恐怖に駆られて
花蓮を連れ、ガーデンパーティーの中央へとやって来ると、あの空気から解放されたことに、私はほっと息を吐いた。
花蓮へ視線を向けると、申し訳なさそうに深く頭を下げる。
「本当にごめんなさい、まさかあんな失礼なことをするなんて……。普段は大人しい子なのよ、本当に……」
青ざめ今にも泣きだしそうな花蓮に、私は大丈夫だからと落ち着かせるように背中を擦り、近くを通ったボーイからジューズのグラスを2つ受け取った。
「大丈夫よ、落ち着いて。それよりもこのジュース美味しそうよ、一緒に飲みましょう」
私は笑みを浮かべグラスを差し出すと、花蓮はコクリと頷きグラスを握った。
参加者へ見せつけるように、仲良く談笑していると、突然花蓮が大きく目を見開き口を開けたまま固まった。
異変に振り返ってみると、そこにはゲームの画面越しに見た可憐な少女が、花堂家次男の腕を取り、可愛らしい笑みを浮かべていた。
淡いピンク色のフォーマルなワンピースに、パーティ用のショルダーバック。
その姿は紛れもなく乙女ゲームのヒロイン、立花 さくらだった。
彼女の姿を見た瞬間、手足が一気に冷たくなっていく。
記憶にある彼女の姿と全く同じ。
私は目を逸らすこともできず立ちすくんでいると、彼女がゆっくりとこちらへ顔を向けた。
視線が絡むと、今まで騒がしかった会場内の音が消える。
彼女は弧を描きながらほくそ笑むと、真っ赤な唇を動かした。
「やっと会えたね」
この距離で声など聞こえるはずがない。
けれどなぜかはっきりと彼女の声が聞こえた。
胸の奥底から襲い来る恐怖と不安に、私は崩れ落ちそうになる脚に必死で活を入れた。
そんな私の様子を嘲笑うかのように彼女はスッと目を細めると、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。
どうして……どうして私はこんなに怯えているの?
訳の分からない恐怖心が治まらない。
私は今にも逃げ出しそうになる自分を必死に抑えていると、気が付けば立花さくらは目と鼻の先に居た。
「ふふ、花連様お久しぶりです~。色々立て込んでいて……なかなか伺うことが出来なかったの。ごめんね」
「……ッッ」
立花は眉を下げ、あざとらしく花蓮を見上げるが、その目はひどく濁っている。
花蓮は目をカッと見開き、大きく腕を振り上げた。
その姿に私はようやく我に返ると、慌てて花蓮と彼女の間に割り込む。
花蓮の腕を押さえ私は強張った頬の筋肉を必死に持ち上げると、彼女へ微笑みかける。
「ごきげんよう、私、一条 彩華と申します。あなたのお噂は花蓮さんから聞いておりますわ」
精一杯の虚勢を張り震える脚に力を入れる。
彼女は私の姿になぜか驚くと、スッと笑顔を消し不貞腐れた表情を浮かべた。
「……何よ、他人行儀ね」
他人行儀……?
どうして……出会うのは今日が初めてのはず。
知り合いでも何でもない。
彼女も前世の記憶持ちかと考えていたけれど、それなら他人行事なんて言葉使わないはずよね?
まさか……私の前世を知っているとか?
いえ、この事は誰にも話していないし、前世の記憶があるかどうか、彼女にわかるはずがない。
じゃなぜ……他人行儀なんて言葉が出たんだろう?
「彩華」
狼狽する中、呼ばれた声に慌てて顔を向けると、兄は心配そうに私の傍へ駆け寄り、大丈夫?と体を支えるように腕を回す。
彼の姿に立花はコロッと表情を変えニッコリ天使の笑みを浮かべると、私の手をとり口を開いた。
「一条様大丈夫ですか~?ごめんなさい、こういったパーティーに慣れてなくて……。何か失礼なことをしてしまいましたぁ?」
コロコロと表情を変えながら、彼女は兄へ上目遣いで見上げた。
あざとい彼女の様子に唖然としていると、突然呼吸が苦しくなっていく。
私は彼女から視線を逸らせると、兄から体を離し、逃げるようにその場から立ち去った。
屋敷の中へ駆け込むと、壁に手をつき落ち着かせるよう深呼吸を繰り返す。
どうしてこんなに……。
自分でも理解できない謎の恐怖感に、私は唇を噛んだ。
どれくらいそうしていただろうか、ふと顔を上げると、庭園には二条や華僑、お兄様に日華先輩と談笑する彼女の姿が目に映った。
親し気な姿に胸がギュッと締め付けられると、また心臓が激しく波打つ。
大丈夫、大丈夫なんだから……絶対に悪役令嬢にはならない。
苦しさに胸を抑えていると、花堂家の長男がこちらへ近づいてくる。
私は急いで姿勢を正すと、笑顔を張り付け礼をみせた。
丁度いいタイミングだわ、立花さくらについて聞いてみましょう。
「一条様ようこそお越しくださいました、質素なパーティーですが、お楽しみ下さい」
花堂家の長男である花堂 真一はニッコリ笑みを浮かべると、私の前で立ち止まった。
「ごきげんよう、花堂様。この度は素敵な催し物にお招きいただき、とても光栄ですわ」
挨拶を返すと、彼は青年らしい笑みを浮かべた。
「花堂様、つかぬ事をお伺いいたしますが……あの可憐な女性は、花堂様の恋人でございますか?」
彼女へ視線を向け尋ねてみると、花堂は軽く首を横に振る。
「いえ、残念ながら……彼女は学友です。そうなりたいと思い、今日このパーティーへ招待したのですが、なかなかうまくいきません」
弱弱しく笑う彼の姿に、上手い言葉が思いつかない。
苦笑いを浮かべていると、花堂は頬を染めながら庭にいる立花の元へ歩いていった。
花堂と彼女は恋人ではない。
彼は好きなようだけれど、立花さくらの態度を見る限り同じ気持ちだとは思えない。
花堂を放置し、気に掛けることもせず彼らと喋りっぱなしだしね。
考えるに……彼女は花堂を利用しているだけな気がする。
考え込みながら庭園に背を向け、来客用のソファーへ腰かける。
一息つくように瞳を閉じ、深く息を吐き出した刹那、後ろから突然抱きしめられた。
悲鳴がロビーに響くと、私は腕から逃れようと慌てて身をよじる。
「キャッ、なっ、なに!?、ぃやッ、離して!」
「マッテ、マッテ、アヤカ! ボクだよ!」
その声に私は動きを止め振り返ると、そこには懐かしい青い瞳に私の姿が映り込んでいた。




