⑨ 『出発』
ラセード村に出発する朝。幸いなことに天気にも恵まれた。
このナイムの街の出入り口の立地関係から、皆の集合場所はリーシス神殿ではなくバルネアの店である<パニヨン>にしていた。
「ジェノさん。気をつけて行ってきてくださいね」
「メルちゃんの言うとおりよ。怪我をしないようにね」
旅路支度を整えたジェノに、メルエーナとバルネアが心配そうに声を掛けてくる。
ジェノは「ええ」と短く応え、店の前で他の皆が来るのを待っていたのだが、メルエーナがおずおずと彼に近づいてくる。
「どうかしたのか?」
怪訝に思い尋ねると、メルエーナは両手を差し出してくる。そこには、青い小さな宝石があしらわれたブローチが一つ。
「その、エリンシアさんにお願いして作ってもらったんです。気持ち程度らしいですが、怪我を軽減する効果があるらしいので……」
「……これは、魔法が込められたお守り《アミュレット》か? それを、俺に?」
「はい。私はイルリアさんやマリアさんのように戦うことはできませんから。せめて……」
メルエーナは恥ずかしそうに、けれど何故か嬉しそうに微笑む。
エリンシアさんの事だから、メルエーナから大金を巻き上げたりはしないだろうが、それでも魔法の品というものは高価なはずだ。それを自分などに送るメルエーナにジェノは感謝よりも先に心配になってしまう。
「メルエーナ。今回はありがたく使わせてもらおう。だが、自分の稼いだ金は自分のために使った方が良いと思うぞ」
「はい。ですから、私の一番大切な人のためになるものを購入しました」
メルエーナは恥ずかしそうに頬を染めながらも、はっきりとそう言う。
ジェノには良いことなのか悪いことなのか判断がつかないが、メルエーナは最近、好意を隠さなくなって来た。未だに彼女のことをどう思っているのかを理解できない情けない自分とは違って。
「こらこら、そこのバカップル。朝から見せつけてくれるじゃあないのよぉ~」
ジェノがメルエーナを窘めようとしたところで、パメラが神官仲間を連れてやってきた。
「いやぁ~。物語のモチーフには最高だけれど、年頃の女としては羨ましいことこの上ないわねぇ」
パメラの隣を歩く金色の髪に眼鏡を掛けた女性――ナージャが複雑そうな顔で微笑んでいる。
彼女は以前、ジェノとメルエーナのハロウィンの仮装からリーシス神殿の教えを喧伝する物語を作った演出家でもあるらしい。もっとも、ジェノはそれを観たことはないが。
「なぁに言っているのよ。ナージャ。私達だって、今回のお見合いパーティーで良縁を引き寄せるのよ!」
「そうよ! こんな機会めったにないんだから!」
「ふふふふっ。伴侶をゲット。そして、それから毎晩……。ぬふふふふふっ」
ナージャの後ろを歩く同い年くらいの三人の妙齢の女子たちが、神官とは思えないことを口走りながら歩いてくる。かなり彼女たちは今回のお見合いに乗り気なようだ。
それから間もなくシーウェン、イルリア、それにマリアとセレクトが合流した。そして、リットが一番遅くにやってくる。
もっとも、集合時間ぴったりであったので、ジェノも文句は言わない。
それからすぐに、<パニヨン>の前に八人乗りの馬車が二台やってきた。
乗合馬車ではない。貸し切りのそれだ。
誠に贅沢な話だが、このナイムの街からラセード村までの往復の二週間は、貸し切り馬車で移動することになっているのだ。
当初の打ち合わせの際に、ジェノも内心ではこのことを驚いていた。
ラセード村まで向かうのに乗合馬車を使うと、その乗り継ぎが大変で時間がかかるという交通の便の問題を解決するための配慮なのだろうが、乗合馬車の単価と比較して、貸し切り馬車の金額は何倍にもなる。それを太っ腹なことに、相手方が持つらしい。そしてそれには、護衛の分も含まれるというのだから破格だと言っていいだろう。
「ジェノ。乗り分けは、当初の予定どおりでいいんだな?」
「……ああ。俺とセレクトとマリアとイルリアが前の馬車の前方。後ろの馬車の後方にお前とリットとパメラさんだ。後は自由で構わない。ただ、座席は決して変えないでくれ」
シーウェンの問にジェノは答える。
魔法を使える人間の配置をジェノなりに考え、最良だと決定した組分けだ。
前衛でなにか起こった際にはセレクトが発見してくれる可能性が高く、トラブルに対処するにはイルリアの魔法を封じた板を使用する。
護衛の際、挟み撃ちに合うのが一番危険だと考えると、リットは後衛に配置するしかない。そこにシーウェンも加われば、おいそれとやられることはない。
いや、正確に言えば、リットとシーウェンが魔法と体術の最強の手札なので、この二人が対処できない相手が出てきた時点で詰みだというのが現状だ。
ただ、欠点としてリットがマリアと神殿の女に手を出さないかが心配なので、マリアをリットから離し、彼のお目付け役をパメラにお願いしている。
「はい。メルちゃんと二人でみんなのお弁当を作ったから、馬車の中で食べてね」
出発前に、バルネアからの最高の餞別があり、みんなは大いに喜んでそれを受け取った。
こうして明るい雰囲気で皆はナイムの街を出発した。
これから待ち受けている事柄を知りもせずに。




