3-8 長い夜の始まり
ラーラの父であるバイロンは事情聴取のために数日の間、協会に拘束されることとなった。そのため、常宿としている宿屋の女将にラーラを預けてからムゥとイグニはジェレゾの鍛冶屋へと赴いた。
中に入ると、店の奥で寝そべったジェレゾがつまらなそうに葉巻をふかしているのが見えた。他に人の姿はない。
「オーンブル先輩たちはまだ来ていないんですか?」
ムゥが声をかけると、ジェレゾは今気づいたといった風にこちらに顔を向け、上半身だけを起こす。
「あいつらなら急用ができたンだってよ」
ジェレゾは言いながら葉巻を地面に投げ捨てた。踵でにじって火を消す。
「にしても、なンだそりゃあ」
気だるげに立ち上がったジェレゾは、困惑したような視線をイグニに向けた。正確には、イグニが引きずっているムゥの鎚に、だ。
「見ての通り、壊れました。直してください」
ムゥは端的に答え、店の中を見回した。ベルゲルミルの姿が見当たらない。オーンブルの話ではジェレゾに引き渡したということだったが。
「壊れたじゃあなくて、壊した、だろ。お前だけだよ、俺が錬成した武器を損耗させる奴は。俺に会いたくてわざと壊してンのか」
予想どおりの台詞をジェレゾが吐き、ムゥは小さく息を吐いた。わかっていても面倒くさいものは面倒くさい。
「そんなことより、ベルゲルミルはどこにいるんです。オーンブル先輩から、ジェレゾさんに引き渡したと聞きました。彼から話を聞きたいのですが」
集落から追放されたベルゲルミルがどうして御者の振りをしようとしていたのか、今回の件とどのような関りがあるのかなど聞きたいことは山ほどある。ジェレゾの戯れにいちいち構っている場合ではない。
「地下に、あの黒い女が持ってきた状態のまま転がしてある。さすがに目が覚めてるかもな」
ジェレゾはイグニから壊れた鎚を受け取り、店の奥を指し示した。その方向には人ひとりが余裕を持って通れるくらいの穴が地面に開いており、はしごがかけられている。
会釈をしてジェレゾの横を通り過ぎようとした瞬間、腕をつかまれた。
「待て。こっちのハリネズミ頭のぼんぼんも連れてくのか」
「ハリネズミじゃなくてイグニだっつってんだろーがよオッサン」
珍しくイグニが不機嫌さをあらわにしてジェレゾにつっかかる。顔の印象と言葉遣いが怖いだけで、イグニの性格は基本的に温厚で常識的だ。
「なんで俺が野郎の名前なンざ覚えなきゃいけねえんだよ」
「覚えてもらいたいわけじゃなくてハリネズミってのが気に入らねー」
「……ああ、『ネズミ』ってのが引っかかってンのか。レシュノルティアは、それこそネズミほど無節操に子を作ってるって話だったな」
「あ? もういっぺん言ってみろよオッサン!」
なんの話かまるでわからないが、かなり深刻な喧嘩が始まりそうな雰囲気になってしまった。
ムゥは三秒だけ見守った後、さっさとはしごを下りることにした。どっちにも肩入れをする理由がないし、さほど興味もない。
ジェレゾに怪我をされると武器の修理が遅くなるが、真正面からの殴り合いで彼が負けることはないと知っている。元ランク4は伊達ではない。
イグニには恩はあるが、それだけだ。ベルゲルミルの事情聴取よりも優先すべき事項ではない。そもそも喧嘩に第三者が介入してもろくなことにならない。
ハシゴを下りると、一階の店舗スペースと同じくらいの広さの空間があった。物置に使われているのか、机や棚、工具、用途の解らない道具などが乱雑に並んでいる。
その部屋の中央に、簀巻きにされた男がぽつんと置かれていた。
年齢は二十代半ば。顔立ちは整っているが、どこか軽薄さがにじみ出ている。最後に会った時とさほど変わらない、かつてコンビを組んでいた男の姿があった。
「やぁ、相変わらず綺麗だねムゥちゃん。少し痩せた?」
自分の置かれている状況がわかっていないのか、男――ベルゲルミルは気安く笑いかけた。
「ベル、ひさしぶり。もう二度と会うことはないと思っていたけれど」
これといった感情なくムゥは応える。
かつて、自分に巨獣用の麻酔薬を飲ませて昏睡させ、性的暴行を働こうとした男だが、その姿を見ても特に思うことはない。麻酔薬の影響で前後の記憶があまりないせいと、ジェレゾが徹底的に制裁を加えたためだろう。その制裁のおかげで、「片玉のベルゲルミル」とあたかも二つ名のように呼ばれ、狩人界隈ではクズ男の代名詞とされている。
「いや僕もね、依頼主の命令じゃなかったら絶対にこの集落に来なかったよ。っていうか君がジェレゾの女だってわかってたら、最初から手なんか出そうとも思わなかったのになぁ」
ベルゲルミルにも悪びれた様子はない。
「前も言わなかったっけ、別にそういう関係じゃないって」
ベルゲルミル以外にも、いちいち否定するのが疲れるくらいそういった勘違いをよくされる。
討伐依頼数回分の強化・補修費用を、三十分から一時間の我慢でまかなえるため、寝ているだけだ。他意はない――と馬鹿正直に説明したところで、よりいっそう勘繰られるだけだろう。ケリー・ケリーを筆頭に、どうして他人の関係に興味があるのかわからない。
「そうかい? あの時のジェレゾはどんな巨獣よりも恐ろしい形相だったけどね」
「どうでもいいよ。そんなことより、依頼主の命令って何? 私を指名したスプリングボックの捕獲依頼とどう関係があるの?」
「そんなに質問攻めにしなくても。ひさしぶりに会ったんだし、もっと楽しい会話をしようよ」
ろくでもないことをしたくせに平然とこんな提案ができるベルゲルミルの面の皮の厚さに、ムゥはいっそ感心してしまう。
「指の先から刻んでいって、どこでこの片玉野郎が吐くか、楽しい賭けでもしようか」
物騒なことを言いながら、ジェレゾが上階からおりてきた。続いてイグニもやってくる。ぱっと見、二人に外傷はない。殴り合いの喧嘩にはならなかったようだ。
「お前のせいでこの僕の身体のバランスが崩れたことは忘れてないよ」
ベルゲルミルの喋り方からは、どこか自己愛の強さが透けて見える。ジェレゾが現れた瞬間から、ベルゲルミルの額に玉の汗が浮かぶのがわかった。
「もう片方も潰して整えてほしいって言ってンのか? それとも短小ランスごとすっぱり切り落として第二の人生の門出を祝ってやろうか」
簀巻きになっているベルゲルミルの腰あたりに、ジェレゾが足を乗せた。
「や、やめてくれ……いや、やめてください! あとお前が人のこと短小って言うせいでみんなが僕のこと短小だと思い込んでるのが解せないんだけど……ですけど!」
「どうせこの先使うこともねぇンだからどっちだっていいだろ」
ジェレゾの足に力が込められる。
「ぎゃああああっ! 待って、待ってください! ムゥちゃんなんとか言って! そこの赤髪のあんたも止めてくれ! 元はと言えば、あんたがこのダハ集落なんかに来たせいで僕がこんな目に!」
ベルゲルミルの悲痛な叫びを受け、イグニの方に視線をやると、ちょうど目が合った。
俺なんかやっちゃいました? とでも言いたげな顔で、イグニは自分を指さしている。
「イグニのせいってどういうこと?」
ムゥとイグニの二人がかりでジェレゾを押さえ、改めて尋ねた。
「せっかく僕が捕まえてお嬢様に引き渡したのに脱走した挙句、ダハ集落でムゥちゃんと仲良くしてるからご立腹なのさ、お嬢様は」
「男女見境なくンなことやってンのかよ。救えねぇな」
「僕は男に興味はない! 狩人資格をはく奪されて、集落からも追放されてどうしようもなかった時に手を差し伸べてくれたのはスルーアお嬢様だけだったんだ」
スルーアという名前に、イグニが露骨に顔を引きつらせる。思えば馬車で帰ってきた時も、少し様子がおかしかった気がする。
「つーかてめぇかよ! 人のこと後ろからぶん殴って、あんな頭のおかしい女の所に閉じ込めやがったドアホは!」
今度はイグニがベルゲルミルを踏みつけた。もはやベルゲルミルは第二の人生を模索するしかなさそうだ。
「えー、全然話が見えてこないんだけど……」
人間関係が入り組んでいて、ムゥは頭痛を覚えた。どこかに相関図でも書いて、何が何に関係しているのかはっきりとさせたいところだ。それと同時に、一つの事件に知り合いのほとんどが関わっていて、世間の狭さを感じる。
「とにかく、スルーアってのがヤバい女だってことだよ」
非常に単純明快にイグニがまとめてしまった。
そうだけど、そういうことじゃない。しかし、反論しても聞き入れる冷静さが今のイグニにはなさそうだ。
(二つ名とかが出てきたせいで事が大きくなったけれど、結局のところ、スルーアって人の私怨が原因ってことかな? もしかして私、巻き込まれただけ?)
「よかった二人ともいたあああっ!」
ムゥが今回の件について思案していると、上階へ行くはしごの方から、切羽詰まったような女の声が聞こえた。
そちらの方を見てみると、天井の穴からケリー・ケリーの顔が逆さまに出てきていた。
「どうしたの?」
「東の方で救援要請の狼煙が上がってるんです! オーンブルさんたちにお願いしようと思っても見つからないし、他の狩人はちょうど出払ってるしで、ムゥさんたちにお願いできたらと思って」
「わかった」
ムゥは二つ返事で引き受け、はしごを登る。
「おいムゥ、怪我してるし武器壊れてるだろ!」
背中の方でイグニの声が聞こえた。
そう言われればそうだったな、と思い出し、ムゥは店内を見渡した。普段使っているものより一回り以上小さな木槌が目につき、それを拝借する。丸腰で行くよりはましだろう。
「ムゥさん、大丈夫ですか? 怪我って」
「かすり傷だよ。それより馬の手配と、場所を教えて」
ケリー・ケリーの言葉を遮るようにしてムゥは言い切った。
移動はアオタカの方が圧倒的に速いが、夜間と天気の悪い日は使えないという弱点がある。
「……お願いしたのは私ですが、危なくなったら逃げてくださいね。他に救援を呼べないか、出先の狩人たちにも信号を送ってみますから」
「うん。無事に戻ったら、さっきも言ったけれど色々口添えよろしくね。ついでに、ランク3に上げてもらえると嬉しいかな」
「そういうこと言うと無事に戻ってこれなくなりますよ」
「そう? じゃあ聞かなかったことにして」
ムゥは両手を合わせ、片目をつむってみせた。
集落に戻って来た時はちょうど薄明の空だったが、すっかり夜の色に塗りつぶされている。
東の空に、白と赤の狼煙が螺旋を描いて上がっているのが見えた。目視した感じではそう遠くではなさそうだ。
長い夜になりそうだ、と根拠なく感じ、ムウは頼りない木槌の柄を握りしめた。




