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ムゥは荒野で鎚を振るう-家族を奪った飛竜を打倒するため、令嬢は心身を対価に『巨獣狩り』となる-  作者: 甘酒ぬぬ
第3章

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3-9 スルーア・コート sideオーンブル

 今までぬるま湯を泳いでいたツケが来たのだと思った。


 ランク4からは、活火山を戴く灰色の焦熱地帯への任務も追加される。劣悪な環境に適応した巨獣に加え、あちこちから噴き出すガスや溶岩流といった死に直結する自然の脅威にも対応しなければならない。


 だからオーンブルは、ランク4への昇格を拒み、協会から直接依頼される特殊な雑事をこなすことでランク3に留まっていた。

 狩人になりたての頃は怖いもの知らずで、誰よりも早くランクを上げ、死地に身を晒したいと思っていた。だがきっかけ一つで考えなどたやすく変わる。


「このままだとジリ貧よねえ。おーちゃんどうする?」


 ユリウスは壁のような大盾を両手で構えている。武器は持っていない。というよりも、この大盾こそが彼の武器だ。


「どうも何も、方法は一つしかないでしょう」


 オーンブルは背負った矢筒から矢を取り出し、番える。


 二人の周囲には三体のジャッカルがいた。

 しかしそれは別段問題ではない。ジャッカルごとき一射で仕留められる。

 最大の問題は、あと何体巨獣を倒せば打ち止めになるかだった。矢の数には限りがある。補充してから来るべきだった。


 ユリウスが隙を見て緊急用の狼煙を上げていたが、ダハ集落で動けそうな狩人はムゥと一緒にいたイグニという双剣使いくらいだろう。当てにはならない。ユリウスがメンターとして育てた子だそうだが、なんというか普通だ。狩人に向いていない。


「見逃してはいただけませんか?」


 ジャッカルの奥にいる女が、鈴の音に似た高く可愛らしい声で哀願する。

 年のころは二十に届くかどうか、可憐という言葉がよく似合う容姿をしていた。白髪赤目と相まってうさぎを思わせる。


 しかし、事前にもらった資料から考えるに、少なくとも六十は超えているはずだ。

 スルーア・コート――協会から機密を盗み出した女とムゥには説明したが、その他にも余罪が山ほどある。そのことをムゥに伝えるべきか迷っている間に、ダハ集落にこの女が現れてしまった。

 合流できないことをジェレゾに伝え、集落の外れの荒地まで追いかけた結果、今に至る。


「おだまりアバズレババア! こんなに巨獣をけしかけといてよく言うわね。面の皮がぶ厚いったらないわ!」


 ユリウスが一喝する。それだけでジャッカルを怯ませるほど音圧が強く鋭かった。


 オーンブルとユリウスのまわりには、ジャッカルの他に五体の巨獣が転がっていた。どれも頭部を矢が貫通し、絶命している。

 この巨獣もスルーアがけしかけてきたものだ。まるで魔術か何かのように、スルーアは手を緩く一振りするだけで巨獣を出現させた。


「そんな言い方、ひどいです……」


 スルーアは胸に手を当て、同情を引くように声を震わせる。


 見るに堪えない。

 オーンブルは吐き気をおぼえ、ほとんど反射的に矢を放っていた。


 スルーアを射殺すつもりで撃った一矢は、彼女の前に引っ立てられたかのように動いたジャッカルの身体によって阻まれる。矢を受けたジャッカルは弱々しくひと鳴きしてから倒れ、それを合図として他の二体も動いた。


「なんか変な動きしたわね今。見た?」


 ユリウスは大盾を使ったタックルで、迫りくるジャッカルの鼻っ柱を叩き潰した。その衝撃はすさまじく、ジャッカルの顔は原型を留めないほど損壊し、後ろに転がるようにして吹き飛んでいく。


「ええ。あの吐き気を催す女の方に引き寄せられたように見えた」


 オーンブルは矢を逆手に持ち、もう一匹のジャッカルの目に直接(やじり)を突き刺した。こういう使い方をすると鏃やシャフトが歪んでしまうが仕方がない。狩人専用の武器でなければ、巨獣の傷は再生してしまう。


「おーちゃんは昔から聖女とか悲劇のヒロインって嫌いよねー」


 ユリウスは二メートル近い巨躯に見合わない身軽さで跳躍し、ジャッカルの首めがけて大盾を振り下ろした。非常識な膂力と重量によって大盾の縁がめり込む。湿った音を立てて肉を裂き骨を断ち、ジャッカルの首がだらんと力なく垂れた。大量の血を噴き出しながら地面に倒れると、わずかな肉と皮で繋がっていた頭部が身体から離れて転がった。


「違うわユーリ。本物の聖女や悲劇のヒロインではなくて、上っ面だけ真似ている下衆が嫌いなの」


 オーンブルはジャッカルの頭を踏みつけ、目に刺さった矢を引き抜く。

 鏃に目玉が刺さったままの矢を番え、スルーアに照準を合わせる。夜の闇の中でもスルーアの真っ白な髪はよく目立った。

 

(生物の弱点は頭)


 心の中でそう唱えて、射る。


「本当はこんなことしたくないんですけれど、話し合いの余地もないようなので、本当にすみません」


 合計八体の巨獣をけしかけ、話し合いの可能性を木っ端微塵に粉砕した張本人は小さく頭を下げる。先ほど巨獣を出現させた時と同じように、手首を返して顔の前方に手のひらを差し出した。


 鏃の先の目玉がスルーアの額に届く直前、矢が不自然に叩き落とされた。

 その不可解な現象の理由を探るよりも先に、オーンブルの肌が粟立った。大盾を構えたユリウスが素早くオーンブルとスルーアの間に立つ。


 最初に、身体を持っていかれるような強烈な衝撃があり、次に全身の毛穴という毛穴から血が噴き出た。手で肌に触れても血がついていないため幻だと理解できているが、身体から重要な何かが失われていく気がする。


「もう! ちゃんと『致命の咆哮』の対策しなさい、っていつも言ってるでしょ!」


 ガントレットで覆われた冷たい手が頬に触れ、幻が霧散する。

「致命の咆哮」はユリウスが命名したものだ。一部の巨獣の咆哮は、聞いた者の精神に干渉してくる。軽度であれば数秒の硬直で済むが、今のオーンブルのように幻覚を見たり、ひどい場合は発狂することもあった。


「普段は咆哮の届く範囲にいないもの。けれど、次から考えてもいいわ」

「……次があればいいんだけど、ね」


 珍しく、ユリウスが険しい顔をしている。遅まきながら、ユリウスの足が小刻みに震えていることに気付く。

 大盾から顔を出しスルーアのいるであろう方向を窺うと、信じられないものがオーンブルの瞳に映った。


 かぎ爪のついた皮膜の翼。爬虫類を思わせる硬質な鱗に覆われた身体。先端にかえしのような内向きのトゲが生えた太い尻尾。頭部には螺旋状にねじれた角が天に向かって二本生えており、右角だけが半ばから折れている。

 

 実際に目にするのは初めてだが、よく知った巨獣の姿がそこにはあった。


「欠け角の、オルランド……」


「素敵でしょう、私のお友達のオルランド。仲良くなるのにとっても苦労したんですよ。こまめにお世話をしてご飯をあげて――ああ、もうすぐお食事の時間なんです。あなたたち二人では足りないけれど、偶然にも近くにちょうどいい所がありますね」


 オルランドの背に乗ったスルーアは慎ましやかに微笑み、発光する赤い瞳を西にあるダハ集落へと向けた。

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