悪魔の行動
《待ちな! 龍神!》
透蛇を操りマーラの左足をグッと引っ張り、龍神の魔の手から救ってみせた。しかし龍神は速かった。龍の牙は、マーラの右半身を見事に噛み裂いていた。
「お前は、空の手下か。何しに来た?」
龍神の冷徹な視線に、メドゥーサは一瞬怯む。
『龍神は怒りの象徴』
どれ程凶悪な悪魔と言えど、その憤怒に触れればたちまち怯え、萎縮してしまう。龍神の瞳は弱者がみれば、その恐怖で死んでしまう。
メドゥーサは冷や汗をかいているのに、気付いていない。1つ唾を飲み込む。恐怖にひきつった笑顔をみせて、言った。
「この子は返してもらうよ? うちの大切なご主人なんでね」
「そいつは、新しいサタンか?」
メドゥーサはフッと鼻で笑って続ける。
「いいえ、違うわ。せがれ」
「せがれ……。そうか、総督のせがれか」
「えぇ。そうよ。だから、返してもらうよ?」
「駄目だ、そいつは置いていけ。私の住みかを荒らした罰だ……放ってはおけない」
龍神の瞳が決してメドゥーサを離さないのを肌で実感していた。メドゥーサはこれ程までに恐怖を覚えたことは、今までの内で3人しかいない。だが、龍神に感じた恐怖は今までよりも、質が違う、もっとドロドロとしたものだ。
一言、一言話すだけで、視線を交わすだけで、龍神の放つ鼻息を浴びるだけで、全神経をそぎおとされる気分だ。体を泥沼に叩き落とされ、鎖で五体を完全に磔にされている。
「お前たちが何をしたいのかは、知っている。だが、掟は掟だ。そいつの命も、海の紋章も渡すわけにはいかぬ。この世に蔓延る悪を、許すわけにはいかぬ。この世を太陽で照らすまではな……」
目の前にいる、獅子の顔をした巨大な生物は、口元から黒炎を噴き脅している。
メドゥーサはもはや、戦意消失した顔で、龍神をみていた。汗がさっきからずっと地面に落ちている。舌が尋常でない早さで唾液が吹き出してきた。
(怖い……怖すぎる。こんなのと戦ってたのかい? 総督様!)
龍神が牙をむき出しにして、ゆっくりとメドゥーサに近付いてきた。ウウウ、と唸り声と共にメドゥーサの胸元まで来た。
声にならない声を出してメドゥーサは、足元のマーラを蛇を操り守る仕草をした。が、龍神が放ったのは、黒炎ではなく、もっと意外な言葉だった。
「空の紋章を持っているのか。新たなサタンはもう生まれはしない、2度とな。まぁいい……好きにするといい。それに、海の紋章はお前が知っているだろう。私が教える義理はない、帰れ!」
* * *
獅子の森の入り口付近で、ゴーレムとヘカトンがメドゥーサ達の帰りを待っていた。顔面蒼白のメドゥーサの姿を確認すると、彼らは急いで側へかけつけた。
「メドゥーサ、何、あった? お前、酷い、顔」
ヘカトンの低くこもった片言の声に、メドゥーサは答えず、ゴーレムの肩を掴みいった。
「ゴーレム、今すぐ仲間を呼びな! ウォールに連れて来るんだ、いいね? さぁ早くいっといで!」
「あ"ぁ"、分"がっだ。今"ずぐ行"ぐ、待"っでど」
そういうと、ゴーレムは地面に同化し、消えていった。
「はぁ、それとさっさとご主人を元に戻さないとね。死んじまうよ」
そしてメドゥーサは自分の髪の毛を1本ちぎり、先端から息を吹きかけると、1匹の蛇を作った。『サマエル』という蛇を生み、マーラの失われた右半身に被せた。すると、サマエルは徐々に体を伸ばし、やがてマーラの体に同化した。蛇の鱗をまとった黒腕が、マーラの新しい右腕だ。
「ヘカトン……私はちょっと寝るよ。見張っててくれる? もしそのまま死んでたら、ご主人を頼むよ?」
「あ、あぁ。分かった。ゆっくり、休む。おれ、見張る。任せろ」
* * *
子供というのは、何かと損を強いられる存在だ。
15になるまでは大人として数えられる事もなく、ましてや人としても数えられない事もある。男は15になれば、戦争に駆り出され、女であれば親が決めた者と添い遂げ子を作る。
それを拒めば、人々からは疎ましい邪魔な存在に変わる。ただ飯を喰らうだけの、ワガママな餓鬼だと。
「私は剣山ナデシコといいます。剣山ゲリラの孫です。が、両親は私が生まれると同時に死んでしまいました。それから縁あって、ある方々に連れられて、5つの頃に薬膳一族の人に紛れて今まで暮らしていました」
『禁断の林檎町』で突然現れた少女は、衝撃の過去と共にメディスの前に現れた。薬膳一族に引き取られた、だけあって身だしなみはそれなりに綺麗にめかし込んでいた。医者の一族であるから、それにみあった、硬派な上衣を羽織り、足まである長い服をきている。
15、6歳に見える幼い顔とは裏腹に、彼女の実年齢は21だ。ある人によって教わったという樹力を使い、生きる為に訓練してきた。そして、女であるために家事のことも学び、茶道や華道などの花嫁修業などもしてきた。
メディスは急いでヒールタウンに蔓延る悪魔を退治するべく、武装していたのだが、ゲリラの孫だというナデシコを、自分の家に連れていった。そこで、グッスリと眠るデンとリンの兄妹を起こさないように、2人は部屋の個室で話していた。
「まぁ、お茶でも飲んでゆっくりしてって? 色々辛かったでしょうに。可哀想にね」
メディスはそっと湯飲みをナデシコに差し出すと、ナデシコはそれには手をつけずに静かに語りだした。
* * *
ナデシコの母親は、ゲリラの第一婦人の子供であった。彼女は15になっても誰の嫁にもつかず、1人悠々と生きていた。自由気ままな彼女は老若男女問わず、あらゆる人々を愛していた。それ故に、たった1人に絞り一生を共にするというのは、彼女自身の幸せに反していた。だから、結婚しなかったという。
さらにゲリラと第一婦人は、ナデシコの母親を身籠ると同時に、離婚。そして数年後、ゲリラは第二婦人を娶ると、後にカシラを出産する。
第一婦人との間にもうけた、ナデシコの母親の親権を取られてしまい、彼女が3つになるまで、会う事を禁止されたのだ。
名前は『開扉』、扉を開くことからこの名がつけられた。扉を開くとはつまり全ての入り口のこと、人々に難なく接せられ、心を開くという意味が込められている。
20数年経ったある日、開扉は男に強姦され子を孕んでしまう。
誰にでも優しく心を開いていた、開扉は皆から中絶をすすめられたが、「どんな子であろうと、私のお腹に宿ったこの小さな命。決して絶やしてはいけない」と、彼女はいい育てる事にしたのだ。
だが、運命の女神は開扉に味方してくれなかった。開扉はナデシコを産み落とすと、子供を見ないままに息絶えてしまった。
天使のような産声をあげる撫子と、悪魔の鉄槌を喰らった開扉……彼女達を哀れむ声が静かに鳴り響いていたという。
ナデシコは祖母に引き取られる事になった。しかし、ここにゲリラがやって来て剣山から使いを送り、仮親をつけろと元妻に押しよせた。第一婦人はそれを渋々承諾し、後日送られてきた仮親にナデシコを任せる事にしたのだった。
この仮親がナデシコを追いつめた。彼らの教育は酷いもので、ナデシコを全くの無視だった。何をするのも許さず、何処へ行くのも許しはしなかった。所謂、虐待である。第一婦人にバレないように、虐待の限りを尽くし、恩恵として金を貰っていた。
第一婦人は剣山家よりも裕福であり、金があった。そこに送られて子供を育てれば、金を貰えるというから、仮親はこの話に乗ったのだ。
さらにナデシコが5つになったばかりの頃、剣山と第一婦人の家との老会議の最中、ある事を聞いてしまった。
祖父のゲリラの口から、これまでの一連全てを聞いたのだ。ナデシコは声を失った。盗み聞きした自分も悪いのだが、ゲリラから全てを聞かされた事は、彼女に一生消えない傷を残してしまった。
「どうなろうと、あの子は『女』! 家事さえ覚えれば、最低捨てても生きていけるだろう。いいか、ナデシコにはこの事を話したりするなよ? ナデシコはまだ5つ。こんな事実、聞いてしまうと何の為に生きているのか、分からんくなるじゃろう」
父親は母を襲い、子を孕ませ逃げた。そして、既に死んでいる。母親は父に犯された後に自分を産み、そのまま死んだ。
ナデシコ自身は仮親の事が、どれほど酷い仕打ちをされたとしても、この2人が両親だと信じて疑わなかった。だが、違うかった。ただ、金で雇われただけだったのだ。
そして、ゲリラは自分を捨てようとしている。『女』だから、きっとどこでも生きていける、とそう言って見捨てたのである。祖母は祖母で毎日忙しくしており、会える日は半年に1度と限りなく少ない。
ナデシコは、剣山家からも、祖母の家からも出ていった。
「私にはもう……誰も、いない。私なんか、生まれてこなきゃ良かった……」
そしてナデシコは、龍牙家の方へ向かった。どうせ死ぬのなら、敵側に拾われて、死にたい。そう思って、小さな足でテクテクと歩いていき、2週間ほど歩いただろうか?
龍谷林の奥、名もなき丘の側でナデシコは倒れていた。そこで出会った1人の青年に連れられて、丘の上の大樹の側で青年の話を聞いていた。
「フフフ。そうか、君も僕と同じだね。まぁ、ゆっくりしてけばいいさ。見なよ? 夕日が綺麗だろう?」
うん、うん、と彼の話に相づちを打ちながら、ナデシコはずっと丘の上から、夕日を見ていた。
『雅王拳<キメラ>』という青年の声を一瞬聞いたところで、ナデシコは眠りについた。その時の夢は、フワフワの雲の中で目を瞑った青年と一緒にいつまでも空を飛んでいる、という内容だった。この夢と、不思議な青年と出会った事をナデシコは今までずっと、胸の内に秘めて生きていた。
「もう一度、彼に会いたい」いつしか、ナデシコはその青年の事を想うようになったのだ。
夢から覚めたあと、青年がいない事に酷く落胆した。そして、先程の丘の上ではなく、龍谷林の入り口で倒れたままだった。
「あれは全部夢だったのかしら?」
辺りを見回していると、ある夫婦が彼女のもとに駆けつけてきた。
「あらあら、こんなに汚れちゃって。大丈夫あなた?」
女の方がそういったが、ナデシコは呆然としたまま、夫婦の事をみた。
そして男の方が、「ヒューズ、大和の言う通りならこの子を預かろう」といい、そっと手を差しのべて来たのだ。
* * *
「まさか、リーダーがここまで連れてきたなんてね。それに、大和まで……」
一通り話を聞いたメディスは、驚愕の顔をしながらナデシコを見ていた。
「リーダー? オーズさんとヒューズさんは、私の命の恩人なんです。私に生きる意味を与えてくれた。そして、ここで待っていれば、いずれ心も癒えるだろうって教えてくれた」
長く話し、ナデシコはようやくメディスの出したお茶に口をつけた。
ガラガラっと個室の戸が開き、そこに現れたのはゲリラだった。
12/14(月)修正しました!




