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鬼人幻燈抄  作者: モトオ
明治編

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77/216

『妖刀夜話~御影~』・3




 今は昔、一条桟屋敷にある男とまりて、傾城と臥したるけるに、


 夜中ばかりに風吹きて雨降りてすさまじかりけるに、大路に諸行無常と詠じて過ぐる者あり、


 何ものならんと思いてふしど少し押し開けて見ければ長は軒と等しき馬の顔なる鬼なりけり。


 おそろしさにふしどをかけて奥に入りたれば、この鬼、格子押し開けて顔を差し入れてよく御覧じつるな御覧じつるなと申しければ、


 太刀を抜きて入らば斬らんと構えて女をそばに置きて待ちけるに、よくよく御覧ぜよと言いていにけり。




 百鬼夜行にてあるやらんとおそろしかりける。




『宇治拾遺物語』より




 ◆




 そもそも百鬼夜行という話は古く、決して珍しいものではない。

 深夜に練り歩く鬼や妖怪の集団は、説話だけでなく絵巻物の題材として取り扱われることも多い。

 絵巻物で著名なものを上げるとするならば、やはり真珠庵本だろう。

 室町時代の絵巻で、付喪神が夜毎練り歩くさまを描いた作品である。


 しかし近頃噂になっているものは、そういう“真っ当な”百鬼夜行ではない。

 百鬼夜行の主は鎖を操る鬼女だという。

 その正体は地縛に相違なく、であればその裏にマガツメがいることは疑いようがなかった。

 だから甚夜は、本当は自分だけで片を付けたかった。

 もしも発端が兼臣の依頼でなければ、誰にも話さず百鬼夜行に挑んでいた筈だ。

 今ですら兼臣と染吾郎を戦わせたくないと思っている。


「静か、ですね」

「ほんまやなぁ」


 もっともそれに納得するような連中ではなく、こうして三人足並み揃えて動く羽目になった訳だが。


「染吾郎、この辺りで間違いないのか?」

「うん、一条周辺が怪しいって話やね」


 百鬼夜行の目撃談は一条通に集中していた。

 平安末期の『今昔物語』では、大晦日の夜に一条堀川の橋を渡っていた侍が、灯を持った鬼の集団に出会ったという。

『宇治拾遺物語』には、一条大路の建物に泊まった男性が、真夜中に馬の顔をした大きな鬼と出くわす話がある。

 室町時代の『付喪神記』では、捨てられた器物が恨みを抱え、人に復讐を果たす為鬼となり一条大路を練り歩いたとされる。

 魔都と名高い京都ではあるが、一条ほど百鬼夜行が似合う場所も中々ないだろう。


 静かの夜。

 辺りを見回せど、人の気配も鬼の影も見当たらない。

 ひゅるりと夜の風が抜け、砂埃が舞う。そんな些細な音さえ響くほどに、一条通は静まり返っている。

 半刻ほど過ぎた頃か。周囲を警戒し微かな緊張が続く中、兼臣がおずおずと染吾郎へ声を掛けた。


「……あの、秋津様」

「ん?」

「済みません、私事に巻き込んでしまって」

「ああ、ええてええて。さっきも言うたけど、善意だけって訳でもないしな」

染吾郎は軽く手を振り、何でもないことだと示してみせる。


 彼の気性を考えれば迷惑と思っていないのは本当だろう。

 しかし正式に依頼し金も払った甚夜は兎も角、染吾郎は本来なら命を張る必要がない。だから余計に憂いは深まり、兼臣は縮こまってしまう。


「ほんま気にせんでええよ? ……和紗ちゃんのこと、僕は何もしてやれんかったからなぁ。罪滅ぼしやと思っといて」


 恐縮されると寧ろ困る、染吾郎は頬を掻きながら曖昧に笑う。

 声には自嘲の色が滲んでいる。普段とは違う彼の空気に、憂慮が払拭された訳ではないが、兼臣はもう一度謝罪を口にして引き下がった。

 二人には南雲和紗という名前はそれだけ重いのだ。


「和紗……妖刀使いの南雲、だったか」

「そ。南雲と“勾玉”の久賀見あたりは退魔の家系の中でも有名な方やね。和紗ちゃんとは何度か肩を並べて戦ったなぁ。あの頃はまだ僕も三十代やったし、もうちょい無理ができたんやけど」


 懐かしむ、というには少し寂寞が強すぎる。

 兼臣の主人、南雲和紗は地縛に命を奪われた。それは染吾郎にとっても深い傷であったらしい。


「そやけど結局、しばらく会わんうちに和紗ちゃんは鬼にやられて……多分僕は、後悔してるんやろな」


 もう少し上手くやれていたら、違う今が在ったのではないか。

 考えてもどうにもならないと分かっている。今更過去に手を伸ばしても、為せることなど在りはしない。

 それでも過ぎ去ってしまった“いつか”を忘れるというのは少しばかり難しい。

 

「そやから、少しは力になったろうと思てな」


 いつだって後悔は付き纏う。

 染吾郎はそれを放置したくなかった。

 だから傍目には意味のない行為に見えたとしても、自らが納得する為に百鬼夜行へ立ち向かうと決めた。

 無意味と知りながらも、それを間違いとずることが彼にはできなかったのだ。


「そうか……済まなかった。お前にも戦う理由はあったのだな」

「ええて、そんなん」


 その決意に気付かず、勝手な考えを押し付け、彼を戦い方から遠ざけようとしてしまった。

 途端に申し訳なくなり、甚夜は小さく頭を下げた。彼の胸中は分かった。ならばもう止めはすまい。

 染吾郎は飄々と謝罪を受け入れ、話はこれで終わりと言うように肩を竦める。


「……兼臣。一つ、聞きたいのだが」


 ただ多少なりとも彼らの過去を聞いた後だからこそ、ほんの少し引っかかることもあった。 


「なんでしょうか?」

「お前の話も、染吾郎の話も、何かが引っ掛かっていた。その理由がようやく分かった。……初めて会った時、南雲和紗は十二だと言ったな」

「ええ、そうですが」


 質問の意図が読めないのか、微かに眉を顰める。

 だが重要なのは年齢、そこが甚夜には分からなかった。


「ならば、それは“いつ”の話だ?」


 どう考えても計算が合わない。

 向日葵は明治五年(1872年)の頃、八歳だと言っていた。

 地縛は向日葵の妹、当然彼女より年下の筈。

 仮に地縛が生まれたその時から<力>を使えたとする。

 だとしても、南雲和紗が殺されたのは江戸末期から明治の初めの間。その頃ならば染吾郎は三十代前半、そこまでならば一応は計算が合う。

 しかし初めて会った時の兼臣は、どう見ても十六、七の少女だった。

 つまるところ、南雲和紗の指南役だったにしては、彼女は若すぎるのだ。


「それ、は」

「もっとも、お前の容姿をそのまま答えにしてもいいのだがな」


 同居人とはいえお互い踏み込まずここに来た。 

 だから今まで指摘してこなかった。

 兼臣の容姿は出会ったころから殆ど変っておらず、全くと言っていい程老けていない。

 彼女が鬼ならば、単に実年齢と外見年齢がそぐわなくても不思議ではなく、甚夜の疑問も解消される。

 一つの可能性として考えていたが、それは当の本人が首を横に振って否定する。


「私は、鬼ではありません」

「ならば」

「済みません。いずれ……いいえ、地縛を捕えた時に話したいと思います。ですから、今は」


 深く沈み込んだ瞳。なのに、揺るぎのない信念を感じさせる。

 兼臣は思った以上に頑な。問い詰めたところで意味はなさそうだ。


「分かった。それでいい」

「ありがとうございます。全てが終われば、必ず」


 話すと言っているのだ。無理に聞き出すこともない。

 この件を解決する理由が一つ増えたと思えばいい。そう自分を納得させ、気を引き締め直し、甚夜は宵闇を睨み付ける。


「あー、なんや、そろそろか?」

「どうやらそのようだ」


 時期を見計らったように夜の気配が変わった。

 ぬるまった風が流れ、紛れて息が聞こえる。

 折り重なる呻き、雑踏の音。

 ぼう、と宵闇に浮かび上がる影。

 その数は次第に増え、通りを埋め尽くさんばかりの群れとなる。

 星の瞬きに照らされたその姿はまごうことなき異形だ。

 皮膚を持たず、筋繊維がむき出しになっている。

 七尺を上回る巨躯。

 童の如き小ささ。

 体の一部が欠け、まともに歩けず這いずる。

 各々特徴は違う。しかしそれは一様に鬼と呼ばれる。

 


 百鬼夜行。

 伝承に語られる不吉な異形の群れが其処には在った。






「なあ、明らかにこっち見とるんやけど」


 数え切れぬ程の鬼の目は甚夜達を捕えている。

 唸り声が地を揺らす。いつ襲い掛かってきてもおかしくないほどに奴らの気勢は高まっていた。


「ふむ。信心が足りなかったか」

「……君、冗談下手やな」


 百鬼夜行の説話は、読経や神仏の札などで難を逃れた話が多く、一般的には怪奇譚というよりも仏の功徳を説く話である。

 だから冗談めかしてそう言ってみれば、染吾郎が呆れたように半目でこちらを見てくる。我ながら似合わないことをしてしまったと甚夜は微かに唸った。


「随分と、懐かしい顔だこと」


 唐突に響いた声。弛緩しかけた空気が再度ぴんと張りつめる。

 抜刀し脇構えを取り、鬼どもを睨み付ける。

 声は実に懐かしいもので、しかし感慨は沸かない。

 だとしても逢いたかったのは事実だった。


 異形の群れ、その中に若い女がいる。

 年の頃は十七か、十八。背は五尺を下回る程度。細身な体と白い肌も相まって、繊細な少女と言った印象を受けた。

 しかし服装の方は繊細とは程遠い。男物の羽織に袴をはいた姿は、一見すれば見目麗しいと言える顔立ちをしているからこそ殊更違和感があった。

 髪は短く整えられている。覗き込んだ瞳は、夜の闇の中で尚も赤々と輝いている。

 女の顔は、気味が悪いくらい兼臣に似ている。

 寸分違わぬと言っていい程に彼女達は同じだった。


「お久しぶり」

「地縛……ようやく、会えました」

「本当にしつこい。執念深い女は殿方に嫌われるわよ?」


 小刻みに揺れる体。恐怖ではない。耐えがたい感情が兼臣の体を震わせる。

 対して地縛はゆったりと余裕を見せつける。

 それだけではない。話ながら左足を僅かに引き、袴に隠しながら後ろへ体重をかける。突発的な状況でもすぐ動き出せるようにだ。

 五年経った。その間に地縛も成長したということだろう。


「おじさまも、元気そうね」

「……その呼び方は止めて欲しいものだ」

「向日葵姉さんには許してるのに? そう言えば娘にだだ甘って聞いたし……もしかして幼女趣味なのかしら」


 人差し指を唇に当て、小首を傾げる。

 やはり、やりにくい。地縛は相変わらずそこいらにいる娘子のようだ。個人的には敵はもう少し分かり易い醜悪さを持っていてくれると嬉しい。その方が、斬り易い。

 もっとも、多少やり難かろうと、その首を落すことに躊躇いなどまるでない。

 一度敵と定めた以上、彼女は敵以外の何物でもなかった。


「娘に甘いのは否定せんがな」

「あら、案外冷静ね。もっと怒るかと思ったけど」

「浅い挑発に乗ってやれる程若くもない。それに、幼子の背伸びというのは見ていて微笑ましい。怒りなど沸かんさ」


 小娘の言など取るに足らん。そう言ってのけても地縛に動揺はない。

 以前ならば怒りを露わにしただろう。しかし今では会話をしながらもこちらの一挙手一投足を警戒し、決して視線を外そうとはしない。

 成程、本当に成長したらしい。これはなかなかに厄介だ。


「むぅ。おじさま、野茉莉ちゃんには相変わらずなんですね。……なにか癪です」


 次いで現れたのはどこか不満気に頬を膨らませる女童。

 色素の薄い、柔らかく波打った栗色の髪。年齢は見た所八つか九つといったところだろうか。

 大きな瞳。まだ幼く見える背格好に反してほっそりとした顔の輪郭は、可愛らしさよりも綺麗という印象が強かった。

 金糸をあしらった着物を身に纏う娘は、八尺を越えおる一際巨大な鬼の肩に腰を下ろして、こちらを見下ろしている。

 向日葵、“マガツメ”が長女である。


「姉妹揃い踏みか……マガツメは何を企んでいる」

「企むなんて。母は昔からの願いを叶えようとしているだけ。だから私達はその手助けをしたいのです」


 言葉面は綺麗だが、マガツメのやり様はずいぶんと悪辣だ。

 地縛に人を狩らせ、直次を鬼に変え、死体を集めて鬼の群れを造り上げた。

 願いとやらが何かは分からないが、およそ真っ当なものではあるまい。


「……どうしますか?」


 鬼の群れを前に、緊張からか兼臣はごくりと唾液を飲み込む。

 反して甚夜も染吾郎も気負うことなく自然体である。


「どうするもなにも、まずは雑魚蹴散らさな話にもならん。痺れ切らして地縛が出て来てくれたら御の字やな」

「確かに、取れる手はその程度か」


 地縛との距離は遠くないが、阻むように無数の鬼がにじり寄る。

 まずはあれをどうにかしないと近付くことさえままならない。


「向日葵、地縛。お前が此処で何をやっていたのかは問わん。だが相手を願おうか」


 であればやるべきことは一つ。

 甚夜は左手を鬼へと翳し、染吾郎は懐に手を入れた。

 突き付けた言葉には殺気が混じり、しかし姉妹はそれを平然と受け止める。 


「勿論です」

「ええ、おじさまの願いなら断れないわね」


 地縛は挑発的に口元を歪め、視線を鋭く変えた。

 それが合図となり、多種多様な鬼の群れが雪崩のように迫る。

 魍魎の怨嗟に空気が震え、しかし甚夜も染吾郎も冷静に言の葉を紡ぐ。


「来い、<犬神>」

「いきぃ、かみつばめ」


 黒い影は三匹の犬となり、空を往く燕は刃となり、鬼共に襲い掛かった。

 前列にいる鬼共はそれだけで絶命する。所詮はその程度。群れを成したとところで然程の脅威ではない。


「兼臣、お前は自衛に努めろ」

「しかしっ」


 甚夜の言葉に兼臣は激昂したように叫ぶ。

 しかしそれを染吾郎がやんわりと言い聞かせた。


「雑魚は僕らに任しときぃ。君は、大物を相手にせなあかんのやから」

 

 流石にこの友人は理解が早い。

 地縛を斬るのは兼臣でなくてはならない。

 ならばここで無駄な体力を使わせる訳にはいかない。元より実力では地縛に劣る。ならば彼女が地縛を討てるようお膳立てをするのが彼らの役目だ。


「分かり、ました……」


 渋々ながらも納得した兼臣が抜刀し構えを取る。

 その態度に少しだけ安堵し、甚夜は再び鬼の群れを睨み付けた。


「地縛の<力>は鎖を操り、相手の行動を“縛る”。鎖には注意しろ」

「ありがとさん。ほないこか?」


 駈け出すと共に、数匹の燕が空を舞う。

 前回のような無様は晒さぬ。

 甚夜は強く奥歯を噛み締め、鬼共に斬り掛かった。





 首を落す。

 胴を薙ぐ。袈裟掛けに斬り捨て、心臓を貫き、唐竹に両断し。只管に屍を積み重ねる。

 背後から迫る数匹の異形。だが振り返る必要性さえ感じない。


「かみつばめ」


 飛来する燕が鬼の体を貫き、屍が増えるだけだ。

 百を超える鬼との戦いは、依然甚夜達が優勢であった。

 相手は鬼とはいえ全て下位、時折膂力に優れる者はいるがそれだけ。数多の鬼を屠ってきた彼等が苦戦するような相手ではない。

 討ちとった鬼が三十を超えたところで一度間合いを離し、甚夜と染吾郎は背中合わせに構え周囲を警戒する。

 攻めあぐねているのか、鬼もまた様子を観察しており、出来た空白の時間に染吾郎はぽつりと呟いた。


「なんや、妙やな」


 見据える異形の群れに対する素直な感想だった。

 どういう意味だ、とは問わない。それは甚夜もまた思っていたことだった。


「態々“造った”にしては弱すぎる、か?」

「なんや、君も気付いとったんか」

「一応はな」


 向日葵は初めて会った時数体の鬼を従えていた。

 地縛はマガツメの指示で人を狩っていると言った。

 直次は恩義故に死体を作り集めていた。

 そして百鬼夜行の主は鎖を操る鬼女だという。

 ならば裏にマガツメがいるのは確定。人の死体を集め、その結果生まれたのが鬼の集団であるならば、鬼が“何からできているのか”も容易に想像がつく。

 分からないのは百鬼夜行の弱さ。正直実力は自然発生する下位の鬼にも劣る。手間をかけて作る必要性があるとは思えなかった。


「死体を集めてこんな役にも立たん雑魚造って、なんや意味あるんか?」

「弱いのは造り始めだから」

「理由としては今一つやな」

「ならば、そもそも戦いに使うものではなかった」

「それや。多分、作ること自体が目的やったんちゃうかな」


 染吾郎は更に鋭く鬼を見る。

 そこには僅かな苛立ちがあった。人の命を弄ぶ輩に対する、至極真っ当な嫌悪だった。


「本当に造りたかったんは別モンで、こいつらはその過程で出来た失敗作みたいなもんなんやろ。案外、誰かに処分してもらお思て百鬼夜行なんて組んだんかもな」

「では死体を集め、鬼を生み、マガツメは最終的に何を造ろうとしていると思う?」

「うーん、分からん。そこら辺は地縛に聞いた方がええやろ」

「道理だ」


 話は一旦終わり、再び甚夜は鬼の群れへ駆け出す。 

 脇構えから横薙ぎ、一つ。返す刀、逆袈裟、二つ。

 鬼も無抵抗ではない。数匹同時に飛び掛かり、しかしかみつばめと犬神、秋津の付喪神がそれらを食い止める。

 一瞬止まればそれで充分、三匹四匹、五匹目の首が落ちる。振り返れば染吾郎の背後より襲い掛かる鬼ども。

 <飛刃>は使えない。ならばと愛刀を投擲すれば、六匹目、刃が頭蓋を貫く。

 怪異に囲まれ、刀を手放す。愚かな振る舞いを好機と見て鬼が四方より押し寄せる。

 だが愚かなのはそちらだ。

 ひゅるり、燕が舞う。

 翻るかみつばめは有象無象など容易く切り刻み、甚夜が微動だにせずとも周囲には死骸の山。

 鬼に突き刺さった夜来を染吾郎が引き抜き投げ返せば、受け取った瞬間体を回し七匹八匹。掠り傷一つ負わせることも出来ずに百鬼夜行は淘汰されていく。


「ほんと、人間離れしてるわね。ああ、おじさまは人間じゃないけど。そっちの老人も普通じゃないわ」


 鬼の数が半数ほどに減って、辺りは随分見やすくなってきた。

 視線の先には年若い女。地縛のところまで後少し、逃げる気もないようだ。

 どこか余裕のある素振り。以前ならばもっと動揺していただろうに、やはり地縛は成長している。

 ならば逃げないのは慢心よりも確信。目には相応の自信が宿っている。

 微かに甚夜は眉を顰める。僅か五年で随分と厄介な相手になったものだ。


「ちょい待ち、なんで甚夜がおじさまで僕が老人なんや」


 同じく染吾郎も微かに眉を顰める。

 もっとも彼が引っ掛かったのは零れた言葉の方。老人呼ばわりが気に食わなかったのか、明らかに不満げな顔をしている。

 そういう噛み付かれ方は予想外だったらしく、地縛は若干困惑した様子だった。


「え、え? だっておじさまはおじさまでしょう? 貴方が老人なのも間違いないし」

「いや、そやけども。なんか扱い違わん?」

「そりゃそうよ。おじさまと見ず知らずの他人じゃ扱いが違って当然じゃない」

「正論やけど……なんや納得できん」


 せめておじいさまやろ、と染吾郎はぶつぶつ文句を垂れる。

 くだらない遣り取りを交わしながらも付喪神で幾体もの鬼を退ける辺りは流石だが、余裕があるというかなんというか。相変わらずの友人の態度に、甚夜は呆れるように溜息を吐いた。


「……何をふざけている」

「ふざけとらん。そやけど老人呼ばわりはひどいやろ。もうちょっとこう気遣い的なもんをやな」

「敵にそんなものを期待するな」


 百鬼夜行を前にして空気が緩む。

 勿論警戒は怠っておらず、事実染吾郎は油断なく周囲を見回し、甚夜らの援護の傍らにも鬼を葬っていく。

 決して手を抜いている訳ではない。ただ彼の言動はどうにも真剣味が足らないように見えてしまい、後ろに控えている兼臣は冷たい視線を送っていた。


「秋津様……お願いだから真面目にやってください」

「う……いや、ちょっと君の緊張をほぐしたろう思ただけやん」


 流石にばつが悪いようで、染吾郎は頬の筋肉を引き攣らせていた。

 兼臣にとっては主の仇。それと和やかに話されては苛立つのも無理はない。

 しかし向日葵との接し方を考えれば、人をどうこう言える立場ではない。飛び火されても困るので口は挟めず、救いを求める友人の視線は見なかったことにした。


「うふふふ、なんか、貴方達面白いわねぇ」

「……まさか、私も含まれているのか」

「当たり前でしょ、おじさま。向日葵姉さんも同じこと言うと思うわよ?」


 三者の反応を眺めていた地縛は、戦いの場には似合わぬ程の楽しげな笑みを浮かべた。

 非常に納得がいかない。特に、自分も数えられている辺りが。

 憮然とした表情の甚夜が面白かったらしく地縛は更に笑う。その仕草はまるでそこいらの娘子のようで、邪気は感じられない。

 けれど一頻り笑い終えると、一転冷酷に兼臣を見据える。


「でもそろそろ貴女、目障りになって来たわ……勝負、つけましょうか」


 薄い笑みは少女のものではない。

 年齢にそぐわぬ妖しげな艶と匂い立つような殺気。

 彼女が見せたのは地縛という鬼女の顔だった。


「なにを」

「一対一よ。悪い話しじゃないでしょう? 主の仇と誰にも邪魔されず闘えるんだから」


 兼臣の目付きが変わった。

 その為に生きてきた。

 刀である彼女の、唯一の願い。

 それが今叶おうとしている。

 しかし彼女の実力では地縛には勝てない。

 誰よりも兼臣自身が理解しているからこそ、助力を乞うた。 


「それとも怖い? それならそれで別にいいわよ。単に貴女は、ゴミみたいな主を守れず、その上仇を前にしても怯えて男に媚びて縋ることしか出来ない無様な女だったというだけだもの」


 だからその選択が間違いと知っている。

 理性では戦ってはいけないと分かっている。

 それでも譲れないものがあっただけの話だろう。


「挑発だ、乗るな」

「分かっています。……でも聞けません」


 その言葉が全て。

 敵わないと分かっていても退くことは出来ない。

 主を愚弄され、己が生き方を否定され黙っていられるようならば、そもそも此処には立っていなかった。

 愚かだと理解している。しかし兼臣は刀であった。

 刀だからこそ、足は自然と前に出ていた。


「ふふ……」


 妖しく口の端を吊り上げる地縛は、鬼の群れへ紛れるように退いた。

 追う兼臣。それを止める為甚夜と染吾郎も前に出ようとして、


「勿論、させません」


 響く舌足らずな幼い声。

 空が陰ったのだと思った。

 けれど違う。現れた九尺はあろう巨大な鬼に星の光を遮られただけ。

 厳めしい形相、くすんだ灰色の肌。筋骨隆々とした鬼は向日葵を肩に乗せたまま、上から下へ叩き付けるように拳を振るう。

 後ろに飛んで躱したが、けたたましい音と共に地面には陥没ができた。

 並ではない。膂力、速度共に今迄の雑魚より一段も二段も上。あの拳が直撃すれば染吾郎は勿論甚夜でも致命傷になるだろう。

 立ち塞がる巨大な鬼を警戒し二人は構え直す。

 鬼の目は虚ろで意思を全く感じさせない。代わりにその肩の上では、相変わらず向日葵は無邪気に微笑んでいた。


「退け」

「出来ません。母が、兼臣に興味をもっていましたので。できれば欲しいんです」


 向日葵の言葉は渡世人の装いをした少女ではなく、妖刀である夜刀守兼臣を指している。

 百鬼夜行の噂を聞いた時は派手な真似だと侮ったが、どうやら迂闊なのはこちらだったらしい。 

 

「百鬼夜行は単なる囮か」

「はい。地縛が表立って動けば兼臣さんは自分から飛び込んでくれますし、そうしたらおじさまも来てくれます。一石二鳥、ですね」


 兼臣は主の仇と地縛を追っていたが、マガツメの娘達にとって寧ろそれは好都合。百鬼夜行の噂は釣り餌。見事に甚夜らは釣り上げられ、目論見通り分断され、こうして向日葵に足止めされている。

 下手を打ったな。失態に甚夜は奥歯を強く噛み締めた。


「なんや、マガツメゆうのは甚夜のこと狙っとるんか?」


 対して染吾郎は普段通りの飄々とした態度を崩さない。

 嵌められたのは事実だが焦ったところで意味はない。意識を切り替え、ゆったりとした口調で探りを入れる。

 差し当たって気になったのは、何気なく向日葵が口にした言葉か。

 今の口振りでは夜刀守兼臣を求めるのはあくまでも向日葵らの気遣い、そして マガツメの方こそ甚夜を狙っているように聞こえた。

 しかし甚夜はマガツメなる鬼が如何なる存在かも知らないという。

 ならば何故狙われるのか。染吾郎は向日葵の所作の一つ一つに注意を払い、その内心を覗き見ようとする。


「はい、母はおじさまに執心していますから」

「ほぉ。その割に、君ら“おじさまぁ”とか言って随分慕っとるやん」


 あげつらうような言い方は相手の反応を期待してのこと。

 指摘を受けた向日葵にはほんの僅かな戸惑いが見て取れる。

 いかにも困ったという風に狼狽える様子は、とても演技だとは思えなかった。


「あの、先ほどから気になっていたんですけど。私達がおじさまと呼ぶのは、そんなに変ですか?」


 そう言って甚夜に視線を送る鬼女の姿は、不安げに親へ縋る子供と被る。

 何故怒られたのか分からず、「私は何かいけないことをしてしまいましたか?」と尋ねるような頼りなさだ。

 鬼女の奇妙な振る舞いに違和を感じつつも、同じ年頃の娘がいるせいか、甚夜は向けられた瞳に観念し素っ気なく答える。


「敵への態度としては相応しくはないな」

「むぅ、それはそうかもしれないですけど」


 否定してくれなかったことが不満なのだろう、向日葵は頬を膨らませる。

 拗ねたような表情、幼げな振る舞い。彼女は本当に普通の女童のようで。

 しかし返ってきた言葉は、意識の外から甚夜の頭を殴り付ける。





「でも、私達が、母のお兄様を“おじさま”と呼ぶのは当然でしょう?」





 目の前が真っ白になり、思考は完全に止まった。

 この子が何を言っているのか理解できない。

 けれど一拍子二拍子置いて、ようやく頭が動き始める。

 そうすれば分からなかったことが次々と紐解けてくる。

 以前人を鬼に変える酒を造った鬼女がいた。

 今回、死体が鬼に変えられた。

 何故繋げて考えられなかったのか。

 本当に、迂闊過ぎる。甚夜は苦々しく表情を歪めた。


「そうか、マガツメ……だから“禍津女”か」


 神道には禍津日神まがつひのかみと呼ばれる神が存在する。

 マガは災厄、は「の」、は神霊を意味する。

 即ちマガツヒは災厄の神という意味を持つ言葉である。

 ならばマガツメは、“禍津女”は災厄の女。

 甚夜はそう呼ばれるべき存在を───長い歳月を越え、“全ての人を滅ぼす災厄”となり果てる女を知っている。


「成程、確かに、おじさまという呼び方は正しい」


 つまりはそういうこと。

“ゆきのなごり”を使い、人を鬼へと変えたのも。

 愛しい人の屍を弄んだのも。

 地縛に人を狩らせたのも。

 直次を鬼に変え、死体を集めさせたのも。

 百鬼夜行を生み出したのも。

 全て、


「でしょう、甚太伯父様?」





 お前なんだな、鈴音─────




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