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砂糖菓子でできている  作者: 未礼
五章

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50、砂糖菓子




 様々な検査を終え、食事もいつも通りとれるようになった亜佐は、一ヶ月ぶりに自室に帰れることになった。

 警護の軍人に今日は一日部屋にいると伝えて室内に入る。やはり少し埃っぽい。

 窓を開いて空気を入れ替え、シーツを剥ぎ取る。今日は掃除で一日が終わるだろう。

 シーツやカバーを洗濯に出さなければならなかったが、亜佐はふと手を止めた。これまでは洗濯物は治癒能力のある人間の物と一緒に出していた。しかし亜佐にはもうその能力はない。

 これから生活が大きく変わるだろう。

 まだ警護隊はついているが、様子を見ていずれは解散になるのだろうか。

 部屋も警護しやすい要人用の客室から、他の人間たちと同じ人間専用の寮に入る事になるかもしれない。部屋が小さくなり掃除がしやすくなる事は嬉しいが、恐らくロイリが訪ねて来ることはかなり難しくなる。

 一長一短、いや短が辛すぎる。

 ロイリの献身的で自己犠牲的な看病の様子は、宮廷中に知れ渡っているらしい。もうふたりの関係を隠す意味はない。開き直ってもいいだろうか。

 そうすれば、時間を見つけて会うことはできるだろうか。

 応接室の革のソファにはたきをかけながら、ぼんやりとロイリの顔を思い出した。

 彼は一週間前から王都の外へ出ていた。亜佐を心配してどうにか行かずに済むよう全力を尽くそうとしていた彼に、もう体調もいいし何も心配せずに仕事に集中してと説得するのは本当に大変だった。

 そろそろ帰ってくるだろう。報告やら何やらが済めば、彼は一番に部屋を訪ねてきてくれるはずだ。

 そう考えてから、ロイリの愛情をひとかけらも疑っていないことに気付いて笑った。

 自分に自信がなく、ウジウジと悩んでいた今までの性格からは考えられないほどの進歩だ。

 机を拭いた布巾を洗面所で洗って、また応接室に戻ってくる。

 一度休憩をしよう。ずっと寝たきりだった体は、少し動いただけでもうヘトヘトだ。

 部屋に戻って少し横になろうかと考えた時、部屋の呼び出しベルが鳴った。

「はい」

 返事をして、扉に駆け寄る。

 ロイリだろうか。それにしては早すぎる。

 そう思いながら開いた扉の向こうにいたのは、やっぱりロイリだった。彼は少し息を切らしていた。

「お帰りなさい。早かったんですね」

「ただいま。医務室へ行ったらもう部屋に帰ってるって言うから、走ってきた」

 上機嫌らしいロイリはにこにこと言って、後ろ手に持っていた大きな白い花束を亜佐に差し出した。

「快復祝い」

 その大きさに思わず上げようとした声を、囃し立てるような口笛が遮った。

「色男は花束も似合うなぁ」

 廊下の向こうからいたずらっぽく笑いながらこちらに歩いてくるのは、近衛師団の制服を着た二人組だった。どうやらロイリの同僚らしい。

 彼らを振り向いたロイリの顔は見えなかったが、ふたりが「おお怖い怖い」とわざとらしく駆け足でそばを通り過ぎていったので怖い顔をしていたのだろう。

「なぜこんな場所を通るんだ」

「そんなの、お前を茶化しに来たに決まってるだろ」

「暇人どもが、さっさと帰れ」

 手でしっしとふたりを払ってロイリは亜佐に視線を戻す。しかしふたりはまだこちらを見ていた。

「アサちゃん、元気になってよかったね」

 ひとりが亜佐に向かって笑顔で言う。慌てて「はい、ありがとうございます」と頭を下げた。

 いつ頃からか、近衛師団、特にロイリの同僚や部下の軍人たちからそれはそれはフレンドリーに接してもらえるようになった。

 エヴァンスが言うには、仕事中に亜佐と会ったロイリはその後の機嫌がすこぶるいいらしい。普段から鬼の中佐殿に厳しく指導されている軍人たちが、陰で亜佐を救世主と呼んでいるようだ。

 そう呼ばれることには恥ずかしさしかないが、気軽に声をかけてもらえることは嬉しい。彼らはよくロイリの居場所を教えてくれる。

 手を振りながら去っていった彼らから、ロイリに視線をやる。

 彼は邪魔をされたとでも言いたげに、憮然とした表情で亜佐を見下ろした。

「仲良しですね」

「まあな」

 花束に手を伸ばす。受け取って、花の匂いを吸い込んだ。大好きな花だ。前のクラウゼ家の庭にたくさん咲いていて、バンドラーがよく部屋に飾る用にとくれた花と同じだった。

「懐かしい花……ありがとうございます」

 ロイリはうんと頷いて、ようやく笑顔を浮かべた。

「体調はどうだ」

「何も問題ありませんよ。元気です」

 扉を大きく開いて部屋に招き入れる。

 扉を閉めたと同時に後ろから抱きすくめられた。

「元気そうで安心した」

 彼の腕の中で体を反転させ、その顔を見上げて笑う。何度も確認するように亜佐の頬を撫でて、ロイリは安堵の息をついた。

 亜佐を抱き上げると、ロイリはそのまま応接室のソファに座る。

 彼の太ももにまたがりながら何となく気恥ずかしくて下に落とした視線に、ロイリの手の甲にある大きな引っ掻き傷が映って亜佐は眉を垂らした。

 傷の隣を指で撫でる。

「……もう、あなたの怪我を治してあげることができない」

「いいんだよ。それが当たり前の事だ」

 俯いた亜佐の髪をすくい、口付けを落としながらロイリは言う。

「匂いが違うな」

 その言葉に、近付いてきた顔を思わず手のひらで止めた。

 その手を掴んで、ロイリは有無をいわさず顔面から引き剥がす。

「キスだけだ。病み上がりに手を出したりしない」

「違います、そういう事じゃなくて……」

 動揺して視線をさまよわせる。そう言えば、倒れて以来ロイリとキスをするのは初めてだった。

「今まで、私の、その、体液って全部同じような甘さだったんでしょう? それがなくなったから……変な味しないかなって思って」

 ロイリが噴き出す。笑い事じゃないと彼の顔を見上げると、もうキスを避けられる距離ではなかった。

「確認してみよう」

「待って、まっ」

 唇が押し付けられる。首筋を手で引き寄せられ、もう逃げられない。

 彼の舌がちろちろと唇をくすぐる。意地でも閉じているとロイリがまた鼻の奥で笑って、釣られて緩んだ唇に舌が押し込まれた。

 もうヤケだ。それにすぐに我慢できなくなった。

 久しぶりの彼が欲しくてたまらない。

 舌を伸ばして迎え入れる。ロイリが少し体を離したのは、亜佐の舌が自分の牙で怪我をしないようにだろう。

 彼の首に両腕を回して引き寄せる。ロイリの体が強張ったのは一瞬だけで、ふたりはすぐに全身を支配する欲望に忠実にお互いを貪りあった。

 彼の手が背中を撫でるように這う。

 もうこのまま、病み上がりだとかそんなこと気にせずに奪い尽くしてくれたらいいのに。

 ロイリの詰め襟に指をやって、ホックをひとつ外す。できた隙間に差し入れようとした指を掴まれた。

 唇が離れる。

 目元と頬を微かに赤くして、ロイリはうわ言のように呟いた。

「甘い」

「えっ、まだ甘いですか?」

「今までの甘さじゃないが、お前は元から甘いらしい」

 亜佐の口の端をぺろりと舐めて、ロイリはその腰を引き寄せ首筋に顔をうずめた。

「やっぱりお前は砂糖菓子でできているんだ。キスをするたびに食ってやりたくて仕方がなかった」

 ロイリは少しの痛みと共に鎖骨にいくつか赤い痕をつけ、亜佐の顔を覗き込む。

「初めてのキスの時から、今も、ずっと」

 キラキラと光る赤い瞳の、その目尻に指で触れた。

「食べるんですか?」

「また後日、ゆっくり味わうよ」

 すぐにでも食い尽くしたいという顔をしているくせに。一度言ったらなかなか曲げない人だ。

「じゃあ、もうちょっとだけキスしてください……」

「了解」

 おかしそうに弧を描いた唇が押し当てられる。

 くすぐり合うようなキスの最中、ロイリが亜佐の左手に触れ、何かもぞもぞと動かした。

 冷たい感触に何だと考えた後、その正体に気付いて体を強張らせる。

 離れたロイリが左手を持ち上げて指先にキスをした。

 その薬指に、赤い宝石のついた指輪がはめられていた。

「神誓書が仮で通って、審議に入ったと今朝連絡があった。これからもまた長いんだが、まあここまで来て否認されることはないだろう」

 声も出せずに指輪と彼の顔を交互に見る。

「前に言っていただろ。お前の国では婚約や結婚するときに薬指に指輪を贈るって。今回は婚約指輪。正式に神誓書が通ったら、結婚指輪も送らせてくれ」

「でも、形見のイヤリングももらったのに……!」

「俺が贈りたかったんだ。受け取ってくれるか?」

 亜佐は声にならない声を出して、それから勢いよくロイリの首にしがみついた。

「もちろんです!」

 彼の後頭部をぎゅっと引き寄せながら、震える声で言う。

「あぁ……どうしよう、嬉しい……ありがとうございます……!」

 イヤリングをもらった時も天に昇れそうなくらい嬉しかったが、今はその百倍くらい、気を失いそうなくらい嬉しい。

「気絶しそう……」

 耐えられずにソファにひっくり返った。

 左手を持ち上げて、部屋のシャンデリアにかざしてみせる。

「気に入った?」

「はい、とても……すごくきれい」

「よかった」

 安心したように笑うロイリの顔に左手を近付ける。

「ロイリの目と同じ色だ……」

 深い血色(ちいろ)の宝石の両隣に、花の形をした装飾がついている。

「サイズもピッタリ。いつ測ったんですか?」

「指輪の話を聞いた時」

「本当に? 全然気付きませんでした」

 その時にはもう指輪を贈るつもりでいたらしい。

 うっとりとため息をついて色々な角度から指輪を眺める。そんな亜佐を見下ろしながら、ロイリはボソリと呟いた。

「これで牽制になるかな」

「何の……」

 尋ねる言葉を言い切る前に思い当たった。白佐木だ。

「あの男は薬指の指輪の意味を知ってるだろう?」

 もちろん知っているだろう。亜佐は困ったように笑う。

「私はあなただけを愛しています」

「知ってる」

「私はあなたを裏切りません」

「知ってるよ」

 ロイリのためなら何度だって言おう。起き上がって、彼の胸に頬を寄せた。

「それじゃあこれは知ってますか? 私はあなただけのものなんですよ」

 ロイリの指が額に触れる。頬を伝って顎を持ち上げ、思っていたよりも真剣な目が亜佐を見下ろして。

「知ってる」

 見惚れて動けなくなるほど美しい瞳に、亜佐が写っている。

 これ程幸せな人間がこの世界にいるだろうか。

 今この瞬間、世界で一番幸せなのは自分だという自信があった。

 胸からせり上がる幸福に息ができない。

 完全に動けなくなる前に、亜佐はそっとロイリの胸を押して体を離した。

「時間は大丈夫ですか?」

 ロイリは返事をせずに、腕時計をチラリと見た。

「……もう少しだけ」

 恐らく時間が過ぎているか、ギリギリなんだろう。もう行ってもらおうとさらに体を離したが、その腕をロイリが掴んで引き寄せた。

「俺が普段から真面目に仕事をしているのは、こういう時に大目に見てもらうためだ」

「……大目に見てもらえるんですか?」

「少し怒られるくらいだ」

 腕の中からその顔を見上げる。怒られてほしくない、そばにいたい。ふたつの気持ちがせめぎ合う。

「……帰ってきてから、師団長さんには会ってきたんでしょう?」

「いや、まだ。帰ってきてすぐにここに来た。荷物は廊下に置いてる」

 驚いて目を丸くして、それから耐えられずに吹き出した。

 仕事が終われば一番に来てくれると思っていたが、仕事より先に来てくれたらしい。荷物も持ったままだということは、寮にすら寄らず。

「あなたは、ホントに、もう……」

 笑っている場合じゃないと分かっていたが、嬉し笑いを止められそうにない。

 腹を抱えて笑う亜佐を、ロイリは不思議そうに見て首を傾げた。




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