂れ流しつづける。
彼女が縮こまっているのは、奇怪な色の花を咲かせ、病んだような狂おしく多彩な姿をした植物に囲まれた、化け物じみて捩じれ狂った枝を伸ばす木々が繁茂する森だった。
少女の視線の先には、言葉では言い表せない不思議な色のかすかな輝きと熱と磁気のある未知のスペクトルを持った、地球上の物質の特性を超越したナニカで作られた天蓋付きのベッドがあった。
その上で、地球圏の言語ではとても表現することのできない、名状しがたい冒涜的な儀式がとり行われているのを少女はニタニタ笑いながら眺めている。
それは大小無数の玉虫色の球体を集積したとしか言いようのない姿であり、無数の触手を生やした泡立ち爛れた雲のような漆黒の臓腑の塊とギシアンしていた。
這いずり回るような不快で耳を腐食させる音響を伴うその悍ましい行為と共に、肉塊からは宇宙的な漆黒の物体が出産され続けている。
それは触手と蹄のある短い脚を生やした、黒い仔山羊とでも表現すれば良いのか分からないもので、それらは互いに忌まわしい悲鳴を上げて誕生を歓喜する。
「ふひっ、そう、その、鋭角が素晴らしい。いひひ、完璧な角度です…おひょっ」
跳ねるように飛ぶように果てしなく続くと思われたベッドの上での冒涜的な行為が中断される。
そして、ベッドの上の臓腑の塊が今更ながらに銀髪の少女の存在に気づき、その邪悪極まりない深淵を思わせる視線をふと少女に投げかけ、
「いやんっ♪ いつの間にいたの!?」
恥ずかしがった。
「子供はみちゃだめダゾ♪」
汚染された肉塊な彼女?が照れるように漆黒の触手を振るうと、不気味な瘴気に満たされた突風が吹きすさび、ニタニタ笑いながら意味の分からない独白を続ける少女を吹き飛ばした。
◇
「はわっ!?」
『神は言っている、ここで死ぬ運命ではないと。あ、私が神様でしたね。大丈夫ですかメディア?』
銀色の髪のエルフ耳の少女はヘラクレスの用意した寝床から飛び起きると、キョロキョロと周囲を見回して、そして何事もないことを確認すると、小鹿のようにガタガタと震えだした。
「あ、れ、角度…は?」
『何言ってるんですか?』
「あ、はは、ゆ、夢ですよね…。ふふふ、えへへ、げへへへへへ」
『心配しましたよ。本当に死んでしまったかと思いました。何しろ、魂が一時的にこの宇宙から消失していましたし』
「え?」
なにそれこわい。
そういえば、ヘカテー様の容姿とかどうしようかしら。白い大きな帽子かぶったロリ? まさかね…。




