至福のひと時
男の姿を横目に、ムシャムシャと食べ続けていると、ふと彼と視線が絡む。
私はナプキンで口元を拭いながらに見つめ返すと、彼は何が可笑しいのか……肩を揺らして笑い始めた。
「旨そうに食べるな。あんたの舌に合うとは思えねぇけど……。本当に一条家のお嬢様なのか?」
「……あなたには関係ないでしょ。私だってこういった物も食べたくなるのよ。だって美味しいじゃない」
「ははっ、変な女」
返された言葉を馬耳東風に、私はそっぽを向きながらにポテトを口へ運ぶと、幸せなひと時を堪能していった。
そうして至福のひと時を終えると、私たちは車へ戻り、またドライブを再開する。
ふぅ、美味しかったなぁ。
彩華になってジャンクフード店に来られるなんて思わなかった。
あぁ~お腹もいっぱいだし、満足満足。
おっといけないいけない、しっかりしないと……。
本当にこのままドライブが続くのかわからないもんね。
「他に行きたいところはないのか?」
彼の問いかけに考え込むと、もう何も思いつかない。
そっと窓の外へ目を向けると、太陽は一番高い位置よりも少し西へ傾いていた。
「ないわ。そろそろ帰る?」
私は座席へ深く座りそう問いかけてみると、男は何も返すことなく高速道路の入り口へと進んで行く。
その様子に私は慌てて体を起こすと、運転席へと顔を向けた。
「どっ、どこへ行くの?」
「バ~カ、慌てすぎだ。帰るにはまだ早いだろう。だから適当にドライブして、そうだなぁ……海でも眺めて、時間を潰したらあんたを送る。安心しろ」
海……?
時間をつぶすってどういう事だろう。
早く戻ると何か不都合があるのだろうか……?
彼の言葉に疑問符が浮かぶが、私は言葉を飲み込むと、車内に沈黙が流れていった。
そうして海へやってくると、もう秋も深まっている為、人の姿はあまりない。
空を見上げるとひつじ雲がかかり、雲間から太陽の光が海を照らしていた。
明日は雨が降るのかな。
空を見上げながらに私は彼を残し車から降りると、真っ白な砂浜を踏みしめる。
柔らかい砂の感触を感じていると、少しばかり肌寒い海風が頬を掠めていった。
私は胸いっぱいに潮風を吸い込む中、目的もないままに砂の上を歩いてみると、後ろから彼が追いかけてくる。
「あんた変わってるな。一条家当主と兄に溺愛されてると噂のお嬢様だと聞いていたから、我儘で強欲で高飛車な女だと思っていたが、違うみたいだ」
後方から届いたその声に振り返ると、ニヤリと口角をあげる男へ視線を向けた。
「何よそれ。私は私よ」
「ははっ、あんたやっぱ面白いな。俺は天斗。改めて宜しく、彩華」
差し出された手をそっと握り返すと、私は真っすぐに天斗を見据える。
本名なのだろうか……確認したいところだけれど、きっとはぐらかされるだけだろう。
「三ヶ月よ。約束は絶対に守って」
「わかってる、また次もこうやって呼び出す。その時もドライブに付き合ってくれればそれでいい。行きたい場所でも考えておけ。どこへだろうと連れて行ってやるよ」
彼の真意は定かではないが、本当にドライブだけなら、気軽に付き合うことが出来る。
寧ろ変装する事で、一条家ではいけなかった場所へ連れて行ってもらえるのは、とても嬉しい事だ。
ドライブをする目的はわからないけれど、今の彼を見る限り害はないように映る。
警戒は必要だろうけれど、とりあえず今は彼の言う通り指示に従おう。
私は大きく頷くと、手を離しオレンジ色に染まっていく海へと視線を向けた。
「あっ、そうだ。帰る前にそこで着替えておけよ」
天斗の言葉に後ろを振り返ると、彼の視線の先には海水浴用だろう更衣室がポツリと佇んでいる。
もちろん人の気配はなく、私は彼の指示に従い車へ戻ると、荷物を取りだし、更衣室の中へ入って行った。
そこでウィッグ、アクセサリーを外し、最初に着ていたTシャツとジーパンへ着替える。
そうして一条彩華に戻った私は、太陽が地平線に沈んでいく前に海を出ると、高速道路を進んで行く。
夕暮れ時に、マンション近くまでやってくると、近くの公園に車が静かに停車した。
「悪いがここまでだ。気を付けて帰れよ」
どうして私の住んでいる場所を知っているの……?
お兄様もお父様も危険だからと……私が住むマンションの情報を隠してくれているはず。
迷わず止まったことに驚く中、私は恐る恐るに車から降りると、天斗へと振り返った。
「なっ、なんで私の家を知っているのよ?」
「さぁ、なんでだろうなぁ」
天斗はニヤリと口角を上げると、そのままアクセルを踏み込みあっという間に走り去っていった。
はぁ……何だか疲れたな……。
去って行った方角を眺める中、私は深い息を吐き出すと、逆の方角へと歩きだす。
本当にドライブだけで終わったな。
でも……これが一体何のためになるのか。
彼の真の目的は何なのだろうか。
そんな考えても答えが見つからない事が頭の中で渦巻く中、私は鮮やかな夕焼雲を見上げた。
夕日が沈んでいく中、マンションの中へと続く自動ドアを開け足を進めると、その先になぜか兄の姿が映し出された。
おっ、お兄様……?
えっ、あれ、お兄様もう帰ってきたの!?
嘘でしょ、いつも早くても21時とかなのに……。
予想だにしていなかった兄の姿に、私は思わず立ち止まると、彼は黒い笑みを浮かべながらに近づいてくる。
その姿にヒェッと小さく悲鳴をあげると、私は条件反射で視線を落とし頭を垂れる。
「彩華、おかえり。誰とどこへ行っていたんだい?」
「えーと、あの……」
私はゴニョゴニョと口ごもると、オレンジ色に光る床へ視線を向ける。
どうしよう……どうやって誤魔化そう。
花蓮さんや香澄ちゃん、二条や華僑くん、日華先輩の名前を使うわけにもいかない。
それに彼が言っていた通り、尾行されていたのなら……撒いたと思われているよね。
頭の中で様々な言い訳を考える中、兄の顔を見ることが出来ない。
「答えられないのかい?」
静かな問いかけに、私は素直にコクリと頷くと、大きな手が私の頬を包みこんだ。
「どうして答えられないのか、それは話せるかな?」
そのの言葉に私は首を横へ振ると、グッと口を閉ざした。
あの写真がある以上、話す事は出来ない。
だって話せばお兄様は必ず探し出すと思うから……。
顔を見ることも出来ぬまま俯いていると、頭上から深いため息が耳にとどいた。
そのまま私の体を引き寄せると、ギュッと胸の中へ閉じ込める。
「……何だか彩華から良い匂いがするね。香水かな?……こんなに匂いがつくほど、誰かと密着していたのかい?」
「へぇ!?ちっ、違うよ!これは……あの……車で……ッッ」
しまったっと思い口を閉じるが……兄は不敵な笑みを浮かべると、逃がさないと言わんばかりに、私の体を壁へと強く押し付ける。
「車?車に乗ってどこかへ行っていたんだい?誰が運転を?」
「あの……ごっ、ごめんなさい……ッッ」
私はあたふたと狼狽する中、咄嗟に兄の体を突き飛ばすと、そのまま逃げるようにエレベーターへと駆けこんだ。
そのまま最上階のボタンを押すと、ドアはゆっくりと閉まり兄の姿が消えていった。




