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頼み事

試着室を出ると、兄がさりげなく私の手を取る。

またどこかへ向かうのだろう、彼はブティックを出ると車を呼んだ。

変身ともいえる着替えをさせられて一体どこへ行くのか、聞きたいことがたくさんある。


「お兄様、あの」


「待って彩華、今日だけ歩と呼んでくれないかな?」


私は首をかしげながら兄へ視線を向けると、有無を言わさない迫力がある。


「わっ、わかったわ、えーと、あゆむ……さん……?」


年上である兄を呼び捨てにするのに抵抗を感じ、名前の後ろに(さん)をつけると、慣れない言葉に少しむず痒くなった。

兄はそんな私の様子とは裏腹に、満面の笑みを浮かべると、車が前に到着する。

エスコートされるままに車へ乗り込むと、ゆっくりと発車していった。


暫くすると、車から止まり下ろされる。

辺りを見ると、大きなビルが立ち並ぶビジネス街のようだ。

兄と並んで歩くと、道行く人たちの視線が突き刺さる。

特に女性の視線が……。


ふとショーウィンドウに映った私たちの姿を目にすると、手をつなぐ姿はまるでカップルのようだ。

こうしてみると、なんだか恥ずかしい。

家族だとけど、お兄様はかっこいいし女の子の視線が痛い。

って違う、こんなことよりもどこへ行こうとしているのか聞かないと。


私は顔を上げ口を開こうとすると、兄は優しい笑みを浮かべながらあの服が欲しいの?と先ほど見ていたショーウィンドウに飾られたマネキンの服を指さした。

私は慌てて違うと否定するが。兄は私を連れたままそのお店に入ると、すぐにカードをきった。

嘘でしょ、待って待って、はぁ……あまり見ていちゃダメなのね、気を付けないと……。


兄はその洋服が入ったバックを家に送るよう指示を出すと、またどこかへと歩き始める。

どこへ向かうのか問いかけてみるが、兄は教えるつもりがないのか……誤魔化した笑いを浮かべると、何も話すことなく歩き続けた。

私は諦めるように兄の後をついていくと、とある高級ホテルの中へと入って行く。


ホテルのロビーへ足を向けると、そこには気の強そうな女性が兄の姿に頬を染め駆け寄ってきた。


「一条様、やっぱり来てくれたのですね。私、とっても嬉しいのですわ!……でも、その隣の女性はどなたでしょうか?」


女性はギロリと鋭い目をこちらへ向ける。


「今日は君に話があってきたんだ、彼女は僕のフィアンセのアリス」


はぁ……?えっ、アリス……?

それにフィアンセ……いやいや、聞き間違いかな……?

私は兄の言葉に大きく目を見張っていると、兄は私の耳元で笑ってと囁いた。

笑う……?

私はとりあえず言われた通り笑顔を作ると、前に立つ女性に笑みを返す。


「えぇ、そんな……一条様に婚約者はおられないはずでしょ?」


「公には発表していないんだ、これでわかってくれたかな?」


兄は冷たい微笑みを浮かべ彼女を見据えると、今にも泣きだしそうにウルウルと目に涙が見える。

ちょっと待って、お兄様の目的は……この女性の縁談を断る為に、私に恋人役をさせること?

だからこんな変装をさせて……ッッ。

こんなの私じゃなくてもいいじゃない、お兄様なら喜んで恋人役を買って出る女性がたくさんいるでしょ。

って偽の恋人役と知っていたら、さすがに断っていた。

だけど紹介されてしまった現状、もうどうすることもできない。

ここで否定しても良いことは一つもないだろう。


「そんな、そんなの信じられませんわ。私は私は……ッッ」


「信じる信じないは君の勝手だ。現に僕には大事な人がいる。今日はそれを言いにきただけだ」


止めを刺すその言葉に、彼女の頬に大粒の涙が零れる。

彼女は慌てて顔を隠すと、逃げるようにこの場から走り去っていった。

そんな私たちの様子に、変に注目を浴びてしまったのか、ロビーにいた人達の視線が突き刺さる。

居たたまれない気持ちと罪悪感で立ち尽くしていると、兄はそっと私の腰へと手を回した。


「ごめんね、彩華」


「お兄様……」


話を続けようと口を開くと、歩だよと笑みを深める。

兄の笑顔に私は言葉を詰まらせると、軽く咳ばらいをした。


「んんっ……歩さん、まさかこんなことをさせるなんて……知っていたら断っていたわ。私じゃなくても出来るじゃない……」


「そんなことないよ、彩華にしか頼めないことだった。ごめんね、そういうだろうと思って黙っていたんだ。さっきの彼女はいくら断ってもしつこくてね、まぁこれで諦めてくれるだろう」


本当に困っていたと、そう弱々しく笑う兄を横目に、私は化粧直しに行ってきますとモヤモヤする気持ちを抱えたまま兄の元を離れる

女子トイレの入り口を潜ると、そこには先ほどの女性が鏡の前で涙を拭いていた。


うぅ、なんてバットタイミングなの。

先ほどの女性は私の姿に気が付くと、強くこちらを睨みつける。

ひぇ、怖い怖いすぎる……。


「うぅ、んん、グスッ……何よ、私を笑いに来たの?ふん、どうやって一条様に取り入ったのかは知らないけど、ヒィック、グスッ、どれだけ頑張っても、あなたも所詮二番目よ、あの方の一番にはなれないんだから」


泣きながら話す彼女の言葉に、私の心は小さく揺れた。

二番目……どういう意味なの?

彼女はキッと唇を噛むと、ハンカチを手にしたまま私の横をすり抜け走り去っていく。

私は呆然とその場に立ち尽くしていると、彼女の言い捨てた言葉の意味を考えていた。


二番目ということは一番目が居る……?

お兄様にはもう好きな人がいるということ?

お兄様が乙女ゲームの攻略対象者だとして、もしかして……すでにヒロインと出会っているのかな?

でも思い出せるゲームの内容は、エイン学園に入学するところから……。

もしかして私が忘れているだけで、エイン学園へ入学するより前に始まっているのかも……。

でもそれならどうして私に恋人役なんて頼んだんだろう……。

彼女に頼めばきっと喜んで受けてくれるだろう。

何とも言えぬモヤモヤが胸に大きく渦巻く中、私は彼女の去っていった鏡の前で一人考え込んでいた。


どれぐらいそうしていただろう……ふと兄の声に顔を上げると、私は慌ててお手洗いから飛び出した。


「どうしたんだい?なかなか戻ってこないから心配したよ」


「あっ、えーと、ごめんなさい。ちょっと考え事をしていて……」


言い訳するようにボソボソと話すと兄は優しい笑みを浮かべながら私をエスコートしていった。


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