72話「不安と心配」
――アリーゼ視点――
王弟殿下が出て行った後、私はソファーで彼の帰りを待っていました。
部屋を出る時、殿下は行き先を告げませんでした。
ですが行き先はおそらく、イリナ王女の部屋でしょう。
彼は私がイリナ王女の部屋で紅茶を飲んだ後、猫になったことを知っています。
私を元の姿に戻すには、イリナ王女のところに行き、解毒剤を手に入れるしかありません。
イリナ王女は殿下に好意を寄せています。
そういう状況ではないのはわかっているのですが、二人が一緒にいるところを想像すると、心が落ち着きません。
王弟殿下はイリナ王女を警戒しています。
王女の部屋で、何らかの薬品を飲まされ、危険な目に遭う可能性は低いと思います。
ですがもし、イリナ王女が解毒剤を渡す条件に、殿下との結婚を迫ったら……。
殿下がその条件を呑んでしまったら……。
心配と不安で心がざわざわします。
殿下、どうかご無事で帰ってきてください……!
窓から太陽の光が降り注ぎ、ソファーには陽だまりができていました。
ふわふわのソファー、暖かな太陽の日差し、静かな部屋、猫にとっては、日向ぼっこするのに最適な条件が揃っています。
ですがとても、日向ぼっこを楽しめる気分ではありません。
殿下、早く戻ってきてください……!
解毒剤なんて手に入らなくてもいい。
殿下がお傍にいてくださるだけで、私の心は安らぐのです。
◇◇◇◇◇◇
二時間ほどして、王弟殿下が部屋に戻ってきました。
私はソファーから飛び降り、彼の元に駆け寄りました。
彼が無事に帰ってきてくれて嬉しいです。
私は「にゃー」と鳴き、尻尾を立てて殿下の足に体をこすりつけました。
淑女としてはとてもはしたない行為だと思うのですが、自分の意思ではどうにもできないのです。
「くっ……! 愛らしすぎる……!」
殿下が口元を押さえ、何かを呟いています。
殿下は何度か深呼吸した後、私を抱き上げました。
「ただいま、アリーゼ嬢」
彼は穏やかに微笑み、額にそっと口付けしました。
私が猫になってから、殿下のスキンシップが過度になった気がします。
私も猫である本能を抑えられず、彼に体を擦り付けてしまうように。
殿下も猫を見たら背中を撫でたり、額にキスしたりする欲求を、抑えられないのでしょうか?
殿下の服から、彼のものとは違う香水の香りがしました。
この香りには覚えがあります。イリナ王女の香水の匂いです。
やはり殿下は、イリナ王女の部屋に行っていたようです。
二人は服に香水の香りが移るくらい、密着していたのでしょうか?
彼が無事に帰ってきてくれたことは嬉しいのです。
ですが、殿下がイリナ王女と密着していたところを想像すると、じりじりと胸が焼け付くような思いがしました。
殿下は私のために行動してくれたのに、こんな感情を抱いてはいけませんよね。
「イリナ王女が罪を自白した。
イリナ王女はグレイシア王国の公爵令嬢に対する殺人未遂と、誘拐未遂と、監禁未遂の罪で、貴族牢に幽閉した。
イリナ王女付きの二人の侍女は、王女の共犯者なので牢屋に入れた。
だから安心してほしい」
王弟殿下に言われ私はホッとしました。
あの三人はきちんと罰を受けたのですね。
「解毒剤についてたが、解毒剤そのものは手に入らなかったけど、猫になる薬と薬のレシピは手に入れた。
薬とレシピさえあれば、解毒剤を作れるよ」
王弟殿下が、顔をほころばせそうおっしゃいました。
元の姿に戻れる希望が出て、気持ちが明るくなりました。
元の姿に戻れる希望が出て、気持ちが明るくなりました。
「にゃーー!」
私は彼に「ありがとう」と伝えました。
体が勝手に動いて、彼の頬をなめていました。
猫の姿だと、スキンシップが過度になってしまいます。
私に額を舐められた殿下は、頬を赤く染め嬉しそうに笑いました。
そんな顔をされると、こちらまで照れてしまいます。
「可愛い! 可愛すぎる……!
彼女を猫のままにしておきたい……!
いや、駄目だろ……!」
殿下は小声で何か囁いていました。
私が小首を稼げると「その仕草、尊い……! キュン死する……!!」殿下がそう叫びました。
「キュン死」……とは一体何のことでしょう?
◇◇◇◇◇
その時ドアがノックされ、ドアの外からゼアンさんの声が聞こえました。
「王弟殿下、お話は終わりましたか?」
「ゼアンか……ノックするのが早い。
もう少しアリーゼ嬢と二人きりでいたかったのに……!」
殿下は眉間に皺を寄せ、ため息を吐きました。
「心配しないでゼアンは僕の味方だ。
彼にも事情話して、薬を手に入れる手伝いをしてもらったんだ」
殿下がイリナ王女の部屋に行った時、ゼアンさんも一緒だったんですね。
殿下がイリナ王女と二人きりで会っていなかった事がわかり、私は安堵しました。
「ゼアンに猫になった君の姿を見せたくないから、君をショールにくるむね。
君の愛らしい姿や仕草は僕だけが堪能したい」
そう言って、殿下は私をショールでくるみました。
殿下はソファーに座り、私を膝の上に乗せました。
それから、扉に向かって「入れ」と短く言いました。
ゼアンさんが一礼して部屋に入ってきました。
「王弟殿下、相手が猫の姿になったとはいえ、結婚前の淑女と密室で二人気になるのはよくありませんよ」
ゼアンさんはそう言って、彼の顔を見て眉をしかめました。




